78.丸亀城 現地編

丸亀駅前に来ています。ここから、丸亀城に向けて出発します。商店街、市役所に沿って行けば、どんどん城が迫ってきます。大手口の前に着きました。この城は、見どころがてんこ盛りなので、丸ごとめぐっていきます。

イントロダクション

丸亀駅前に来ています。ここから、丸亀城に向けて出発しますが、もう天守を見学できます。ビルの合間から天守が見えるのです。

丸亀駅
ビルの合間から見える天守

これならば方角はまちがわないので、商店街を進みます。大きな通りに出ますが、かつてはここが外堀でした。その通りに沿って市役所の方に行きます。お堀端を歩いている感じです。城の石垣の山が見えてきました。

商店街を抜けたところがかつての外堀
正面に見える丸亀城

今度は市役所に沿って行けば、どんどん城が迫ってきます。城めぐりへの期待も高まってきます。大手口の前に着きました。この城は、見どころがてんこ盛りなので、丸ごとめぐっていきます。

迫ってくる丸亀城
大手口

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(「石垣の名城」丸亀城 丸ごとめぐり)

城周辺の航空写真

大手口から三の丸へ

内堀を渡って、大手口に入ります。まず、高麗門形式の「大手二の門」です。中は、広い枡形になっていて、鏡石もあります。そして櫓門形式の「大手一の門」です。定番ですが、、やはり威厳を感じます。

大手二の門
大手二の門
大手一の門

門を抜けたら左手の坂を登ります。「見返り坂」という急勾配の長い坂(長さ150m、斜度約10度)で、時々立ち止まって振り返ってしまうことから名づけられたそうです。確かにどのくらい来たか、振り返ってみたくなってしまいます。

見返り坂
見返り坂を振り返る

でも早速、登った御褒美があります。三の丸北側の高石垣で、高さは20メートル以上あります。隅のラインは「扇の勾配」と呼ばれていて、美しいです。

三の丸北側の高石垣

三の丸へは、まだ坂が続きます。しかも両側から攻められそうな感じです。やっと着いたと思ったら、また素晴らしいものが見えます。讃岐富士(飯野山)です。

三の丸への坂
三の丸から見える讃岐富士

奥の方には櫓跡があります。月見櫓跡です。ここからは、讃岐富士だけでなく、城の裏手もばっちり見えます。搦手口です。

讃岐富士と月見櫓跡
月見櫓跡から見える搦手口

三の丸の表側もチェックしてみましょう。ここにも櫓跡のような場所があります。三の丸東張出石垣といって、建物はなかったようです。ここも眺望がすばらしいです。先ほどの高石垣が並び立っています。

三の丸東張出石垣
三の丸東張出石垣からの眺め
三の丸東張出石垣から見える高石垣

三の丸・二の丸で石垣・景色三昧

次はそのまま二の丸に行く人が多いのですが、もっと石垣と景色を楽しみたいので、まだ三の丸を巡ります。二の丸入口(大手)の脇の方を進みます。向こうに見えるのは、二の丸の鬼門櫓(番頭櫓)跡の石垣です。三の丸の上は景色もいいですが、二の丸の石垣が迫って、ものものしい感じです。

二の丸大手
二の丸鬼門櫓跡石垣

もっとものものしいところもあります。高石垣の上です。下にいる人が全然見えないほどです。

三の丸上
高石垣上

天守のすぐ下の、二の丸のもう一つの入口(搦手)を過ぎます。次は、戌亥櫓(七間櫓)跡です。ここも、いい景色です。

二の丸搦手
戌亥櫓跡

三の丸の最後は、坤櫓(水手櫓)跡です。しかしその場所は、2018年に石垣が崩落したところです。行けるところまで行ってみましょう。立入禁止となっていますが、上から復旧現場を見学できるスペースがあります。石垣を積み始めたところのように見えます(2026年8月中旬時点)。

三の丸から見た本丸、坤櫓跡は右手奥
立入禁止箇所
石垣崩落復旧現場
復旧現場(ズーム)

