159.芥川山城 現地編

大阪府の高槻駅前に来ています。芥川山城跡はここから距離がありますので、今回はパスで行くことにしました。市営バスの塚脇行きに乗って、15分くらいのバス旅です。

ここに行くには

大阪府の高槻駅前に来ています。芥川山城跡はここから距離がありますので、今回はパスで行くことにしました。市営バスの塚脇行きに乗って、15分くらいのバス旅です。

塚脇行き高槻市営バス

塚脇バス停で降ります。ここから、三好山の山頂にある、芥川山城・主郭を目指します。途中から周遊コースになるのですが、大手石垣が残る「大手筋ルート」を進みます。

塚脇バス停
三好山(城跡)へのルートマップ(高槻市ウェブサイトより引用)

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ

城周辺の地図

大手筋ルートへ進む

バス停から通りを渡ったところの道に入ります。坂が急になってきました。

バス停から住宅街を進みます

周りが山っぽくなってくると、周遊ルートの分岐点に着きます。

周遊ルートの分岐点

右側の山道入口のところに「三好山へ40分」とあります。ついついこちらに進んでしまいそうになりますが、大手石垣(大手筋ルート)へは、ここで左に進む必要があります。

山道入口にある案内

左側の舗装道を進むと「山頂・主郭」の案内があります。迷わず進みましょう。

「山頂・主郭」への案内

途中には石垣もあって、城のものかと思ってしまいますが、ほとんどが農業用に積まれたもののようです。

途中にある石垣

いよいよ山の中に入ってきて、左奥の方に誘導されますが、案内は「大堀切・土塁」とあります。こちらは新たに加わったルートのようで、大手石垣に行くには、右手に進みます。

「大堀切・土塁」へのルート

右手に行くと、猪除けの柵があり、開け閉めをして進みます。

猪除けの柵

その先は谷筋なので、足元にも気を付けて歩いていくと、大手石垣が現れました。

大手石垣

大手石垣と大堀切・土塁を見学

この城で石垣は何ヶ所か見つかっていますが、ビジターが通常見学できるのはここだけだそうです。下の方に石が転がっていて、元は大手石垣として積まれていたのでしょう。現在は、真ん中が崩れてしまっていますが、当然続いていましたし(約12m)、高さも現在(2m前後か)の倍くらいあったのではという意見があります。

大手石垣
下の方に転がっている石
真ん中が崩れている石垣

上に登っていき、山の上の通路に出ました。

山の上の通路

もう少し進むと、急に視界が開けました。主郭の下の方にある曲輪です(曲輪11)。せっかくなので、主郭の前に「大堀切・土塁」まで行ってみたいと思います。先ほど左に枝分かれしたルートの行先です。

曲輪11

一旦、主郭への登り口まで行ってみます。右に行くと主郭ですが、今は左の方に下ります。

左に行くと大堀切・土塁、右に行くと主郭

大堀切・土塁まで下ってきました。左側の土塁と、右側の大堀切で、尾根伝いに攻めてくる敵を防いでいました。更に右側の曲輪との落差がものすごいです。

大堀切(真ん中)・土塁(左)

改めて主郭の方に登っていきます。きつい登りです。

上の曲輪への通路

平らなところに出ました。大堀切の上にある田ノ丸(曲輪12)です。ここは、城の南西側を守る要の曲輪でした。ここから大堀切は下すぎて全然見えません。

田ノ丸(曲輪12)
田ノ丸から下を見ています

長慶のいる主郭に到着

主郭に向けて、登ります。主郭の周りは、曲輪が段のようになっています。例えば、主郭の手前下にある曲輪(曲輪3)では、「塼(せん)」と呼ばれる建物の外壁を支える基礎材料や、硯がいくつか発見されています。蔵があったと考えられています。

曲輪3
曲輪3で発掘された塼(高槻市立しろあと歴史館にて展示)

最後の登りで主郭に到着です!まずはどうしても景色に期待してしまいます。すばらしい眺めです。右手に大阪のビル群も見えます。それから、長慶のもう一つの居城、飯盛城があった山(飯盛山)ですが、正面に見える低い方の山だと思います。2つの城が向かい合っていたのです。

