160.飯盛城 現地編

大阪府の四条畷駅前に来ています。ここから飯盛城跡に向けて出発します。城の防御の仕組みや景色も楽しみますが、飯盛城は「石垣の城」として有名になってきましたので、石垣探しもやってみたいと思います。

ここに行くには

大阪府の四条畷駅前に来ています。ここから飯盛城跡に向けて出発します。

四条畷駅前

ここで大東市発行の河内飯盛山ハイキングマップを拝借します。現在城跡を見学するには、飯盛山ハイキングコースを通って行きます。今回は、四条畷駅を出発する「飯盛山展望コース」と呼ばれるルートで登って、野崎駅に向かう「七曲りコース」で下りますが、野崎駅手前の大東市立歴史民俗資料館をゴールにします。

河内飯盛山ハイキングマップ、大東市発行

とりあえず登り口の四条畷神社まで行きます。駅からの道が参道になっています。四条畷神社は、南北朝時代の四条畷の戦いで敗れ自害した楠木正行を祀っている神社です。

四条畷神社の参道
神社と背後の飯盛山

神社に着きました。登る前に、これも大東市発行の城跡案内図を見てみます。城の防御の仕組みや景色も楽しみますが、飯盛城は「石垣の城」として有名になってきましたので、ハイキングコースから見られる範囲になりますが、石垣探しもやってみたいと思います。

四条畷神社
飯盛城跡案内図、大東市発行

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ

城周辺の航空写真

いりなり登山ですごい景色

神社の裏手の方から登っていきます。飯盛山は標高が314メートルあるので、麓からは300メートル近くの登りになります。急な坂です。自然の障壁を自ら体感です。

飯盛山登山道

景色が良くなってきました。休憩所まであと100メートルとあります。まだ登りは続きますが、なんとか休憩所に着きました。ここは、北の方にある曲輪で、数字の番号で「Ⅵ郭」というそうです。城の案内図だと端っこに着いたという感じです。

中腹からの眺め
休憩所への案内
Ⅵ郭(史跡碑があるので、別名「史跡碑郭」)

まずは景色を楽しみましょう。いきなりすごい景色です。芥川山城からも見えた大阪のビル群が見えます。(残念ながら芥川山城跡(三好山)の位置はわかりませんでした)

Ⅵ郭からの眺め(大阪方面)

少し北側に移動すると、京都方面も見えます。ズーム画像ですが、京都タワーらしきものも見えました。

京都タワーか

山城で石垣探し

次に現れるのが、堀切です。敵が攻めてくるであろう北側と守りの南側では全然高さがちがいます。芥川山城にあった大堀切と一緒です。

堀切

続いて最初の石垣です。次の曲輪に登っていく途中にあるのです。見つかった石垣にも番号が付けられていて、こちらは「石垣18」とのことです。

石垣18

次の曲輪はⅤ郭「御体塚郭」です。ゴツゴツした岩があって、名前も意味深です。もともと宗教施設として作られたと考えられていて、名前の由来は、亡くなった三好長慶を仮埋葬したことだそうです。

Ⅴ郭「御体塚郭」

次の石垣はここから下ったところにあります。「石垣14」とあります。現在は目立たないところにありますが、往時の登城道は、今回来たのと逆の東側にあったと考えられます。この石垣はその登城道に沿っていたらしいのです。少し移動すると、かつては石垣14から続いていたと思われる「石垣15」が見えます。

石垣14
石垣15(中央奥)

石垣探しの続きは、曲輪の側面のハイキングコースをずっとたどって、もっともよく残っていると言われる石垣に行ってみます(「石垣1と69」)。途中の分岐点を左に行きます。山腹を通るので、見上げると他の石垣をいくつか見つけることができます。目的の石垣が見えてきました。「石垣1」で、長さ約24メートル、高さは最大で約2.6メートルあります。一部は崩落防止対策がされています。なんとか維持して、できたら元の姿を見てみたいものです。この下にもう一段あって、それが、長さ約44メートル残っている「石垣69」です。ただ、それはハイキングコースの下にあるのです。位置関係は大東市立歴史民俗資料館で展示されている写真で確認できます。

分岐点
山腹を進むハイキングコース
石垣1
石垣1(ズーム画像)
石垣69写真、大東市立歴史民俗資料館にて展示
石垣1(上)69(下)写真、大東市立歴史民俗資料館にて展示

