174.大内氏館・高嶺城 現地編

今回はまず大内文化や幕末の歴史が感じられる「香山公園」に向かいます。その次は、県庁エリアに移動して、山口城跡をご案内します。その後は、大内氏館跡や、築山跡に行って、最後は、高嶺城跡に登ります。

イントロダクション

今回は、山口市の常栄寺からスタートします。ここには、雪舟が作ったと言われる庭園があるのです。山門を入ったところからそんな雰囲気があります。

常栄寺山門

作庭を依頼したのは、戦国時代の大内氏当主・政弘とのことです。大内氏がどんどん栄えていくころの遺産なのです。本堂を上がって庭を拝見しましょう。まるで絵のようです。「雪舟庭」と呼ばれる池泉回遊式庭園です。反対側の「南溟庭」も見ものです。

雪舟庭(本堂より)
南溟庭

「雪舟庭」を歩いてみましょう。ここは、城館の跡がある市街地から少し離れているので、イントロに持ってきました。

雪舟庭(散策路より)

市街地に近づいて、雪舟のアトリエ・雲谷庵にやってきました。雪舟は山口に住み着いたとされています。ここから、大内文化や幕末の歴史が感じられる「香山公園」に向かいます。その次は、県庁エリアに移動して、山口城跡をご案内します。その後は、大内氏館跡や、築山跡に行って、最後は、高嶺城跡に登ります。

雲谷庵(復元)

山口周辺の地図

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(西の京・山口のお城とエリア別ガイド)

大内文化と幕末の歴史を感じよう(香山公園)

香山公園へ行くのに、少し寄り道をしていきます。錦の御旗製作所跡です。幕末の鳥羽・伏見の戦いで大きな役割を果たしたこの旗は、ここで作られたそうです。京都の西陣織とかではなかったのです。

錦の御旗製作所跡

市街地を流れる一の坂川に沿って歩きます。都会の川とは思えないほどきれいです。

一の坂川

そして、通りに入ってから見えてくるのが、瑠璃光寺五重塔です。これまた、絵になる風景です。大内盛見が、兄の義弘のために建てた供養塔です。

瑠璃光寺五重塔(遠景)
瑠璃光寺五重塔

国宝なのに、いつでもこんな近くまで拝観できるのです。それだけでもありがたいと思ってしまいます。盛見はここに香積寺を作ったのですが、毛利輝元の時代にその寺は萩に移り、代わりに瑠璃光寺がここに来たのです。

瑠璃光寺五重塔(近景)

香山公園には、山口を開いたと言われる大内弘世の像や、幕末の殿様、毛利敬親の墓もあるのですが、「沈流亭」という建物もあります。幕末の薩長の志士たちが、この階上で、薩長同盟の密議を行ったそうです。ここが歴史の舞台だったのです。

大内弘世像
毛利敬親墓
沈流亭

そこから五重塔が見えるので、志士たちは五重塔を見ながら密議を行ったのかと思ってしまいますが、この建物は移築されてきたとのことです。

沈流亭から見える五重塔

公園を出てからも、まだ見どころがあります。ときは室町時代に戻ります。今は洞春寺という寺の山門なのですが、もとは大内盛見が建てた国清寺のものだったそうです。境内には、室町時代の建物がもう一つあります。

洞春寺山門
洞春寺観音堂、これも室町時代の建物

実は、次のセクションでご案内する山口城跡は、すぐ近くなのです。ちょうどいい具合に入口があります。

香山公園から山口城跡への入口

山口城跡(県庁エリア)

歩いているところは、周りより高くなっています。確かに城っぽいです。説明パネルがありました。最近ここで調査が行われたとあります。大砲の絵があるので砲台があった場所のようです。角地に当たり、見晴らしがいい場所です。

砲台跡と思われる場所
説明パネル

城郭ファンとしては下に行って、土塁を見たくなってしまいます。ベースが石垣になっていて、頑丈そうです。ここから続く高まりは土塁だったのでしょう。追いかけていきます。土塁の端らしい部分もありました。

