197.志布志城 その2

志布志城跡のうち、メインの内城に向けて出発します。まず、いきなり城に攻め入るイメージで、本丸を攻略します。その後も、城の奥の方をどんどん探ります。これはもう探検気分です。

イントロダクション

志布志麓のビジター向け駐車場に来ています。ここから、志布志城跡に向かいます。城跡の周りには、武家屋敷跡や庭園もありますので、城の前か後に行ってみてはいかがでしょう。

志布志麓駐車場
福山氏屋敷

それでは、志布志城跡のうち、メインの内城に向けて出発します。大手口に進みます。途中には平山氏庭園もあります。案内が見えてきたら、それに沿って右折します。山に迫っていきます。

手前の駐車場からまっすぐ行きます
平山氏庭園
志布志城(内城)跡の案内

大手口です。いよいよ城に入っていきます。まず、いきなり城に攻め入るイメージで、本丸を攻略します。その後も、城の奥の方をどんどん探ります。最後に港などもご案内します。これはもう探検気分です。

大手口

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(志布志城・探検ツアー)

大手口から本丸を攻略

内城周辺の地図、赤破線が駐車場から本丸までのルート

大手口から進んでいきましょう。もうこの時点で、右側に曲輪があります(矢倉場・曲輪1)。敵だったら、もう攻撃されてしまいます。曲輪の壁が垂直になっています。これが、シラス台地の城なのでしょう。

大手口から矢倉場を見上げています
志布志城模型の大手口付近、志布志市埋蔵文化財センター展示
矢倉場の壁面

本丸登城口です。ここから登っていきます。ここは、左右の曲輪に挟まれています。右側の曲輪(曲輪8)はかなり高さがあるのに、反対側(曲輪7)は低くて平らです。番所みたいなものがあったのでしょうか・・・

本丸登城口
本丸登城口右側の曲輪
本丸登城口左側の曲輪

進むと、分かれ道になっています。昔の敵だったら迷ってしまうでしょうが、ビジター向けにはコースマップがところどころにあります。右の方に行きましょう。

志布志城模型の本丸登城口付近、志布志市埋蔵文化財センター展示
分かれ道にある城跡コースマップ
右側に進むと堀底道です

そして、堀底道になります(空堀3)。なんとここは、4方向から攻撃を受けてしまう場所だったのです。心して進みましょう。堀底道といっても、道はまだ登って、曲がりくねっています。これでは反撃どころではありません。

志布志城模型の堀底道付近、志布志市埋蔵文化財センター展示
まだ道は登り、曲がっています

やっと堀底らしいところに出ますが、城の曲輪が真上にあるように見えます。完全に挟まれてしまっています。

堀底道
堀底道右側の曲輪(曲輪2上段)
堀底道左側の曲輪(本丸下段)

周りを囲む曲輪の一つ(曲輪2上段)に登って行けそうです。曲輪の上は、平らに整地されています。ここは城の中枢を担う曲輪の一つで、家臣などが詰めていたと考えられます。

曲輪(曲輪2上段)に登っていきます
曲輪2上段の上

堀底道に戻ってまた進みましょう。前の方に別の曲輪が見えてきました。本丸(曲輪3)上段です。敵にとってはまた脅威です。

前方が本丸上段

本丸下段に入ってみましょう。意外と簡単に入れます。現代のビジター特権でしょうか。となりが本丸上段です。まわりに木が茂っていますが、なにか景色は見えるのでしょうか。木々の隙間からなんとか、港が見えます。フェリーの「さんふらわあ」です!

