96.飫肥城 その2

大手門から城跡の中心部を見て、シラス台地の城の痕跡を探します。続いて武家屋敷界隈を歩きますが、ここにもかつての城の痕跡があります。最後は、城下町を楽しみましょう。

イントロダクション

今日はまず、観光案内所の前に来ています。ここには駐車場もあって、飫肥観光の拠点になっています。さすが飫肥だけあって、案内版にも昔の絵図が載っています(1652~55年の承応年間のもの)。今の町の道路とほとんど同じに見えます。自分で回っているところが、絵図ではどこなのかチェックしてみるのもいいかもしれません。

飫肥城下町 案内処
案内板に載っている江戸時代前期の絵図

城周辺の地図

それでは、城に向けて出発しましょう。大手門通りに入ったところで、最初のチェックポイントがあります。この大手口の道は、かつてはクランクして、門が横向きに建てられていました。曲がっていたところの石垣が残っています。

大手口の門跡

大手門の方に向かいます。道は既に石垣に囲まれています。左側は、明治になってお殿様が移り住んだ「豫章館」、右側は「小村寿太郎記念館」です。見どころがそこら中にあります。

大手門前の通り
豫章館
小村寿太郎記念館

大手門に着きました。ここから城跡の中心部を見て、シラス台地の城の痕跡を探します。続いて武家屋敷界隈を歩きますが、ここにもかつての城の痕跡があります。最後は、城下町を楽しみましょう。

大手門

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(飫肥城と城下町めぐり)

大手門~すごい石垣

大手門に入っていきましょう。その前には古い空堀があります。現在の門の建物は、1978年に再建されたものです。オリジナルの門は、もう少し小ぶりだったそうですが、今の門もすっかり定着しています。石垣はオリジナルで、門内は枡形になっています。

大手門前の空堀
門内石垣の枡形

石段を登っていきましょう。本丸石垣が見えてきました。ツートンカラーがかっこいいです。石の種類が違うのでしょう。手前のエリアがずいぶん細長くなっていますが、「犬の馬場」と呼ばれた場所で、中世に犬追物が行われたのが由来だそうです。石垣の向こうには南櫓がありました。

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犬の馬場

そして、石垣の途中を反対側から見ると、出入口になっています。ただ、普段は開かない「開かずの門」でした。

「開かずの門」跡

本丸に行く前にまだ寄り道します。急に世界が変わった感じです。どこまでも伸びる飫肥杉に、地面は絨毯のように苔むしています。この奥に、土塁が残っているのです。戦国時代以来の城の様子を表すとされています。

飫肥杉と苔の絨毯

この大手門西側の土塁は、高さが約4メートルあるのですが、最初に見た空堀の底からだと、かつては約16メートルもあったそうです。

大手門西側の土塁

本丸に向かいましょう。石垣はまだまだ続きます。左側の松尾の丸の古い石垣も注目です。広い石段を歩くのが気持ちいいです。また門の跡があります。ここも枡形になっていました。最近では、枡形の隅にある4本の杉の対角線の中心に立つと、幸せパワーをもらえるというパワースポット(しあわせ杉)になっています。

本丸への通路
本丸枡形跡
「しあわせ杉」の案内

本丸~シラス台地の痕跡

本丸枡形の出口には、すごい櫓門がありました。その先には本丸御殿がありました。そこは今は学校になっていますので、ビジターが行けるスポットとしては、右手の飫肥城歴史資料館があります。伊東氏や飫肥藩、そして飫肥場や城下町についての展示が充実しています。

本丸枡形出口
飫肥城歴史資料館
現在の地形図に承応年間の絵図を投影した展示

それから、本丸のとなりには松尾の丸があって、石段を登っていくと、上級武士の屋敷が再現されています。面白いのは、蒸し風呂まであることです。

松尾の丸への石段
松尾の丸の再現屋敷
再現された蒸し風呂

城の遺構としては、奥の方の旧本丸が見どころです。17世紀後半に発生した地震の前までは本丸だったところです。古いだけあって土塁に囲まれているようです。入口の石垣はちゃんと残っています。城内最古級の石垣を、地震の後に修復したそうです。江戸時代初期には門がありました。さすが、ここも枡形になっています。しかも、その枡形の石垣が苔むしています。