石垣をベースにした土塁
他の残っている土塁

ここから先は県庁の建物が並んでいます。ここまでかなと思うのですが、県庁の門を出たところから堀が残っているのです。今度は堀を追っていきましょう。結構城域の形はわかるのです。

山口県庁の建物群
残っている堀
堀の角部分

門が見えてきました。旧山口藩庁門です。明治になってからの建物ですが重要文化財に指定されています。

左奥に門が見えます
旧山口藩庁門

脇門から入っていきましょう。中は枡形のように見えます。事実、城があった当時は枡形になっていました。

枡形跡

奥の方に入ると、北に香山を背にして「御屋形」(御殿)があって、西にも小山があったそうです(一露山、現在は崩されています)。今見えているのは高嶺城があった山(鴻ノ峰)です。城跡が山口城の詰め城として使われたとも言われます。

御屋形跡、奥は香山
右手前に一露山があったようです、奥は鴻ノ峰

門の前に戻って、また堀沿いを進みます。途中には石垣も残っています。そして、その先には山口市歴史民俗資料館があります。ここでは、大内氏やその城館の勉強ができます。

堀に残る石垣
山口市歴史民俗資料館

大内氏館・築山跡(市街地中心エリア)

大内氏館跡などを見に行くのに、市街地中心エリアに向かいます。まず来てみたのは「大殿大路」という通りで、大内氏館に沿っていたと考えられます。ちょうど今ある寺(龍福寺)の入口になっています。館の外郭の部分が、寺の参道になっているのです。

館跡周辺の航空写真

大殿大路
龍福寺参道

そして山門から入る境内が、館の内郭だったと思います。こちらも土地の形は残っているのです。本堂はなんとこれも重要文化財で、室町時代に建てられ、ここに移築されました。元の館もこんな感じだったのでしょうか。

龍福寺山門
龍福寺本堂

それと、館の遺構も発掘され、一部復元されています。意外とたくさんあります。池泉庭園から見ていきましょう。宴会でお客が眺めたところだったと思われます。当時は珍しかったソテツも植えられています。その傍らには宴会を行った「会所」があったのではと言われます。かまど跡もあります。もしかして「中世最大級の宴会」料理をここで作ったのでしょうか。

池泉庭園(復元)
石組かまど跡

次は館の北側に回って、復元された土塁を見学するのですが、背後に見える高嶺城の山(鴻ノ峰)が気になってしまいます。館をバックアップするのにいい場所です。ついつい、もっと早く生かせなかったかと思ってしまいます。

復元土塁と背景の鴻ノ峰

かつては、土塁と堀がずっと囲んでいました。復元された土塁・堀跡によってイメージすることができます。今度は北西の角を曲がっていきます。枯山水庭園が復元されています。「雪舟庭」という程ではありませんが、ここにあったとわかることが大事でしょう。

復元土塁・堀跡
枯山水庭園(復元)

先に進むと西門があります。これも復元されたものです。現在寺がある範囲で結構頑張っていると思います。その先には、発掘された石組溝があって排水路として使われたと考えられます。

西門(復元)
石組溝

続けて、築山跡に向かいます。最初は大内教弘の隠居のための館だったのが(築山館)、亡くなってからは、彼を祀る場所になりました(築山大明神)。一部は発掘されて、平面表示されています。館時代の遺構ということです。東堀については、先ほどの山口市歴史民俗資料館で断面が展示されています。

築山跡
東堀の断面展示(山口市歴史民俗資料館)

築山跡の範囲には、これも重要文化財の八坂神社があったり、その隣の築山神社の奥には築地跡が残っています。

八坂神社
築山神社
築地跡

それから、パワースポット好きの方には、少し足を延ばして、大内義興が建てた、今八幡宮もおすすめです。

今八幡宮

高嶺城跡(丘陵エリア)

最後のセクションも、パワースポット登場です。この山口大神宮は、大内義興が伊勢神宮から勧請して、なんと伊勢神宮と同じように、式年遷宮しているのです。現在の外宮、内宮の向こうに以前の跡地が見えます。

