197.志布志城 その2

志布志城跡のうち、メインの内城に向けて出発します。まず、いきなり城に攻め入るイメージで、本丸を攻略します。その後も、城の奥の方をどんどん探ります。これはもう探検気分です。

イントロダクション

志布志麓のビジター向け駐車場に来ています。ここから、志布志城跡に向かいます。城跡の周りには、武家屋敷跡や庭園もありますので、城の前か後に行ってみてはいかがでしょう。

志布志麓駐車場
福山氏屋敷

それでは、志布志城跡のうち、メインの内城に向けて出発します。大手口に進みます。途中には平山氏庭園もあります。案内が見えてきたら、それに沿って右折します。山に迫っていきます。

手前の駐車場からまっすぐ行きます
平山氏庭園
志布志城(内城)跡の案内

大手口です。いよいよ城に入っていきます。まず、いきなり城に攻め入るイメージで、本丸を攻略します。その後も、城の奥の方をどんどん探ります。最後に港などもご案内します。これはもう探検気分です。

大手口

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(志布志城・探検ツアー)

大手口から本丸を攻略

内城周辺の地図、赤破線が駐車場から本丸までのルート

大手口から進んでいきましょう。もうこの時点で、右側に曲輪があります(矢倉場・曲輪1)。敵だったら、もう攻撃されてしまいます。曲輪の壁が垂直になっています。これが、シラス台地の城なのでしょう。

大手口から矢倉場を見上げています
志布志城模型の大手口付近、志布志市埋蔵文化財センター展示
矢倉場の壁面

本丸登城口です。ここから登っていきます。ここは、左右の曲輪に挟まれています。右側の曲輪(曲輪8)はかなり高さがあるのに、反対側(曲輪7)は低くて平らです。番所みたいなものがあったのでしょうか・・・

本丸登城口
本丸登城口右側の曲輪
本丸登城口左側の曲輪

進むと、分かれ道になっています。昔の敵だったら迷ってしまうでしょうが、ビジター向けにはコースマップがところどころにあります。右の方に行きましょう。

志布志城模型の本丸登城口付近、志布志市埋蔵文化財センター展示
分かれ道にある城跡コースマップ
右側に進むと堀底道です

そして、堀底道になります(空堀3)。なんとここは、4方向から攻撃を受けてしまう場所だったのです。心して進みましょう。堀底道といっても、道はまだ登って、曲がりくねっています。これでは反撃どころではありません。

志布志城模型の堀底道付近、志布志市埋蔵文化財センター展示
まだ道は登り、曲がっています

やっと堀底らしいところに出ますが、城の曲輪が真上にあるように見えます。完全に挟まれてしまっています。

堀底道
堀底道右側の曲輪(曲輪2上段)
堀底道左側の曲輪(本丸下段)

周りを囲む曲輪の一つ(曲輪2上段)に登って行けそうです。曲輪の上は、平らに整地されています。ここは城の中枢を担う曲輪の一つで、家臣などが詰めていたと考えられます。

曲輪(曲輪2上段)に登っていきます
曲輪2上段の上

堀底道に戻ってまた進みましょう。前の方に別の曲輪が見えてきました。本丸(曲輪3)上段です。敵にとってはまた脅威です。

前方が本丸上段

本丸下段に入ってみましょう。意外と簡単に入れます。現代のビジター特権でしょうか。となりが本丸上段です。まわりに木が茂っていますが、なにか景色は見えるのでしょうか。木々の隙間からなんとか、港が見えます。フェリーの「さんふらわあ」です!

現在の本丸下段入口
本丸下段内部
本丸下段からの眺め
フェリー「さんふらわあ」

奥まで鉄壁の守り

本丸(曲輪3)上段にやってきました。標柱に「島津六代氏久公居城」とあります。新納氏が城主になったときに、後押しをした島津の殿様が、一時この城にいたそうです。

本丸上段の標柱

本丸の土塁と、背後の空堀を見に行きましょう。土塁の上にお堂があります。「三宝荒神」といって、城主一族の守護神とのことです。土塁の向こうはどうなっているのでしょうか?やっぱり、垂直に見下ろす感じです。