先ほどの分岐点に戻って、もう一つ石垣を見てみます。Ⅲ郭という曲輪の西側にある石垣です。(「石垣6・7」)こちらは山麓などから見える位置に築いて、城主の権威を示そうとしたと考えられます。ただ、この石垣も保護が必要な状態になっていて、近くに立入ることはできず、遠巻きに眺めるしかありません。石垣たちには是非ともがんばってほしいです。

石垣6・7

山頂に到着、まだ石垣探し

いよいよⅡ郭(本郭)に行きます。「展望台曲輪」とも呼ばれるそうです。曲輪への階段を昇っていくのですが、その前に曲輪脇にある石垣をチェックします(「石垣3・4」)。下に見える道はさき程歩いたルートなので、下から見上げた石垣だったかもしれません。この一段下にも石垣がありました。(「石垣54」)石垣が段々に積み上げられていたことがわかります。

Ⅱ郭への階段、石垣は左脇にあります
石垣3・4
石垣54

Ⅱ郭に登っていくと、展望台があります。ここも素晴らしい景色です。「大阪眺望之図」という案内板を見ると、明石海峡大橋や大阪城が見えるとあります。さっそく探してみると、明石海峡大橋が見えます。三好長慶の時代はあの場所も領国の範囲内でした。大阪城も見つかりましたが、意外と小さく感じます。周りに高層ビル群があるからでしょう。

展望台があるⅡ郭、その向こうがⅠ郭
展望台からの眺め
「大阪眺望之図」
明石海峡大橋(ズーム画像)
大阪城(ズーム画像)

そして、最高地点のⅠ郭(高櫓郭)です。最初の頃通った、四条畷神社に祀られている楠木正行の銅像があります。かつては名前の通り、櫓が立っていたのかもしれません。

Ⅰ郭にある楠木正行銅像

城の範囲を大きく2つに分けると、このⅠ郭から北が防御空間で、それより南の曲輪が居住空間になっていました。つまりこれから行くところが境目ということになります。まず、細い通路を下っていくと、土橋になっています。両脇の堀切で細くしているのです。芥川山城にもありました。城を守る定番アイテムです。

土橋

更に下ると、ちょっと開けたところに出ます。実は、ここも堀切だったのです。かつてはここも、すごく深かったのでしょう。

堀切

ここからもう一か所、石垣を見に行ってみます。下の方にある「石垣94」です。道路の下にあるのですが、道路側から見学することができます。この辺りにも登城道が通っていたと考えられています。

石垣94

こうやって見てくると、石垣は天守や櫓を支えるものという、従来ありそうなイメージとは違います。技術的な違いもあるのでしょうが、ここでは曲輪そのものを支えたり、通路の壁として見せている感じがします。三好長慶の石垣の城、とても個性的です。

長慶がいた千畳敷

それでは、居住空間だったⅧ郭(千畳敷郭)に進みましょう。すごそうな建物がありますが、曲輪の一部にNHKのFM送信所が建てられているのです。建物を越えていきます。やっと曲輪らしいところに出ました。しかも今までの曲輪より広い感じです。この曲輪は盛り土をして広げられたのです。建物の礎石や、茶道具など生活用具も発見されています。きっとこの曲輪のどこかに長慶の御殿があったのでしょう。

NHK・FM送信所
Ⅷ郭(千畳敷郭)

更に南に進みます。行先が2つあります。右に行くとⅨ郭(南丸)、左に行くと出入口の虎口です。まず、南丸の方に行ってみます。ここは、城の南側の守りを固める曲輪で、虎口を攻める敵を側面攻撃することもできました。行き止まりになってしまいました。最南端にある曲輪なので仕方ないです。

左に行くと虎口、右に行くとⅨ郭(南丸)
Ⅸ郭(南丸)

さっきのところに戻って、虎口から出ましょう。門は上の方にあったと考えられています。ここにも石垣があります。虎口と石垣がセットになっているのです。一部しか残っていませんが、大きな石を使っていて、鏡石の役割があったのではないかと言われています。さすが戦国最初の天下人の城です。信長の安土城の門にも大石が使われていました。飯盛城は、後の天下人に引き継がれた城でもあったのです。