現在の本丸下段入口
本丸下段内部
本丸下段からの眺め
フェリー「さんふらわあ」

奥まで鉄壁の守り

本丸(曲輪3)上段にやってきました。標柱に「島津六代氏久公居城」とあります。新納氏が城主になったときに、後押しをした島津の殿様が、一時この城にいたそうです。

本丸上段の標柱

本丸の土塁と、背後の空堀を見に行きましょう。土塁の上にお堂があります。「三宝荒神」といって、城主一族の守護神とのことです。土塁の向こうはどうなっているのでしょうか?やっぱり、垂直に見下ろす感じです。

本丸土塁上の三宝荒神
本丸背後の空堀を見下ろしています

その堀(空堀4)の底を歩きます。倒木があったりするので、気を付けて進みましょう。この空堀は、本丸エリアを作るために、この城で最初に掘られたと考えられています。本丸の壁は「切岸」と言ってほぼ垂直に削られていました。さっき見下ろした辺りにきました。今度は思いきり見上げることになります。

倒木などには気を付けましょう
先ほど本丸から見下ろした辺りか
今度は本丸を見上げています

今度は一つ奥の、中野久尾の空堀(空堀5)にやってきました。ここから入る曲輪(曲輪5上段)の虎口を見ていただきたいのです。空堀の底が一段高くなっています。この高くなっているところから曲輪の入口が始まるのです。

志布志城模型の左側が本丸背後の空堀、真ん中が中野久尾の空堀、志布志市埋蔵文化財センター展示
空堀の底が一段高くなっています

上がったところから折り返すと、すごい壁です!ここを敵が通るときは、上から攻撃されてしまいます。しかも通路は細くなっています。曲輪に入るところも、いまだに壁に囲まれている感じです。更に折れ曲がっていて、枡形のようになっています。

細い通路が垂直の壁面に沿っています
曲輪の虎口

本丸の西側に移動しました。ここも空堀の底です。この辺から、城の西側を、大空堀が南北に貫いているのです。まるで自然の谷のようです。右側が曲輪群、左側が土居に囲まれていて、深さは約17メートル。かつてはもっと深かったそうです。高石垣も顔負けです。

現地城跡ルートマップ、大空堀が西側をずっと通っています
大空堀から本丸を見上げたところ
大空堀

一番奥の大野久尾まで来てしまいました。城の中の通路にもなっていたのでしょう。

大空堀から大野久尾の入口(右側)へ
大野久尾

果てしない志布志城

今度は、入口の方に戻ってきました。矢倉場を見学して、東側の空堀を通って、搦手口に行ってみたいと思います。曲輪が立ちはだかっています。相変わらずの垂直の壁です。

矢倉場への入口
矢倉場外観
ほぼ垂直の壁面
志布志城模型の矢倉場を登っていく方向から見ています、志布志市埋蔵文化財センター展示

矢倉場(曲輪1)です。ここも建物跡が発見されています。これは、城主だった新納氏の墓がありますが、明治時代に立てられたそうです。曲輪の下の方は見えるかと思いましたが、草木が茂って微妙な感じです。

矢倉場の上
新納氏の墓、時久は新納氏の祖
曲輪の下はあまりよく見えませんでした

それでは、空堀の方に下っていきましょう。東側も、南北を貫く空堀(空堀1)がずっと続いています。左側は、本丸に行くときに立ち寄った曲輪(曲輪2)、右側には更に土塁や曲輪(曲輪10など)があります。案内がなければ、迷子になってしまいそうです。

東側の空堀

まもなく、本丸に行くときに通った空堀(空堀3)と合流します。また少し下って、右側が搦手口です。裂け目のようになっています。立ちはだかる土塁の壁面は、まるで岩盤です!少し進んで振り返ってみると、城に入るときは、どんな風に見えるかわかります。城の裏口であっても、こんなに厳重に構えていたのです。模型を見ても、壁のような土塁を立ち上げているのが見て取れます。志布志城、まさに鉄壁の守りです。

左側の道が別の空堀からの道で、合流して右下に続きます
裂け目のような搦手口
岩盤のような壁面
外側から見た搦手口
志布志城模型を搦手口から見ています、志布志市埋蔵文化財センター展示