二の丸大手入口に戻って、二の丸に入っていきます。これも頑丈そうな門跡です。

二の丸大手の石垣
二の丸内部

二の丸のおすすめは井戸です。この井戸は、深さが65メートルもあって、今でも水をたたえています。なんと石垣を築いた石工(羽坂重三郎)が、ここで亡き者にされたという伝説もあるのです。

二の丸井戸
二の丸井戸の底

次は先ほど下から見た、鬼門櫓跡です。一段上がると、景色がどう変わるのでしょか。讃岐富士から、瀬戸大橋までもよく見えます。

鬼門櫓跡
鬼門櫓跡からの眺め

二の丸搦手入口にも行ってみます。これもさっき下から見ています。この入口は、長崎櫓のほか、天守によっても守られていたのです。確かに石落としがこちらを向いています。

二の丸搦手
二の丸搦手を守る天守
石落とし

本丸から天守の中へ

これから天守がある本丸に乗り込みます。本丸の門跡から入っていきます。かつては天守と櫓群が連結していましたが、現在は天守単独でお出迎えです。現存の3重天守のなかで一番小さいとは言いますが、城下から見える北側に、長い面や、破風を配置して大きく見せています。本丸からは反対側になりますが、すごく優美に見えます。

本丸門跡
現存天守(南面)

天守の中に入ります。まず、天守一階です。すごい柱の数で、50本もあるそうです。荒々しく加工されていて、時代を感じます。天守を囲む壁は「太鼓壁」といって、漆喰が分厚く塗られています。

天守一階
太鼓壁

そして、内部外側の武者走りの、特に北側に防御の仕掛けが集中しています。矢や鉄砲で攻撃するための狭間が並んでいます。更に先ほど下から見た「石落とし」です。

狭間と石落とし

二階に行きます。オリジナルだけあって、急階段です。二階に上がったら、ちょっと外を見てみましょう。目の前に屋根が見えて、唐破風のところのようです。内部の見どころとしては、大砲狭間(おおづつさま)があります。

二階への階段
二階から見た唐破風
大砲狭間

ついに、最上階です。一番上なので、コンパクトな空間ですが、ここからの景色に期待してしまいます。丸亀の街と海が一望です。

天守三階
天守三階からの眺め

本丸の櫓跡にも行ってみましょう。本丸からは「こんぴらさん」がある象頭山も見えます。一番人気に見える姫櫓跡に行ってみます。ここからは、先ほどの象頭山から、城の西側がずうっと見渡せます。丸亀城は、全方位対応なのです。

姫櫓跡
姫櫓跡からの眺め、象頭山は左側

搦手口、そして復旧現場へ

帰りは、三の丸まで戻って、搦手口から山を下ります。城の裏口ということですが、そんな感じではないのです。途中にも玉櫓跡があって、振り返ると、二の丸五番櫓跡が控えています。更に下った先には栃の木門跡があります。とても裏門とは思えない厳重さです。これは、京極氏が大手門を北側に作るまでは、こちらの南側が大手だったということがあるのでしょう。

搦手口、奥が五番櫓跡
栃の木門跡

山を下りきったところには、古風な石垣(東南山麓の野面積み石垣)があります。上にある石垣とのコントラストが良いです。

東南山麓の野面積み石垣(下の方)

搦手門跡はシンプルです。周りも土塁になっていて、石垣で固めている場所とは雰囲気が違います。

搦手門跡
この城では珍しいかもしれない土塁

次は、石垣崩落復旧現場です。2018年に崩落した南西部分の石垣復旧工事が行われています。「石垣復旧PR館(略称)」では、崩落から現在までの復旧状況がわかる展示を行っています。PR館屋上からは、復旧現場全体を見渡すことができます。傍らには江戸時代に損傷したと考えられ、今回掘り出された「埋没石垣」も展示されています。復旧が無事進むよう祈ります。現場を見ながら、大手口の方に戻っていきます。

石垣復旧PR館
PR館屋上から見た復旧現場
埋没石垣
復旧現場全体

最後は、山麓にあった藩主御殿の門を見学します。御殿そのものは、明治の初めに焼失し、門と番所などがなんとか残りました。これからも大事にしてほしいです。

玄関先御門(御殿表門)

関連史跡

余勢をかって「こんぴらさん」(金刀比羅宮)まで来てみました。御本宮まで785段登りました。ここからは讃岐富士がよく見えます。もっと上に行けば、丸亀城が見えるかもしれません。

