134.富山城 その3

富山市は、もっと真の城の歴史を尊重すべきです。

その後

明治維新後、富山城は廃城となりました。すべての城の建物は撤去されるか、火事で燃えてしまいました。城の中心部は富山県庁となり、それ以外の場所は市街地となっていきました。県庁舎が神通川が以前流れていた敷地に移転した後は、1939年に富山公園が設立されました。しかし、1945年の富山大空襲により、富山市は灰燼に帰してしまいます。第二次世界大戦後、富山市の人たちは、1954年に城跡で産業博覧会を開催しました。模擬天守は、市の復興を祝して開かれたその博覧会のために建てられたのです。それ以来、城跡は都市公園として整備されています。

公園にある県会議事堂の遺構
完成当時の模擬天守  (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

私の意見

富山城跡は、史跡として指定されてはいません。すなわち、富山市は自らの好きなように公園を開発し、観光資源として模擬建築をつくることができます。しかし私は、富山市は市民や観光客に対して、城は本当はどのような姿をしていたのか、もっと知らせるべきだと思います。まだ、オリジナルのものが残っているからです。そうしなければ、なぜこの都市とそこに住む人々がここにいて、どうやって今日まで生き残ってきたのかが、わからなくなってしまうのではないでしょうか。アイデンティティを失ってしまうかもしれません。富山市は、城には立派な天守や石垣がなくてはならないと思っているかもしれませんが、富山城にはそれがなくても誇るべき歴史があるのです。ぜひ、同じ県にある高岡市の人たちがやっていることを見習っていただきたいと思います。彼らは、高岡城が廃城となった後、城跡の土造りの曲輪を、自然公園や公共施設として使いながら、ずっと維持し続けています。

オリジナルの石垣の上に模擬天守が乗り、右側に模擬石垣が続いています
鉄門のオリジナルの石垣と模擬天守
高岡城跡は自然公園として維持されています

ここに行くには

車で行く場合:
北陸自動車道の富山ICから約15分かかります。
公園に駐車場があります。
電車の場合は、富山駅から歩いて約10分のところです。
東京から富山駅まで:北陸新幹線に乗ってください。

富山駅
公園にある駐車場入口、これもイミテーション風

リンク、参考情報

富山市郷土博物館、富山市
・「越中460年を行く 富山城探訪/北日本新聞社編」北日本新聞社
・「加賀藩二代藩主 前田利長が造った城/杉本宏著」22世紀アート
・「よみがえる日本の城8」学研

これで終わります。ありがとうございました。
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119.Sugiyama Castle Part3

Castle layout researchers focus on Sugiyama Castle.

Features

Main Enclosure, Center of Castle

The Main Enclosure is the largest and highest one in the castle. It has three entrances in the south, north and east. The north and east ones were also strictly protected by other enclosures and dry moats like you simulated in the south. The lord of the castle would be able examine the situation in all directions clearly and give the appropriate instructions.

The Main Enclosure
The locations of the Main Enclosure and the northern and eastern enclosures
The Northern Entrance of the Main Enclosure
The Eastern Entrance of the Main Enclosure
The eastern enclosures seen from the Main Enclosure

In addition, some bypass routes are set in the castle, but some of them are dead-end alleys. If you see the layout of the castle, you may think it looks like a maze. It’s true for enemies, but it’s a well-designed fortress for defenders.

The locations of the spots which are supposed be dead-end alleys
The dead-end alley at the Southern Second Enclosure
The dead-end alley beyond the Well Enclosure

Later History

The ruins of Sugiyama Castle were not known to the public until around 1980s. Only the researchers who studied the layout of castles were interested in this castle. They published the dictionaries and magazines which featured the layout of castles since 1987. The layout drawing of Sugiyama Castle has been one of the most featured ones in these books. The castle became popular little by little. After the excavations between 2002 and 2007, the ruins became a National Historic Site in 2008. It is considered one of the “Hiki Castles Ruins”.

