74.岩国城 その2

今日は、錦川の畔に来ています。錦帯橋を見ながらも、岩国城の方も気になってしまいます。今回は、錦帯橋を渡って、山麓の居館跡を見学してから山の上に行きます。そして、吉川広家が築き、終わらせたお城がどうなっているかご案内します。再建天守に着いたら、山上からの景色を楽しみたいと思います。

イントロダクション

今日は、錦川の畔に来ています。ちょっと天気は風雲急を告げている感じですが錦帯橋が良く見えます。錦帯橋を見ながらも、岩国城の方も気になってしまいます。

錦川と錦帯橋
岩国城再建天守

今回は、錦帯橋を渡って、山麓の居館跡を見学してから山の上に行きます。そして、吉川広家が築き、終わらせたお城がどうなっているかご案内します。再建天守に着いたら、山上からの景色を楽しみたいと思います。

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(錦帯橋から岩国城をめぐるツアー)

錦帯橋を渡って御土居を見学、そして山上へ

まずは錦帯橋を渡ります。気分が改まる感じがします。錦帯橋は5つの橋から成っていて、両端は、普通の感じの桁橋です。そして橋台の先の第2橋からが、アーチ構造になります。アーチの上り下りは階段になっていて、特別な橋に来たと思う瞬間です。

山上から見た錦帯橋
第1橋から第2橋へ
第1橋と第2橋の間の橋台

しかしこんな優雅な川が暴れ川なんて、信じられません。現代は、ダムなどの治水対策が行われているそうです。城のある山がだんだん近づいてきますが、下りの階段の足元には気を付けましょう。最後の橋を渡ったら、吉香公園に到着です。

第3橋から見た錦川
第4橋を下って第5橋へ
吉香公園

この公園には、錦帯橋を架けた吉川広嘉、藩祖・吉川広家、そして佐々木小次郎の像まであるのですが、小次郎像の向こうが堀跡のようです。

吉川広嘉像
吉川広家像
佐々木小次郎像と堀跡

吉川史料館を過ぎたところに、お殿様の居館「御土居」の跡があるのです。周りを囲む堀の向こうには櫓のようなものがありますが、今ある吉香神社の建物です。かつては同じ場所に三階櫓があったそうです。「現代の櫓」ということです。

吉川史料館
御土居跡

入口に立つと、城の山(城山)が背後に控えています。御土居も城の一部だったのです。幕末のお殿様・吉川経幹(つねまさ)は、幕府軍との戦いで、山上に籠城することまで考えていました。

山麓部分周辺の地図

吉香神社(御土居跡)入口

社殿は移されたものですが、重要文化財に指定されています。しかし、「現代の櫓」も気になってしまいます。それでは行ってみましょう。現在ある建物は絵馬堂で「錦雲閣」といいます。中に入ることもできます。そこからの眺めは、城からの眺めそのものです。御土居に来たら、立ち寄っていただきたいスポットです。

吉香神社社殿
錦雲閣
錦雲閣からの眺め

いよいよロープウェイに乗って山を登ります。さっき見た御土居が遠のいていきます。錦帯橋や錦川がまた見えてきました。

岩国城ロープウェイ
ゴンドラからの眺め

山頂駅に着きました。まずは景色に期待です。いい眺めです。天守からの眺めもますます期待してしまいます。

ロープウェイ山頂駅
山頂からの眺め

残っている石垣、壊された石垣

山上での城への道は2つあります。左(西側)の方がお勧めのように見えますが、城郭ファンとしては、右(東側)の山道の方を行っていただきたいのです。残っている石垣が見られるからです。縁石も石垣風です。これも当時のものなのでしょうか。

城への案内板
縁石が続く山道

石垣が見えてきました。二の丸のところだと思います。すぐそばで見ると、迫力があります。

岩国城の縄張り図(岩国城天守内展示)、左から二の丸、本丸、北の丸
二の丸の石垣

二の丸の入口前に来ました。ここにも立派な石垣が残っています。入口を守る出丸のものです。ここから二の丸に入っていきます。出丸の内側が枡形になっていて、枡形を抜けると大手門があったのです。二の丸は、今は現代風の庭園になっています。振り返ると再建天守が見えますが、ちょっとお預けです。