山口大神宮

実はここに、高嶺城跡への登山口があるのです。しかし今回は、西側の林道の終点からご案内します。

山口大神宮にある登山口
西側の林道

そこから先はまさに山城で、峰の上を登っていきます。少し広い平坦地に出ますが、この辺りは居住区域だった可能性があります。

山道を登ります
高嶺城跡赤色立体模型の主要部、山口市歴史民俗資料館にて展示
途中にある平坦地

更に進むと、いよいよ主郭と思われる高まりが見えてきました。石垣もちらちら見えます。なにか案内があります。主郭と石垣、どちらを先に行くか迷います。しかしわざわざ石垣と書いてあるということで、まず「石垣」に行ってみましょう。

主郭が見えてきました
「主郭」「石垣」の案内

石垣が見えてきました、でも崩されてしまっています。廃城のときに隅の部分を崩した跡のようです。ただ、その向こうは石垣が続いています。山の上の石垣、なかなか見ごたえがあります!

破城の跡
その先に続く石垣
山上の石垣

いよいよ主郭に登ります!こちらも石垣が段積みになっています。

主郭に登る途中の石垣

着きました!ここには、建物が立っていた礎石が残っていて、建物の瓦も発見されています。立派な建物があったのでしょう。

主郭

最後は景色を楽しみます。市街地が一望できます。大内氏館はどこでしょうか。

高嶺城跡からの眺め

ありました。大内氏館と高嶺城、改めて絶好のコンビだと思います。

龍福寺(大内氏館跡、ズーム画像)

関連史跡

大内義興の菩提寺とされる、凌雲寺の跡に来てみました。義興の墓はありましたが、その先は荒野という感じです。

大内義興墓
荒野に見えるような中を進みます

進んでいくと、石垣が見えてきました。すごい石垣が、忽然と現れた印象です。大内氏の夢の跡とも思えます。

迫力ある凌雲寺総門石垣
大内氏の夢の跡

リンク、参考情報(追加分)

山口市歴史民俗資料館
山口市観光情報サイト 西の京やまぐち
美術館ナビ、<城、その「美しさ」の背景>第124回 山口城(詰めの城の記述)
・「大内氏遺跡 築山跡」パンフレット、山口市教育委員会

「大内氏館・高嶺城 歴史編」に戻ります。

これで終わります。ありがとうございました。

197.志布志城 その2

志布志城跡のうち、メインの内城に向けて出発します。まず、いきなり城に攻め入るイメージで、本丸を攻略します。その後も、城の奥の方をどんどん探ります。これはもう探検気分です。

イントロダクション

志布志麓のビジター向け駐車場に来ています。ここから、志布志城跡に向かいます。城跡の周りには、武家屋敷跡や庭園もありますので、城の前か後に行ってみてはいかがでしょう。

志布志麓駐車場
福山氏屋敷

それでは、志布志城跡のうち、メインの内城に向けて出発します。大手口に進みます。途中には平山氏庭園もあります。案内が見えてきたら、それに沿って右折します。山に迫っていきます。

手前の駐車場からまっすぐ行きます
平山氏庭園
志布志城(内城)跡の案内

大手口です。いよいよ城に入っていきます。まず、いきなり城に攻め入るイメージで、本丸を攻略します。その後も、城の奥の方をどんどん探ります。最後に港などもご案内します。これはもう探検気分です。

大手口

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(志布志城・探検ツアー)

大手口から本丸を攻略

内城周辺の地図、赤破線が駐車場から本丸までのルート

大手口から進んでいきましょう。もうこの時点で、右側に曲輪があります(矢倉場・曲輪1)。敵だったら、もう攻撃されてしまいます。曲輪の壁が垂直になっています。これが、シラス台地の城なのでしょう。

大手口から矢倉場を見上げています
志布志城模型の大手口付近、志布志市埋蔵文化財センター展示
矢倉場の壁面

本丸登城口です。ここから登っていきます。ここは、左右の曲輪に挟まれています。右側の曲輪(曲輪8)はかなり高さがあるのに、反対側(曲輪7)は低くて平らです。番所みたいなものがあったのでしょうか・・・