本丸土塁上の三宝荒神
本丸背後の空堀を見下ろしています

その堀(空堀4)の底を歩きます。倒木があったりするので、気を付けて進みましょう。この空堀は、本丸エリアを作るために、この城で最初に掘られたと考えられています。本丸の壁は「切岸」と言ってほぼ垂直に削られていました。さっき見下ろした辺りにきました。今度は思いきり見上げることになります。

倒木などには気を付けましょう
先ほど本丸から見下ろした辺りか
今度は本丸を見上げています

今度は一つ奥の、中野久尾の空堀(空堀5)にやってきました。ここから入る曲輪(曲輪5上段)の虎口を見ていただきたいのです。空堀の底が一段高くなっています。この高くなっているところから曲輪の入口が始まるのです。

志布志城模型の左側が本丸背後の空堀、真ん中が中野久尾の空堀、志布志市埋蔵文化財センター展示
空堀の底が一段高くなっています

上がったところから折り返すと、すごい壁です!ここを敵が通るときは、上から攻撃されてしまいます。しかも通路は細くなっています。曲輪に入るところも、いまだに壁に囲まれている感じです。更に折れ曲がっていて、枡形のようになっています。

細い通路が垂直の壁面に沿っています
曲輪の虎口

本丸の西側に移動しました。ここも空堀の底です。この辺から、城の西側を、大空堀が南北に貫いているのです。まるで自然の谷のようです。右側が曲輪群、左側が土居に囲まれていて、深さは約17メートル。かつてはもっと深かったそうです。高石垣も顔負けです。

現地城跡ルートマップ、大空堀が西側をずっと通っています
大空堀から本丸を見上げたところ
大空堀

一番奥の大野久尾まで来てしまいました。城の中の通路にもなっていたのでしょう。

大空堀から大野久尾の入口(右側)へ
大野久尾

果てしない志布志城

今度は、入口の方に戻ってきました。矢倉場を見学して、東側の空堀を通って、搦手口に行ってみたいと思います。曲輪が立ちはだかっています。相変わらずの垂直の壁です。

矢倉場への入口
矢倉場外観
ほぼ垂直の壁面
志布志城模型の矢倉場を登っていく方向から見ています、志布志市埋蔵文化財センター展示

矢倉場(曲輪1)です。ここも建物跡が発見されています。これは、城主だった新納氏の墓がありますが、明治時代に立てられたそうです。曲輪の下の方は見えるかと思いましたが、草木が茂って微妙な感じです。

矢倉場の上
新納氏の墓、時久は新納氏の祖
曲輪の下はあまりよく見えませんでした

それでは、空堀の方に下っていきましょう。東側も、南北を貫く空堀(空堀1)がずっと続いています。左側は、本丸に行くときに立ち寄った曲輪(曲輪2)、右側には更に土塁や曲輪(曲輪10など)があります。案内がなければ、迷子になってしまいそうです。

東側の空堀

まもなく、本丸に行くときに通った空堀(空堀3)と合流します。また少し下って、右側が搦手口です。裂け目のようになっています。立ちはだかる土塁の壁面は、まるで岩盤です!少し進んで振り返ってみると、城に入るときは、どんな風に見えるかわかります。城の裏口であっても、こんなに厳重に構えていたのです。模型を見ても、壁のような土塁を立ち上げているのが見て取れます。志布志城、まさに鉄壁の守りです。

左側の道が別の空堀からの道で、合流して右下に続きます
裂け目のような搦手口
岩盤のような壁面
外側から見た搦手口
志布志城模型を搦手口から見ています、志布志市埋蔵文化財センター展示