金刀比羅宮・御本宮
御本宮から見える讃岐富士

がんばって奥社までトータル1368段登っていくと、鳥居の脇から丸亀城が見えました!「石垣の名城」というのがここからでもわかります。満願成就した気分です。うどんもおいしいことでしょう。

金刀比羅宮・奥社
奥社から見える丸亀城(ズーム画像)

リンク、参考情報(追加分)

・丸亀城パンフレット

「丸亀城 歴史編」に戻ります。

これで終わります。ありがとうございました。

174.大内氏館・高嶺城 現地編

今回はまず大内文化や幕末の歴史が感じられる「香山公園」に向かいます。その次は、県庁エリアに移動して、山口城跡をご案内します。その後は、大内氏館跡や、築山跡に行って、最後は、高嶺城跡に登ります。

イントロダクション

今回は、山口市の常栄寺からスタートします。ここには、雪舟が作ったと言われる庭園があるのです。山門を入ったところからそんな雰囲気があります。

常栄寺山門

作庭を依頼したのは、戦国時代の大内氏当主・政弘とのことです。大内氏がどんどん栄えていくころの遺産なのです。本堂を上がって庭を拝見しましょう。まるで絵のようです。「雪舟庭」と呼ばれる池泉回遊式庭園です。反対側の「南溟庭」も見ものです。

雪舟庭(本堂より)
南溟庭

「雪舟庭」を歩いてみましょう。ここは、城館の跡がある市街地から少し離れているので、イントロに持ってきました。

雪舟庭(散策路より)

市街地に近づいて、雪舟のアトリエ・雲谷庵にやってきました。雪舟は山口に住み着いたとされています。ここから、大内文化や幕末の歴史が感じられる「香山公園」に向かいます。その次は、県庁エリアに移動して、山口城跡をご案内します。その後は、大内氏館跡や、築山跡に行って、最後は、高嶺城跡に登ります。

雲谷庵(復元)

山口周辺の地図

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(西の京・山口のお城とエリア別ガイド)

大内文化と幕末の歴史を感じよう(香山公園)

香山公園へ行くのに、少し寄り道をしていきます。錦の御旗製作所跡です。幕末の鳥羽・伏見の戦いで大きな役割を果たしたこの旗は、ここで作られたそうです。京都の西陣織とかではなかったのです。

錦の御旗製作所跡

市街地を流れる一の坂川に沿って歩きます。都会の川とは思えないほどきれいです。

一の坂川

そして、通りに入ってから見えてくるのが、瑠璃光寺五重塔です。これまた、絵になる風景です。大内盛見が、兄の義弘のために建てた供養塔です。

瑠璃光寺五重塔(遠景)
瑠璃光寺五重塔

国宝なのに、いつでもこんな近くまで拝観できるのです。それだけでもありがたいと思ってしまいます。盛見はここに香積寺を作ったのですが、毛利輝元の時代にその寺は萩に移り、代わりに瑠璃光寺がここに来たのです。

瑠璃光寺五重塔(近景)

香山公園には、山口を開いたと言われる大内弘世の像や、幕末の殿様、毛利敬親の墓もあるのですが、「沈流亭」という建物もあります。幕末の薩長の志士たちが、この階上で、薩長同盟の密議を行ったそうです。ここが歴史の舞台だったのです。

大内弘世像
毛利敬親墓
沈流亭

そこから五重塔が見えるので、志士たちは五重塔を見ながら密議を行ったのかと思ってしまいますが、この建物は移築されてきたとのことです。

沈流亭から見える五重塔

公園を出てからも、まだ見どころがあります。ときは室町時代に戻ります。今は洞春寺という寺の山門なのですが、もとは大内盛見が建てた国清寺のものだったそうです。境内には、室町時代の建物がもう一つあります。

洞春寺山門
洞春寺観音堂、これも室町時代の建物

実は、次のセクションでご案内する山口城跡は、すぐ近くなのです。ちょうどいい具合に入口があります。

香山公園から山口城跡への入口

山口城跡(県庁エリア)

