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特徴、見どころ
山城に行くのに下っていく
現在知覧城跡は、台地の麓にある知覧武家屋敷群の側からも、台地上の旧知覧飛行場(現在は知覧特攻平和会館がある所)の側からも行くことができます。もし後者の方を選択した場合には、面白い体験ができるかと思います。
城周辺の地図、青破線は武家屋敷から城へのルート、赤破線は旧知覧飛行場から城へのルート一般的に山城(丘城)に行く場合には、通常は登って行くか、少なくとも城に近づくまでは平らなところを進んでいきます。ところが、台地から知覧城までにいくルートにおいては、城に向かっていくにつれ道が下っていき、いつの間にか深い空堀の底に到達するのです。これは、この城が台地の端に築かれたという特殊な立地と、築城法によるものです。また、城跡の入口で堀底にあたるところからは、正に山のようにそびえる曲輪群を見上げることになります。
深い空堀の底を歩く
堀の深さは今でも約20mありますが、城が現役だった時代からは崩れた火山灰により自然に埋められてきてしまっています。ビジターはまず、堀底を歩いていく必要がありますが、過去においても通路として使われていました。入口から堀底を進んでいくと、4つの主要曲輪のうちの2つ、本丸と蔵ノ城(くらんじょう)が右側に、残りの2つ、今城(いまんじょう)と弓場城(ゆんばじょう)が左側に見えてきます。現地にもそのように書いてある案内板があります。
城周辺の地図、4つの主要曲輪防御が施された曲輪への通路
例えば、今城の方に行く場合には、左の方に曲がり、その曲輪に向かう通路を辿っていきます。しかしその通路は曲輪の入口に単純にダイレクトには通じていません。この曲輪を攻撃すると想定した場合、通路は曲輪の壁部分にぶつかり、壁に沿って回り込んで入口に到達します。つまり、城の守備兵は攻撃側が入口に着く前に頭上から反撃できるわけです。入口にはまた、防御力が強い桝形構造になっていました。曲輪の中は現在では建物がなく、広場になっていますが、土造りの桝形の形や、曲輪を囲む土塁を見学することができます。
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