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特徴、見どころ
分断されている出丸
実は、この城跡は一部分、第三京浜道路によって破壊され、分断されています。西ノ曲輪の入口近くからは、その道路越しに出丸のうちの一つが見えます。そこに行くには、道路下のトンネルを通る必要があります。出丸の頂上は、富士仙元(ふじせんげん)という富士塚となっていて、江戸時代に富士山を信仰するために作られました。それ以前は、櫓台だったのかもしれません。城跡から一歩外に出ると、すぐに元の市街地に戻ります。
城周辺の地図その後
小机城が廃城となった後、地元の人たちは、この城跡を城山と呼んできました。この城についての研究は、早くも江戸時代に始まりました。しかし、この城跡が史跡として認知されるようになったのは、皮肉にも1963年に第三京浜道路の建設により、その一部が破壊されたときからなのです。それをきっかけに、横浜市は1977年に小机城址市民の森を設立し、城跡を保護することにしました。現在、城が当時はどのような姿だったのか関心が持たれています。
私の感想
小机城は、少ない兵力でどのように城を守るかがわかる、よい事例だと思います。もし秀吉が攻めてきたときに小机城で戦いが起こっていたならば、山中城や八王子城のように一日で落城することはなかったと思うのです。
ここに行くには
公園には駐車場がないので、城跡を訪れる際は電車を使われることをお勧めします。
JR横浜線の小机駅から歩いて約15分かかります。
横浜上麻生道路(神奈川県道12号線)が駅の近くを通っています。小机駅前交差点を右に曲がり、通りをまっすぐ進んでください。そして、小机辻交差点を右に曲がります。
再びまっすぐ進み、踏切を渡り、そこから最初の交差点を左に曲がってください。
住宅街の道路を進み、右側の電柱に城跡への道しるべが見える所で右に曲がります。そのうちに城跡の入口に到着します。
リンク、参考情報
・小机城址ガイドマップ、港北観光協会
・「歴史群像149号、戦国の城 武蔵小机城」学研
・「日本の城改訂版第126号」デアゴスティーニジャパン
これで終わります。ありがとうございました。
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