今、福岡地下鉄・大濠公園駅の出口前にいます。なんでも、ここからすぐお城見学ができるということです。ここから少し歩くと、このたび復元整備された福岡城・潮見櫓を見学できるのです。さっそく行ってみましょう。堀の向こうに櫓が建っています。それも、まるで新築されたように見えます。
これから、大野城土塁一周ツアーということで、大野城の二重土塁の内、内周の土塁を歩きます。そのほとんどがハイキングコースになっているからです。距離としては、6、7kmでしょうか。それに、ここからまず城跡にたどり着かなければなりません。あと、この辺が標高約60mで、四王寺山は410mなので、350mくらいの登りになります。支度もそれなりに、一日かけるつもりで行かれるのがいいと思います。
大宰府政庁は、九州諸国の支配や中国・朝鮮との外交を取り扱う「遠の朝廷(とおのみかど)」でした。大野城は、この大宰府の守護神だったのです。政庁の南門跡、正殿跡などには、柱が立っていた石(礎石)が並んでいます。そして、正殿跡に立つ石碑の背後には山が控えています。山は四王子山といいますが、その上に大野城があったのです。
今回は、ここ熊本城発祥の地から出発します。コースは時代順とはいかないので、西南戦争の関連スポットに続きます。次は、清正の跡取り・加藤忠広やその後の細川氏が整備した二の丸を歩きます。そして、前々回の記事では通らなかった「特別公開北ルート」から天守に行ってみます。天守は、清正ゆかりの建物です。最後は、城の北側を回って「古城地区」よりも古いと言われる「千葉城地区」まで回ってみます。
加藤清正と言えば、熊本城以外も、「賤ヶ岳の七本槍」「虎退治」「地震加藤」など、武功談に富んだ勇猛な武将というイメージがあるでしょう。また「清正公(せいしょこ)さん」として、今でも慕われ、崇められる存在でもあります。実際の清正は、どんな人物だったのでしょうか。
熊本城は2016年の熊本地震で被災し、現在は復旧中です。現時点の熊本市による「復旧基本計画」によると、なんと復旧完了は2052年度になっています。そこで、今回はまず復旧の状況をご紹介してから、城の歴史の説明をしようと思います。
今日は横浜線小机駅から歩いて、城跡のある「小机城址市民の森」に行きます。「小机城址市民の森」には駐車場がないので、遠くからのビジターは、出発点が「小机駅」になると思います。それなので、駅からスタートして、城跡の中心部を周って。第三京浜道路を越え、出城だったと言われる場所まで行き、周遊して駅まで帰ってくるコースをご紹介します。それでは、小机駅から出発しましょう。
小机城は現在の横浜市(北区)にあった城です。小机城の全盛期、戦国時代後半には、北部横浜市域は「小机領」と呼ばれたのです。ということは当時は、今の「横浜」と同じくらいネームバリューがあったのかもしれません。小机城は、その中心的な拠点だったのです。
今回は、沼田駅前からスタートします。「真田の里」の旗がお出迎えです。この駅は、河岸段丘の麓にあるので、ここから段丘を登っていきます。その方が要害にあった城を感じることができるでしょう。城跡がある沼田公園はちょうど桜の季節なので、一緒に見学しながら、天守がどこにあったのかも、探してみたいと思います。その後は、天空の城下町を散策して、昔からの用水路も見学しましょう。
沼田城があった地域は、地理の教科書的にも、典型的な河岸段丘の地形として知られています。沼田市街地がある台地は、北は薄根川、西は利根川、南は片品川が作った谷に囲まれ、東側に開けています。城と城下町はその台地上にありました。
金沢城は「加賀百万石、前田利家の城」とよく言われます。しかし実際には、一言では言い切れないものがあります。例えば、百万石というのは、加賀・能登・越中3国にあった加賀藩の領地の石高のことです。その百万石や金沢城も、利家一代で築いたものでもないのです。城主だった前田氏が代々引き継いて完成させたのです。
これから、かつて福岡城の正門だった上之橋御門の跡から、話題の天守台までご案内します。それに加えて、福岡市が出している城建物の復元可能性を示した表を見ながら、途中のスポット毎にチェックしていきます。福岡城跡が将来、どのような姿になるのか想像するためです。