本丸登城口
本丸登城口右側の曲輪
本丸登城口左側の曲輪

進むと、分かれ道になっています。昔の敵だったら迷ってしまうでしょうが、ビジター向けにはコースマップがところどころにあります。右の方に行きましょう。

志布志城模型の本丸登城口付近、志布志市埋蔵文化財センター展示
分かれ道にある城跡コースマップ
右側に進むと堀底道です

そして、堀底道になります(空堀3)。なんとここは、4方向から攻撃を受けてしまう場所だったのです。心して進みましょう。堀底道といっても、道はまだ登って、曲がりくねっています。これでは反撃どころではありません。

志布志城模型の堀底道付近、志布志市埋蔵文化財センター展示
まだ道は登り、曲がっています

やっと堀底らしいところに出ますが、城の曲輪が真上にあるように見えます。完全に挟まれてしまっています。

堀底道
堀底道右側の曲輪(曲輪2上段)
堀底道左側の曲輪(本丸下段)

周りを囲む曲輪の一つ(曲輪2上段)に登って行けそうです。曲輪の上は、平らに整地されています。ここは城の中枢を担う曲輪の一つで、家臣などが詰めていたと考えられます。

曲輪(曲輪2上段)に登っていきます
曲輪2上段の上

堀底道に戻ってまた進みましょう。前の方に別の曲輪が見えてきました。本丸(曲輪3)上段です。敵にとってはまた脅威です。

前方が本丸上段

本丸下段に入ってみましょう。意外と簡単に入れます。現代のビジター特権でしょうか。となりが本丸上段です。まわりに木が茂っていますが、なにか景色は見えるのでしょうか。木々の隙間からなんとか、港が見えます。フェリーの「さんふらわあ」です!

現在の本丸下段入口
本丸下段内部
本丸下段からの眺め
フェリー「さんふらわあ」

奥まで鉄壁の守り

本丸(曲輪3)上段にやってきました。標柱に「島津六代氏久公居城」とあります。新納氏が城主になったときに、後押しをした島津の殿様が、一時この城にいたそうです。

本丸上段の標柱

本丸の土塁と、背後の空堀を見に行きましょう。土塁の上にお堂があります。「三宝荒神」といって、城主一族の守護神とのことです。土塁の向こうはどうなっているのでしょうか?やっぱり、垂直に見下ろす感じです。

本丸土塁上の三宝荒神
本丸背後の空堀を見下ろしています

その堀(空堀4)の底を歩きます。倒木があったりするので、気を付けて進みましょう。この空堀は、本丸エリアを作るために、この城で最初に掘られたと考えられています。本丸の壁は「切岸」と言ってほぼ垂直に削られていました。さっき見下ろした辺りにきました。今度は思いきり見上げることになります。

倒木などには気を付けましょう
先ほど本丸から見下ろした辺りか
今度は本丸を見上げています

今度は一つ奥の、中野久尾の空堀(空堀5)にやってきました。ここから入る曲輪(曲輪5上段)の虎口を見ていただきたいのです。空堀の底が一段高くなっています。この高くなっているところから曲輪の入口が始まるのです。

志布志城模型の左側が本丸背後の空堀、真ん中が中野久尾の空堀、志布志市埋蔵文化財センター展示
空堀の底が一段高くなっています

上がったところから折り返すと、すごい壁です!ここを敵が通るときは、上から攻撃されてしまいます。しかも通路は細くなっています。曲輪に入るところも、いまだに壁に囲まれている感じです。更に折れ曲がっていて、枡形のようになっています。

細い通路が垂直の壁面に沿っています
曲輪の虎口

本丸の西側に移動しました。ここも空堀の底です。この辺から、城の西側を、大空堀が南北に貫いているのです。まるで自然の谷のようです。右側が曲輪群、左側が土居に囲まれていて、深さは約17メートル。かつてはもっと深かったそうです。高石垣も顔負けです。