主郭(下段)
三好山と三好長慶のディスプレイ
主郭からの眺め
飯盛山(手前)

続いて、主郭の奥の方(上段)に行ってみましょう。その途中に三好長慶公祭祀祠というお堂があるのですが、これがけっこう重要なのです。三好長慶は、近くの村の水争いの裁決を行いましたが、なんとその裁決は江戸時代も有効だったのです。水の権利を保障された村(郡家村)の人々は、長慶を神として城跡の山に祀りました。それが今ある祠に引き継がれています。地元の人たちにとって三好長慶はまるで今でも現役のようです。

三好長慶公祭祀祠
三好長慶水論裁許井手絵図・裁許状(高槻市立しろあと歴史館にて展示)

主郭の奥の方には、長慶もいたであろう御殿がありました。発掘調査によると、御殿が立っていた礎石や、宴会で使用されたと思われる皿(かわらけ)が見つかっています。御殿そのものについては、屋根の天辺に乗せる瓦(雁振瓦)だけ見つかっていて、残りは板葺きだっただろうとの意見があります。信長、秀吉に比べるとまだ質素だったようです。

主郭御殿跡周辺
主郭で見つかった雁振瓦(中央奥)、かわらけ(中央手前)、高槻市立しろあと歴史館にて展示

主郭の周りはどうなっているかというと、ロープが張ってあって、ものすごい急坂で危険ということなのでしょう。この下は、摂津峡がぐるりと取り囲んでいるはずです。

主郭周囲

塚脇ルートから撤収

大手筋ルートの終点まで戻ってきました。先ほど登ってきたところです。ここから、枝分かれしている塚脇ルートを通って撤収します。城の東側を通るルートです。

右側が大手筋ルート、左側が塚脇ルート

進んでいく右手には、案内はありませんが、通称「出丸」という主郭周辺に次ぐ曲輪群があります。主郭の反対側から大手道を守っていたのでしょう。関門のようなところに至りました。「出丸」エリアの出入口と思われます。

「出丸」エリアの虎口か

反対側からここに入ってみましょう。反対側の手前が、すごく細い通路になっています。堀切に挟まれた土橋です。簡単に入れないようになっていたのです。土橋を渡ってみると、左側(南)は谷、右側(北)は堀という感じです。先ほどの関門は虎口だったのでしょう。

土橋

土橋の更に手前にも防御の仕組みがあります。南側の斜面に注目です。なにか盛り上がっています。斜面を移動してくる敵を防ぐための、竪土塁です。

竪土塁

その東側にも曲輪群がありました。土塁に囲まれた比較的小規模なもので、居住地区か、兵の駐屯する場所として使われたのではないかと言われています。現在は、その多くが農地や墓地などに転用されているそうです。

東側の曲輪群

その先に行くとまた石垣がありますが、ぱっと見、城の時代のものに思えてしまいます。下っていくときの景色もなかなかいいです。城があったときもこのように見えたのでしょうか。

途中にある石垣
下りの景色

最初の分岐点に着きました。ここにある案内を見たら、無事戻ってきたと感じました。

最初の分岐点にある案内

バスは循環ルートなので帰りも同じ所から乗ります。駅に着いたら、向こう側にある高槻市立しろあと歴史館に行ってみるのもいいと思います。館内には芥川山城(芥川城)についての展示のほか、この場所にあった高槻城についての展示もあります。和田惟政、高山右近、そして江戸時代の高槻藩に引き継がれました。

高槻市立しろあと歴史館
高槻城の模型、高槻市立しろあと歴史館にて展示

リンク、参考情報(追加分)

・「大阪府中世城館事典/中西裕樹著」戒光祥出版

「芥川山城・飯盛城 歴史編」に戻ります。
「飯盛城 現地編」に続きます。

181.小倉城 現地編

今回はまず、最大の門だった虎ノ門跡から天守まで攻め込みます。その後は、残っている城の他の部分を歩きましょう。そして、広大だった城の痕跡も探ってみます。最後はついに、巌流島に上陸です。