志布志城の発祥地・松尾城

今まで見学したのは志布志城の「内城」でした。「松尾城」も一部見学できますので行ってみましょう。

4つの志布志城、現地説明パネルより
駐車場からの交差点を、松尾城は左に行きます。

一部ということで規模は小さく感じますが、シラス台地を掘った場所はありますし、垂直の壁面も見ることができます。

松尾城入口
シラス台地を掘り進んだと思われる部分
ほぼ垂直の壁面

上に登り切ったところに石碑があります。南北朝時代の城主・楡井頼仲を記念したものです。志布志城全体は松尾城から始まったのです。

楡井頼仲の石碑

関連史跡、名物

関連史跡・施設としてまず志布志駅にやってきました。観光案内所を兼ねているので、志布志市埋蔵文化財センターと合わせて、城の情報収集をしてみてはいかがでしょう。

志布志駅、兼志布志市総合観光案内所
志布志市埋蔵文化財センター

実は志布志駅は日南線の終着駅なのです。かつてはここから更に、志布志線、大隅線が伸びていたそうです。交通の要衝だったのです。

終着駅のホーム
かつての路線を記念した志布志鉄道記念公園

もちろん今もそうですので、それがわかるところに行ってみましょう。志布志港です。城から見えた「さんふらわあ」が停泊しています。このフェリーは、毎日夕方にここを出航するということなので、城見学をする昼間の時間帯は、いつも停泊しています。

フェリー「さんふらわあ」

ところで、城からここが見えたのだから、ここから城は見えるのでしょうか。シラス台地はわかります。城は、橋の向こう側のような気もしますが、建物はないので難しいものがあります。しかし、志布志の港とシラス台地の城の、絶妙のコンビネーションを感じることができました。

志布志港から見えるシラス台地
志布志城(内城)は、青い橋の向こう側のように思います。
志布志市役所にある名物看板

最後に、志布志のもう一つの名所に来てみました。志布志市役所にある看板です。「志布志」の連呼でこの場所を示していますが、早口言葉でどうぞ、ということらしいです。地名で楽しめるなんて、おもしろいです。

「志布志城その1」に戻ります。

これで終わります、ありがとうございました。

79.今治城 その2

今回は、港をスタート地点にして、今治城に入城しましょう。そうすれば、海城らしさを感じられると思います。城の中心部分は、現在の天守がメインになりますが、当時の痕跡も探してみましょう。その後が、高虎築城術の神髄で、再建された櫓群を巡ってみます。最後は、内堀の外側を歩いてみます。今残っている範囲で、高虎築城術を感じられそうです。

イントロダクション

今治港に来ています。港湾都市らしく、立派な建物があります。海城を感じてみたいので、最初に来てみました。船がいるところに移動すると、ヨットなどが並んでいます。実は、ここはもう今治城内だったのです。中堀の船入だったところが、港の一部になっているのです。さすが今治です。しかも、残っている内堀は、こちらから取水しているのです。ここをカギ型で曲がる道路も、城の名残りのような感じです。天守も見えます。

みなと交流センター「はーばりー」
今治港
港から内堀への取水口
振り返ると天守が見えます

今回は、港をスタート地点にして、今治城に入城しましょう。そうすれば、海城らしさを感じられると思います。城の中心部分は、現在の天守がメインになりますが、当時の痕跡も探してみましょう。その後が、高虎築城術の神髄で、再建された櫓群を巡ってみます。最後は、内堀の外側を歩いてみます。今残っている範囲で、高虎築城術を感じられそうです。

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴・見どころ(海城と高虎築城術を感じるツアー)

海城を感じつつ入城

城周辺の航空写真

まず、道路を気を付けて渡ってから、内堀への水路を追ってみましょう。

内堀への水路

今治城に出ました。やはり、広い堀に城の姿が映えています。内堀には、魚も放流されているそうです。

水路から出たところ
内堀に浮かんでいるような今治城
「魚放流」の看板

それでは城の入口に向かいましょう。ずいぶん長い橋を渡ります。内堀を渡る土橋です。その手前の場所は、その土橋に接続された馬出しでした。その馬出しには、両側に枡形が備えられていました。今は何気ない城の入口が、そんな厳重な場所だったなんて、信じられません。

城の入口(土橋の前)