歩いているところは、周りより高くなっています。確かに城っぽいです。説明パネルがありました。最近ここで調査が行われたとあります。大砲の絵があるので砲台があった場所のようです。角地に当たり、見晴らしがいい場所です。

砲台跡と思われる場所
説明パネル

城郭ファンとしては下に行って、土塁を見たくなってしまいます。ベースが石垣になっていて、頑丈そうです。ここから続く高まりは土塁だったのでしょう。追いかけていきます。土塁の端らしい部分もありました。

石垣をベースにした土塁
他の残っている土塁

ここから先は県庁の建物が並んでいます。ここまでかなと思うのですが、県庁の門を出たところから堀が残っているのです。今度は堀を追っていきましょう。結構城域の形はわかるのです。

山口県庁の建物群
残っている堀
堀の角部分

門が見えてきました。旧山口藩庁門です。明治になってからの建物ですが重要文化財に指定されています。

左奥に門が見えます
旧山口藩庁門

脇門から入っていきましょう。中は枡形のように見えます。事実、城があった当時は枡形になっていました。

枡形跡

奥の方に入ると、北に香山を背にして「御屋形」(御殿)があって、西にも小山があったそうです(一露山、現在は崩されています)。今見えているのは高嶺城があった山(鴻ノ峰)です。城跡が山口城の詰め城として使われたとも言われます。

御屋形跡、奥は香山
右手前に一露山があったようです、奥は鴻ノ峰

門の前に戻って、また堀沿いを進みます。途中には石垣も残っています。そして、その先には山口市歴史民俗資料館があります。ここでは、大内氏やその城館の勉強ができます。

堀に残る石垣
山口市歴史民俗資料館

大内氏館・築山跡(市街地中心エリア)

大内氏館跡などを見に行くのに、市街地中心エリアに向かいます。まず来てみたのは「大殿大路」という通りで、大内氏館に沿っていたと考えられます。ちょうど今ある寺(龍福寺)の入口になっています。館の外郭の部分が、寺の参道になっているのです。

館跡周辺の航空写真

大殿大路
龍福寺参道

そして山門から入る境内が、館の内郭だったと思います。こちらも土地の形は残っているのです。本堂はなんとこれも重要文化財で、室町時代に建てられ、ここに移築されました。元の館もこんな感じだったのでしょうか。

龍福寺山門
龍福寺本堂

それと、館の遺構も発掘され、一部復元されています。意外とたくさんあります。池泉庭園から見ていきましょう。宴会でお客が眺めたところだったと思われます。当時は珍しかったソテツも植えられています。その傍らには宴会を行った「会所」があったのではと言われます。かまど跡もあります。もしかして「中世最大級の宴会」料理をここで作ったのでしょうか。

池泉庭園(復元)
石組かまど跡

次は館の北側に回って、復元された土塁を見学するのですが、背後に見える高嶺城の山(鴻ノ峰)が気になってしまいます。館をバックアップするのにいい場所です。ついつい、もっと早く生かせなかったかと思ってしまいます。

復元土塁と背景の鴻ノ峰

かつては、土塁と堀がずっと囲んでいました。復元された土塁・堀跡によってイメージすることができます。今度は北西の角を曲がっていきます。枯山水庭園が復元されています。「雪舟庭」という程ではありませんが、ここにあったとわかることが大事でしょう。

復元土塁・堀跡
枯山水庭園(復元)

先に進むと西門があります。これも復元されたものです。現在寺がある範囲で結構頑張っていると思います。その先には、発掘された石組溝があって排水路として使われたと考えられます。

西門(復元)
石組溝

続けて、築山跡に向かいます。最初は大内教弘の隠居のための館だったのが(築山館)、亡くなってからは、彼を祀る場所になりました(築山大明神)。一部は発掘されて、平面表示されています。館時代の遺構ということです。東堀については、先ほどの山口市歴史民俗資料館で断面が展示されています。

築山跡
東堀の断面展示(山口市歴史民俗資料館)

築山跡の範囲には、これも重要文化財の八坂神社があったり、その隣の築山神社の奥には築地跡が残っています。

八坂神社
築山神社
築地跡

それから、パワースポット好きの方には、少し足を延ばして、大内義興が建てた、今八幡宮もおすすめです。

今八幡宮

高嶺城跡(丘陵エリア)