イントロダクション

今回は、小倉城下町の中心地だった常盤橋からスタートします。橋の跡ということで、江戸時代の橋脚が展示されています。そして、橋そのものも木造で復元されていたはずなのですが、そんな橋は見当たりません。復元された橋は、老朽化で解体されたとのことです。

常盤橋跡
復元された橋があった場所

この橋は、長崎街道などの起点で、周りに湊もあって賑わっていました。その雰囲気を味わいたかったのですが残念です。今後架け替えも検討するそうなので、新しい橋ができたら渡ってみたいものです。

常盤橋のジオラマ、小倉城天守内で展示
解体される前の復元橋

それでは、紫川沿いに城に向かいましょう。今でもこの川が町の中心を流れていて、リバーサイドがよく整備され、気持ちがいいです。

紫川

現在の城の北の入口、虎ノ門跡の前に来ました。今回はまず、ここから天守まで攻め込みます。その後は、残っている城の他の部分を歩きましょう。そして、広大だった城の痕跡も探ってみます。最後はついに、巌流島に上陸です。

虎ノ門跡

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(小倉城と巌流島、現地ツアー)

いきなり天守を攻略

城周辺の地図

虎ノ門は、48あった小倉城の門のうち、最大のものでした。鏡石を含む、すごい石垣に囲まれた、枡形になっています。さすが最大の門です。

虎ノ門の桝形

天守を目指して進みます。左側(南側)は、小笠原時代には藩主の別邸がありました(「御下屋敷」)。現在、その別邸の庭園が「小倉城庭園」として復元されています。

左側は、かつての藩主別邸、現在の小倉城庭園
小倉城庭園(内部)

そうするうちに、天守が現れました!これはかなり大きいです。実は、現在の小倉城天守は、オリジナルより高く作られていて、全国に今ある天守の中では、6番目の高さになっています。創建当時は一階の広さがナンバー1だったというから、もっと大きな天守を建てることができたのかもしれません。

復興天守
全国天守高さ比べ、小倉城天守内で展示
小倉城創建当時の天守規模比較、小倉城天守内で展示

オリジナルの天守台石垣(高さ18.8m)を含めた姿も注目です。石垣がまっすぐ広がっている感じです。

復興天守と天守台石垣

ここでは天守を眺めるだけですので、改めて天守入口を目指します。敵だったらとっくに攻撃されているでしょう。この辺りにも「大手先門」がありました。

大手先門跡

大手門跡に着きました。ここも堂々とした石垣と枡形です。いかにも、ここからお城の中心という感じがします。ただ、ここが大手門になったのは、小笠原時代とのことです。しかし天守に近い門なので、細川時代から重要な門だったのでしょう。

大手門跡

その先は天守までまっすぐ行けてしまいそうです。今はそうなのですが、江戸時代はまた別の門を通る必要がありました。その一つが、欅門です。この門を通れるのは、藩主・家老・高位の僧のみでした。敵どころか、お殿様気分です。

現在は天守までまっすぐ、欅門跡は左側へ
欅門跡

天守に着きました!江戸時代と同じように、続櫓から天守に入ります。天守内部は5階構成になっていて、1階はエンターテイメントエリア、2階は小倉の歴史を学べるフロアです。オリジナル天守の模型があります。

天守に到着
天守への入口
天守1階
天守2階

3階はなんと小次郎と武蔵のコーナーになっています。武蔵のフィギアがあって、とても敵いそうにありません。

天守3階(小次郎のコーナー)
天守3階(武蔵のフィギア)

最上階はカフェになっています。小倉の街もよく見えます。

天守最上階
最上階からの眺め

現・小倉城の周りを歩く

城周辺の航空写真

今度は、西から本丸に迫ってみましょう。ここも立派な門の跡です。ここには西ノ口(にしのくち)門があって、細川時代はこちらが大手門でした。かつてはここも枡形だったようです。