土橋を渡りましょう。渡っている間には、内堀と石垣を支える犬走りが見えます。

内堀と犬走りに支えられた石垣

復元された鉄御門(くろがねごもん)の枡形に入っていきます。枡形なので、手前に高麗門もあったのですが、ここは車も通りますので、そこまで復元しなかったのかもしれません。

鉄御門の枡形
枡形についての現地説明パネル
車も通ります

それでも、迫力は十分ですし、正面に巨石がはめこまれています。これは「勘兵衛石」といい、重さ約16トン、名称は築城の奉行を務めたと言われる渡辺勘兵衛にちなみます。こんなすごい枡形が、かつてはいくつもあったのでしょう。正面右側の鉄門(櫓門)から枡形を出ましょう。枡形を出ても、まだ別の櫓に囲まれています。こちらも復元された、武具櫓です。油断がなりません。中に入っていくと、天守が現れました。

勘兵衛石
鉄門(櫓門)
武具櫓
天守が見えてきました

現代の天守と当時の痕跡

現在ある天守は、1980年に鉄筋コンクリート造りで再建されたものです。位置はかつての北隅櫓の位置にあり、形も層塔型でなく、望楼型風です。よって、天守の分類としては「模擬天守」に分類されています。それでも城のシンボルになっています。城の中のビューポイントは、天守だけではありません。藤堂高虎の像も立てられました。甲冑姿ではありませんが、これもいいと思います。絵になる取り合わせです。

天守と藤堂高虎公像

しかし、それ以外は中はなにもない感じです。現在は本丸周辺に神社と模擬天守がある以外は広場になっていて、当時を物語るものは、この環境で真水が出たという「蒼吹の井」くらいでしょうか。

現地案内図
蒼吹の井

ただ、もともと城の中心部は3つの方形の曲輪を組み合わせたシンプルなもので、天守がなくなってからは、二の丸に御殿があるのが目立つくらいだったようです。3つの曲輪には仕切りがありました。

城中心部の模型(今治城天守内にて展示)

それを覚えておいて、天守に向かいましょう。すると、仕切りのような石垣が残っています。本丸の入口手前の石垣のようです。ということは、現代の天守への門は、本来は本丸の門だったのでしょう。門を入ると折れ曲がって、枡形風になっています。そして、本丸には現在は吹揚神社がありますが、かつては天守があったと考えられます。かつての姿をチェックできたので、現代の天守に入ります。

天守に向かいます
仕切りの石垣の一部か
本丸御門跡
本丸にある吹揚神社

天守の入口1階は、観覧券売場と売店になります。2階から上は歴史博物館になっています。藤堂高虎コーナーも、城の絵図などもあります。「徳川家康の盃」というのも展示されていますが、藤堂氏の後の久松松平氏が家康の親戚ということで、伝来したのでしょう。

天守入口
藤堂高虎展示コーナー
「正保今治城絵図(複製)」
徳川家康の盃

最上階6階は、お約束の展望台です。どんな景色が見えるのでしょう。まず、北側です。前回行った来島海峡や、今回のスタート地点の今治港が見えます。

天守から北側の眺め

東の方はどうでしょうか。瀬戸内海の島々が見えます。

天守から東側の眺め

続けて南側です。四国の山々が見えます。高虎が当初拠点にしようとした国府山城は、真ん中辺りの小山のようです。

天守から南側の眺め

西側の眺めは、主に市街地になります。堀の広さが目立ちます。元あった天守からも、こんな眺めだったのでしょうか。現代の天守も、十分楽しみました。

天守から西側の眺め

櫓に見る高虎築城術

ここからは、再建された櫓群を巡りながら、高虎築城術を探ります。

城周辺の地図

最初は、御金櫓(おかねやぐら)です。金蔵だったのでその名前になったそうです。「東隅櫓」とも呼ばれました。現在の建物は、1985年に鉄筋コンクリート造りで外観復元されています。中は、現代美術館として使われています。

御金櫓
御金櫓(内部)

