3.松前城 その3

天守の木造再建の是非が議論されています。

特徴、見どころ

城の北側と西側

もしお時間があれば、城跡の他の部分にも足を延ばしてみてはいかがでしょうか。寺町地区は、城の北側の外堀跡に沿った場所です。この地区そのものが元はここに御殿しかなかったときに、北側の防衛のために設けられたものです。ところが、そのうち城ができたときには他の方角と比べて、一番弱い場所になってしまいました。そのため、旧幕府軍はこちら側から攻撃をかけたのです。現在ではここはゆっくり歩ける場所になっていて、寺の建物のいくつかは重要文化財に指定されています。

城周辺の地図

城の北側の外堀跡
法源寺山門(重要文化財)
龍雲院(重要文化財)

城の西側は、以前外堀の底だった場所が遊歩道になっています。本丸を見上げながら、歩いていくことができます。こちら側は、城の北側よりは守りが固いように思えます。

外堀の底の遊歩道
本丸の高さを実感できます
本丸を見上げています

その後

明治維新後、松前城は廃城となり、本丸にある天守と門だけが史跡として残されました。ところが残念ながら、1949年に失火により天守は焼け落ちてしまいました。そして1961年には外観復元されたのですが、それから60年が経過し、コンクリート造りの建物としては老朽化しています。松前町は、天守を木造のオリジナルの工法で再建するか、それとも耐震基準などの安全対策を講じて修繕を行うのか検討しているところです。なお、城跡自体は1935以来国の史跡に指定されています。

焼失前の松前城天守、1935年   (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
復元された天守
内部から見ると老朽化がわかります

私の感想

松前城は、伝統的な日本式と、築城当時の状況に即して進んだ様式がミックスされた、とてもユニークな城だと思います。結果的にそれが中途半端な形になってしまい、2度の落城を招いてしまったのかもしれません。しかし、歴史の記録としてそれはそれで保存されるべきです。個人的な見解ですが、ここを訪れるには桜の季節がもっとも良いでしょうが、また大変込み合うことも想像できます。桜を見るために地元の人も観光客も普段に増して押し寄せるでしょう。ですので、何を目的をするかで訪れる時期を決められたらよいと思います。

本丸御門(手前)と天守(奥)
本丸御門(左)と天守(右)
アジサイの時期もなかなか良いです

ここに行くには

この城跡を訪れる際は車を使われることをお勧めします。バスの便数がとても少ないからです。
新函館北斗駅または函館市の中心部から約2時間の道のりとなります。函館空港からであれば、2時間半くらいはかかるでしょう。城跡内に駐車場があります。駅か空港で、レンタカーを借りるのもよいでしょう。
東京から新函館北斗駅まで:東京駅から北海道新幹線に乗ってください。

リンク、参考情報

松前氏城跡福山城跡、松前町
・「よみがえる日本の城9」学研
・「日本の城改訂版第50号」デアゴスティーニジャパン
・「幕末維新の城/一坂太郎著」中公新書
デジタル八雲町史、デジタル熊石町史

これで終わります。ありがとうございました。
「松前城その1」に戻ります。
「松前城その2」に戻ります。

133.Samegao Castle Part3

A way to enjoy visiting castles and castle ruins

Features

Main Enclosure and Granary Ruins

The Main Enclosure on the top of the mountain is above the meeting point of the routes. There is a rest station on the top where you can take a rest and enjoy a nice view of the Kubiki Plain, which was the core territory of the Uesugi Clan in the past.

The map around the Main Enclosure

Looking up the Main Enclosure from the meeting point
The Main Enclosure
The rest station on the Main Enclosure
A view of the Kubiki Plain

Another enclosure called Komegura-ato, or the granary ruins, is just below the Main Enclosure over another ditch. Lots of burned rice grains were found in this enclosure, probably for the same reason as the Third Enclosure. The ditches around the Main Enclosure seem to have been used as access ways, which is also interesting.

The granary ruins seen from the Main Enclosure
The ditch between the Main Enclosure and the granary ruins
The granary ruins
The Main Enclosure seen from the granary ruins
This ditch has also been used as an access way

Later History

After the Otate Rebellion, Samegao Castle was abandoned. The burned rice grains in the granary ruins were already known in the Edo Period. The research of the castle ruins started in 1963. The excavation was also done between 2001 and 2006. It found that the ruins still kept the state of the abandoned castle in good condition. As a result, They were designated as a National Historic Site in 2008.

