特徴、見どころ
埋蔵文化財センターのすばらしい模型
現在、内城と呼ばれる志布志城の主要部分のみが一般のビジター向けに整備されています。城跡は廃城となった後、自然の状態に戻っていっていたので、ビジターが安全に歩いて回ったり、道に迷ったりしないよう、行政により木道や案内板が設置されています。
城周辺の地図更には、本物の内城を訪れる前に是非、志布志市埋蔵文化財センターに行って、内城のすばらしい模型を見ていただきたいです。これは縦約2m、横幅約1.25mの200分の1スケールで、模型としてはかなり大きく、しかし大変精密にも作られています。この模型を見ることで、城の空堀がどんなに深く垂直に掘られ、多くの曲輪にどのように建物や柵が建てられていたのか事前学習することができます。また、大手道や搦手道の場所を模型でチェックしておけば、現地に行ったときにこれらのルートがどのように機能していたのか理解が深まるでしょう。
威圧感のある矢倉場を通って大手道へ
内城跡は、志布志小学校の裏手の山の上にあります。城跡へ車で来られた場合には、小学校のとなりにあるビジター向け駐車場に車を停めることができます。駐車場からは、城跡の大手道に行きたいのなら駐車場前の道をまっすぐに進み、そうでなく手前の小学校前の交差点を左に曲がれば、搦手道の方に行きます。大手道に向かう場合には、道標の通り、小学校と古い家屋の間のとても狭い道を進みます。
城跡には6つの主要な曲輪と多くの小曲輪があり、大手道入口に着く前に、最初の主要曲輪である矢倉場(やぐらば)の急崖が右側に立ちはだかります。現在のビジターでさえ何か恐怖を感じるほどです。過去にこの城に攻め込んだ敵は尚更のことだったでしょう。
内城周辺の地図、赤破線が駐車場から大手道までのルート、青波線が搦手道までのルート堀底を通る大手道
大手道は城の中心部分に向かって、深い空堀の底のジグザグの道を辿っていきます。この道は常にいくつもの高い位置にある曲輪に囲まれていて、守備兵がそこから敵を攻撃できるようになっていました。全ての曲輪が似たような垂直の崖と、虎口と呼ばれる防御力のある入口によって固められています。よって、それぞれの曲輪に到着するにもとても急で不安定なジグザグ道を登って行く必要があります。もし道を外れてしまった場合には、茂みに覆われた荒れた坂と火山灰による崩れやすい土にはまり込んでしまうでしょう。これらの構造物は全て、自然のシラス台地を加工して、人工的に作られたものなのです。
志布志港が見える本丸
空堀の中をしばらく歩いた後は、左側にある本丸の中に入っていくことができます。本丸は二段構成になっていて、今では建物はなく広場になっていますが、他の曲輪と同じように土塁に囲まれています。手前の低い方の段は、物見として使われていたようで、高い櫓が立っていたと考えられています。実際そこからは、さんふらわあ号が停泊している志布志港が見えます。過去には、城と志布志港での貿易が相互に関連していたという間接的な証拠とも言えるでしょう。
上段の方は、城では一番高い場所で、居館のような大きな建物がありました。城主が、戦が起こったり他の必要な場合に、ここを使ったのかもしれません。曲輪の奥の方に、小さな祠だけがあります。その背後には巨大な空堀が控えています。