最後のセクションも、パワースポット登場です。この山口大神宮は、大内義興が伊勢神宮から勧請して、なんと伊勢神宮と同じように、式年遷宮しているのです。現在の外宮、内宮の向こうに以前の跡地が見えます。

山口大神宮

実はここに、高嶺城跡への登山口があるのです。しかし今回は、西側の林道の終点からご案内します。

山口大神宮にある登山口
西側の林道

そこから先はまさに山城で、峰の上を登っていきます。少し広い平坦地に出ますが、この辺りは居住区域だった可能性があります。

山道を登ります
高嶺城跡赤色立体模型の主要部、山口市歴史民俗資料館にて展示
途中にある平坦地

更に進むと、いよいよ主郭と思われる高まりが見えてきました。石垣もちらちら見えます。なにか案内があります。主郭と石垣、どちらを先に行くか迷います。しかしわざわざ石垣と書いてあるということで、まず「石垣」に行ってみましょう。

主郭が見えてきました
「主郭」「石垣」の案内

石垣が見えてきました、でも崩されてしまっています。廃城のときに隅の部分を崩した跡のようです。ただ、その向こうは石垣が続いています。山の上の石垣、なかなか見ごたえがあります!

破城の跡
その先に続く石垣
山上の石垣

いよいよ主郭に登ります!こちらも石垣が段積みになっています。

主郭に登る途中の石垣

着きました!ここには、建物が立っていた礎石が残っていて、建物の瓦も発見されています。立派な建物があったのでしょう。

主郭

最後は景色を楽しみます。市街地が一望できます。大内氏館はどこでしょうか。

高嶺城跡からの眺め

ありました。大内氏館と高嶺城、改めて絶好のコンビだと思います。

龍福寺(大内氏館跡、ズーム画像)

関連史跡

大内義興の菩提寺とされる、凌雲寺の跡に来てみました。義興の墓はありましたが、その先は荒野という感じです。

大内義興墓
荒野に見えるような中を進みます

進んでいくと、石垣が見えてきました。すごい石垣が、忽然と現れた印象です。大内氏の夢の跡とも思えます。

迫力ある凌雲寺総門石垣
大内氏の夢の跡

リンク、参考情報(追加分)

・山口市歴史民俗資料館
・山口市観光情報サイト 西の京やまぐち
・美術館ナビ、<城、その「美しさ」の背景>第124回 山口城(詰めの城の記述)
・「大内氏遺跡 築山跡」パンフレット、山口市教育委員会

「大内氏館・高嶺城 歴史編」に戻ります。

これで終わります。ありがとうございました。

197.志布志城 その2

志布志城跡のうち、メインの内城に向けて出発します。まず、いきなり城に攻め入るイメージで、本丸を攻略します。その後も、城の奥の方をどんどん探ります。これはもう探検気分です。

イントロダクション

志布志麓のビジター向け駐車場に来ています。ここから、志布志城跡に向かいます。城跡の周りには、武家屋敷跡や庭園もありますので、城の前か後に行ってみてはいかがでしょう。

志布志麓駐車場
福山氏屋敷

それでは、志布志城跡のうち、メインの内城に向けて出発します。大手口に進みます。途中には平山氏庭園もあります。案内が見えてきたら、それに沿って右折します。山に迫っていきます。

手前の駐車場からまっすぐ行きます
平山氏庭園
志布志城(内城)跡の案内

大手口です。いよいよ城に入っていきます。まず、いきなり城に攻め入るイメージで、本丸を攻略します。その後も、城の奥の方をどんどん探ります。最後に港などもご案内します。これはもう探検気分です。

大手口

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(志布志城・探検ツアー)

大手口から本丸を攻略

内城周辺の地図、赤破線が駐車場から本丸までのルート

大手口から進んでいきましょう。もうこの時点で、右側に曲輪があります(矢倉場・曲輪1)。敵だったら、もう攻撃されてしまいます。曲輪の壁が垂直になっています。これが、シラス台地の城なのでしょう。