志布志城の発祥地・松尾城

今まで見学したのは志布志城の「内城」でした。「松尾城」も一部見学できますので行ってみましょう。

4つの志布志城、現地説明パネルより
駐車場からの交差点を、松尾城は左に行きます。

一部ということで規模は小さく感じますが、シラス台地を掘った場所はありますし、垂直の壁面も見ることができます。

松尾城入口
シラス台地を掘り進んだと思われる部分
ほぼ垂直の壁面

上に登り切ったところに石碑があります。南北朝時代の城主・楡井頼仲を記念したものです。志布志城全体は松尾城から始まったのです。

楡井頼仲の石碑

関連史跡、名物

関連史跡・施設としてまず志布志駅にやってきました。観光案内所を兼ねているので、志布志市埋蔵文化財センターと合わせて、城の情報収集をしてみてはいかがでしょう。

志布志駅、兼志布志市総合観光案内所
志布志市埋蔵文化財センター

実は志布志駅は日南線の終着駅なのです。かつてはここから更に、志布志線、大隅線が伸びていたそうです。交通の要衝だったのです。

終着駅のホーム
かつての路線を記念した志布志鉄道記念公園

もちろん今もそうですので、それがわかるところに行ってみましょう。志布志港です。城から見えた「さんふらわあ」が停泊しています。このフェリーは、毎日夕方にここを出航するということなので、城見学をする昼間の時間帯は、いつも停泊しています。

フェリー「さんふらわあ」

ところで、城からここが見えたのだから、ここから城は見えるのでしょうか。シラス台地はわかります。城は、橋の向こう側のような気もしますが、建物はないので難しいものがあります。しかし、志布志の港とシラス台地の城の、絶妙のコンビネーションを感じることができました。

志布志港から見えるシラス台地
志布志城(内城)は、青い橋の向こう側のように思います。
志布志市役所にある名物看板

最後に、志布志のもう一つの名所に来てみました。志布志市役所にある看板です。「志布志」の連呼でこの場所を示していますが、早口言葉でどうぞ、ということらしいです。地名で楽しめるなんて、おもしろいです。

「志布志城その1」に戻ります。

これで終わります、ありがとうございました。

201.武蔵松山城 その2

武蔵松山城の比高は40mくらいしかありません。そのため、この城では特徴ある防御システムを構築していました。それは、この城の主要部約2万7千㎡のうち、半分以上が堀か切岸に割り当てられていたということです。

現地案内

現在武蔵松山城跡は、これも有名な史跡である吉見百穴のとなりにあり、駐車場などビジターが訪れやすい環境が整っています。城跡は今でも市野川に囲まれていますが、周りには道路または歩道を通っています。

城周辺の航空写真

城跡を囲む市野川

岩山を活用した史跡群

城があった城山の側面は岩がむき出しになっていて、城以外の史跡もあります(岩室観音堂、第二次世界大戦中の地下軍需工場跡、現代の岩窟ホテル跡)。

岩室観音堂
地下軍需工場跡
岩窟ホテル跡

特に岩室観音堂は、城があったときから存在し(現在の建物は江戸時代に再建)、観音堂建物は岩の上に直接建てられています。「懸造り」と呼ばれる珍しい形式です。観音堂の奥は谷間となっていて、城の搦手道の一つであったと言われています(現在は通行禁止)。通行禁止箇所の手前には、ハート形の岩穴(胎内くぐり)があり、ここをくぐると安産・所願成就のご利益があると言われています。

観音堂の建物
山の岩が建物の基礎になっています
観音堂裏手の谷間
ハート型の胎内くぐり

3つの出入口

現在の城跡には概ね3つの出入口があります(大手口、根古屋口、搦手口)。このうち、歩きやすいのは根古屋口、距離が短いのは搦手口なのですが、おすすめは大手口です。城の防御システムがよくわかるからです。大手口に行くには、吉見百穴駐車場から出て左に曲がり坂を登っていきます。先に根古屋口入口を通り過ぎます(わかりずらいですが)。右側に「松山城跡」という看板が見えたら右に曲がって小径に入ります。右手の山側にもう1回看板が見えてきますが、ここが大手口の入口です。

城周辺地図、赤破線は駐車場から大手口までの道のり

右側の坂を登っていきます
こちらは根古屋口
ここを右折します
まっすぐ進みます
大手口に到着です

特徴、見どころ

特徴ある防御システム

武蔵松山城の比高(麓から頂上までの高さ)は40mくらいしかありません。更に大手口まである程度登っているので、ここからだともっと低いでしょう。そのため、この城では特徴ある防御システムを構築していました。それは、この城の主要部約2万7千㎡のうち、半分以上が堀か切岸に割り当てられていたということです。守備兵が使用できる平坦面は、約3分の1しかありませんでした。また、守備兵が駐屯する曲輪は通常は土塁に囲まれているのですが、この城にはほとんどそれがなく、代わりに柵が使われていたようです。平坦面をなるべく多くするためと、城からの見通しをよくするためでした。堀には土橋がほとんどなく、城の中心部に行くにはアップダウンを繰り返す必要があったのです。