二の丸入口前、張り出しているのは出丸の石垣
左側が出丸、右側が枡形
二の丸内の庭園
二の丸から見える再建天守

二の丸入口前に戻って、今度は本丸の方に行きますが、直接本丸には入れないので、北の丸を回ります。さすが厳重な作りです。本丸下の石垣は見もので、張り出したところが一番高く、高さが9メートルあります。江戸時代初期に廃城になった城とは思えません。やっぱり意識的に残したのだとと思います。

本丸下の高石垣(もっとも高いところ)
高石垣が続きます

ところが、北の丸に入ると様子が変わります。何気ない散歩道に見えますが、道を少し入ったところには、石垣を崩した跡が残っています。なぜか一部残っている箇所もあります。

北の丸に入ります
北の丸の散歩道
北の丸の崩された石垣

道を先に進むと広場に出ました。北の丸の端っこから、かつて枡形だったところを見まわしてみます。石は少し残っていますが、全然崩されてしまっています。吉川広家が「表の方」の石垣を崩すと言っていたのは、この辺のことではないかと思います。つまり、城の正面はこちらの方だったと思うのです。

北の丸の広場
北の丸枡形跡

実は鉄壁!本丸の防御

それでは、北の丸を正面として、本丸に攻め込むシミュレーションをしてみましょう。2つのルートをご紹介します。

山城部分周辺の地図

一つ目は旧天守台を通るルートで、先ほどの枡形を通って、北の丸に入ったとします。そこから、北の丸と本丸は土橋でつながっているのですが、左側(東)は空堀で、右側(西)は竪堀で挟まれています。通る道が限られていたのです。

北の丸と本丸をつなぐ土橋
空堀
竪堀

そして、その先に現れるのが、旧天守台です。ここにあった天守は、飾りではなかったのです。吉川広家も「天守は御庄側の切り立った部分を延ばした場所を防御するためのものである。(慶長9年5月28日付吉川広家条々写、現代語訳は「毛利氏の御家騒動 折れた三本の矢」より)」と言っています。この上に、現在の再建天守のような建物が載っていました。次は、その再建天守に行ってしまいそうですが、またお預けです。

旧天守台
旧天守台の奥の隅を見上げています
左奥が再建天守、右端が旧天守台

もう一つは、天守はなくとも、櫓群と枡形で守っていたルートです。まず、さっき見た空堀に架かる橋を渡ります。この辺りの石垣も崩されています。細い通路を進むと、最初の枡形と思われる場所に着きます。北の丸の枡形も同じように崩されていました。傍らには三階櫓があって、更に正面には、隅櫓が控えていました。鉄壁の守りだったのです。

空堀にかかる橋
最初の枡形と思われる場所、正面は隅櫓跡
三階櫓跡

そこを抜けると、本丸下に出ますが、ここは、最初に通った高石垣の天辺なのです。景色もいいですが、石垣下の敵もお見通しです!

本丸下
高石垣を見下ろしています

そして、再度本丸に乗り込みます。再建天守とやっとご対面です。実はここにも別の櫓がありました。それぞれの場所に、意味があったのです。ここが、本丸入口の枡形になります。これにて、本丸到着です。また、天守台が見えます。かつてはここで、どーんと天守が見えたはずです。

再建天守、かつては別の櫓がありました
本丸枡形
旧天守台

天守に到着!素晴らしい景色

次は、再建天守をご案内します。再建天守は、オリジナルの南蛮造のスタイルで、1962年、山頂・山麓からの景観を考慮して現在地に建てられました。

再建天守

中に入りましょう。1階は刀剣がたくさんあったり、お城の歴史コーナーがあります。2階には錦帯橋の模型などが、3階には各地の城の写真があります。

天守1階の刀剣展示
岩国城の歴史コーナー
天守2階の錦帯橋模型
天守3階

そして最上階は、お約束の展望台で素晴らしい景色です。瀬戸内海までよく見えます。もちろん錦帯橋は見えるのですが、そこから川が海に下っていくところもよくわかります。

天守最上階
天守からの眺め
川がそそぐ瀬戸内海

帰りは二の丸の方に下っていきます。二の丸から出て、来るときとは違う道を通ります。西側の道です。西側の方は、やはり石がゴロゴロしています。来たときに通った東側の石垣の残り方とは全然違います。

二の丸からの出口
石垣を崩した跡
西側の道

それでも、よく残っている遺構もあります。「大釣井(おおつるい)」という井戸です。少し上から見た方がいいかもしれません。

大釣井

このままロープウェイで下ろうと思いましたが、天守の中の展示を見て、行きたくなったところがありました。城とは反対側になるのですが、そこは「護館神(ごかんじん)」といって、もとは城の石切場だったのが、お殿様が住む居館を護り、山を鎮めるための神様が祀られたのです。山の上なのにまだ登ります。着いてみると、すごいパワースポットと感じます。この城山は、城を作っただけじゃなく、守り神にもなっているのです。

