イントロダクション
今回は、山口市の常栄寺からスタートします。ここには、雪舟が作ったと言われる庭園があるのです。山門を入ったところからそんな雰囲気があります。

作庭を依頼したのは、戦国時代の大内氏当主・政弘とのことです。大内氏がどんどん栄えていくころの遺産なのです。本堂を上がって庭を拝見しましょう。まるで絵のようです。「雪舟庭」と呼ばれる池泉回遊式庭園です。反対側の「南溟庭」も見ものです。


「雪舟庭」を歩いてみましょう。ここは、城館の跡がある市街地から少し離れているので、イントロに持ってきました。

市街地に近づいて、雪舟のアトリエ・雲谷庵にやってきました。雪舟は山口に住み着いたとされています。ここから、大内文化や幕末の歴史が感じられる「香山公園」に向かいます。その次は、県庁エリアに移動して、山口城跡をご案内します。その後は、大内氏館跡や、築山跡に行って、最後は、高嶺城跡に登ります。

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。
特徴、見どころ(西の京・山口のお城とエリア別ガイド)
大内文化と幕末の歴史を感じよう(香山公園)
香山公園へ行くのに、少し寄り道をしていきます。錦の御旗製作所跡です。幕末の鳥羽・伏見の戦いで大きな役割を果たしたこの旗は、ここで作られたそうです。京都の西陣織とかではなかったのです。

市街地を流れる一の坂川に沿って歩きます。都会の川とは思えないほどきれいです。

そして、通りに入ってから見えてくるのが、瑠璃光寺五重塔です。これまた、絵になる風景です。大内盛見が、兄の義弘のために建てた供養塔です。


国宝なのに、いつでもこんな近くまで拝観できるのです。それだけでもありがたいと思ってしまいます。盛見はここに香積寺を作ったのですが、毛利輝元の時代にその寺は萩に移り、代わりに瑠璃光寺がここに来たのです。

香山公園には、山口を開いたと言われる大内弘世の像や、幕末の殿様、毛利敬親の墓もあるのですが、「沈流亭」という建物もあります。幕末の薩長の志士たちが、この階上で、薩長同盟の密議を行ったそうです。ここが歴史の舞台だったのです。



そこから五重塔が見えるので、志士たちは五重塔を見ながら密議を行ったのかと思ってしまいますが、この建物は移築されてきたとのことです。

公園を出てからも、まだ見どころがあります。ときは室町時代に戻ります。今は洞春寺という寺の山門なのですが、もとは大内盛見が建てた国清寺のものだったそうです。境内には、室町時代の建物がもう一つあります。


実は、次のセクションでご案内する山口城跡は、すぐ近くなのです。ちょうどいい具合に入口があります。

山口城跡(県庁エリア)
歩いているところは、周りより高くなっています。確かに城っぽいです。説明パネルがありました。最近ここで調査が行われたとあります。大砲の絵があるので砲台があった場所のようです。角地に当たり、見晴らしがいい場所です。


城郭ファンとしては下に行って、土塁を見たくなってしまいます。ベースが石垣になっていて、頑丈そうです。ここから続く高まりは土塁だったのでしょう。追いかけていきます。土塁の端らしい部分もありました。


ここから先は県庁の建物が並んでいます。ここまでかなと思うのですが、県庁の門を出たところから堀が残っているのです。今度は堀を追っていきましょう。結構城域の形はわかるのです。



門が見えてきました。旧山口藩庁門です。明治になってからの建物ですが重要文化財に指定されています。


脇門から入っていきましょう。中は枡形のように見えます。事実、城があった当時は枡形になっていました。

奥の方に入ると、北に香山を背にして「御屋形」(御殿)があって、西にも小山があったそうです(一露山、現在は崩されています)。今見えているのは高嶺城があった山(鴻ノ峰)です。城跡が山口城の詰め城として使われたとも言われます。


門の前に戻って、また堀沿いを進みます。途中には石垣も残っています。そして、その先には山口市歴史民俗資料館があります。ここでは、大内氏やその城館の勉強ができます。


大内氏館・築山跡(市街地中心エリア)
大内氏館跡などを見に行くのに、市街地中心エリアに向かいます。まず来てみたのは「大殿大路」という通りで、大内氏館に沿っていたと考えられます。ちょうど今ある寺(龍福寺)の入口になっています。館の外郭の部分が、寺の参道になっているのです。
館跡周辺の航空写真