現地城跡ルートマップ、大空堀が西側をずっと通っています
大空堀から本丸を見上げたところ
大空堀

一番奥の大野久尾まで来てしまいました。城の中の通路にもなっていたのでしょう。

大空堀から大野久尾の入口(右側)へ
大野久尾

果てしない志布志城

今度は、入口の方に戻ってきました。矢倉場を見学して、東側の空堀を通って、搦手口に行ってみたいと思います。曲輪が立ちはだかっています。相変わらずの垂直の壁です。

矢倉場への入口
矢倉場外観
ほぼ垂直の壁面
志布志城模型の矢倉場を登っていく方向から見ています、志布志市埋蔵文化財センター展示

矢倉場(曲輪1)です。ここも建物跡が発見されています。これは、城主だった新納氏の墓がありますが、明治時代に立てられたそうです。曲輪の下の方は見えるかと思いましたが、草木が茂って微妙な感じです。

矢倉場の上
新納氏の墓、時久は新納氏の祖
曲輪の下はあまりよく見えませんでした

それでは、空堀の方に下っていきましょう。東側も、南北を貫く空堀(空堀1)がずっと続いています。左側は、本丸に行くときに立ち寄った曲輪(曲輪2)、右側には更に土塁や曲輪(曲輪10など)があります。案内がなければ、迷子になってしまいそうです。

東側の空堀

まもなく、本丸に行くときに通った空堀(空堀3)と合流します。また少し下って、右側が搦手口です。裂け目のようになっています。立ちはだかる土塁の壁面は、まるで岩盤です!少し進んで振り返ってみると、城に入るときは、どんな風に見えるかわかります。城の裏口であっても、こんなに厳重に構えていたのです。模型を見ても、壁のような土塁を立ち上げているのが見て取れます。志布志城、まさに鉄壁の守りです。

左側の道が別の空堀からの道で、合流して右下に続きます
裂け目のような搦手口
岩盤のような壁面
外側から見た搦手口
志布志城模型を搦手口から見ています、志布志市埋蔵文化財センター展示

志布志城の発祥地・松尾城

今まで見学したのは志布志城の「内城」でした。「松尾城」も一部見学できますので行ってみましょう。

4つの志布志城、現地説明パネルより
駐車場からの交差点を、松尾城は左に行きます。

一部ということで規模は小さく感じますが、シラス台地を掘った場所はありますし、垂直の壁面も見ることができます。

松尾城入口
シラス台地を掘り進んだと思われる部分
ほぼ垂直の壁面

上に登り切ったところに石碑があります。南北朝時代の城主・楡井頼仲を記念したものです。志布志城全体は松尾城から始まったのです。

楡井頼仲の石碑

関連史跡、名物

関連史跡・施設としてまず志布志駅にやってきました。観光案内所を兼ねているので、志布志市埋蔵文化財センターと合わせて、城の情報収集をしてみてはいかがでしょう。

志布志駅、兼志布志市総合観光案内所
志布志市埋蔵文化財センター

実は志布志駅は日南線の終着駅なのです。かつてはここから更に、志布志線、大隅線が伸びていたそうです。交通の要衝だったのです。

終着駅のホーム
かつての路線を記念した志布志鉄道記念公園

もちろん今もそうですので、それがわかるところに行ってみましょう。志布志港です。城から見えた「さんふらわあ」が停泊しています。このフェリーは、毎日夕方にここを出航するということなので、城見学をする昼間の時間帯は、いつも停泊しています。

フェリー「さんふらわあ」

ところで、城からここが見えたのだから、ここから城は見えるのでしょうか。シラス台地はわかります。城は、橋の向こう側のような気もしますが、建物はないので難しいものがあります。しかし、志布志の港とシラス台地の城の、絶妙のコンビネーションを感じることができました。

志布志港から見えるシラス台地
志布志城(内城)は、青い橋の向こう側のように思います。
志布志市役所にある名物看板

最後に、志布志のもう一つの名所に来てみました。志布志市役所にある看板です。「志布志」の連呼でこの場所を示していますが、早口言葉でどうぞ、ということらしいです。地名で楽しめるなんて、おもしろいです。

「志布志城その1」に戻ります。

これで終わります、ありがとうございました。

178.能島城 その2

宮窪町漁協・能島水軍の前に来ています。ここでは、地元の魚を使った料理を味わえますし、なんといっても、ここから能島上陸ツアーが出発するのです。今回は、能島城現地レポートが中心になるのですが、その前後では、最大10ノットの海峡の潮流も体験できるのです。