「御城山平図」(岩国城天守内展示)、「御館神」は左端にあります
護館神への道
護館神

山を下ったら、吉川広家のお墓にお参りしてみるのもいいでしょう。今度は晴れたときに来てみたいです。

吉川広家墓
以前訪れたときの錦帯橋と岩国城

リンク、参考情報(追加分)

錦帯橋、岩国市公式ホームページ
岩国城、岩国観光振興課~岩国 旅の架け橋
おもしろ山口学「破却?失われた岩国城の真実」、山口県魅力発信サイト きらりんく

「岩国城 その1」に戻ります。

これで終わります。ありがとうございました。

209.「桶狭間」の城砦群 その2

今回は大高駅からスタートして、大高城を見学します。メニューとしては、義元が進んだかもしれない「義元の道」、そして織田信長が進んだであろう「信長の道」として区分してご案内します。最後は、桶狭間古戦場公園に行きつきます。

イントロダクション

今、大高駅のホームの上にいます。なんとここからは、大高城とそれを囲んだ砦跡が見渡せるのです。ホームの目の前の丘陵が、鷲津砦があった辺り、丘陵をずっと見渡していくと、その端の方に、丸根砦がありました。そして、ホームの反対側には、大高城跡が見えるのです。

大高駅ホーム
ホームから見える鷲津砦跡
ホームから見える大高城跡

今回は大高駅からスタートして、大高城を見学します。メニューとしては、義元が進んだかもしれない「義元の道」、そして織田信長が進んだであろう「信長の道」として区分してご案内します。最後は、桶狭間古戦場公園に行きつきます。

大高駅前

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(大高城から桶狭間古戦場めぐり)

義元の道(大高城~漆山)

大高駅から、大高城跡までは、道に出ている案内に沿って行けば、大丈夫だと思います。

道路に出ている案内

城跡入口から登っていきます。もう曲輪があります。腰曲輪でしょう。

大高城跡入口
大高城腰曲輪

城跡の石碑や案内を過ぎて登っていくと、二の丸に到着します。結構広く感じます。更に本丸があるのですが、その間に、広大な堀があったことが発掘調査によりわかりました。堀と曲輪が城を取り巻いていたのです。

大高城二の丸
大高城本丸(城山八幡社)
発掘された堀の様子、(「令和4年度 史跡大高城跡発掘調査現地説明会資料、名古屋市教育委員会」より引用)

ここから、織田方の砦をチェックしましょう。正面が鷲津砦、白いビルの向こうが、丸根砦のようです。

大高城二の丸からの眺め
丸根砦周辺(ズーム画像)

見どころはまだあります。隣の曲輪(三の丸か)に向かう土橋の両脇に、空堀が残っているのです。こんなところにひっそりと残っているのです。

曲輪間の土橋
残っている空堀

曲輪の向こうの景色も見てみましょう。住宅街が続いているように見えますが、かつては、向こうに海が見えたはずなのです。大高城は海に開かれた城だったのです。

かつては海が見えたはずです

次は、信長が築いた砦跡に行ってみます。こちらも案内が出ているので、その通りに進みます。鷲津砦跡は現在、鷲津砦公園になっています。自然散策ができるような場所になっています。

鷲津砦跡の案内
鷲津砦公園

続いて、丸根砦です。かつては、名前の通り下記のようなイメージだったのが、現在はどうなっているでしょうか。こちらは、砦らしさが残っています。頂上のところには、戦いの慰霊碑があります。中腹からは、大高城も見えるそうです。桜が咲いている辺りが二の丸でしょうか。

丸根砦想像図、現地説明パネルより
丸根砦跡に向かいます
頂上にある慰霊碑
中腹からの眺め
大高城跡

ここからが、前回ご紹介した「桶狭間の戦い」の新説(後退追撃説)の中で、今川義元が桶狭間に向けてたどったルートです。まず、小川道を漆山に向けて進みます。大高緑地公園の竹林散策路は、小川道の痕跡と言われています。義元が通らなかったとしても、今川軍の連絡道として使われたのではないでしょうか。