This location map is also a good layout drawing

My Impression

I imagine if Sugiyama Castle was much larger, and equipped with turrets, gates, and stone walls, it would look like the great castles built much later, such as Himeji Castle. This means Sugiyama Castle could be the pioneer of the advanced castle design. However, I rather prefer the effort of building the castle to its historical value. The unknown builders of the castle must have had a small budget, resources, workers, and little time because the purpose of the castle was limited. They thought hard to create their great work under the difficult situation. It may have been easier for them to build a great castle if they had enough resources. I think Sugiyama Castle is also a good lesson for us about how to use limited resources to create good work.

Himeji Castle
The ruins of Sugiyama Castle

How to get There

I recommend using a car when you visit the ruins.
It is about 15 minutes away from Ranzan-Ogawa IC on Kanetsu Expressway.
The ruins offer a parking lot.
By public transportation, take the Tokigawa-cho route bus bound for Seseragi Center from Musashi-Ranzan Station on the Tobu-Tojo Line and get off at the Taguro bus stop.
It is about 20 minutes on foot from the bus stop.

The parking lot at the ruins

That’s all. Thank you.
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119.杉山城 その3

縄張り研究者たちは杉山城に注目しています。

特徴、見どころ

城の中心、本郭

本郭は、この城ではもっとも大きく、かつ高い位置にある曲輪です。ここには南北と東側の三つの入口(虎口)があります。南側でシミュレートしてみたように、北側と東側の虎口もまた、曲輪群と空堀により固く守られていました。この城の城主は、全ての方角の状況を把握し、的確な判断を下せたことでしょう。

本郭
本郭と、北側及び東側の曲輪群の位置
本郭の北虎口
本郭の東虎口
本郭から見た東側の曲輪群

更には、この城にはバイパスルートも設定されていますが、その内のいくつかは袋小路になっています。この城の縄張りを見ると、迷路のようだと思われるかもしれません。城を攻める敵にとってはその通りでしょう。しかし、守る方にとっては非常によく設計された要塞なのです。

袋小路と思われる場所の位置
南二の郭の袋小路
井戸郭の先の袋小路

その後

杉山城跡は、1980年代頃までは一般には知られていませんでした。縄張り研究者たちのみがこの城に関心を持っていたのです。彼らは1987年以来、城の縄張り図を掲載した事典や雑誌を刊行してきました(「中世城郭研究」など)。これらの書籍では、杉山城の縄張り図が最も多く掲載されているものの一つでした。これにより、この城は少しずつ知れ渡ってきたのです。2002年から2007年に発掘が行われた後、この城跡は2008年に「比企城館跡群」の一つとして国の史跡に指定されました。

この現地案内図も立派な縄張り図です

私の感想

もし杉山城がもっと大きくて、櫓、門、石垣などを備えていたとしたら、姫路城のような、ずっと後に作られた見事な城のように見えるのではないでしょうか。杉山城は、先進的な城の設計を先取りしていたことになります。しかし個人的には、この城の歴史的価値よりも、それを築いた努力に敬意を表します。この城の知られざる築城者は、少ない予算、資材、作業者しか確保できなかったに違いありません。この城の目的は限られていたからです。その築城者は、困難な状況下でもどうやって優れた仕事ができるか懸命に考えたことでしょう。もし十分な予算があれば、すごい城を作るのは容易だったかもしれません。杉山城は、現代の私たちにとっても、限られた資源でどうやっていい仕事をするのかを示すよい教材だと思うのです。

姫路城
杉山城跡

ここに行くには

ここに行くには、車を使われることをお勧めします。
関越自動車道の嵐山小川ICから約15分の所です。
城跡に駐車場があります。
公共交通機関を使う場合は、東武東上線の武蔵嵐山駅からせせらぎセンター行きのときがわ町路線バスに乗り、田黒バス停で降りてください。
バス停から歩いて約20分かかります。

城跡の駐車場

リンク、参考情報

国指定史跡 杉山城跡公式ホームページ
・「杉山城の時代/西股総生著」角川選書
・「歴史群像61号、戦国の堅城 武蔵杉山城」学研

これで終わります。ありがとうございました。
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