78.丸亀城 現地編

丸亀駅前に来ています。ここから、丸亀城に向けて出発します。商店街、市役所に沿って行けば、どんどん城が迫ってきます。大手口の前に着きました。この城は、見どころがてんこ盛りなので、丸ごとめぐっていきます。

イントロダクション

丸亀駅前に来ています。ここから、丸亀城に向けて出発しますが、もう天守を見学できます。ビルの合間から天守が見えるのです。

丸亀駅
ビルの合間から見える天守

これならば方角はまちがわないので、商店街を進みます。大きな通りに出ますが、かつてはここが外堀でした。その通りに沿って市役所の方に行きます。お堀端を歩いている感じです。城の石垣の山が見えてきました。

商店街を抜けたところがかつての外堀
正面に見える丸亀城

今度は市役所に沿って行けば、どんどん城が迫ってきます。城めぐりへの期待も高まってきます。大手口の前に着きました。この城は、見どころがてんこ盛りなので、丸ごとめぐっていきます。

迫ってくる丸亀城
大手口

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(「石垣の名城」丸亀城 丸ごとめぐり)

城周辺の航空写真

大手口から三の丸へ

内堀を渡って、大手口に入ります。まず、高麗門形式の「大手二の門」です。中は、広い枡形になっていて、鏡石もあります。そして櫓門形式の「大手一の門」です。定番ですが、、やはり威厳を感じます。

大手二の門
大手二の門
大手一の門

門を抜けたら左手の坂を登ります。「見返り坂」という急勾配の長い坂(長さ150m、斜度約10度)で、時々立ち止まって振り返ってしまうことから名づけられたそうです。確かにどのくらい来たか、振り返ってみたくなってしまいます。

見返り坂
見返り坂を振り返る

でも早速、登った御褒美があります。三の丸北側の高石垣で、高さは20メートル以上あります。隅のラインは「扇の勾配」と呼ばれていて、美しいです。

三の丸北側の高石垣

三の丸へは、まだ坂が続きます。しかも両側から攻められそうな感じです。やっと着いたと思ったら、また素晴らしいものが見えます。讃岐富士(飯野山)です。

三の丸への坂
三の丸から見える讃岐富士

奥の方には櫓跡があります。月見櫓跡です。ここからは、讃岐富士だけでなく、城の裏手もばっちり見えます。搦手口です。

讃岐富士と月見櫓跡
月見櫓跡から見える搦手口

三の丸の表側もチェックしてみましょう。ここにも櫓跡のような場所があります。三の丸東張出石垣といって、建物はなかったようです。ここも眺望がすばらしいです。先ほどの高石垣が並び立っています。

三の丸東張出石垣
三の丸東張出石垣からの眺め
三の丸東張出石垣から見える高石垣

三の丸・二の丸で石垣・景色三昧

次はそのまま二の丸に行く人が多いのですが、もっと石垣と景色を楽しみたいので、まだ三の丸を巡ります。二の丸入口(大手)の脇の方を進みます。向こうに見えるのは、二の丸の鬼門櫓(番頭櫓)跡の石垣です。三の丸の上は景色もいいですが、二の丸の石垣が迫って、ものものしい感じです。

二の丸大手
二の丸鬼門櫓跡石垣

もっとものものしいところもあります。高石垣の上です。下にいる人が全然見えないほどです。

三の丸上
高石垣上

天守のすぐ下の、二の丸のもう一つの入口(搦手)を過ぎます。次は、戌亥櫓(七間櫓)跡です。ここも、いい景色です。

二の丸搦手
戌亥櫓跡

三の丸の最後は、坤櫓(水手櫓)跡です。しかしその場所は、2018年に石垣が崩落したところです。行けるところまで行ってみましょう。立入禁止となっていますが、上から復旧現場を見学できるスペースがあります。石垣を積み始めたところのように見えます(2026年8月中旬時点)。

三の丸から見た本丸、坤櫓跡は右手奥
立入禁止箇所
石垣崩落復旧現場
復旧現場(ズーム)

二の丸大手入口に戻って、二の丸に入っていきます。これも頑丈そうな門跡です。

二の丸大手の石垣
二の丸内部

二の丸のおすすめは井戸です。この井戸は、深さが65メートルもあって、今でも水をたたえています。なんと石垣を築いた石工(羽坂重三郎)が、ここで亡き者にされたという伝説もあるのです。