桶狭間周辺の地図

大高緑地公園の竹林散策路

現在の漆山は、削られて、駐車場になっています。よって、眺望がきく代わりの場所を探します。近くに展望台があるのです。見晴らしがいい場所です。漆山の駐車場が見え、そして、次に向かう、信長の善照寺砦跡も見えます。

現在の漆山にある公園駐車場
近くにある展望台
展望台からの眺め
善照寺砦付近(ズーム画像)

信長の道(善照寺砦~中島砦)

善照寺砦までは下ったり、登ったり結構大変でした。だからこそ、決戦の場になったのでしょう。地形図を見ても、それがわかります。ここで、織田・今川両軍が相対していたのです。

善照寺砦跡

桶狭間周辺の起伏地図

櫓もどきの展望台があるので、登ってみましょう。しかし残念、木で景色が見えません。なんとか、先ほどの漆山だけは確認できます。敵陣を補足したということで、中島砦に向けて出撃します!

右側に展望台がありますが・・
展望台からの眺め
展望台を降りたところからの眺め
漆山付近(ズーム画像)

善照寺砦からどんどん下っていきます。しかし信長も、敵から丸見えなのを承知で、よく出撃したと感じます。それだけの覚悟があったのでしょう。

善照寺砦跡を下ります
中島砦跡への道

もうすぐ中島砦跡です。橋を渡った辺りです。こういうところに砦があったのです。「信長公記」には、織田軍は2千弱の兵数と書いているので、今川軍に対しては少ないとしても、砦はそれなりの規模があったのでしょう。

橋を渡った先が中島砦跡

川(扇川)が二股に分かれています。つまり、中州にあった砦だったのです。だから「中島」砦という名前なのでしょう。中島砦跡の表示もありました。

扇川の分岐点
「中島砦跡」の表示

いよいよ、旧東海道を通って、義元を追撃します!

旧東海道

義元の道(長坂道~高根山)

東海道を進んだら、古い町並みに来ました。有松です。しかし戦国時代、この集落はなかったのです。主要道としては、これから行く長坂道が使われたのです。「桶狭間」の新説でも、義元がここを通って、次の陣地の高根山に向かいました。

有松の町並み

確かに「長坂道」とあります。名前の通り、緩やかな坂が、長々と続いています。大通りに突き当たりますが、その先にまだまだ続いています。しかも陸橋にまでなっています。さすが、歴史の道です。

「長坂道」の案内
長坂道
大通り(国道1号線)の先にも続いています
長坂道の陸橋

もうすぐ高根山です。ちょっとここはきつい登りです。到着すると、何かの案内があります。実は地元では、ここは今川の前衛部隊が布陣したとされているのです。義元がいなかったとしても、今川軍はここにいたのでしょう。そうなると、ますますどんな景色が見えるか気になってしまいます。

もうすぐ到着します
高根山(有松神社)

なんとか見えます。そして先ほど行った善照寺砦はも見当がつきます。今でもしっかり敵陣も見えるのです。あとは義元がいたかいなかったかということですが、義元がいなかったとすれば、前衛部隊がここで、織田方を監視・対戦したのでしょう。でも個人的には「信長公記」に書かれている「織田の部隊が討たれたのを、義元が見て謡をうたった」というのは、やっぱりここじゃないかと思ってしまいます。

高根山からの眺め
善照寺砦周辺

信長の道(東海道~桶狭間古戦場)

有松に戻ってきました。ここからまた、信長の道です。現・桶狭間古戦場の本陣に移った今川義元を、当時は間道だった旧・東海道を通って、追っていきます(新説・後退追撃説に基づく)。ただ、どの説でもそろそろ雷雨なので、そのつもりで慎重に進みましょう。

有松の町並み(先ほどとは反対側(東側))
旧東海道、信長は雷雨の中ここを進んだはず

大将ヶ根交差点に出ました。かつてこの辺に「太子ヶ根」という山があって、信長がここから義元本陣に切り込んだという説もあります。これは古くからある「迂回奇襲説」のことでしょう。新説においては、ここから「沓掛の峠」のクスノキが倒れるのを見て、ますます奮い立ったということになっています。

大将ヶ根交差点
新説で「沓掛の峠」ではないかとされる地点

今回は、新説をベースに進んでいるので、ここから南に折れて、義元本陣に向かいます。住所が「桶狭間」になってきました。このルートは、地元では信長が通った道と伝えられていて、迂回奇襲説の元ネタにもなっているようです。

「桶狭間」の住所表示
左手は、信長が攻め上がったといわれる「信長坂」ですが、学校の敷地内なので、ビジターは通常立入不可

現在「釜ヶ谷(かまがたに)」と呼ばれている地の説明パネルがあります。ここは信長が、雨が上がるのを待った場所と伝えられています。それではここから突撃しましょう。愛知用水の水路橋の下をくぐります。住宅街を曲がっていくと「今川本陣跡」の表示を見つけました。一気に攻め上がります!

