特徴、見どころ
歴史公園となった遺跡
現在、吉野ヶ里遺跡は吉野ヶ里歴史公園として、よく整備されています。この遺跡はまた、日本の弥生時代の遺跡として最も大きなものの一つであり、その面積は100ヘクタールを超えます。この公園には東西南北全ての方角に観光客用の入口があります。一番大きな入口である東口の前に立ってみると、公園はまるでテーマパークのように見えます。実際、公園の中では多くのイベントが開催されていて、家族連れや団体を含むビジターを惹きつけています。また、吉野ヶ里集落の多くの建物や構造物が、発掘作業が行われた後復元されています。発掘された遺物の現物は、埋め戻されるか別の場所で保管されています。
城周辺の航空写真環濠入口広場
東口から入り、公園の中心の方に歩いて行くと、最初に環濠入口広場に着きます。神社の鳥居のような姿をした木の門の周辺には、環濠が復元されています。この濠は、U字形に掘られ(もとはV字形でした)その前には柵が立てられた土塁があり、背後には逆茂木があります。ここは、かつては実際に集落の入口だったのです。
人々が暮らしていた南内郭
次に進んでいくと、人々が暮らしていた南内郭に着きます。ここにも、櫓門、見張り台、煮炊き屋、集会所、そして住居が再現されており、柵と濠に囲まれています。門や見張り台の足場に登ってみると、周りの景色を見たり、どのようにこの郭が守られているのか理解できます。
南内郭の傍らには、展示室があり、掘り出された遺物や集落の歴史を展示しています。埋葬に使われた多くの甕棺は必見です。二つの甕が1セットになって墓の中で使われていて、両方の口縁を付け合せることで、亡骸を収めました。ここではこれまでに約3千の墓が発見されていて、総数は約1万5千くらいと推定されています。この埋葬方法は、弥生時代の集落の一つの特徴でした。
集落の中心部、北内郭
この遺跡の一番の見どころは、集落の中枢部であった北内郭でしょう。この郭は、原初的な城のようにも見え、二重の濠や隙間のない柵に囲まれています。また、門は互い違いになっています。もちろんこれらは全て、元そうだったであろう姿に復元されています。ここには、祭殿、高床住居、見張り台などが内部に再現されています。一目でここが集落の中で特別な場所だったとわかるでしょう。
主祭殿は高柱の上が二階建てとなっている構造です。一階部分は、集落のリーダーだちの集会所であったとされています。二階部分は、祈祷を行っていた場所のようです。両方の階には、フィギアが置かれていて、ビジターがそれらの部屋がどのように使われていたのかわかるようになっています。祈祷をおこなっているフィギアは恐らく、卑弥呼の印象を基に作られたものなのでしょう。