旧本丸への通路
旧本丸の枡形
苔むしている石垣

中に入ってみると、やっぱり飫肥杉と苔の絨毯です。ここもすばらしいパワースポットです。ここはシラス台地なのだから、周りはどうなっているのかというと、やはりすごい崖になっています。それでも、しっかり土塁で固めています。さすが伊東氏と飫肥藩です。

旧本丸内部
旧本丸周りの崖(柵の内側から手を差し出して撮影)
旧本丸の土塁

帰りは再建された裏門から出てみましょう。その外は、シラス台地の群郭式の曲輪が続いていました。ところが、意外と開けた景色になっています。北側の曲輪群の多くは、グラウンドや住宅地などとして開発されてしまったのです。ですので、階段を下った先にある道路は、かつては堀底道だったそうです。

旧本丸裏門
開発された北側曲輪群の跡
かつての堀底道
旧本丸裏門を見上げています

とすると、この辺りは、前回行った志布志城みたいだったのかもしれません。

志布志城跡の堀底道

武家屋敷界隈にも痕跡が!

旧本丸から裏手の道を通って、上級家臣が住んでいたところまで戻ってきました。ここから、かつての城の曲輪の一つ、八幡城に行ってみます。今いるところは「武家屋敷通り」として、門構えや石垣を残しています。中身も、御用商人の屋敷を移築して食事処になっていたり、庭園として残されていたりします。

武家屋敷通り(横馬場通り)
服部亭
旧伊東民部邸

その先を左に曲がって「八幡通り」に入ります。この角地にある石垣は立派です。この中では、文化財になっているお屋敷がホテルになっています。

八幡通り(十文字馬場通り)
旧伊東伝左衛門家

その先にも重要な建物があります。藩校の振徳堂が、修復・復元されているのです。小村寿太郎を出した学校です。

藩校・振徳堂
振徳堂の内部

こうやって歩いてみると、町中が石垣で固められています。石垣でなければ、土塁と杉という感じです。

ひたすら続く石垣
土塁と飫肥杉

現在は田ノ上八幡神社になっている八幡城に着きました。ここには、興味深いものがあります。まず、伊東祐兵が植えたと言われるクスノキです。飫肥は、杉の前はクスノキの産地だったのです。それから、その奥には空堀が残っています。ここが城の曲輪の一つだった証拠というわけです。ここまで城域が広がっていたとわかる場所です。

田ノ上八幡神社(八幡城)
八幡神社境内のクス
八幡城の空堀

通りを反対側に下り、もっと城下町を散策しましょう。

八幡通りを下ります

城下町を散策!

ここで、江戸時代の城下町の構成を確認しておきましょう。真ん中が、商人のエリアになっています。これを、重要伝統的建造物群保存地区の地図に置き換えると、昔の商人エリアがほぼ抜けているのがわかります。

城下町の構成図、飫肥城歴史資料館にて展示
重要伝統的建造物群保存地区の地図、飫肥城歴史資料館にて展示

つまり、今でもそこが商業エリア(本町商人通り周辺)になっているのです。それでも、スーパーもコンビニも城下町風にしつらえられています。

本町商人通り
城下町風スーパー
城下町風コンビニ

そこから、広く保存地区に指定されていて、中級家臣が住んでいた後町(うしろまち)通りに行ってみたいと思います。その途中に小村寿太郎生誕地があるのですが、その生家は上級家臣の「武家屋敷通り」に移されています。建物までも出世したのです。

小村寿太郎生誕地の碑
武家屋敷通り沿いにある小村寿太郎生家

後町通りに来ました。ここも石垣や塀に囲まれていて、武家屋敷があった場所だとわかります。少し歩いてみると、水の音がします。かつては、町中が酒谷川の水を引き入れた水郷だったそうですが、水路を整備してその面影を復活させたのです。水路では錦鯉が泳いでいます。城下町の景観にマッチしていて、すばらしいです。