二の丸井戸
二の丸井戸の底

次は先ほど下から見た、鬼門櫓跡です。一段上がると、景色がどう変わるのでしょか。讃岐富士から、瀬戸大橋までもよく見えます。

鬼門櫓跡
鬼門櫓跡からの眺め

二の丸搦手入口にも行ってみます。これもさっき下から見ています。この入口は、長崎櫓のほか、天守によっても守られていたのです。確かに石落としがこちらを向いています。

二の丸搦手
二の丸搦手を守る天守
石落とし

本丸から天守の中へ

これから天守がある本丸に乗り込みます。本丸の門跡から入っていきます。かつては天守と櫓群が連結していましたが、現在は天守単独でお出迎えです。現存の3重天守のなかで一番小さいとは言いますが、城下から見える北側に、長い面や、破風を配置して大きく見せています。本丸からは反対側になりますが、すごく優美に見えます。

本丸門跡
現存天守(南面)

天守の中に入ります。まず、天守一階です。すごい柱の数で、50本もあるそうです。荒々しく加工されていて、時代を感じます。天守を囲む壁は「太鼓壁」といって、漆喰が分厚く塗られています。

天守一階
太鼓壁

そして、内部外側の武者走りの、特に北側に防御の仕掛けが集中しています。矢や鉄砲で攻撃するための狭間が並んでいます。更に先ほど下から見た「石落とし」です。

狭間と石落とし

二階に行きます。オリジナルだけあって、急階段です。二階に上がったら、ちょっと外を見てみましょう。目の前に屋根が見えて、唐破風のところのようです。内部の見どころとしては、大砲狭間(おおづつさま)があります。

二階への階段
二階から見た唐破風
大砲狭間

ついに、最上階です。一番上なので、コンパクトな空間ですが、ここからの景色に期待してしまいます。丸亀の街と海が一望です。

天守三階
天守三階からの眺め

本丸の櫓跡にも行ってみましょう。本丸からは「こんぴらさん」がある象頭山も見えます。一番人気に見える姫櫓跡に行ってみます。ここからは、先ほどの象頭山から、城の西側がずうっと見渡せます。丸亀城は、全方位対応なのです。

姫櫓跡
姫櫓跡からの眺め、象頭山は左側

搦手口、そして復旧現場へ

帰りは、三の丸まで戻って、搦手口から山を下ります。城の裏口ということですが、そんな感じではないのです。途中にも玉櫓跡があって、振り返ると、二の丸五番櫓跡が控えています。更に下った先には栃の木門跡があります。とても裏門とは思えない厳重さです。これは、京極氏が大手門を北側に作るまでは、こちらの南側が大手だったということがあるのでしょう。

搦手口、奥が五番櫓跡
栃の木門跡

山を下りきったところには、古風な石垣(東南山麓の野面積み石垣)があります。上にある石垣とのコントラストが良いです。

東南山麓の野面積み石垣(下の方)

搦手門跡はシンプルです。周りも土塁になっていて、石垣で固めている場所とは雰囲気が違います。

搦手門跡
この城では珍しいかもしれない土塁

次は、石垣崩落復旧現場です。2018年に崩落した南西部分の石垣復旧工事が行われています。「石垣復旧PR館(略称)」では、崩落から現在までの復旧状況がわかる展示を行っています。PR館屋上からは、復旧現場全体を見渡すことができます。傍らには江戸時代に損傷したと考えられ、今回掘り出された「埋没石垣」も展示されています。復旧が無事進むよう祈ります。現場を見ながら、大手口の方に戻っていきます。

石垣復旧PR館
PR館屋上から見た復旧現場
埋没石垣
復旧現場全体

最後は、山麓にあった藩主御殿の門を見学します。御殿そのものは、明治の初めに焼失し、門と番所などがなんとか残りました。これからも大事にしてほしいです。

玄関先御門(御殿表門)

関連史跡

余勢をかって「こんぴらさん」(金刀比羅宮)まで来てみました。御本宮まで785段登りました。ここからは讃岐富士がよく見えます。もっと上に行けば、丸亀城が見えるかもしれません。

金刀比羅宮・御本宮
御本宮から見える讃岐富士

がんばって奥社までトータル1368段登っていくと、鳥居の脇から丸亀城が見えました!「石垣の名城」というのがここからでもわかります。満願成就した気分です。うどんもおいしいことでしょう。

金刀比羅宮・奥社
奥社から見える丸亀城(ズーム画像)

リンク、参考情報(追加分)

・丸亀城パンフレット

「丸亀城 歴史編」に戻ります。

これで終わります。ありがとうございました。

178.能島城 その3

もしここに行くのにたっぷり時間がある方は、自転車を使って行ってみてはいかがでしょうか。この城跡の近くを、「しまなみ海道」サイクリングロードが通っているからです。

特徴、見どころ

二の丸を歩いて回る

二の丸は、三の丸より一段高くなっていて、本丸を通路のように囲んでいます。この曲輪は、住居や見張りのための場所として使われたと考えられています。ここを歩きながら眼下の見どころもチェックできます。例えば、先ほど沖合の船から見た船溜まりなどです。その海岸上には、人工的な溝があり、通路と波打ち際を仕切っています。

