209.「桶狭間」の城砦群 その2

今回は大高駅からスタートして、大高城を見学します。メニューとしては、義元が進んだかもしれない「義元の道」、そして織田信長が進んだであろう「信長の道」として区分してご案内します。最後は、桶狭間古戦場公園に行きつきます。

イントロダクション

今、大高駅のホームの上にいます。なんとここからは、大高城とそれを囲んだ砦跡が見渡せるのです。ホームの目の前の丘陵が、鷲津砦があった辺り、丘陵をずっと見渡していくと、その端の方に、丸根砦がありました。そして、ホームの反対側には、大高城跡が見えるのです。

大高駅ホーム
ホームから見える鷲津砦跡
ホームから見える大高城跡

今回は大高駅からスタートして、大高城を見学します。メニューとしては、義元が進んだかもしれない「義元の道」、そして織田信長が進んだであろう「信長の道」として区分してご案内します。最後は、桶狭間古戦場公園に行きつきます。

大高駅前

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(大高城から桶狭間古戦場めぐり)

義元の道(大高城~漆山)

大高駅から、大高城跡までは、道に出ている案内に沿って行けば、大丈夫だと思います。

道路に出ている案内

城跡入口から登っていきます。もう曲輪があります。腰曲輪でしょう。

大高城跡入口
大高城腰曲輪

城跡の石碑や案内を過ぎて登っていくと、二の丸に到着します。結構広く感じます。更に本丸があるのですが、その間に、広大な堀があったことが発掘調査によりわかりました。堀と曲輪が城を取り巻いていたのです。

大高城二の丸
大高城本丸(城山八幡社)
発掘された堀の様子、(「令和4年度 史跡大高城跡発掘調査現地説明会資料、名古屋市教育委員会」より引用)

ここから、織田方の砦をチェックしましょう。正面が鷲津砦、白いビルの向こうが、丸根砦のようです。

大高城二の丸からの眺め
丸根砦周辺(ズーム画像)

見どころはまだあります。隣の曲輪(三の丸か)に向かう土橋の両脇に、空堀が残っているのです。こんなところにひっそりと残っているのです。

曲輪間の土橋
残っている空堀

曲輪の向こうの景色も見てみましょう。住宅街が続いているように見えますが、かつては、向こうに海が見えたはずなのです。大高城は海に開かれた城だったのです。

かつては海が見えたはずです

次は、信長が築いた砦跡に行ってみます。こちらも案内が出ているので、その通りに進みます。鷲津砦跡は現在、鷲津砦公園になっています。自然散策ができるような場所になっています。

鷲津砦跡の案内
鷲津砦公園

続いて、丸根砦です。かつては、名前の通り下記のようなイメージだったのが、現在はどうなっているでしょうか。こちらは、砦らしさが残っています。頂上のところには、戦いの慰霊碑があります。中腹からは、大高城も見えるそうです。桜が咲いている辺りが二の丸でしょうか。

丸根砦想像図、現地説明パネルより
丸根砦跡に向かいます
頂上にある慰霊碑
中腹からの眺め
大高城跡

ここからが、前回ご紹介した「桶狭間の戦い」の新説(後退追撃説)の中で、今川義元が桶狭間に向けてたどったルートです。まず、小川道を漆山に向けて進みます。大高緑地公園の竹林散策路は、小川道の痕跡と言われています。義元が通らなかったとしても、今川軍の連絡道として使われたのではないでしょうか。

桶狭間周辺の地図

大高緑地公園の竹林散策路

現在の漆山は、削られて、駐車場になっています。よって、眺望がきく代わりの場所を探します。近くに展望台があるのです。見晴らしがいい場所です。漆山の駐車場が見え、そして、次に向かう、信長の善照寺砦跡も見えます。

現在の漆山にある公園駐車場
近くにある展望台
展望台からの眺め
善照寺砦付近(ズーム画像)

信長の道(善照寺砦~中島砦)

善照寺砦までは下ったり、登ったり結構大変でした。だからこそ、決戦の場になったのでしょう。地形図を見ても、それがわかります。ここで、織田・今川両軍が相対していたのです。

善照寺砦跡

桶狭間周辺の起伏地図

櫓もどきの展望台があるので、登ってみましょう。しかし残念、木で景色が見えません。なんとか、先ほどの漆山だけは確認できます。敵陣を補足したということで、中島砦に向けて出撃します!

右側に展望台がありますが・・
展望台からの眺め
展望台を降りたところからの眺め
漆山付近(ズーム画像)

善照寺砦からどんどん下っていきます。しかし信長も、敵から丸見えなのを承知で、よく出撃したと感じます。それだけの覚悟があったのでしょう。

善照寺砦跡を下ります
中島砦跡への道

もうすぐ中島砦跡です。橋を渡った辺りです。こういうところに砦があったのです。「信長公記」には、織田軍は2千弱の兵数と書いているので、今川軍に対しては少ないとしても、砦はそれなりの規模があったのでしょう。

橋を渡った先が中島砦跡

川(扇川)が二股に分かれています。つまり、中州にあった砦だったのです。だから「中島」砦という名前なのでしょう。中島砦跡の表示もありました。

扇川の分岐点
「中島砦跡」の表示

いよいよ、旧東海道を通って、義元を追撃します!