虎口と石垣30・31
安土城黒金門跡

帰りは、予定通り七曲りコースで下ります。カーブがたくさんあって、七曲りどころではないのですが、その分、傾斜が抑えられているのでしょう。麓の街が見えてきました。城の時代には城下町はありませんでしたが、長慶はキリスト教の布教を認めたので、周辺には教会が建てられました。(三箇・岡山など)そして宣教師は本国に長慶が日本の統治者であると伝えたのです。

七曲りコース

ゴールの大東市立歴史民俗資料館に到着しました。ここでは、城や地元の歴史などを学ぶことができます。

大東市立歴史民俗資料館

リンク、参考情報(追加分)

・大東市立歴史民俗資料館展示
・「飯盛城跡石垣ガイド」大東市・四条畷市教育委員会
・「よみがえる飯盛城~「天下人」三好長慶最後の居城」Youtube大東市公式ちゃんねる
・「クローズアップ飯盛城2022」Youtube四条畷市公式動画チャンネル

「芥川山城・飯盛城 歴史編」に戻ります。
「芥川山城 現地編」に戻ります。

これで終わります。ありがとうございました。

159.芥川山城 現地編

大阪府の高槻駅前に来ています。芥川山城跡はここから距離がありますので、今回はパスで行くことにしました。市営バスの塚脇行きに乗って、15分くらいのバス旅です。

ここに行くには

大阪府の高槻駅前に来ています。芥川山城跡はここから距離がありますので、今回はパスで行くことにしました。市営バスの塚脇行きに乗って、15分くらいのバス旅です。

塚脇行き高槻市営バス

塚脇バス停で降ります。ここから、三好山の山頂にある、芥川山城・主郭を目指します。途中から周遊コースになるのですが、大手石垣が残る「大手筋ルート」を進みます。

塚脇バス停
三好山(城跡)へのルートマップ(高槻市ウェブサイトより引用)

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ

城周辺の地図

大手筋ルートへ進む

バス停から通りを渡ったところの道に入ります。坂が急になってきました。

バス停から住宅街を進みます

周りが山っぽくなってくると、周遊ルートの分岐点に着きます。

周遊ルートの分岐点

右側の山道入口のところに「三好山へ40分」とあります。ついついこちらに進んでしまいそうになりますが、大手石垣(大手筋ルート)へは、ここで左に進む必要があります。

山道入口にある案内

左側の舗装道を進むと「山頂・主郭」の案内があります。迷わず進みましょう。

「山頂・主郭」への案内

途中には石垣もあって、城のものかと思ってしまいますが、ほとんどが農業用に積まれたもののようです。

途中にある石垣

いよいよ山の中に入ってきて、左奥の方に誘導されますが、案内は「大堀切・土塁」とあります。こちらは新たに加わったルートのようで、大手石垣に行くには、右手に進みます。

「大堀切・土塁」へのルート

右手に行くと、猪除けの柵があり、開け閉めをして進みます。

猪除けの柵

その先は谷筋なので、足元にも気を付けて歩いていくと、大手石垣が現れました。

大手石垣

大手石垣と大堀切・土塁を見学

この城で石垣は何ヶ所か見つかっていますが、ビジターが通常見学できるのはここだけだそうです。下の方に石が転がっていて、元は大手石垣として積まれていたのでしょう。現在は、真ん中が崩れてしまっていますが、当然続いていましたし(約12m)、高さも現在(2m前後か)の倍くらいあったのではという意見があります。

大手石垣
下の方に転がっている石
真ん中が崩れている石垣

上に登っていき、山の上の通路に出ました。

山の上の通路

もう少し進むと、急に視界が開けました。主郭の下の方にある曲輪です(曲輪11)。せっかくなので、主郭の前に「大堀切・土塁」まで行ってみたいと思います。先ほど左に枝分かれしたルートの行先です。

曲輪11

一旦、主郭への登り口まで行ってみます。右に行くと主郭ですが、今は左の方に下ります。

左に行くと大堀切・土塁、右に行くと主郭

大堀切・土塁まで下ってきました。左側の土塁と、右側の大堀切で、尾根伝いに攻めてくる敵を防いでいました。更に右側の曲輪との落差がものすごいです。

大堀切(真ん中)・土塁(左)