以下が外側の外観ですが、隅を守る重要な櫓なので、二階には大砲用の窓(大狭間)も設けられていました(山里櫓・武具櫓にもあり)。

御金櫓(外側外観)、大狭間は二階の下部

次は、山里櫓です。こちらも1990年に外観復元されたのですが、木造です。中は古美術館になっています。

山里櫓
山里櫓(内部)
山里櫓(外側外観)、手前は山里門

そして、最後に是非行っていただきたいのが、山里櫓から塀づたいに進んだ先の、鉄御門と武具櫓です。2つの建物は、再建時期や建て方は違うのですが、(武具櫓:1980年鉄筋コンクリート造外観復元、鉄門:2007年木造復元)中が多聞櫓でずっとつながっていて、高虎築城術でどうお城を守っていたか、わかりやすい展示になっているのです。

正面が武具櫓入口、右側が鉄御門
内部案内図
武具櫓(外側外観)

武具櫓から入っていきましょう。中から内堀などが見えたり、鉄御門の模型が展示してあったりします。鉄御門の方に進みましょう。

武具櫓(内部)
鉄御門の模型があります

鉄御門の中では、兵士のフィギアによって防御方法の展示があります。石落としなどです。また、格子窓からは勘兵衛石が見えます。

鉄御門(内部)
石落としの展示
勘兵衛石が見えます

回り込んでいくと何が見えるでしょうか。城の入口の土橋が見えます。

回り込んだところにもフィギアがいます
入口の土橋が見えます

更に回り込んでいくと、鉄御門が見えます。つまり、枡形を多聞櫓が取り囲んでいるのです。

鉄砲兵のフィギア
鉄御門が見えます

櫓はまだまだ続いていて、土橋を渡る敵を側面攻撃できるようになっていました。水も漏らさぬ防衛態勢です。

土橋を斜めからうかがえます

海の続き!内堀を歩く

内堀を見学するのに、裏門の山里門から出ていくことにします。まず、山里櫓とセットになっている山里櫓門です。

山里櫓門

階段を下るときに見上げる天守もかっこいいです。城の現役時代には北隅櫓があったので、そこからにらみをきかせたのでしょう。

階段を下りながら天守を見上げます

折り返した先にまた門があるのです。山里門(高麗門)です。これも枡形の一種でしょうか。橋を渡ると、隠居屋敷・庭園があった「山里」です。

山里門

振り返ると、以下のように見えます。裏門とは言え、抜かりはないようです。

裏門の防御態勢

少し移動して、内堀の堀端にきました。城の曲輪ががへこんでいる部分なので、堀がすごく広く見えます。ここからずっと歩いていきましょう。

内堀端(西側)

本丸の裏側が見えます。左から西隅櫓、南隅櫓がありました。

本丸裏側

南の隅に来ました。櫓がなくても迫力があります。まるで堀に浮かぶ要塞のようです。遠巻きから石垣と犬走りも観察しましょう。

内堀南隅から見た今治城
石垣と犬走りが目立ちます

東側に向かっていきます。先ほど見学した御金櫓が見えてきました。こうやって見ていると、こちらから鉄砲や矢を放っても、まともに届かないように感じます。逆に、城からは高さがあるので、そこから放つ鉄砲や矢は有効なのでしょう(石垣の高さ9~13m、堀の幅約50m)。高虎はそんなことも計算して、このお城を作ったのではないでしょうか。それこそが高虎築城術かもしれません。

御金櫓(東隅櫓)のところまできました

最終コーナーを回ります。正面の、鉄御門が見えてきました。

御金櫓のところを回り込みます
正面入口に戻ってきました

リンク、参考情報(追加分)

・「よみがえる日本の城10」学研

「今治城その1」に戻ります。

これで終わります、ありがとうございました。

178.能島城 その2

宮窪町漁協・能島水軍の前に来ています。ここでは、地元の魚を使った料理を味わえますし、なんといっても、ここから能島上陸ツアーが出発するのです。今回は、能島城現地レポートが中心になるのですが、その前後では、最大10ノットの海峡の潮流も体験できるのです。