旧東海道

義元の道(長坂道~高根山)

東海道を進んだら、古い町並みに来ました。有松です。しかし戦国時代、この集落はなかったのです。主要道としては、これから行く長坂道が使われたのです。「桶狭間」の新説でも、義元がここを通って、次の陣地の高根山に向かいました。

有松の町並み

確かに「長坂道」とあります。名前の通り、緩やかな坂が、長々と続いています。大通りに突き当たりますが、その先にまだまだ続いています。しかも陸橋にまでなっています。さすが、歴史の道です。

「長坂道」の案内
長坂道
大通り(国道1号線)の先にも続いています
長坂道の陸橋

もうすぐ高根山です。ちょっとここはきつい登りです。到着すると、何かの案内があります。実は地元では、ここは今川の前衛部隊が布陣したとされているのです。義元がいなかったとしても、今川軍はここにいたのでしょう。そうなると、ますますどんな景色が見えるか気になってしまいます。

もうすぐ到着します
高根山(有松神社)

なんとか見えます。そして先ほど行った善照寺砦はも見当がつきます。今でもしっかり敵陣も見えるのです。あとは義元がいたかいなかったかということですが、義元がいなかったとすれば、前衛部隊がここで、織田方を監視・対戦したのでしょう。でも個人的には「信長公記」に書かれている「織田の部隊が討たれたのを、義元が見て謡をうたった」というのは、やっぱりここじゃないかと思ってしまいます。

高根山からの眺め
善照寺砦周辺

信長の道(東海道~桶狭間古戦場)

有松に戻ってきました。ここからまた、信長の道です。現・桶狭間古戦場の本陣に移った今川義元を、当時は間道だった旧・東海道を通って、追っていきます(新説・後退追撃説に基づく)。ただ、どの説でもそろそろ雷雨なので、そのつもりで慎重に進みましょう。

有松の町並み(先ほどとは反対側(東側))
旧東海道、信長は雷雨の中ここを進んだはず

大将ヶ根交差点に出ました。かつてこの辺に「太子ヶ根」という山があって、信長がここから義元本陣に切り込んだという説もあります。これは古くからある「迂回奇襲説」のことでしょう。新説においては、ここから「沓掛の峠」のクスノキが倒れるのを見て、ますます奮い立ったということになっています。

大将ヶ根交差点
新説で「沓掛の峠」ではないかとされる地点

今回は、新説をベースに進んでいるので、ここから南に折れて、義元本陣に向かいます。住所が「桶狭間」になってきました。このルートは、地元では信長が通った道と伝えられていて、迂回奇襲説の元ネタにもなっているようです。

「桶狭間」の住所表示
左手は、信長が攻め上がったといわれる「信長坂」ですが、学校の敷地内なので、ビジターは通常立入不可

現在「釜ヶ谷(かまがたに)」と呼ばれている地の説明パネルがあります。ここは信長が、雨が上がるのを待った場所と伝えられています。それではここから突撃しましょう。愛知用水の水路橋の下をくぐります。住宅街を曲がっていくと「今川本陣跡」の表示を見つけました。一気に攻め上がります!

「釜ヶ谷」の説明パネル
愛知用水の水路橋
「今川本陣跡」の案内

と思ったら、坂の途中の意外なところに、本陣跡とあります。ここは、地元の研究者が定めた場所とのことで、説の一つということなのでしょう。もうちょっと本陣らしいところはないかと、もう少し登ってみることにします。

本陣跡への坂、本陣跡は坂の途中、右側にあります
今川義元本陣跡

近くの高台で景色が見えるところまできました。周りはすっかり住宅街になっています。まだまだ、謎だらけということでしょう。

近くの高台からの眺め

今回のゴールは、本陣跡から少し下ったところにある桶狭間古戦場公園にします。ここはかつて「田楽坪」と呼ばれていました。今川義元が、最期をとげた場所と言われています。そういう場所が公園になっています。今川義元と織田信長の銅像のところに来ました

桶狭間古戦場公園

私の感想

大高城からずっと古戦場を歩いてみて、今川義元が、ここに進んできたのか、それとも退いてきたのか、正直、まだわからないのですが、織田信長が、今川軍を攻める、強烈な意志だけは確かだと思いました。

リンク、参考情報(追加分)

・「令和4年度 史跡大高城跡発掘調査現地説明会資料」名古屋市教育委員会
・「桶狭間史跡マップ」桶狭間古戦場保存会
発掘調査で新発見がぞくぞく!/大高城跡、緑区周辺そぞろ歩き
桶狭間古戦場伝説地、豊明市

「「桶狭間」の城砦群 その1」に戻ります。

これで終わります、ありがとうございました。

投稿者: Yuzo

城巡りが好きなYuzoです。日本には数万の城があったといわれています。その内の200名城を手始めにどんどん紹介していきます。 I'm Yuzo, I love visiting castles and ruins. It is said that there were tens of thousands castles in Japan. I will introduce you top 200 castles and ruins of them, and more!

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