88.吉野ヶ里遺跡 その3

遺跡は工業団地化を免れ、吉野ヶ里歴史公園となりました。

その後

3世紀後半の古墳時代の始まりとともに、吉野ヶ里集落は急速に衰退しました。吉野ヶ里の地には、4つの前方後円墳が築かれました。それから長い時間が経過し、郷土史家たちは約100年前に、この地からは多くの甕棺や土器のかけらが見つかることに気が付きました。1986年、佐賀県はこの地域を工業団地として開発することを決定しました。その結果、その開発の前に埋蔵文化財の調査を行うことになりました。吉野ヶ里遺跡は、その調査の後は破壊されることになってしまったのです。ところが、1989年に巨大な遺跡が姿を現しました。マスコミは、まるでそれが邪馬台国であるかのようにセンセーショナルに報道しました。観光客も遺跡を見るために押し寄せました。県は工業団地化を撤回し、遺跡を保存していくことを発表しました。遺跡は1991年には国の特別史跡に指定されたのです。そして、ついには吉野ヶ里歴史公園が2001年にオープンしました。

3世紀の代表的な前方後円墳、奈良県箸墓古墳の航空写真

吉野ヶ里から出土した古墳時代の遺物、展示室より
吉野ヶ里歴史公園の遠景

私の感想

弥生時代の姿をそのまま再現したものとして、吉野ヶ里公園の右に出るものはないと思うのです。また、この遺跡は歴史公園というよりもテーマパークのようにも見えます。更にこの集落は、後の日本の城で見られるいくつかの要素を既に持っていたようにも思います。しかしながら、吉野ヶ里遺跡を一種の城と見なすかどうかは、それを見た人の印象次第ではないでしょうか。実際にここに来てみて、自分なりの感想を持たれてはいかがでしょうか。

北内郭の入口
復元された環濠と柵

ここに行くには

車で行く場合:長崎自動車道の東脊振ICから数分のところです。公園の中にビジター用の駐車場があります。
公共交通機関を使う場合は、JR吉野ヶ里公園駅から歩いて約15分かかります。
東京または大阪から吉野ヶ里公園駅まで:新幹線か飛行機を使った後、博多駅から特急に乗り、鳥栖駅で長崎本線の普通列車に乗り換えてください。

リンク、参考情報

吉野ヶ里歴史公園
・「全集日本の歴史第1巻 列島創生記/松木武彦著」小学館
・「プロジェクトX挑戦者たち 王が眠る神秘の遺跡」NHK出版
・「日本の歴史02 王権誕生/寺沢薫著」講談社学術文庫

これで終わります。ありがとうございました。
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吉野ヶ里遺跡その2」に戻ります。

88.吉野ヶ里遺跡 その2

まるでテーマパークのような遺跡です。

特徴、見どころ

歴史公園となった遺跡

現在、吉野ヶ里遺跡は吉野ヶ里歴史公園として、よく整備されています。この遺跡はまた、日本の弥生時代の遺跡として最も大きなものの一つであり、その面積は100ヘクタールを超えます。この公園には東西南北全ての方角に観光客用の入口があります。一番大きな入口である東口の前に立ってみると、公園はまるでテーマパークのように見えます。実際、公園の中では多くのイベントが開催されていて、家族連れや団体を含むビジターを惹きつけています。また、吉野ヶ里集落の多くの建物や構造物が、発掘作業が行われた後復元されています。発掘された遺物の現物は、埋め戻されるか別の場所で保管されています。

吉野ヶ里歴史公園の東口

城周辺の航空写真

環濠入口広場

東口から入り、公園の中心の方に歩いて行くと、最初に環濠入口広場に着きます。神社の鳥居のような姿をした木の門の周辺には、環濠が復元されています。この濠は、U字形に掘られ(もとはV字形でした)その前には柵が立てられた土塁があり、背後には逆茂木があります。ここは、かつては実際に集落の入口だったのです。

環濠入口広場
復元された環濠と周りの土塁・柵・逆茂木
展示室にある環濠の剥ぎ取り土層

人々が暮らしていた南内郭

次に進んでいくと、人々が暮らしていた南内郭に着きます。ここにも、櫓門、見張り台、煮炊き屋、集会所、そして住居が再現されており、柵と濠に囲まれています。門や見張り台の足場に登ってみると、周りの景色を見たり、どのようにこの郭が守られているのか理解できます。

南内郭
南内郭の櫓門
南内郭の内部

南内郭の傍らには、展示室があり、掘り出された遺物や集落の歴史を展示しています。埋葬に使われた多くの甕棺は必見です。二つの甕が1セットになって墓の中で使われていて、両方の口縁を付け合せることで、亡骸を収めました。ここではこれまでに約3千の墓が発見されていて、総数は約1万5千くらいと推定されています。この埋葬方法は、弥生時代の集落の一つの特徴でした。

展示されている甕棺
発掘された墓の中の甕棺

集落の中心部、北内郭

この遺跡の一番の見どころは、集落の中枢部であった北内郭でしょう。この郭は、原初的な城のようにも見え、二重の濠や隙間のない柵に囲まれています。また、門は互い違いになっています。もちろんこれらは全て、元そうだったであろう姿に復元されています。ここには、祭殿、高床住居、見張り台などが内部に再現されています。一目でここが集落の中で特別な場所だったとわかるでしょう。

北内郭
北内郭を囲む濠と柵
北内郭の門
復元された高床住居

主祭殿は高柱の上が二階建てとなっている構造です。一階部分は、集落のリーダーだちの集会所であったとされています。二階部分は、祈祷を行っていた場所のようです。両方の階には、フィギアが置かれていて、ビジターがそれらの部屋がどのように使われていたのかわかるようになっています。祈祷をおこなっているフィギアは恐らく、卑弥呼の印象を基に作られたものなのでしょう。

主祭殿
主祭殿の一階部分
主祭殿の二階部分

「吉野ヶ里遺跡その3」に続きます。
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