「釜ヶ谷」の説明パネル
愛知用水の水路橋
「今川本陣跡」の案内

と思ったら、坂の途中の意外なところに、本陣跡とあります。ここは、地元の研究者が定めた場所とのことで、説の一つということなのでしょう。もうちょっと本陣らしいところはないかと、もう少し登ってみることにします。

本陣跡への坂、本陣跡は坂の途中、右側にあります
今川義元本陣跡

近くの高台で景色が見えるところまできました。周りはすっかり住宅街になっています。まだまだ、謎だらけということでしょう。

近くの高台からの眺め

今回のゴールは、本陣跡から少し下ったところにある桶狭間古戦場公園にします。ここはかつて「田楽坪」と呼ばれていました。今川義元が、最期をとげた場所と言われています。そういう場所が公園になっています。今川義元と織田信長の銅像のところに来ました

桶狭間古戦場公園

私の感想

大高城からずっと古戦場を歩いてみて、今川義元が、ここに進んできたのか、それとも退いてきたのか、正直、まだわからないのですが、織田信長が、今川軍を攻める、強烈な意志だけは確かだと思いました。

リンク、参考情報(追加分)

・「令和4年度 史跡大高城跡発掘調査現地説明会資料」名古屋市教育委員会
・「桶狭間史跡マップ」桶狭間古戦場保存会
発掘調査で新発見がぞくぞく!/大高城跡、緑区周辺そぞろ歩き
桶狭間古戦場伝説地、豊明市

「「桶狭間」の城砦群 その1」に戻ります。

これで終わります、ありがとうございました。

21.江戸城 その5

皇居の乾通り一般公開に行ってみます。皇居の東側の通りを、桜の時期などに歩くことができるのです。桜見物もいいですが、その通りは、江戸城本丸の西側を通っているのです。以前、江戸城本丸こと、皇居東御苑に行きましたが、その時には見ることができなかった、本丸の別の姿を見学できるのです。これは行ってみるしかありません。

イントロダクション

皇居の乾通り一般公開に行ってみます。皇居の東側の通りを、桜の時期などに歩くことができるのです。桜見物もいいですが、その通りは、江戸城本丸の西側を通っているのです。以前、江戸城本丸こと、皇居東御苑に行きましたが、その時には見ることができなかった、本丸の別の姿を見学できるのです。例えば、富士見三重櫓は裏側からしか見れませんでしたが、今回のルートでは、正面の姿を見ることができそうです。これは行ってみるしかありません。

皇居乾通り
花木の向こうには本丸石垣が見えます
皇居東御苑から見た富士見三重櫓
坂下門周辺から見た富士見三重櫓

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(江戸城「乾通り」編)

乾通りはどんなところ?

現地に行く前に少しだけ予習をしましょう。入口は、坂下門になります。普段はその前までしか行けません。そこから入って、富士見三重櫓の近くを通ります。蓮池濠、乾濠沿いに、乾門までまっすぐ進むのが、乾通りのルートです。なお、乾門はもとは西の丸の裏門だったのが、明治時代に現在地に通用門として移されたそうです。

城周辺の地図

乾門

このルートだと、本丸の西側をずっと見学できそうです。本丸の石垣は主に徳川家康時代に築かれたので、お城らしさをがっつり見学できそうです。それでは、現地に出発しましょう!