改めて主郭の方に登っていきます。きつい登りです。

上の曲輪への通路

平らなところに出ました。大堀切の上にある田ノ丸(曲輪12)です。ここは、城の南西側を守る要の曲輪でした。ここから大堀切は下すぎて全然見えません。

田ノ丸(曲輪12)
田ノ丸から下を見ています

長慶のいる主郭に到着

主郭に向けて、登ります。主郭の周りは、曲輪が段のようになっています。例えば、主郭の手前下にある曲輪(曲輪3)では、「塼(せん)」と呼ばれる建物の外壁を支える基礎材料や、硯がいくつか発見されています。蔵があったと考えられています。

曲輪3
曲輪3で発掘された塼(高槻市立しろあと歴史館にて展示)

最後の登りで主郭に到着です!まずはどうしても景色に期待してしまいます。すばらしい眺めです。右手に大阪のビル群も見えます。それから、長慶のもう一つの居城、飯盛城があった山(飯盛山)ですが、正面に見える低い方の山だと思います。2つの城が向かい合っていたのです。

主郭(下段)
三好山と三好長慶のディスプレイ
主郭からの眺め
飯盛山(手前)

続いて、主郭の奥の方(上段)に行ってみましょう。その途中に三好長慶公祭祀祠というお堂があるのですが、これがけっこう重要なのです。三好長慶は、近くの村の水争いの裁決を行いましたが、なんとその裁決は江戸時代も有効だったのです。水の権利を保障された村(郡家村)の人々は、長慶を神として城跡の山に祀りました。それが今ある祠に引き継がれています。地元の人たちにとって三好長慶はまるで今でも現役のようです。

三好長慶公祭祀祠
三好長慶水論裁許井手絵図・裁許状(高槻市立しろあと歴史館にて展示)

主郭の奥の方には、長慶もいたであろう御殿がありました。発掘調査によると、御殿が立っていた礎石や、宴会で使用されたと思われる皿(かわらけ)が見つかっています。御殿そのものについては、屋根の天辺に乗せる瓦(雁振瓦)だけ見つかっていて、残りは板葺きだっただろうとの意見があります。信長、秀吉に比べるとまだ質素だったようです。

主郭御殿跡周辺
主郭で見つかった雁振瓦(中央奥)、かわらけ(中央手前)、高槻市立しろあと歴史館にて展示

主郭の周りはどうなっているかというと、ロープが張ってあって、ものすごい急坂で危険ということなのでしょう。この下は、摂津峡がぐるりと取り囲んでいるはずです。

主郭周囲

塚脇ルートから撤収

大手筋ルートの終点まで戻ってきました。先ほど登ってきたところです。ここから、枝分かれしている塚脇ルートを通って撤収します。城の東側を通るルートです。

右側が大手筋ルート、左側が塚脇ルート

進んでいく右手には、案内はありませんが、通称「出丸」という主郭周辺に次ぐ曲輪群があります。主郭の反対側から大手道を守っていたのでしょう。関門のようなところに至りました。「出丸」エリアの出入口と思われます。

「出丸」エリアの虎口か

反対側からここに入ってみましょう。反対側の手前が、すごく細い通路になっています。堀切に挟まれた土橋です。簡単に入れないようになっていたのです。土橋を渡ってみると、左側(南)は谷、右側(北)は堀という感じです。先ほどの関門は虎口だったのでしょう。

土橋

土橋の更に手前にも防御の仕組みがあります。南側の斜面に注目です。なにか盛り上がっています。斜面を移動してくる敵を防ぐための、竪土塁です。

竪土塁

その東側にも曲輪群がありました。土塁に囲まれた比較的小規模なもので、居住地区か、兵の駐屯する場所として使われたのではないかと言われています。現在は、その多くが農地や墓地などに転用されているそうです。

東側の曲輪群

その先に行くとまた石垣がありますが、ぱっと見、城の時代のものに思えてしまいます。下っていくときの景色もなかなかいいです。城があったときもこのように見えたのでしょうか。

途中にある石垣
下りの景色

最初の分岐点に着きました。ここにある案内を見たら、無事戻ってきたと感じました。

最初の分岐点にある案内

バスは循環ルートなので帰りも同じ所から乗ります。駅に着いたら、向こう側にある高槻市立しろあと歴史館に行ってみるのもいいと思います。館内には芥川山城(芥川城)についての展示のほか、この場所にあった高槻城についての展示もあります。和田惟政、高山右近、そして江戸時代の高槻藩に引き継がれました。

