129.龍岡城 その3

城跡は新たなランドマークとして生まれ変わります。

その後

龍岡城は、明治維新に伴って1871年に廃城となりました。御台所を除く城の全ての建物は、売却され撤去されました。石垣や水堀も埋められてしまい、学校用地や畑として使われました。築城者である松平乗謨は、時代遅れとなった「松平」姓を捨て、大給恒(おぎゅうゆずる)と改名しました。彼は、明治時代に後の日本赤十字社の前身である博愛社の設立に参加しました。

この写真は大給恒時代のもの (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
博愛社創設許可の図、寺崎武男作、許可を受けているのは佐野常民   (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

龍岡の人たちは、1932年に城跡の再興をスタートさせ、堀を掘り起こし、石垣の修繕を行いました。その結果、1934年には城跡は国の史跡に指定されました。それと同時に大手門跡前の橋が復元されました。最新の情報として、城跡にある田口小学校は学校統合のため、2023年3月に閉校となりました。城跡を所有する佐久市は、閉校の後は、城跡を江戸時代の城の姿にできるだけ近づけるよう復元することを検討しています。近い将来、大手門を復元する計画です。また、御殿を復元することも考えています。それを御台所を元の位置に戻したり、その他失われた建物を再建したり、移設された建物を城跡の元の位置に返してもらうよう持ち主に交渉することで実現しようとしています。

龍岡城跡の堀
大手門跡

私の感想

乗謨はもし戦いが起こったならば、龍岡城を使うことはなかったのではないでしょうか。その代わりに、もと田口城だった所に行って龍岡城に狙いを定めたのではないかと想像します。敵が龍岡城に至ったとき、山の上から反撃したことでしょう。龍岡城はその地域周辺では際立ったランドマークであり、敵を容易に引き付けることができるからです。これは全く私の個人的妄想です。新しい龍岡城が将来どのような姿になるのか今から楽しみです。

田口城跡(展望台)から見た龍岡城跡

ここに行くには

車で行く場合:中部横断自動車道の佐久南ICから約20分のところです。城跡周辺にいくつか駐車場があります。
公共交通機関を使う場合は、JR臼田駅か龍岡城駅から歩いて約20分かかります。
東京から臼田駅あるいは龍岡城駅まで:北陸新幹線に乗って佐久平駅で小梅線に乗り換えてください。

五稜郭であいの館のところにある駐車場

更に、五稜郭展望台に行くには、城跡から長野県道120号線を北に約500m進み、展望台の案内板がある所で右に曲がってください。展望台はそこから2.1km林道に沿って進んだところにあります。案内板が随所にあります。車で行かれる場合は、小型のオフロード車であれば最終地点まで行けますが、そうでないときは、最初の案内板の辺りにある駐車場に停めた方がよいでしょう。

長野県道120号線
展望台への入口
入口近くのある駐車場(右側)
林道を通って行きます
展望台近くの駐車場

リンク、参考情報

龍岡城五稜郭、佐久市観光協会
・「よみがえる日本の城14」学研
・「松平家の謎 江戸時代と徳川家のルーツ/歴史読本編集部編」新人物文庫
・「幕末維新の城/一坂太郎著」中公新書
・「史跡龍岡城跡整備基本計画」佐久市教育委員会

これで終わります。ありがとうございました。
「龍岡城その1」に戻ります。
「龍岡城その2」に戻ります。

投稿者: Yuzo

城巡りが好きなYuzoです。日本には数万の城があったといわれています。その内の200名城を手始めにどんどん紹介していきます。 I'm Yuzo, I love visiting castles and ruins. It is said that there were tens of thousands castles in Japan. I will introduce you top 200 castles and ruins of them, and more!

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