イントロダクション

宮窪町漁協・能島水軍の前に来ています。ここでは、地元の魚を使った料理を味わえますし、なんといっても、ここから能島上陸ツアーが出発するのです。今回は、能島城現地レポートが中心になるのですが、その前後では、最大10ノットの海峡の潮流も体験できるのです。最後の方で、向かい側にある、村上海賊ミュージアムにも立ち寄ってみたいと思います。それでは、いよいよ上陸船に乗り込みます。席についたので出発です。

宮窪町漁協・能島水軍
能島水軍レストランの料理の一例

それでは、いよいよ上陸船に乗り込みます。席についたので、いよいよ出発です。

上陸船に乗り込みます
能島荒神丸
いよいよ出発です

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ

城の堀?すごい潮流

沖に出ると、見る見る島が迫ってきます。まるで軍艦島のようです。曲輪の形がはっきりわかります。

島が見る見る迫ってきます
船から見える能島

そのとなりにある島が「鵜島」です。島の間は、すごい潮の流れです。この島には、村上海賊の軍船の造船所や、メンテナンス場(焚で場)があったそうです。

鵜島
海峡の急流や鵜島の砂浜が見えます

船は能島に急接近していきます。スリル満点です。

能島に急接近します
矢びつ出丸が大写しです

城周辺の航空写真

矢びつ出丸の周辺が、もっとも激しい潮流ポイントです。まるで、川の激流です。これが、堀と同じような役割で、お城を守っていたのでしょう。しかし、この船もこの中でよく留まっていられると思います。現代の村上海賊、といったところでしょうか。

矢びつ周辺の潮流
川の流れのようで、城にとっては堀です
ここで静止状態を保てるなんてすごいです

次は「船だまり」です。島の中では潮流が穏やかな部分なので、荷揚げや船の係留に使われたとのことです。そういう場所なので、城の岩礁ピットや武者走りがよく保存されていて、船上から見学することができます。

船だまり
武者走りに残る岩礁ピット

船だまりから、海中の岩礁を避けて、一旦沖に出ます。そして再び能島に接近です。岩礁のせいか、波が浮き立つようです。現代風のポートが見えてきました。ついに上陸です。

三の丸の沖を回り込んでいます
船着き場がある南部平坦地

城の島に上陸!

それでは、上陸しましょう!島の上ではガイドさんに付いていきます。

船着き場から上陸します
ガイドさんに引率されます(南部平坦地)

上陸した場所は、島で一番低い「南部平坦地」で、城があった時から埋め立てが進められていました。荷揚げや漁具の手入れなど、作業ヤードとして使われたと考えられます。

城周辺の地図

園路に沿って進んでいきます。登ったところが三の丸で、入口辺りに礎石建物跡があって、倉庫だったと考えられています。三の丸は思ったより広々としています。他にも住居か倉庫の跡が発見されています。物見やぐら(井楼)かもしれない跡もあるそうです。

礎石建物跡のある辺り
三の丸

伯方・大島大橋の下に見えるのが、見近島です。交易の拠点だったかもしれない島です。

向こうに伯方・大島大橋と見近島が見えます

三の丸から見まわしてみると、対岸が伊予大島です。それから四阿の先には、目一つの鼻、という突端があって、鍛冶場だったという伝承があります。船だまりも見えます。

対岸の伊予大島
目一つの鼻
船だまり

次は、二の丸です。一段高いところにあります。こちらも建物跡がたくさん発見されていて、やはり住居か倉に使われたのではないかとのことです。特に三の丸と接続するところで、高級な海外製陶磁器が見つかるそうです。お宝をしまう蔵だったのでしょうか。

二の丸
能島城で出土した高級陶磁器、村上海賊ミュージアムにて展示

二の丸は、本丸をぐるりと取り囲んでいます。本丸の脇を歩いていることになります。

本丸を取り囲んでいる二の丸

北東隅の「矢びつ」出丸が見えるところまで来ました。矢びつ(櫃)とは、矢を入れる道具の意味なので、武器庫があったと言われていますが、建物の跡ではなく、一列に並んだ杭の跡があったそうなので、弓矢の練習場ではないかとも言われます。それに、矢びつの周りは、来るときに見た、激しい潮が流れています。上から見ても、そのすさまじさがわかります。

二の丸から見た「矢びつ」出丸

本丸で当時を感じよう!