後町通り
水路を泳ぐ錦鯉

石垣も注目です。自然石を使った「玉石積み」というのもあります。ここはまさに「石垣の町」です。

小鹿倉邸の石垣
「玉石積み」の石垣
伊東邸の石垣

下級家臣や医者などが住んでいた前鶴(まえづる)通りにも行ってみましょう。こちらは、低い石垣に生垣が目立つ造りになっています。藩医だった家が大正時代に建てた洋館もあります。

前鶴通り
勝目氏庭園
梅村家の洋館

他には、古い商家も点在していますので、行ってみてはいかがでしょう。

旧山本猪平家(大手門通り沿い)
商家資料館

私の感想(エンディング)

エンディングでは、またシラス台地のお城にこだわってみます。酒谷川沿いを進んで、城の台地が良く見える城之下橋まで来ました。ここから眺めてみましょう。旧本丸から見た崖がすごかったですが、どの辺なのでしょう。木に覆われていてわかりづらいですが、飫肥杉がまっすぐ立っている辺りでしょう。コンクリートで固められているところもあり、川沿いということで、急崖が続いています。改めてシラス台地の城だったことを実感しました。

酒谷川
城之下橋からの景色
飫肥城の崖地帯
旧本丸の辺りか

感想として、ここはやはり「伊東氏最後の地」だと思いました。ここしかないと思ったからこそ、シラス台地を石垣や土塁で固めて立派に仕上げたのです。城下町も城と同じようなつもりで作ったのではないでしょうか。

リンク、参考情報(追加分)

「日南市の「飫肥城跡(おびじょうあと)」を紹介!!~宮崎文化財めぐり」MCN宮崎ケーブルテレビYoutube公式チャンネル
「飫肥」~「外城の町並み、麓の町並み」ウェブサイト
「飫肥城下町の町並み」~「古旅、日本の古い町並み」ウェブサイト
「飫肥」~「町のかたち、村のかたち」ウェブサイト(「うしろまち」の読み方など)
コトバンク「前鶴」(「まえづる」の読み方)
・「飫肥 重要伝統的建造物群保存地区」日南市教育委員会パンプレット
・「雨と川が育んだきらめきの歴史」 宮崎県資料

「飫肥城その1」に戻ります。

これで終わります、ありがとうございました。

197.志布志城 その2

志布志城跡のうち、メインの内城に向けて出発します。まず、いきなり城に攻め入るイメージで、本丸を攻略します。その後も、城の奥の方をどんどん探ります。これはもう探検気分です。

イントロダクション

志布志麓のビジター向け駐車場に来ています。ここから、志布志城跡に向かいます。城跡の周りには、武家屋敷跡や庭園もありますので、城の前か後に行ってみてはいかがでしょう。

志布志麓駐車場
福山氏屋敷

それでは、志布志城跡のうち、メインの内城に向けて出発します。大手口に進みます。途中には平山氏庭園もあります。案内が見えてきたら、それに沿って右折します。山に迫っていきます。

手前の駐車場からまっすぐ行きます
平山氏庭園
志布志城(内城)跡の案内

大手口です。いよいよ城に入っていきます。まず、いきなり城に攻め入るイメージで、本丸を攻略します。その後も、城の奥の方をどんどん探ります。最後に港などもご案内します。これはもう探検気分です。

大手口

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(志布志城・探検ツアー)

大手口から本丸を攻略

内城周辺の地図、赤破線が駐車場から本丸までのルート

大手口から進んでいきましょう。もうこの時点で、右側に曲輪があります(矢倉場・曲輪1)。敵だったら、もう攻撃されてしまいます。曲輪の壁が垂直になっています。これが、シラス台地の城なのでしょう。

大手口から矢倉場を見上げています
志布志城模型の大手口付近、志布志市埋蔵文化財センター展示
矢倉場の壁面

本丸登城口です。ここから登っていきます。ここは、左右の曲輪に挟まれています。右側の曲輪(曲輪8)はかなり高さがあるのに、反対側(曲輪7)は低くて平らです。番所みたいなものがあったのでしょうか・・・