城周辺の地図

二の丸
二の丸から見た船溜まり
船溜まりにある人口の溝

また、「矢びつ」と呼ばれる曲輪が、島の北西の岬上にあります。この場所では水兵たちが、対岸の鵜島に向かって矢を射る練習をしていたと言われています。

二の丸から見た「矢びつ」
カレイ山から見た「矢びつ」

今も昔も絶景を楽しんだ本丸

そしてついに、頂上の本丸に到着します。ここでは360度周りを見渡すことができ、まさに絶景です。昔の水兵たちは、この海峡で起こったことは全て、ここから把握できたことでしょう。発掘調査によると、ここには物見櫓があり、多くの「かわらけ」と呼ばれる陶器が発見されました。「かわらけ」は当時、宴会や儀式の都度、使い切りで用いられていました。すなわち、水軍のメンバーたちは、このような景色を見ながら、この島の頂で宴会を楽しんでいたということになります。

本丸に上っていきます(右側)
本丸の上
北側の景色(瀬戸内海)
東側の景色(鵜島)
南側の景色(鯛崎島)
西側の景色(大島)
カレイ山から見た本丸

また、この島の別の岸では不思議な大穴(直径が約1m、深さが約2m)が見つかっています。歴史家たちは貯水池として使われたのではないかと言っていますが、ガイドの方はこれがお風呂だったらさぞ面白いだろうと想像を逞しくされていました。

大穴のレプリカ、今治市村上海賊ミュージアムにて展示

その後

この島は村上水軍が引き上げから後、江戸時代には畑地として利用されていました。しかし前述の通り、いつしか無人島になっていました。1931年に、島には桜の木が植えられました。それ以来、桜の名所となり、開花の季節には地元の人たちを乗せた船が通っていました。ところが最近その桜の木は、その根が城跡を破壊しているということで全部伐採されてしまいました。現地では、わずかに残っている切株がベンチ代わりに使われています。一方、城跡自体は、1953年に国の史跡に指定されています。また、近年では村上水軍の城として、日本中で人気が高まってきています。

ベンチとなっている切り株

私の感想

これまでどの城にも船で乗り付けたことはなかったので、能島城跡への訪問は特別な経験となりました。今回のツアーに参加することで、城がどのように使われ、今はどのように注意深く保全されているのか理解することができました。また、このような場所では他とは全く違う暮らし方をした人たちがいたことも教えられました。もしかすると私が知らないだけで、現在でも似たような生活をしている人たちがいるのかもしれません。それから、もっとこの城跡に人気が出て、城跡への定期船が運行されるようになってほしいとも思いました。

村上海賊ミュージアムも見どころの一つです

ここに行くには

ここに行くには基本的には車を使われることをお勧めします。本州方面からは西瀬戸自動車道北大島ICから約5分、四国方面からは西瀬戸自動車道南大島ICから約15分かかります。宮窪漁港または村上海賊ミュージアムの駐車場を使うことができます。

但し、もしここに行くのにたっぷり時間がある方は、自転車を使って行ってみてはいかがでしょうか。この城跡の近くを、「しまなみ海道」サイクリングロードが通っているからです。例えば、四国の今治市にいたならば、今治駅で自転車を借りて、すぐにサイクリングロードに乗り出すことができます。

今治市側のサイクリングロード

来島海峡にかかっている来島海峡大橋を渡り、しばらくは大島を進んでいきます。

来島海峡にかかる来島海峡大橋
大橋の上
大島上のサイクリングロード

ツアー船が出る港は、大島の北端にあります。今治駅から約22km離れたところです。

自転車で現地に到着です

リンク、参考情報

・能島城跡、今治地方観光協会
・今治市村上海賊ミュージアム
・「日本の城改訂版第126号」デアゴスティーニジャパン
・「瀬戸内の海賊/山内譲著」新潮選書
・「村上水軍全紀行/森本繁著」新人物往来社
・「小早川隆景のすべて」新人物往来社編

これで終わります。ありがとうございました。
「能島城その1」に戻ります。
「能島城その2」に戻ります。

186.金田城 その3

メインとなるハイキングコースの最初の折り返し点からは、小径が出ていて、城跡の他の見どころに通じています。これらの道筋は元の軍用道路ではなく、且つそれと比べれば整備はされていません。しかし訪れる価値はあります。