西ノ口門跡

入っていくと、右側(南)に新しめの門跡があります。本丸の南側は松の丸で、門跡は、明治以降に軍隊によって使われた時代のものです。細川時代には細川忠興の父・幽斎(藤孝)の居所でした。

松の丸の歩兵第十二旅団本部正門跡

その向かい側に、本丸の別の門跡があります。鉄(くろがね)門跡です。一般の家臣は、こちらの門を使って出入りしていました。身分によって通る道も分けられていたのです。

鉄門跡

また軍隊風の門が見えてきました。こちらは本丸にあった司令部のものです。門だけでも歴史がわかります。

本丸の第十二師団司令部正門跡

そこから進んだ本丸内部には、江戸時代には御殿がありました。また天守とご対面です。しかも、ここにも武蔵と小次郎がいました!

本丸
本丸の武蔵・小次郎像

続いて、大手門跡の前に戻って、城の外側を巡ってみます。南側に回り込んでいくと、右手に松の丸の石垣が見えます。左手は三の丸跡で、かつては重臣たちの屋敷がありました。その後は大きな軍事工場(小倉工廠、後に小倉陸軍造兵廠)になりました。そこが2発目の原子爆弾の第一目標地点になったのです。跡地には原爆犠牲者の慰霊碑も設置されています。これも忘れてはいけない歴史です。

松の丸の石垣
三の丸跡
原爆犠牲者慰霊平和祈念碑

さっき通った西ノ口門跡を右手に見ながら北に進みます。また堀と石垣が見えてきましたが、本丸と北の丸になります。北側に回り込んで、北の丸に入りましょう。まるで城のような立派な建物がありますが、1934年から八坂神社の敷地になっているのです。ちなみに、江戸時代には藩主の奥向きの屋敷地でした。

右側に進むと西ノ口門跡です
北の丸(左側)と本丸(右側)
北の丸の北西隅
北の丸に建つ八坂神社の建物

実は、北の丸からの通路が結構面白いのです。一つ目は本丸への通路です。本丸へのもう一つの門だった多聞口(たもんくち)門の跡周辺には、毛利勝信時代の古い石垣が残っているのです。この門も、枡形になっています。

八坂神社(北の丸)
本丸への通路
多聞口門跡

それから、逆の方に向かっていくと、北口(きたくち)門跡を抜けて、最初に天守を眺めたところに出るのです。城というのは、守りを考えながらも、それぞれが通じるようにも作っているのでしょう。

北口門跡、神社の門になっています
通路が神社の参道になっています
天守のビュースポットに戻りました

広大だった城の痕跡を探る

次はどこに行くかというと、神社の鳥居の脇にある大石が、かつてあった場所です。小倉城の外郭の門の一つ、中津口(なかつぐち)門の跡です。大石は門の石垣に使われていました。中津口は中津街道に通じる重要な関門だったのです。

かつて中津口門で使われた大石が鳥居脇に見えます
中津口門跡

城の絵図を見ると、城の中心部よりかなり離れています(直線距離だと1kmくらいでしょうか)。城はかつてはこんなに大きかったのです。しかも、手前の橋の下を流れる川(砂津川)は、外堀として掘られたものなのです。その外堀をたどって、門司口門跡まで行ってみましょう。

「小倉藩士屋敷絵図」、中津口門は東の端にあります、現地説明パネルより
砂津川(小倉城外堀)

外堀と言われなければ、普通の川にしか見えません。その途中には「富野口」もありました。

小倉周辺の地図

砂津川(小倉城外堀)、向こうの橋辺りが富野口

線路も渡っていきます。新幹線の高架下に来ました。説明パネルがあります。門司口門跡に到着です。こちらは門司往還に通じていて、大名の参勤交代にも使われました。ここも重要な関門だったのです。現在も、砂津川にかかる橋を渡って、門に入っていくルートを追体験できますが、その当時は3回折れ曲がる必要がありました。

奥が新幹線の高架
現地説明パネル
門司口門跡

せっかくなので、海が見えるところまで行ってみましょう。船(市営渡船)が出るところまで来ました。この向こうに、巌流島があるのです。

小倉港(市営渡船)
ここから巌流島は見えませんが・・

いよいよ巌流島へ!