城跡の案内写真、エンジ色の筋が堀のライン、現地説明版より

主要な曲輪には標柱や説明板がありますが、通路は山道のままで、休憩施設はありません。この城跡は現時点では私有地なので仕方ないでしょう。大手口から入って最初の主要曲輪は、曲輪4です。この曲輪は、現在は単なる平地ですが、先の方を見ると、深い空堀の向こうに三ノ曲輪が一段高い位置に見えます。もし曲輪4が敵に占領されても、三ノ曲輪から守備兵が有利な位置から反撃できるようになっています。

山道を進みます
曲輪4、この写真でもわかる通りこの曲輪には土塁があったそうです、向こうに見えるのは三ノ曲輪
三ノ曲輪から見た曲輪4

通路でもある空堀

その空堀は今でも人が通れるようになっていますが、最後の城主、松平氏のときには大手道だったと言われています。そのためか、根古屋口からのルートはこの堀にも通じていて、堀への入口部分は防衛のためジグザグになっています。曲輪4もその方向に張り出していて(進行方向右側、北側)、先端に櫓でもあったのではないでしょうか

曲輪4と三ノ曲輪間の空堀
根古屋口からのルート、左に曲がると堀に入っていけます
堀への入口
現地案内図に、根古屋口から空堀への通路を追記(赤矢印)
曲輪4の突出部
曲輪4から空堀への通路を見下ろしています

「武蔵松山城その3」に続きます。
「武蔵松山城その1」に戻ります。

87.肥前名護屋城 その2

壮大な秀吉の野望の跡

特徴、見どころ

大手口から三の丸へ

現在、肥前名護屋城跡は歴史公園としてよく整備されています。もし車で城跡を訪れるようでしたら、公園のすぐそばにある佐賀県立名護屋城博物館の駐車場に停めることができます。観光客は通常、最初は大手口から歩いて城跡に入っていきます。一目でどんなにこの城跡が巨大なのかわかると思います。また、大規模な石垣がいまだに城跡を囲んでいるのも見ることができます。しかし、それらの多くがV字型に崩されています。実はこれは意図的にそうされているのです。それから、大手口から進んで東出丸に歩いて行くと、ルートはそこからほとんど180度曲がって三の丸に至ります。

大手口付近から見える城跡
大手口
V字型に破壊された石垣
東出丸
東出丸から見た大手口ルート
ルートは反転して三の丸に向かいます
名護屋城博物館の模型写真に大手口ルートを追記

防御の要、三の丸

三の丸は防御の要だったと考えられます。この曲輪は本丸のとなりにあり、大手口ルートと搦手口ルートの双方がここに集まっているからです。搦手口からの入口は、今でも大きな櫓跡や巨石を使った石垣に囲まれています。この曲輪の中には井戸の跡があり、この井戸は籠城に備えて作られたのでしょう。

三の丸
「肥前名護屋城図屏風」に描かれた三の丸(現地説明板より)
搦手口ルートからの入口
入口から見た搦手口ルート
井戸跡

城の中心部、本丸

それから石段を歩いて、石垣に囲まれ互い違いになっている大手門跡を通り、本丸に入っていきます。本丸はとても大きいのですが、城の記念碑がある以外は空き地になっています。どんな建物が建てられていたかを示す平面展示がいくつかあります。例えば、南西隅櫓や多聞櫓について、礎石、砂利敷き、舗装などによって表現しています。

本丸周辺の地図

本丸へ向かいます
本丸
南西隅櫓跡
多聞櫓跡

天守台石垣は曲輪の北西隅にあります。その石垣自体は少ししか残っていませんが、そこからは玄界灘や城周辺の地域を見渡すことができます。

天守台
石垣は少ししか残っていません
天守台からの眺め

「肥前名護屋城その3」に続きます。
「肥前名護屋城その1」に戻ります。

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