イントロダクション

宮窪町漁協・能島水軍の前に来ています。ここでは、地元の魚を使った料理を味わえますし、なんといっても、ここから能島上陸ツアーが出発するのです。今回は、能島城現地レポートが中心になるのですが、その前後では、最大10ノットの海峡の潮流も体験できるのです。最後の方で、向かい側にある、村上海賊ミュージアムにも立ち寄ってみたいと思います。それでは、いよいよ上陸船に乗り込みます。席についたので出発です。

宮窪町漁協・能島水軍
能島水軍レストランの料理の一例

それでは、いよいよ上陸船に乗り込みます。席についたので、いよいよ出発です。

上陸船に乗り込みます
能島荒神丸
いよいよ出発です

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ

城の堀?すごい潮流

沖に出ると、見る見る島が迫ってきます。まるで軍艦島のようです。曲輪の形がはっきりわかります。

島が見る見る迫ってきます
船から見える能島

そのとなりにある島が「鵜島」です。島の間は、すごい潮の流れです。この島には、村上海賊の軍船の造船所や、メンテナンス場(焚で場)があったそうです。

鵜島
海峡の急流や鵜島の砂浜が見えます

船は能島に急接近していきます。スリル満点です。

能島に急接近します
矢びつ出丸が大写しです

城周辺の航空写真

矢びつ出丸の周辺が、もっとも激しい潮流ポイントです。まるで、川の激流です。これが、堀と同じような役割で、お城を守っていたのでしょう。しかし、この船もこの中でよく留まっていられると思います。現代の村上海賊、といったところでしょうか。

矢びつ周辺の潮流
川の流れのようで、城にとっては堀です
ここで静止状態を保てるなんてすごいです

次は「船だまり」です。島の中では潮流が穏やかな部分なので、荷揚げや船の係留に使われたとのことです。そういう場所なので、城の岩礁ピットや武者走りがよく保存されていて、船上から見学することができます。

船だまり
武者走りに残る岩礁ピット

船だまりから、海中の岩礁を避けて、一旦沖に出ます。そして再び能島に接近です。岩礁のせいか、波が浮き立つようです。現代風のポートが見えてきました。ついに上陸です。

三の丸の沖を回り込んでいます
船着き場がある南部平坦地

城の島に上陸!

それでは、上陸しましょう!島の上ではガイドさんに付いていきます。

船着き場から上陸します
ガイドさんに引率されます(南部平坦地)

上陸した場所は、島で一番低い「南部平坦地」で、城があった時から埋め立てが進められていました。荷揚げや漁具の手入れなど、作業ヤードとして使われたと考えられます。

城周辺の地図

園路に沿って進んでいきます。登ったところが三の丸で、入口辺りに礎石建物跡があって、倉庫だったと考えられています。三の丸は思ったより広々としています。他にも住居か倉庫の跡が発見されています。物見やぐら(井楼)かもしれない跡もあるそうです。

礎石建物跡のある辺り
三の丸

伯方・大島大橋の下に見えるのが、見近島です。交易の拠点だったかもしれない島です。

向こうに伯方・大島大橋と見近島が見えます

三の丸から見まわしてみると、対岸が伊予大島です。それから四阿の先には、目一つの鼻、という突端があって、鍛冶場だったという伝承があります。船だまりも見えます。

対岸の伊予大島
目一つの鼻
船だまり

次は、二の丸です。一段高いところにあります。こちらも建物跡がたくさん発見されていて、やはり住居か倉に使われたのではないかとのことです。特に三の丸と接続するところで、高級な海外製陶磁器が見つかるそうです。お宝をしまう蔵だったのでしょうか。

二の丸
能島城で出土した高級陶磁器、村上海賊ミュージアムにて展示

二の丸は、本丸をぐるりと取り囲んでいます。本丸の脇を歩いていることになります。

本丸を取り囲んでいる二の丸

北東隅の「矢びつ」出丸が見えるところまで来ました。矢びつ(櫃)とは、矢を入れる道具の意味なので、武器庫があったと言われていますが、建物の跡ではなく、一列に並んだ杭の跡があったそうなので、弓矢の練習場ではないかとも言われます。それに、矢びつの周りは、来るときに見た、激しい潮が流れています。上から見ても、そのすさまじさがわかります。

二の丸から見た「矢びつ」出丸

本丸で当時を感じよう!

