141.郡上八幡城 その3

最古の木造再建天守

特徴、見どころ

松の丸、城の裏手

天守の他には、腰曲輪の上段にある通路を通って、松の丸に行ってみることもできます。そこには「凌霜隊(りょうそうたい)」の記念碑があります。この隊は、明治維新のとき、郡上藩が新政府を支持した際、脱藩しました。そして、若松城で新政府軍と戦っていた、幕府を支持する諸藩の軍に加わったのです。

腰曲輪上段(桜の丸と松の丸の間の通路)
腰曲輪上段を通って松の丸へ移動
松の丸の内部
凌霜隊の記念碑

頂上にある駐車場は、もとは城の背後にあった堀切の一つでした。そこでは、1600年の戦いにおいて激戦が展開されました。そこには井戸の跡があり、戦いで戦死した武士の首を洗った場所だと言われています。

頂上にある駐車場
「首洗い」井戸跡

その後

明治維新にしたがって郡上八幡城は廃城となり、全ての城の建物は撤去されました。1932年、当時の八幡町長であった仲上忠平(なかがみちゅうへい)は、町の活性化のために天守を再建することを提案しました。他の町民も賛成し、再建のための寄付が募られました。その再建天守は、その当時現存していた大垣城天守の外観を参考に建設されました。しかし、その大垣城の天守は1945年の大垣空襲により焼け落ちてしまうのです。また再建天守は、町から見上げた時にどのように見えるかということも考慮して建てられました。その再建が完成したのは1933年のことです。

大垣城の古写真、右側が天守 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
郡上八幡城の再建天守

私の感想

郡上八幡を訪れてみて、美しい城を街のシンボルとして築いた、その目的は十分達成されているように思いました。街のどこからでも天守のよき姿を望むことができるからです。そして、オリジナルの天守がそこにあろうとなかろうと、この城は街の人たちにとって今でもとても大切で、欠くべからざる存在なのだということがわかりました。

街から見える天守
腰曲輪の石垣
天守からの眺め

ここに行くには

車で行く場合は東海北陸自動車道の郡上八幡ICから約15分かかります。
公共交通機関を使う場合は、郡上八幡城下町プラザから歩いて約20分かかります。
東京か大阪から城下町プラザまで:東海道新幹線に乗り、名古屋駅で東海道線に乗り換え、岐阜駅で降ります。そして、岐阜バス高速八幡線に乗り、城下町プラザバス停で降りてください。

山麓にある駐車場
山の中腹にある駐車場

リンク、参考情報

郡上八幡城 日本最古の木造再建城
・「新 八幡城ものがたり(改訂版)」郡上市
・「よみがえる日本の城16」学研

これで終わります。ありがとうございました。
「郡上八幡城その1」に戻ります。
「郡上八幡城その2」に戻ります。

投稿者: Yuzo

城巡りが好きなYuzoです。日本には数万の城があったといわれています。その内の200名城を手始めにどんどん紹介していきます。 I'm Yuzo, I love visiting castles and ruins. It is said that there were tens of thousands castles in Japan. I will introduce you top 200 castles and ruins of them, and more!

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