坂下門・富士見三重櫓を見学

荷物検査が終わったら、坂下門に向かいます。右側に見えるのは、二の丸の石垣です。坂下門は「坂下門外の変」として歴史に名前も残していますが、現在は簡単に入ることができます。これは、元は高麗門と櫓門の組み合わせの枡形だったのが、明治になって、櫓門だけにして、向きを変え、まっすぐ入れるようにしたためです。

坂下門(左)と二の丸の石垣(右)
坂下門(内側から)

次の見どころは、富士見三重櫓です!土塁の向こう、木の間にちらちら見えます。遠目ですが、真正面です。屋根の装飾がかっこいいです。

富士見三重櫓(ズーム画像)

もう少し先に行っても見ることができます。今度は、斜めからのアングルです。一般参賀のルートでは、もっと近くに行けるそうですが、今日はこれで良しとしましょう。かつては、堀の間の道の向こうに門(蓮池門)があって、櫓の方にはまっすぐ進めなかったそうです。

富士見三重櫓(蓮池濠と蛤濠の間の土橋の手前より)
かつて櫓の手前にあった蓮池門 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

すごい本丸西側の石垣

それでは、乾通りを進んでいきましょう。この日は、まだ桜はあまり咲いていない感じで、雨も止んだばかりで、混んではいませんでした。お城ファンとしては良かったかもしれません。見学ゾーンぎりぎりのところまで来て、本丸石垣を見学します。右側に富士見三重櫓の端っこが見えます。かつては、左手にも数寄屋二重櫓がありました。

本丸西側の石垣、南方面

本丸の石垣が、複雑に折れ曲がっているのがよくわかります。敵をいろんな方向から攻撃するためでした(横矢掛かり)。富士見三重櫓の反対側にも建物が見えます。以前中に入った、富士見多聞です。手前の方にも、多聞櫓がもう一つあったそうです。

本丸西側の石垣、北方面
富士見多聞、皇居東御苑からの入口

富士見多聞の近くまで行ってみましょう。中に入った時は、倉庫みたいに見えましたが、外側から見ると、城をしっかり守っていたのがわかります。

富士見多聞
富士見多聞内部

あと気づいたのは、隅の石垣の色が他と違っています。この部分だけ西日本からの白い花崗岩が使われているようです。他は伊豆石と考えられます。

富士見多聞近くの石垣隅部分

また、先に進みましょう。富士見多聞の反対側にも建物があります(局門と門長屋)。これらも城の建物なのでしょうか。実は、明治時代に建てられたものです。城の建物と思ってしまうくらい古いものです。江戸時代、この奥には紅葉山東照宮があって、山麓には紅葉山文庫がありました。今いる辺りが、先ほどご説明した紅葉山下門だったと思われます。

局門
門長屋

初めて見る道灌濠

乾通りも後半に入ります。左側にも堀があります。「道灌堀」です。あの太田道灌が作ったのかと思ってしまいますが、今の形になったのは、西の丸工事などを行った徳川時代と思われます。しかし、築城経緯や、周りの様子からすると、城では最古級のものの一つではないでしょうか。由緒ある名前の堀を見られただけで満足です。

道灌濠(下道灌濠)
道灌濠の石垣

きれいに花が咲いているところもあります。石垣のデザインも、花崗岩を散りばめたようなところがあって面白いです。

咲いているところには人が群がっていました
白い花崗岩を散りばめたような石垣

城の見どころもまだあります。本丸と、西の丸などとの間の通用門だった西桔橋門(にしはねばしもん)跡です。細い土橋の先には、小さな橋がかかっています。あれが、当初は名前の通り、跳ね橋だったのです。普段は通れなかったということです(幕末には木橋に変更になりました)。

西桔橋門跡
かつて跳ね橋があったところ

土橋の先は、乾濠になります。実は、堀の向こうにもっと大がかりな仕掛けが見られるのです。それが、皇居東御苑の出入口の一つである北桔橋門で、乾通りからは横から見る形になります。ここも元は跳ね橋だったのですが、それだけではなく、なんと、その手前の堀を、北から続く台地をカットして作ったのです。跳ね橋どころか、台地まで切り離してしまったのです。

乾濠
北桔橋門の橋
北桔橋門(正面から)

最後は、お花見をしながら乾門に向かいます。短いけど、密度の濃いツアーでした。

お花見は一本ずつ楽しみました
乾門に到着しました

私の感想

富士見三重櫓はかっこよかったですし、本丸の石垣は、シンプルにすごいと思いました。前に行った大手門からのルートは、やはり豪華さが目立ちましたが、こちら裏側のルートは、本来の城らしい守り方をしていると感じました。

リンク、参考情報

・「幻の江戸百年/鈴木理生著」ちくまライブラリー
・「江戸城の全貌/萩原さちこ著 」さくら舎
・「歴史群像名城シリーズ7 江戸城」学研

「江戸城 その1」に戻ります。
「江戸城 その2」に戻ります。
「江戸城 その3」に戻ります。
「江戸城 その4」に戻ります。
「江戸城 その6」に続きます。

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