大手口から矢倉場を見上げています
志布志城模型の大手口付近、志布志市埋蔵文化財センター展示
矢倉場の壁面

本丸登城口です。ここから登っていきます。ここは、左右の曲輪に挟まれています。右側の曲輪(曲輪8)はかなり高さがあるのに、反対側(曲輪7)は低くて平らです。番所みたいなものがあったのでしょうか・・・

本丸登城口
本丸登城口右側の曲輪
本丸登城口左側の曲輪

進むと、分かれ道になっています。昔の敵だったら迷ってしまうでしょうが、ビジター向けにはコースマップがところどころにあります。右の方に行きましょう。

志布志城模型の本丸登城口付近、志布志市埋蔵文化財センター展示
分かれ道にある城跡コースマップ
右側に進むと堀底道です

そして、堀底道になります(空堀3)。なんとここは、4方向から攻撃を受けてしまう場所だったのです。心して進みましょう。堀底道といっても、道はまだ登って、曲がりくねっています。これでは反撃どころではありません。

志布志城模型の堀底道付近、志布志市埋蔵文化財センター展示
まだ道は登り、曲がっています

やっと堀底らしいところに出ますが、城の曲輪が真上にあるように見えます。完全に挟まれてしまっています。

堀底道
堀底道右側の曲輪(曲輪2上段)
堀底道左側の曲輪(本丸下段)

周りを囲む曲輪の一つ(曲輪2上段)に登って行けそうです。曲輪の上は、平らに整地されています。ここは城の中枢を担う曲輪の一つで、家臣などが詰めていたと考えられます。

曲輪(曲輪2上段)に登っていきます
曲輪2上段の上

堀底道に戻ってまた進みましょう。前の方に別の曲輪が見えてきました。本丸(曲輪3)上段です。敵にとってはまた脅威です。

前方が本丸上段

本丸下段に入ってみましょう。意外と簡単に入れます。現代のビジター特権でしょうか。となりが本丸上段です。まわりに木が茂っていますが、なにか景色は見えるのでしょうか。木々の隙間からなんとか、港が見えます。フェリーの「さんふらわあ」です!

現在の本丸下段入口
本丸下段内部
本丸下段からの眺め
フェリー「さんふらわあ」

奥まで鉄壁の守り

本丸(曲輪3)上段にやってきました。標柱に「島津六代氏久公居城」とあります。新納氏が城主になったときに、後押しをした島津の殿様が、一時この城にいたそうです。

本丸上段の標柱

本丸の土塁と、背後の空堀を見に行きましょう。土塁の上にお堂があります。「三宝荒神」といって、城主一族の守護神とのことです。土塁の向こうはどうなっているのでしょうか?やっぱり、垂直に見下ろす感じです。

本丸土塁上の三宝荒神
本丸背後の空堀を見下ろしています

その堀(空堀4)の底を歩きます。倒木があったりするので、気を付けて進みましょう。この空堀は、本丸エリアを作るために、この城で最初に掘られたと考えられています。本丸の壁は「切岸」と言ってほぼ垂直に削られていました。さっき見下ろした辺りにきました。今度は思いきり見上げることになります。

倒木などには気を付けましょう
先ほど本丸から見下ろした辺りか
今度は本丸を見上げています

今度は一つ奥の、中野久尾の空堀(空堀5)にやってきました。ここから入る曲輪(曲輪5上段)の虎口を見ていただきたいのです。空堀の底が一段高くなっています。この高くなっているところから曲輪の入口が始まるのです。

志布志城模型の左側が本丸背後の空堀、真ん中が中野久尾の空堀、志布志市埋蔵文化財センター展示
空堀の底が一段高くなっています

上がったところから折り返すと、すごい壁です!ここを敵が通るときは、上から攻撃されてしまいます。しかも通路は細くなっています。曲輪に入るところも、いまだに壁に囲まれている感じです。更に折れ曲がっていて、枡形のようになっています。

細い通路が垂直の壁面に沿っています
曲輪の虎口

本丸の西側に移動しました。ここも空堀の底です。この辺から、城の西側を、大空堀が南北に貫いているのです。まるで自然の谷のようです。右側が曲輪群、左側が土居に囲まれていて、深さは約17メートル。かつてはもっと深かったそうです。高石垣も顔負けです。

