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特徴、見どころ
松の丸、城の裏手
天守の他には、腰曲輪の上段にある通路を通って、松の丸に行ってみることもできます。そこには「凌霜隊(りょうそうたい)」の記念碑があります。この隊は、明治維新のとき、郡上藩が新政府を支持した際、脱藩しました。そして、若松城で新政府軍と戦っていた、幕府を支持する諸藩の軍に加わったのです。
頂上にある駐車場は、もとは城の背後にあった堀切の一つでした。そこでは、1600年の戦いにおいて激戦が展開されました。そこには井戸の跡があり、戦いで戦死した武士の首を洗った場所だと言われています。
その後
明治維新にしたがって郡上八幡城は廃城となり、全ての城の建物は撤去されました。1932年、当時の八幡町長であった仲上忠平(なかがみちゅうへい)は、町の活性化のために天守を再建することを提案しました。他の町民も賛成し、再建のための寄付が募られました。その再建天守は、その当時現存していた大垣城天守の外観を参考に建設されました。しかし、その大垣城の天守は1945年の大垣空襲により焼け落ちてしまうのです。また再建天守は、町から見上げた時にどのように見えるかということも考慮して建てられました。その再建が完成したのは1933年のことです。
私の感想
郡上八幡を訪れてみて、美しい城を街のシンボルとして築いた、その目的は十分達成されているように思いました。街のどこからでも天守のよき姿を望むことができるからです。そして、オリジナルの天守がそこにあろうとなかろうと、この城は街の人たちにとって今でもとても大切で、欠くべからざる存在なのだということがわかりました。
ここに行くには
車で行く場合は東海北陸自動車道の郡上八幡ICから約15分かかります。
公共交通機関を使う場合は、郡上八幡城下町プラザから歩いて約20分かかります。
東京か大阪から城下町プラザまで:東海道新幹線に乗り、名古屋駅で東海道線に乗り換え、岐阜駅で降ります。そして、岐阜バス高速八幡線に乗り、城下町プラザバス停で降りてください。
リンク、参考情報
・郡上八幡城 日本最古の木造再建城
・「新 八幡城ものがたり(改訂版)」郡上市
・「よみがえる日本の城16」学研
これで終わります。ありがとうございました。
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