次はいよいよ本丸です。本丸への階段を登ります。本丸についてみると、鵜島の向こうの海峡(船折瀬戸)を行く船までよく見えます。

本丸への階段
船折瀬戸に向かう船

本丸は、城で標高が一番高いところで、約25メートルあるのですが、自然の島の頂上を10メートルほど削って整地したそうです。建物跡が発見されていて、物見やぐらだったかもしれません。

本丸

しかし、今のままでも、周りの海峡や島々が一望できます。360度パノラマビューです。本丸からは面白いものが発見されています。大量の「かわらけ」です。かわらけとは、儀式や宴会で使われた、使い捨ての素焼きのお皿です。満天の星の下、海賊たちがここで宴会を楽しんでいたかもしれません。

本丸からの眺め(北方向)
本丸からの眺め(南方向)

次は、東南出丸です。その先に鯛崎島があって、かつては橋でつながっていたという伝承があります。ここでも、かわらけが出土しているのですが、ここで地鎮祭が行われたと考えられています。

東南出丸から見た鯛崎島
鯛崎島と橋でつながれた能島城の想像図、村上海賊ミュージアムにて展示
東南出丸から出土したかわらけ、村上海賊ミュージアムにて展示

下の方を見ると、岸が人工的に加工されています。武者走りでしょうか、岩礁ピット含め、島を囲んでいるようです。まさに島中が城だったのです。

東南出丸の下に見える武者走りか

わたしたちの上陸地点(南部平坦地)も見えてきました。そちらに向かって戻ります。その途中で、当時の城内通路の遺構を見ることができます。船が迎えにきました。

答案出丸から見た南部平坦地
帰り道
城内通路の遺構
帰りの船

また潮流を感じて帰還

能島を離れます。すごい快速で、すぐに鯛崎島まで来てしまいました。この周辺も潮流が複雑で、その流れが海の芸術のようです。

船着き場を離れます
能島(奥)と鯛崎島(手前)
鯛崎島周辺の潮流

鯛崎島にはお地蔵様がいて、そのお地蔵様が魚たちと、干潮で動けなくなったクジラを救った「クジラのお礼まいり」という民話があります。島の上には弁天様もいます。

鯛崎島の石地蔵

最後の潮流ポイントに向かいます。そこは、愛媛県有数の漁場なのだそうです。能島水軍レストランで出る魚もここでとれるのでしょうか。渦のような潮流が沸き上がる海面に、空の雲が映って、なんとも言えない絵柄です。そうこうするうちに、港に帰って来ました。

最後の潮流ポイントへ
幻想的な海面
港に帰還

関連史跡

近くにある村上海賊ミュージアムにもきてみました。外に、復元された小早船があります。海賊が使った小型船のことで、なかなかかっこいいです。中の展示も充実しています。例えば、岩礁ピットと武者走りについての展示があって、上陸ツアーと一緒に見ると、とても勉強になります。

村上海賊ミュージアム
復元された小早船
岩礁ピットと武者走りについての展示

更に、芸予諸島の要所の一つ、来島海峡に行ってみました。ここも素晴らしい景色です。ここにも村上海賊がいて、来島村上氏の本拠地がありました。それが来島城で、城があった島も一緒に眺めることができます。今でも人家があって、その代わり、史跡らしくはないようです。すぐに出動できるところに城があったことだけはわかります。

来島海峡
来島城跡

リンク、参考情報(追加分)

・「村上水軍全史/森本繁著」新人物往来社
・「村上水軍全紀行/森本繁著」新人物往来社
・「史跡能島城跡 保存活用計画/令和2年3月」今治市教育委員会

「能島城その1」に戻ります。

これで終わります、ありがとうございました。

error: Content is protected !!