門司港駅に来ました。駅舎がレトロ感満載です。

門司港駅ホーム
門司港駅駅舎

これから、巌流島連絡船に乗り込みます。関門橋も見えます。船はぐんぐん進んで、もう島が見えてきました。片道約10分の航海です。

巌流島連絡船
関門橋を見ながら出発です
島が見えてきました

巌流島に着きました!現在の島はビジター向けに整備されているようですが、やはり「小次郎・武蔵像」に行ってみましょう。城跡とはちがうものとはわかっていても、なんだかわくわくします。途中には記念碑がたてられています

巌流島入口
巌流島決闘の地木碑と文学碑

そして、いよいよです。武蔵と小次郎、迫力満点です!

小次郎・武蔵像
迫力満点です

佐々木巌流之碑にお参りをしたら、帰りの船まで、島と関門海峡をゆっくり見物しましょう。武蔵が乗った船を再現した展示まであります。この海峡では、壇ノ浦の戦い、下関戦争などが起こっていて、巌流島の決闘もそれらの出来事の一つでした。今でも結構船が行き来していて、それを眺めていると落ち着いた気分になります。

佐々木巌流之碑
巌流島からの眺め
武蔵の伝馬船(再現)
現在も船が行き交う関門海峡

私の感想

現在の小倉城はイベント開催に力を入れていて、ライトアップは毎日あって、色が変わる日もあるそうです。天守攻略は何度やっても気分がいいものです。違った趣きの城をまたゆっくり見学したくなります。

ライトアップされた天守

リンク、参考情報(追加分)

・「小倉城ものがたり 第41話 小倉城の“門”紹介(2)」~城内の門の読み方を参考
・「「人力」旧街道紹介サイト 中津口門」~外郭の門の読み方を参考
・巌流島、山口県観光サイト

「小倉城 歴史編」に戻ります。

これで終わります。ありがとうございました。

58.明石城 現地編

今回はまず、明石城正面の入口から入って、本丸まで行ってみます。次に、本丸に残る櫓を見学して、丘の上の曲輪群を進みます。それから、表からは目立たない、城の裏側の防御の仕組みも見学しましょう。最後は、城下町から港を巡り、明石海峡にある舞子台場跡まで行ってみます。

イントロダクション

今、明石駅のホームの上にいます。ここから、明石城の2つの三重櫓がばっちり見えます。左側が坤櫓、右側が巽櫓です。最初からなかなか壮観です。でも城の石垣は右側にずっと続いています。そちらの方にも行ってみようと思います。

明石駅ホーム上から見える明石城
2基の現存三重櫓
坤櫓
巽櫓
二の丸・東の丸に続く石垣

駅前に降りてきました。駅前がもう堀になっています(中堀)。城跡の明石公園に進みます。アクセスはすごくいいです。

明石駅前
振り返るともう中堀です

公園の入口にもすぐ着きます。今回はまず、正面の入口から入って、本丸まで行ってみます。次に、本丸に残る櫓を見学して、先ほどホームで見た丘の上の曲輪群を進みます。それから、表からは目立たない、城の裏側の防御の仕組みも見学しましょう。最後は、城下町から港を巡り、明石海峡にある舞子台場跡まで行ってみます。

明石公園入口

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(明石の城から城下町・明石海峡めぐり)

近そうで遠い本丸

城周辺の航空写真

城の正門だった太鼓門跡から入っていきます。さすが正門だけあって、堂々とした枡形です。かつては正面と、曲がった先にそれぞれ門がありました(定ノ門・能ノ門)。石垣だけでも、城の中は全然見えません。奥の門の二階には、時刻を知らせる太鼓(「とき打ち太鼓」)があって、それが名前の由来になっています。現在、門を抜けたところには、太鼓打ちロボットがいたり、明石公園サービスセンターがあります。

太鼓門跡
太鼓打ちロボット
明石公園サービスセンター

本丸を目指して、進みましょう。今歩いている所は、台地下の三の丸で、左手にはかつて、お殿様の居館「居屋敷」がありました。右手には現在、一部再現された「武蔵の庭園」があります。