本丸登城口
本丸登城口右側の曲輪
本丸登城口左側の曲輪

進むと、分かれ道になっています。昔の敵だったら迷ってしまうでしょうが、ビジター向けにはコースマップがところどころにあります。右の方に行きましょう。

志布志城模型の本丸登城口付近、志布志市埋蔵文化財センター展示
分かれ道にある城跡コースマップ
右側に進むと堀底道です

そして、堀底道になります(空堀3)。なんとここは、4方向から攻撃を受けてしまう場所だったのです。心して進みましょう。堀底道といっても、道はまだ登って、曲がりくねっています。これでは反撃どころではありません。

志布志城模型の堀底道付近、志布志市埋蔵文化財センター展示
まだ道は登り、曲がっています

やっと堀底らしいところに出ますが、城の曲輪が真上にあるように見えます。完全に挟まれてしまっています。

堀底道
堀底道右側の曲輪(曲輪2上段)
堀底道左側の曲輪(本丸下段)

周りを囲む曲輪の一つ(曲輪2上段)に登って行けそうです。曲輪の上は、平らに整地されています。ここは城の中枢を担う曲輪の一つで、家臣などが詰めていたと考えられます。

曲輪(曲輪2上段)に登っていきます
曲輪2上段の上

堀底道に戻ってまた進みましょう。前の方に別の曲輪が見えてきました。本丸(曲輪3)上段です。敵にとってはまた脅威です。

前方が本丸上段

本丸下段に入ってみましょう。意外と簡単に入れます。現代のビジター特権でしょうか。となりが本丸上段です。まわりに木が茂っていますが、なにか景色は見えるのでしょうか。木々の隙間からなんとか、港が見えます。フェリーの「さんふらわあ」です!

現在の本丸下段入口
本丸下段内部
本丸下段からの眺め
フェリー「さんふらわあ」

奥まで鉄壁の守り

本丸(曲輪3)上段にやってきました。標柱に「島津六代氏久公居城」とあります。新納氏が城主になったときに、後押しをした島津の殿様が、一時この城にいたそうです。

本丸上段の標柱

本丸の土塁と、背後の空堀を見に行きましょう。土塁の上にお堂があります。「三宝荒神」といって、城主一族の守護神とのことです。土塁の向こうはどうなっているのでしょうか?やっぱり、垂直に見下ろす感じです。

本丸土塁上の三宝荒神
本丸背後の空堀を見下ろしています

その堀(空堀4)の底を歩きます。倒木があったりするので、気を付けて進みましょう。この空堀は、本丸エリアを作るために、この城で最初に掘られたと考えられています。本丸の壁は「切岸」と言ってほぼ垂直に削られていました。さっき見下ろした辺りにきました。今度は思いきり見上げることになります。

倒木などには気を付けましょう
先ほど本丸から見下ろした辺りか
今度は本丸を見上げています

今度は一つ奥の、中野久尾の空堀(空堀5)にやってきました。ここから入る曲輪(曲輪5上段)の虎口を見ていただきたいのです。空堀の底が一段高くなっています。この高くなっているところから曲輪の入口が始まるのです。

志布志城模型の左側が本丸背後の空堀、真ん中が中野久尾の空堀、志布志市埋蔵文化財センター展示
空堀の底が一段高くなっています

上がったところから折り返すと、すごい壁です!ここを敵が通るときは、上から攻撃されてしまいます。しかも通路は細くなっています。曲輪に入るところも、いまだに壁に囲まれている感じです。更に折れ曲がっていて、枡形のようになっています。

細い通路が垂直の壁面に沿っています
曲輪の虎口

本丸の西側に移動しました。ここも空堀の底です。この辺から、城の西側を、大空堀が南北に貫いているのです。まるで自然の谷のようです。右側が曲輪群、左側が土居に囲まれていて、深さは約17メートル。かつてはもっと深かったそうです。高石垣も顔負けです。