そして山門から入る境内が、館の内郭だったと思います。こちらも土地の形は残っているのです。本堂はなんとこれも重要文化財で、室町時代に建てられ、ここに移築されました。元の館もこんな感じだったのでしょうか。


それと、館の遺構も発掘され、一部復元されています。意外とたくさんあります。池泉庭園から見ていきましょう。宴会でお客が眺めたところだったと思われます。当時は珍しかったソテツも植えられています。その傍らには宴会を行った「会所」があったのではと言われます。かまど跡もあります。もしかして「中世最大級の宴会」料理をここで作ったのでしょうか。


次は館の北側に回って、復元された土塁を見学するのですが、背後に見える高嶺城の山(鴻ノ峰)が気になってしまいます。館をバックアップするのにいい場所です。ついつい、もっと早く生かせなかったかと思ってしまいます。

かつては、土塁と堀がずっと囲んでいました。復元された土塁・堀跡によってイメージすることができます。今度は北西の角を曲がっていきます。枯山水庭園が復元されています。「雪舟庭」という程ではありませんが、ここにあったとわかることが大事でしょう。


先に進むと西門があります。これも復元されたものです。現在寺がある範囲で結構頑張っていると思います。その先には、発掘された石組溝があって排水路として使われたと考えられます。


続けて、築山跡に向かいます。最初は大内教弘の隠居のための館だったのが(築山館)、亡くなってからは、彼を祀る場所になりました(築山大明神)。一部は発掘されて、平面表示されています。館時代の遺構ということです。東堀については、先ほどの山口市歴史民俗資料館で断面が展示されています。


築山跡の範囲には、これも重要文化財の八坂神社があったり、その隣の築山神社の奥には築地跡が残っています。



それから、パワースポット好きの方には、少し足を延ばして、大内義興が建てた、今八幡宮もおすすめです。

高嶺城跡(丘陵エリア)
最後のセクションも、パワースポット登場です。この山口大神宮は、大内義興が伊勢神宮から勧請して、なんと伊勢神宮と同じように、式年遷宮しているのです。現在の外宮、内宮の向こうに以前の跡地が見えます。

実はここに、高嶺城跡への登山口があるのです。しかし今回は、西側の林道の終点からご案内します。


そこから先はまさに山城で、峰の上を登っていきます。少し広い平坦地に出ますが、この辺りは居住区域だった可能性があります。



更に進むと、いよいよ主郭と思われる高まりが見えてきました。石垣もちらちら見えます。なにか案内があります。主郭と石垣、どちらを先に行くか迷います。しかしわざわざ石垣と書いてあるということで、まず「石垣」に行ってみましょう。


石垣が見えてきました、でも崩されてしまっています。廃城のときに隅の部分を崩した跡のようです。ただ、その向こうは石垣が続いています。山の上の石垣、なかなか見ごたえがあります!



いよいよ主郭に登ります!こちらも石垣が段積みになっています。

着きました!ここには、建物が立っていた礎石が残っていて、建物の瓦も発見されています。立派な建物があったのでしょう。

最後は景色を楽しみます。市街地が一望できます。大内氏館はどこでしょうか。

ありました。大内氏館と高嶺城、改めて絶好のコンビだと思います。

関連史跡
大内義興の菩提寺とされる、凌雲寺の跡に来てみました。義興の墓はありましたが、その先は荒野という感じです。


進んでいくと、石垣が見えてきました。すごい石垣が、忽然と現れた印象です。大内氏の夢の跡とも思えます。


リンク、参考情報(追加分)
・山口市歴史民俗資料館
・山口市観光情報サイト 西の京やまぐち
・美術館ナビ、<城、その「美しさ」の背景>第124回 山口城(詰めの城の記述)
・「大内氏遺跡 築山跡」パンフレット、山口市教育委員会
これで終わります。ありがとうございました。

「174.大内氏館・高嶺城 現地編」への1件のフィードバック
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