三の丸
武蔵の庭園

どんどん、巽櫓が迫ってきます。本丸はすぐ近くにありそうです。しかし、まだまだ本丸は遠いのです。右手にある、武蔵の提案(馬の歩幅ピッチ)が取り込まれたという階段は、二の丸にしか行かないのです。左手の石垣に沿って、回り込んでいく必要があるのです。これは長い道のりになりそうです。石垣が二段構えになっています。敵だったらこうしている間にやられてしまうでしょう。

巽櫓
本丸・帯郭の石垣

今度は坤櫓が見えてきました。ここでやっと、本丸への入口となるのです。まだまだなにかありそうですが、進んでいきましょう。

坤櫓
本丸への入口

ここでも、坤櫓が立ちはだかっています。さらに進んでいくと、すごい壁が現れました。これが天守台です。建物はないのにこの威圧感です。石垣だけでも十分防御陣地になったのではないでしょうか。しかも後ろには櫓も控えているのです。

立ちはだかる坤櫓
天守台
天守台と坤櫓

一応難所を突破したとして、次は、台地上の稲荷郭です。台地上の曲輪と言っても、本丸よりは低くなっています。しかも、本丸の入口は一番奥にあるのです。そして、最後の角を曲がるところにも乾櫓があったのです。櫓も天守台も、効果的に配置されていました。やっと本丸の埋門跡に到着です。

稲荷郭
乾櫓
本丸埋門跡

三重櫓と丘上の曲輪

本丸周辺の地図

これから本丸をまわりますが、来たときとは反対方向に見ていきたいと思います。今度は城を守る方から見てみます。まず、乾櫓跡に向かいます。案内はありませんが、角のところだと思います。

本丸
乾櫓跡

次は、天守台です。なんだか簡単に入って行けてしまいます。来る時に見た壁のような姿とは全然違います。上は広いですし、守備兵にとっては使いやすかったのではないでしょうか。坤櫓もすぐ近くです。本丸に来る時に通った稲荷郭もお見通しです。

天守台
天守台の上
天守台から見た坤櫓
天守台から稲荷郭を見下ろしています

いよいよ坤櫓に近づきます。内側に石垣がないせいか、気品を感じます。城内最大規模の櫓で、天守の代わりを果たしたと考えられています。内側なのに屋根の飾り(二重破風)がかっこいいところもいいです。さすが実質の天守です。

坤櫓(内側)

この日は坤櫓の中には入れなかったのですが、向こうの巽櫓には入ることができました。その前に手前の展望台からの景色を楽しみます。街が一望できます!これから行く巽櫓に、明石海峡大橋も見えます。

展望台
展望台からの眺め(南側)
展望台からの眺め(東側、巽櫓と明石海峡大橋)

巽櫓に入ります。見学できるのは一階部分だけになりますが、説明パネルや、部材みたいなものがたくさんあります。格子窓がありますので、外を眺めてみましょう。西側の窓からは二の丸の方が見えます。武蔵提案の石段もあります。

巽櫓(内側)
巽櫓(内部)
巽櫓からの眺め(東側、二の丸)

今度は正面の南側を見てみましょう。三の丸が見えるのですが、櫓の一階からでもこんなによく見えのかと思ってしまいます。先ほど櫓を見上げた場所が眼下にあります。

巽櫓からの眺め(南側、三の丸)

ところで、この櫓には筋違がたくさんあって、バリバリに補強されています。これらは、明治か昭和の大修理のときに取り付けられたそうです。このおかげで阪神・淡路大震災を耐えられたかもしれないとのことです。

巽櫓の補強材

続いて、本丸から細い土橋を渡って、二の丸に進みます。更に、東の丸に進みます。石垣の上を延々と歩く感じです。国旗掲揚のポールが見えてきました。ここは、東の丸の端で、ここにも櫓があったのです。だいぶ進んだので、ここから見る海峡大橋は、心なしか、大きく見えます。