The sign of Samegao Castle Ruins at the Main Enclosure

My Impression

The ruins of Samegao Castle are becoming popular among history fans, including women, due to the tragic story of Kagetora Uesugi. Some historians also speculate that if Kagetora had won in the Otate Rebellion, the three clans, the Uesugi, Takeda and Hojo, could have been united against the threat from the rulers in western Japan, Nobunaga Oda and Hideyoshi Toyotomi. Historical fact tells us the Takeda and the Hojo were isolated from each other after the rebellion, and defeated one by one. Only the Uesugi somehow survived. It may be a good way to visit a castle or castle ruins to think about real history or speculative history.

The portrait of Nobunaga Oda who defeated the Takeda Clan, attributed to Soshu Kano, owned by Chokoji Temple, in the late 16th century (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
The Portrait of Hideyoshi Toyotomi who defeated the Hojo Clan, attributed to Mitsunobu Kano, owned by Kodaiji Temple (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

How to get There

If you want to visit the ruins by car, it is about a 15-minute drive away from Joetsu IC or Nakago IC on the Joshinetsu Expressway. There is a parking lot for visitors in front of the park.
If you want to use public transportation, it takes about 30 minutes on foot from Kita-Arai Station on the Echigo Tokimeki Railway to get there.
To get to Kita-Arai Station from Tokyo: Take the Hokuriku Shinkansen Super Express and transfer at Joetsu-Myoko Station to the Echigo Tokimeki Railway.

The parking lot in front of the park

That’s all. Thank you.
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133.鮫ヶ尾城 その3

城や城跡巡りの楽しみ方

特徴、見どころ

本丸と米蔵跡

2つのルートの合流地点の上の方、山の頂上に本丸があります。頂上には休憩所があり、そこで休んだり、過去には上杉氏の中心的領地だった頚城平野の景色を楽しむことができます。

本丸周辺の地図

合流地点から本丸を見上げています
本丸
本丸にある休憩所
頚城平野の眺め

本丸下の堀切を越えたところには、米蔵跡と呼ばれるもう一つの曲輪があります。この曲輪では、大量の焼け焦げた米が見つかっています。三ノ丸のおにぎりと同様の事情と思われます。本丸の周りにある堀切は、連絡通路にも使われたようです。こういった城の仕組みは大変興味深いです。

本丸から見た米蔵跡
本丸と米蔵間の堀切
米蔵跡
米蔵跡から見た本丸
堀切は通路にもなっています

その後

御館の乱の後、鮫ヶ尾城は廃城となりました。米蔵跡の焼け米は、江戸時代から既に知られていました。この城跡の調査は1963年に始まりました。城跡の発掘も2001年から2006年の間に行われました。これらにより、この城跡は廃城となった直後の状態がよく残っていることがわかったのです。その結果、城跡は2008年に国の史跡に指定されました。

本丸に立つ鮫ヶ尾城跡の標柱

私の感想

鮫ヶ尾城跡は、上杉景虎の悲劇の物語によって、最近女性を含む歴史ファンの間で有名になってきています。歴史ファンの中には、もし景虎が御館の乱で勝利したならば、上杉、武田、北条の三大名が結束することで、織田信長や豊臣秀吉といった西日本からの脅威に対抗できたのではないかと考える人もいます。歴史的事実としては乱の後、武田と北条はそれぞれ孤立し、逐次撃破されてしまいました。そして、ただ上杉だけが生き残ったのです。実際の歴史とそれにまつわる空想を巡らすことも城や城跡を訪れる際の楽しみの一つなのではないでしょうか。

武田氏を滅ぼした織田信長の肖像画、狩野宗秀作、長興寺蔵、16世紀後半 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
北条氏を滅ぼした豊臣秀吉の肖像画、加納光信筆、高台寺蔵 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

ここに行くには

車で行く場合:上信越自動車道の上越ICまたは中郷ICから約15分かかります。公園の手前に駐車場があります。
公共交通機関を使う場合は、越後トキめき鉄道の北新井駅から歩いて約30分かかります。
東京から北新井駅まで:北陸新幹線に乗って、上越妙高駅で越後トキめき鉄道に乗り換えてください。

公園手前にある駐車場

リンク、参考情報

斐太歴史の里:鮫ヶ尾城跡、妙高市
・「関東戦国史と御館の乱 ~上杉景虎・敗北の歴史的意味とは? /伊東潤・乃至政彦著」歴史新書y
・「日本の城改訂版第126号」デアゴスティーニジャパン

これで終わります。ありがとうございました。
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