高槻市立しろあと歴史館
高槻城の模型、高槻市立しろあと歴史館にて展示

リンク、参考情報(追加分)

・「大阪府中世城館事典/中西裕樹著」戒光祥出版

「芥川山城・飯盛城 歴史編」に戻ります。
「飯盛城 現地編」に続きます。

178.能島城 その2

宮窪町漁協・能島水軍の前に来ています。ここでは、地元の魚を使った料理を味わえますし、なんといっても、ここから能島上陸ツアーが出発するのです。今回は、能島城現地レポートが中心になるのですが、その前後では、最大10ノットの海峡の潮流も体験できるのです。

イントロダクション

宮窪町漁協・能島水軍の前に来ています。ここでは、地元の魚を使った料理を味わえますし、なんといっても、ここから能島上陸ツアーが出発するのです。今回は、能島城現地レポートが中心になるのですが、その前後では、最大10ノットの海峡の潮流も体験できるのです。最後の方で、向かい側にある、村上海賊ミュージアムにも立ち寄ってみたいと思います。それでは、いよいよ上陸船に乗り込みます。席についたので出発です。

宮窪町漁協・能島水軍
能島水軍レストランの料理の一例

それでは、いよいよ上陸船に乗り込みます。席についたので、いよいよ出発です。

上陸船に乗り込みます
能島荒神丸
いよいよ出発です

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ

城の堀?すごい潮流

沖に出ると、見る見る島が迫ってきます。まるで軍艦島のようです。曲輪の形がはっきりわかります。

島が見る見る迫ってきます
船から見える能島

そのとなりにある島が「鵜島」です。島の間は、すごい潮の流れです。この島には、村上海賊の軍船の造船所や、メンテナンス場(焚で場)があったそうです。

鵜島
海峡の急流や鵜島の砂浜が見えます

船は能島に急接近していきます。スリル満点です。

能島に急接近します
矢びつ出丸が大写しです

城周辺の航空写真

矢びつ出丸の周辺が、もっとも激しい潮流ポイントです。まるで、川の激流です。これが、堀と同じような役割で、お城を守っていたのでしょう。しかし、この船もこの中でよく留まっていられると思います。現代の村上海賊、といったところでしょうか。

矢びつ周辺の潮流
川の流れのようで、城にとっては堀です
ここで静止状態を保てるなんてすごいです

次は「船だまり」です。島の中では潮流が穏やかな部分なので、荷揚げや船の係留に使われたとのことです。そういう場所なので、城の岩礁ピットや武者走りがよく保存されていて、船上から見学することができます。

船だまり
武者走りに残る岩礁ピット

船だまりから、海中の岩礁を避けて、一旦沖に出ます。そして再び能島に接近です。岩礁のせいか、波が浮き立つようです。現代風のポートが見えてきました。ついに上陸です。

三の丸の沖を回り込んでいます
船着き場がある南部平坦地

城の島に上陸!

それでは、上陸しましょう!島の上ではガイドさんに付いていきます。

船着き場から上陸します
ガイドさんに引率されます(南部平坦地)

上陸した場所は、島で一番低い「南部平坦地」で、城があった時から埋め立てが進められていました。荷揚げや漁具の手入れなど、作業ヤードとして使われたと考えられます。

城周辺の地図

園路に沿って進んでいきます。登ったところが三の丸で、入口辺りに礎石建物跡があって、倉庫だったと考えられています。三の丸は思ったより広々としています。他にも住居か倉庫の跡が発見されています。物見やぐら(井楼)かもしれない跡もあるそうです。

礎石建物跡のある辺り
三の丸

伯方・大島大橋の下に見えるのが、見近島です。交易の拠点だったかもしれない島です。

向こうに伯方・大島大橋と見近島が見えます

三の丸から見まわしてみると、対岸が伊予大島です。それから四阿の先には、目一つの鼻、という突端があって、鍛冶場だったという伝承があります。船だまりも見えます。

対岸の伊予大島
目一つの鼻
船だまり

次は、二の丸です。一段高いところにあります。こちらも建物跡がたくさん発見されていて、やはり住居か倉に使われたのではないかとのことです。特に三の丸と接続するところで、高級な海外製陶磁器が見つかるそうです。お宝をしまう蔵だったのでしょうか。

二の丸
能島城で出土した高級陶磁器、村上海賊ミュージアムにて展示

二の丸は、本丸をぐるりと取り囲んでいます。本丸の脇を歩いていることになります。

本丸を取り囲んでいる二の丸

北東隅の「矢びつ」出丸が見えるところまで来ました。矢びつ(櫃)とは、矢を入れる道具の意味なので、武器庫があったと言われていますが、建物の跡ではなく、一列に並んだ杭の跡があったそうなので、弓矢の練習場ではないかとも言われます。それに、矢びつの周りは、来るときに見た、激しい潮が流れています。上から見ても、そのすさまじさがわかります。

二の丸から見た「矢びつ」出丸

本丸で当時を感じよう!