現地城跡ルートマップ、大空堀が西側をずっと通っています
大空堀から本丸を見上げたところ
大空堀

一番奥の大野久尾まで来てしまいました。城の中の通路にもなっていたのでしょう。

大空堀から大野久尾の入口(右側)へ
大野久尾

果てしない志布志城

今度は、入口の方に戻ってきました。矢倉場を見学して、東側の空堀を通って、搦手口に行ってみたいと思います。曲輪が立ちはだかっています。相変わらずの垂直の壁です。

矢倉場への入口
矢倉場外観
ほぼ垂直の壁面
志布志城模型の矢倉場を登っていく方向から見ています、志布志市埋蔵文化財センター展示

矢倉場(曲輪1)です。ここも建物跡が発見されています。これは、城主だった新納氏の墓がありますが、明治時代に立てられたそうです。曲輪の下の方は見えるかと思いましたが、草木が茂って微妙な感じです。

矢倉場の上
新納氏の墓、時久は新納氏の祖
曲輪の下はあまりよく見えませんでした

それでは、空堀の方に下っていきましょう。東側も、南北を貫く空堀(空堀1)がずっと続いています。左側は、本丸に行くときに立ち寄った曲輪(曲輪2)、右側には更に土塁や曲輪(曲輪10など)があります。案内がなければ、迷子になってしまいそうです。

東側の空堀

まもなく、本丸に行くときに通った空堀(空堀3)と合流します。また少し下って、右側が搦手口です。裂け目のようになっています。立ちはだかる土塁の壁面は、まるで岩盤です!少し進んで振り返ってみると、城に入るときは、どんな風に見えるかわかります。城の裏口であっても、こんなに厳重に構えていたのです。模型を見ても、壁のような土塁を立ち上げているのが見て取れます。志布志城、まさに鉄壁の守りです。

左側の道が別の空堀からの道で、合流して右下に続きます
裂け目のような搦手口
岩盤のような壁面
外側から見た搦手口
志布志城模型を搦手口から見ています、志布志市埋蔵文化財センター展示

志布志城の発祥地・松尾城

今まで見学したのは志布志城の「内城」でした。「松尾城」も一部見学できますので行ってみましょう。

4つの志布志城、現地説明パネルより
駐車場からの交差点を、松尾城は左に行きます。

一部ということで規模は小さく感じますが、シラス台地を掘った場所はありますし、垂直の壁面も見ることができます。

松尾城入口
シラス台地を掘り進んだと思われる部分
ほぼ垂直の壁面

上に登り切ったところに石碑があります。南北朝時代の城主・楡井頼仲を記念したものです。志布志城全体は松尾城から始まったのです。

楡井頼仲の石碑

関連史跡、名物

関連史跡・施設としてまず志布志駅にやってきました。観光案内所を兼ねているので、志布志市埋蔵文化財センターと合わせて、城の情報収集をしてみてはいかがでしょう。

志布志駅、兼志布志市総合観光案内所
志布志市埋蔵文化財センター

実は志布志駅は日南線の終着駅なのです。かつてはここから更に、志布志線、大隅線が伸びていたそうです。交通の要衝だったのです。

終着駅のホーム
かつての路線を記念した志布志鉄道記念公園

もちろん今もそうですので、それがわかるところに行ってみましょう。志布志港です。城から見えた「さんふらわあ」が停泊しています。このフェリーは、毎日夕方にここを出航するということなので、城見学をする昼間の時間帯は、いつも停泊しています。

フェリー「さんふらわあ」

ところで、城からここが見えたのだから、ここから城は見えるのでしょうか。シラス台地はわかります。城は、橋の向こう側のような気もしますが、建物はないので難しいものがあります。しかし、志布志の港とシラス台地の城の、絶妙のコンビネーションを感じることができました。

志布志港から見えるシラス台地
志布志城(内城)は、青い橋の向こう側のように思います。
志布志市役所にある名物看板

最後に、志布志のもう一つの名所に来てみました。志布志市役所にある看板です。「志布志」の連呼でこの場所を示していますが、早口言葉でどうぞ、ということらしいです。地名で楽しめるなんて、おもしろいです。

「志布志城その1」に戻ります。

これで終わります、ありがとうございました。

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