次はいよいよ本丸です。本丸への階段を登ります。本丸についてみると、鵜島の向こうの海峡(船折瀬戸)を行く船までよく見えます。

本丸への階段
船折瀬戸に向かう船

本丸は、城で標高が一番高いところで、約25メートルあるのですが、自然の島の頂上を10メートルほど削って整地したそうです。建物跡が発見されていて、物見やぐらだったかもしれません。

本丸

しかし、今のままでも、周りの海峡や島々が一望できます。360度パノラマビューです。本丸からは面白いものが発見されています。大量の「かわらけ」です。かわらけとは、儀式や宴会で使われた、使い捨ての素焼きのお皿です。満天の星の下、海賊たちがここで宴会を楽しんでいたかもしれません。

本丸からの眺め(北方向)
本丸からの眺め(南方向)

次は、東南出丸です。その先に鯛崎島があって、かつては橋でつながっていたという伝承があります。ここでも、かわらけが出土しているのですが、ここで地鎮祭が行われたと考えられています。

東南出丸から見た鯛崎島
鯛崎島と橋でつながれた能島城の想像図、村上海賊ミュージアムにて展示
東南出丸から出土したかわらけ、村上海賊ミュージアムにて展示

下の方を見ると、岸が人工的に加工されています。武者走りでしょうか、岩礁ピット含め、島を囲んでいるようです。まさに島中が城だったのです。

東南出丸の下に見える武者走りか

わたしたちの上陸地点(南部平坦地)も見えてきました。そちらに向かって戻ります。その途中で、当時の城内通路の遺構を見ることができます。船が迎えにきました。

答案出丸から見た南部平坦地
帰り道
城内通路の遺構
帰りの船

また潮流を感じて帰還

能島を離れます。すごい快速で、すぐに鯛崎島まで来てしまいました。この周辺も潮流が複雑で、その流れが海の芸術のようです。

船着き場を離れます
能島(奥)と鯛崎島(手前)
鯛崎島周辺の潮流

鯛崎島にはお地蔵様がいて、そのお地蔵様が魚たちと、干潮で動けなくなったクジラを救った「クジラのお礼まいり」という民話があります。島の上には弁天様もいます。

鯛崎島の石地蔵

最後の潮流ポイントに向かいます。そこは、愛媛県有数の漁場なのだそうです。能島水軍レストランで出る魚もここでとれるのでしょうか。渦のような潮流が沸き上がる海面に、空の雲が映って、なんとも言えない絵柄です。そうこうするうちに、港に帰って来ました。

最後の潮流ポイントへ
幻想的な海面
港に帰還

関連史跡

近くにある村上海賊ミュージアムにもきてみました。外に、復元された小早船があります。海賊が使った小型船のことで、なかなかかっこいいです。中の展示も充実しています。例えば、岩礁ピットと武者走りについての展示があって、上陸ツアーと一緒に見ると、とても勉強になります。

村上海賊ミュージアム
復元された小早船
岩礁ピットと武者走りについての展示

更に、芸予諸島の要所の一つ、来島海峡に行ってみました。ここも素晴らしい景色です。ここにも村上海賊がいて、来島村上氏の本拠地がありました。それが来島城で、城があった島も一緒に眺めることができます。今でも人家があって、その代わり、史跡らしくはないようです。すぐに出動できるところに城があったことだけはわかります。

来島海峡
来島城跡

リンク、参考情報(追加分)

・「村上水軍全史/森本繁著」新人物往来社
・「村上水軍全紀行/森本繁著」新人物往来社
・「史跡能島城跡 保存活用計画/令和2年3月」今治市教育委員会

「能島城その1」に戻ります。

これで終わります、ありがとうございました。

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