現地城跡ルートマップ、大空堀が西側をずっと通っています
大空堀から本丸を見上げたところ
大空堀

一番奥の大野久尾まで来てしまいました。城の中の通路にもなっていたのでしょう。

大空堀から大野久尾の入口(右側)へ
大野久尾

果てしない志布志城

今度は、入口の方に戻ってきました。矢倉場を見学して、東側の空堀を通って、搦手口に行ってみたいと思います。曲輪が立ちはだかっています。相変わらずの垂直の壁です。

矢倉場への入口
矢倉場外観
ほぼ垂直の壁面
志布志城模型の矢倉場を登っていく方向から見ています、志布志市埋蔵文化財センター展示

矢倉場(曲輪1)です。ここも建物跡が発見されています。これは、城主だった新納氏の墓がありますが、明治時代に立てられたそうです。曲輪の下の方は見えるかと思いましたが、草木が茂って微妙な感じです。

矢倉場の上
新納氏の墓、時久は新納氏の祖
曲輪の下はあまりよく見えませんでした

それでは、空堀の方に下っていきましょう。東側も、南北を貫く空堀(空堀1)がずっと続いています。左側は、本丸に行くときに立ち寄った曲輪(曲輪2)、右側には更に土塁や曲輪(曲輪10など)があります。案内がなければ、迷子になってしまいそうです。

東側の空堀

まもなく、本丸に行くときに通った空堀(空堀3)と合流します。また少し下って、右側が搦手口です。裂け目のようになっています。立ちはだかる土塁の壁面は、まるで岩盤です!少し進んで振り返ってみると、城に入るときは、どんな風に見えるかわかります。城の裏口であっても、こんなに厳重に構えていたのです。模型を見ても、壁のような土塁を立ち上げているのが見て取れます。志布志城、まさに鉄壁の守りです。

左側の道が別の空堀からの道で、合流して右下に続きます
裂け目のような搦手口
岩盤のような壁面
外側から見た搦手口
志布志城模型を搦手口から見ています、志布志市埋蔵文化財センター展示

志布志城の発祥地・松尾城

今まで見学したのは志布志城の「内城」でした。「松尾城」も一部見学できますので行ってみましょう。

4つの志布志城、現地説明パネルより
駐車場からの交差点を、松尾城は左に行きます。

一部ということで規模は小さく感じますが、シラス台地を掘った場所はありますし、垂直の壁面も見ることができます。

松尾城入口
シラス台地を掘り進んだと思われる部分
ほぼ垂直の壁面

上に登り切ったところに石碑があります。南北朝時代の城主・楡井頼仲を記念したものです。志布志城全体は松尾城から始まったのです。

楡井頼仲の石碑

関連史跡、名物

関連史跡・施設としてまず志布志駅にやってきました。観光案内所を兼ねているので、志布志市埋蔵文化財センターと合わせて、城の情報収集をしてみてはいかがでしょう。

志布志駅、兼志布志市総合観光案内所
志布志市埋蔵文化財センター

実は志布志駅は日南線の終着駅なのです。かつてはここから更に、志布志線、大隅線が伸びていたそうです。交通の要衝だったのです。

終着駅のホーム
かつての路線を記念した志布志鉄道記念公園

もちろん今もそうですので、それがわかるところに行ってみましょう。志布志港です。城から見えた「さんふらわあ」が停泊しています。このフェリーは、毎日夕方にここを出航するということなので、城見学をする昼間の時間帯は、いつも停泊しています。

フェリー「さんふらわあ」

ところで、城からここが見えたのだから、ここから城は見えるのでしょうか。シラス台地はわかります。城は、橋の向こう側のような気もしますが、建物はないので難しいものがあります。しかし、志布志の港とシラス台地の城の、絶妙のコンビネーションを感じることができました。

志布志港から見えるシラス台地
志布志城(内城)は、青い橋の向こう側のように思います。
志布志市役所にある名物看板

最後に、志布志のもう一つの名所に来てみました。志布志市役所にある看板です。「志布志」の連呼でこの場所を示していますが、早口言葉でどうぞ、ということらしいです。地名で楽しめるなんて、おもしろいです。

「志布志城その1」に戻ります。

これで終わります、ありがとうございました。

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