本丸・二の丸間の土橋
二の丸・東の丸間の門跡
石垣の天端部分
国旗掲揚塔がある櫓跡
櫓跡から見た明石海峡大橋

自然を生かした防御

今、東の丸の隅まで来ていますが、ここから城の裏側に進みます。東の丸の奥には、門跡が2つあります。ここも、重要地点だったのです。今回は北側の方から出ます。

東の丸の2つの門跡、左側が北側に出る方

門跡から出たところを、下っていきます。道は、自然散策路みたいになっています。でも、左手は石垣、右手は堀に囲まれています。

門跡を出て、右下に下ります
城の裏側を進む道

城の裏側にもこんなに高石垣があります。二の丸の裏側だと思います。

二の丸の高石垣

二の丸と本丸を隔てる大堀切までやってきました。向こうに見えるのは巽櫓です。更に本丸の手前の方には艮櫓がありました。先ほど歩いた本丸・二の丸間の土橋から下ってみると、堀切を作って、わざと狭い通路にしていたのがわかります。

大堀切
土橋から大堀切に下る階段

更に、堀を越えて北に進んでいくと、北の丸の石垣が残っています。こんなところまで城が続いていたことがわかります。

北の丸石垣

お時間があれば、更に北西の方の、剛ノ池に行ってみることもおすすめです。これも城を守った自然の障壁です。

剛ノ池

戻る途中では、坤櫓の正面の姿が良く見えます。これは、ますますかっこいいです!

坤櫓(正面である西側)

武蔵の城下町、海舟・龍馬の台場へ

最後のセクションはまず、宮本武蔵が町割りをしたと言われる城下町を、城の中堀から、その場所らしいアイテムをチェックしながら、明石港まで行ってみます。この中堀から南側、右手の方に武家屋敷があったのです。道路を渡ったところに、その遺構があります。明石藩の家老を務めていた家の長屋門です。こちらも船上城から移築されたと言われています。もしかして、一回再建された櫓より古いかもしれません。

中堀
織田家長屋門

武家屋敷と町人地の堺目の外堀は、現在の国道2号線辺りだったそうです。

国道2号線

町人地代表としては、魚の棚商店街に来てみました。いかにも町人地らしい雰囲気です。明石鯛もあります。

魚の棚商店街
明石鯛が並びます

明石港は」、意外に近いところにあります。基本的な位置は、江戸時代と変わらないようです。この先には、江戸時代以来の灯台が残されています。

明石港
明石港旧灯台(photoAC)

旧西国街道沿いにも古い町並みがあります。

大蔵の街並み

そして、今回の最終目的地、明石海峡に到着しました。海峡と大橋、素晴らしい景色です!船が通っていて、今も交通の要所です。舞子台場跡は、明石海峡大橋の西側にあるので、橋をくぐって右手に移動します。

明石海峡
明石海峡大橋

台場跡に着きました。ほんとうに海峡が目の前にあります。勝海舟・坂本龍馬が関わった台場です。だいたい、西半分のところを見学できるようになっています。それでは見てみましょう。

舞子台場跡

大砲風のベンチがあります。その先には「天端の石敷き」とありますが、大砲が据えられたか、壁の基礎だったとのことです。

大砲風のベンチ
天端の石敷き

海岸の方を見てみましょう。石垣があります。こちらもオリジナルだそうです。台場の形は残っているのです。明石海峡は、いろんなものが集まる場所なのです。

台場の石垣

私の感想

最近、全国各地で大きな災害が発生しています。多くの人々や町が被災しているのは痛ましいですし、城や史跡もダメージを受けてしまっています。ほんとうに悲しいことです。しかし、明石城やその周りをめぐってみて、災害に対する備えをしていたり、阪神・淡路大震災からも復興した姿を見ることができました。被災した各地も、時間はかかっても復興できるのです。復興に少しでも協力するとともに、復興する姿もレポートしていきたいです。

復興した明石城
巽櫓の筋違

リンク、参考情報(追加分)

・「史跡明石城跡石垣の修理と歴史判断」村上裕道氏資料

「明石城 歴史編」に戻ります。

これで終わります。ありがとうございました。

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