特徴、見どころ

3つの城戸跡

メインとなるハイキングコースの最初の折り返し点からは、小径が出ていて、城跡の他の見どころに通じています。これらの道筋は元の軍用道路ではなく、且つそれと比べれば整備はされていません。また、あまり人が歩いていないので人気もないようです。しかし訪れる価値はあります。この小径をしばらく下っていくと、分岐点に着きます。

城周辺の地図

折り返し点から出ている小径

そこからは、一ノ城戸跡及び二ノ城戸跡に行く道と、三ノ城戸に行く道とに分かれています。この分岐点の近くには、ビングシ山と呼ばれる丘があって、そこでも建物跡が発見されています。これらの建物は、防人の兵舎として使われたのではないかとされています。

金田城跡のジオラマ(対馬観光情報館にて展示)に折り返し点からの小径(赤線)、二ノ城戸(青丸内)と三ノ城戸(黄色丸内)の位置を追記
一ノ城戸跡及び二ノ城戸跡に行く道
三ノ城戸跡に向かう道
ビングシ山周辺、左側に見えるのは休憩所
上記ジオラマのビングシ山周辺

3つの城戸(きど)は、城の東側の海岸近くに、城門及び水門として石を積んで築かれました。この城で主に使われている石材は自然石ですが、一ノ城戸で使われている一部の石は長方形に加工されています。しかし、これら長方形の石は、江戸時代になって海岸防備のために対馬藩によって積まれたものではないかと言われています。これらの門跡はよく復元、または修築されていて、ビジターがかつてあった姿を見てわかるようになっています。

上記ジオラマの二ノ城戸周辺
二ノ城戸跡(上方から見ています)
二ノ城戸跡(下方から見ています)
一ノ城戸跡
一ノ城戸の下部と上部では石の加工度合いが異なっています
一旦分岐点に戻り、三ノ城戸跡に向かいます
三ノ城戸跡

海岸沿いの素晴らしい石垣

三ノ城戸跡を見た後は、来た道を戻ることもできますし、東南角石塁を経由する別の道を通ることもできます。後者を選択した場合は、右手には城の東側にそびえる素晴らしい長大な石垣を、左手には美しい浅茅湾を見ながら進みます。但し、この道は足元が不安定な箇所があるので気を付けて下さい。

東南角石塁の方に向かいます
海岸沿いに素晴らしい石垣があります
長大な石垣が続きます

その後に現れる東南角石塁もまた素晴らしいです。この石塁の角部分には、敵の来襲に備えて特別な防御の仕掛けがあり、いくつかの突起が設けられています。まるで、沖縄のグスクか、万里の長城の小型版のようです。この石塁に沿って登っていくと、元歩いたルートに戻ります。

東南角石塁
石塁の角(端)部分
石塁と海がすばらしい対比となっています
上記ジオラマの東南角石塁周辺

その後

人々は金田城があったということは常にわかっていました。日本書紀にその存在が記録されていたからです。ところが、それがどこにあったかはわからなくなっていました。記憶に残るにはあまりに早く廃城となってしまったからです。例えば、中世には一ノ城戸の近くの神社で朝鮮との交易がおこなわれました。また、対馬藩が江戸時代に一ノ城戸を再利用しましたが、いずれもそれが古代山城だとは知らなかったのです。旧日本陸軍が城をどのように扱ったのかは言うまでもないでしょう。歴史家が山上にあるものを古代山城の遺跡として「発見」したのは大正時代のことです。それが金田城ものものだと確定したのは戦後のことでした。その結果、1982年には城跡は国の特別史跡に指定されました。

対馬藩の本拠、金石城跡

私の感想

現地に行ってみて、城山が古代と近代両方の史跡になっているのに驚きました。これらの史跡が築かれたときは、対外関係がとても緊張していたということがわかります。それ以外にも、対馬にはモンゴル襲来のときや豊臣秀吉の朝鮮侵攻といった激動の歴史がありました。その一方で、朝鮮通信使との交流によって平和的関係を築いたという時代もありました。最近では、多くの韓国からの観光客が対馬を訪れています。どちらが望ましいかは言うまでもないでしょう。

朝鮮通信使一行のジオラマ、小倉城天守内展示より

ここに行くには

ここに行くには車を使われることをお勧めします。対馬空港から約20分、厳原港からは約30分のところです。ハイキングコースの出発地点の手前に小さな駐車スペースがあります。

厳原港
ハイキングコース出発地点の駐車スペース

リンク、参考情報

・古代山城・金田城をあるく、対馬観光物産協会
・「よみがえる古代山城/向井一雄著」吉川弘文館

これで終わります。ありがとうございました。
「金田城その1」に戻ります。
「金田城その2」に戻ります。

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