次はいよいよ本丸です。本丸への階段を登ります。本丸についてみると、鵜島の向こうの海峡(船折瀬戸)を行く船までよく見えます。

本丸への階段
船折瀬戸に向かう船

本丸は、城で標高が一番高いところで、約25メートルあるのですが、自然の島の頂上を10メートルほど削って整地したそうです。建物跡が発見されていて、物見やぐらだったかもしれません。

本丸

しかし、今のままでも、周りの海峡や島々が一望できます。360度パノラマビューです。本丸からは面白いものが発見されています。大量の「かわらけ」です。かわらけとは、儀式や宴会で使われた、使い捨ての素焼きのお皿です。満天の星の下、海賊たちがここで宴会を楽しんでいたかもしれません。

本丸からの眺め(北方向)
本丸からの眺め(南方向)

次は、東南出丸です。その先に鯛崎島があって、かつては橋でつながっていたという伝承があります。ここでも、かわらけが出土しているのですが、ここで地鎮祭が行われたと考えられています。

東南出丸から見た鯛崎島
鯛崎島と橋でつながれた能島城の想像図、村上海賊ミュージアムにて展示
東南出丸から出土したかわらけ、村上海賊ミュージアムにて展示

下の方を見ると、岸が人工的に加工されています。武者走りでしょうか、岩礁ピット含め、島を囲んでいるようです。まさに島中が城だったのです。

東南出丸の下に見える武者走りか

わたしたちの上陸地点(南部平坦地)も見えてきました。そちらに向かって戻ります。その途中で、当時の城内通路の遺構を見ることができます。船が迎えにきました。

答案出丸から見た南部平坦地
帰り道
城内通路の遺構
帰りの船

また潮流を感じて帰還

能島を離れます。すごい快速で、すぐに鯛崎島まで来てしまいました。この周辺も潮流が複雑で、その流れが海の芸術のようです。

船着き場を離れます
能島(奥)と鯛崎島(手前)
鯛崎島周辺の潮流

鯛崎島にはお地蔵様がいて、そのお地蔵様が魚たちと、干潮で動けなくなったクジラを救った「クジラのお礼まいり」という民話があります。島の上には弁天様もいます。

鯛崎島の石地蔵

最後の潮流ポイントに向かいます。そこは、愛媛県有数の漁場なのだそうです。能島水軍レストランで出る魚もここでとれるのでしょうか。渦のような潮流が沸き上がる海面に、空の雲が映って、なんとも言えない絵柄です。そうこうするうちに、港に帰って来ました。

最後の潮流ポイントへ
幻想的な海面
港に帰還

関連史跡

近くにある村上海賊ミュージアムにもきてみました。外に、復元された小早船があります。海賊が使った小型船のことで、なかなかかっこいいです。中の展示も充実しています。例えば、岩礁ピットと武者走りについての展示があって、上陸ツアーと一緒に見ると、とても勉強になります。

村上海賊ミュージアム
復元された小早船
岩礁ピットと武者走りについての展示

更に、芸予諸島の要所の一つ、来島海峡に行ってみました。ここも素晴らしい景色です。ここにも村上海賊がいて、来島村上氏の本拠地がありました。それが来島城で、城があった島も一緒に眺めることができます。今でも人家があって、その代わり、史跡らしくはないようです。すぐに出動できるところに城があったことだけはわかります。

来島海峡
来島城跡

リンク、参考情報(追加分)

・「村上水軍全史/森本繁著」新人物往来社
・「村上水軍全紀行/森本繁著」新人物往来社
・「史跡能島城跡 保存活用計画/令和2年3月」今治市教育委員会

「能島城その1」に戻ります。

これで終わります、ありがとうございました。

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