103.浪岡城 その3

南朝関連の城跡として注目されました。

特徴、見どころ

青森市中世の館

浪岡駅から城跡までの途中に青森市中世の館があり、城のことをより学ぶことができます。そこは歴史博物館で、城から発掘されたものや研究の成果を展示しています。例えば、城主の御殿にあった九間(ここのま)と呼ばれる高い格式の対面所が復元されていたり、北館の模型、ルソン壺などの掘り出された交易品が展示されています。

青森市中世の館
復元された九間(青森市中世の館で展示)
掘り出されたルソン壺(青森市中世の館で展示)

その後

浪岡城が廃城となった後、城跡は江戸時代には農地として使われました。明治時代になって、政府が正統であると決めた南朝に献身的に仕えた北畠氏が注目されるようになります。城の研究もそれに従って始まりました。以来、顕彰碑が建てられたり、桜の木が植えられてきました。城跡は1940年に国の史跡に指定されましたが、これは青森県では初めてのケースだったのです。城跡の発掘は1977年に始まり、最終的には1998年に歴史公園として一般に公開されました。

内舘にある明治時代に建てられた北畠氏の顕彰碑
桜の花に飾られた浪岡城跡(青森市中世の館で展示)

私の感想

浪岡城跡を訪れてみて、多くの戦いが起きた戦国時代の15~16世紀であっても、この城は戦いのための要塞というより、むしろ平和の象徴であったことを学びました。そうした事実を知ってもらうためにもこの城跡はとても重要だと思います。更に言わせていただくと、ここを訪れるベストシーズンは、間違いなく城跡に桜が咲き乱れる春でしょう。一方で。冬にここを訪れるのは避けた方がよいでしょう。公園は基本的にクローズとなっていて、私が実際に訪れたときのように、城跡を見学するには雪を踏み分けていかなければならない場合もあるからです。

雪に覆われた城跡
案内所も冬は閉鎖されています

ここに行くには

車で行く場合:
東北自動車道の浪岡ICから約10分かかります。
城跡の東側にある案内所のところに駐車場があります。
電車の場合は、浪岡駅から歩いて30分以上かかります。
道に迷わないよう、駅からはタクシーを利用することをお勧めします。城跡の西側入口から入れば、内館に直接行くことができます。
東京から浪岡駅まで:東北新幹線に乗り、新青森駅で奥羽本線に乗り換えてください。

城跡の西側入口

リンク、参考情報

史跡 浪岡城跡、青森市
青森市中世の館、青森市
・「日本の城改訂版第21号」デアゴスティーニジャパン
・「浪岡城物語~浪岡城の謎を紐解く~」青森市教育委員会

これで終わります。ありがとうございました。
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「浪岡城その2」に戻ります。

11.二本松城 その3

美しい花で飾られる城跡

その後

明治維新時に起こった戊辰戦争の後、二本松城は廃城となり、わずかに残っていた城の建物も全て撤去されました。山麓の三の丸には製糸工場が設立され、1873年から1925年の間稼働していました。第二次世界大戦後、城跡は今日知られている自然公園の霞ヶ城公園となり、城の建物もいくつか再建されました。1990年以降、城に関する調査研究が行われています。1995年に天守台石垣が復元され、2006年には国の史跡に指定されました。二本松市は現在、山麓にある三の丸に御殿を復元することを検討しています。

城跡の山麓部分
山上からの眺め
三の丸

私の感想

二本松市は菊人形で知られていて、これは菊の花や葉を人形の衣装として飾り付けたものです。霞ヶ城公園では、毎秋菊花展が開催されています。この公園は桜の名所でもあり、春には公園の山は桜に包まれます。事実、その季節に山の頂上から辺りを見下ろしてみれば、まるで花の絨毯のように見えて驚かれるでしょう。よって、もし可能であれば、この城には春か秋に行かれることを特にお勧めします。

山頂から絨毯のように見える桜
菊花展で出展された菊人形 (taken by happy.mom from photoAC)

ここに行くには

車で行く場合:
東北自動車道の二本松ICから約10分のところにあります。
公園に多くの駐車スペースがあります。
電車では、JR二本松駅から徒歩で約20分かかります。
東京から二本松駅まで:東北新幹線に乗って、郡山駅で東北本線に乗り換えてください。

二本松城跡へ電車を使って訪れる場合には、二本松駅から長い距離を歩く必要があります。旧奥州街道が駅の近くを通っているので、二本松駅入口交差点を右に曲がって真っすぐ進んでください。そして、久保丁坂入口交差点を左に曲がってください。そんなに大変ではありませんが、城跡に行くには、久保丁坂という坂を登っていきます。これも城の防御システムの一つなのです。途中には大手門の現存する石垣も見ることができます。坂の頂を超えていったところで、城が築かれた山がついに見えてきます。

二本松駅から城跡への道のり

二本松駅 (licensed by D700master via Wikimedia Commons)
大手門石垣 (二本松城跡オフィシャルサイトから引用)
城跡が見えてきます

リンク、参考情報

二本松城跡オフィシャルサイト、二本松市教育委員会
・「よみがえる日本の城9」学研
・「日本の城改訂版第88号」デアゴスティーニジャパン

これで終わります。ありがとうございました。
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30.高遠城 その3

絵島が後半生を過ごした土地

その後

明治維新後、高遠城の全ての建物は撤去されるか売られていきました。1875年に城跡は高遠公園となり、元武士たちは公園に桜を植え始めました。それ以来、この地は桜の名所として発展していったのです。城跡はまた、1973年に国の史跡に指定されました。

桜のシーズンの桜雲橋周辺 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
高遠の街並み

私の感想

高遠城は自然の地形をうまく利用して築かれたこと、そして地元の人々が将来の世代に渡って城跡を維持し続けるために大変な努力をしてきたということがよくわかりました。

二の丸の土塁(左側)と中堀(右側)
搦手門跡

更には、もしお時間が許せば、高遠町歴史博物館にある「絵島囲み屋敷」を訪れてみてはいかがでしょう。絵島は、江戸時代に徳川幕府の本拠地であった江戸城の大奥の大年寄でした。彼女は歌舞伎を観た後、門限に遅れた罪で追放されました。これは大奥内の内部抗争により起こされた事件とも言われています。彼女は亡くなるまでの27年間、隔離された部屋に幽閉されました。筆記用具は一切与えられず、ひたすら読経をする日々だったと言います。高遠の人々はやがて彼女を尊敬するようになり、その晩年には、高遠藩の藩主が高遠城に彼女を招き、城の女中に躾の指導をさせたりしました。

絵島囲屋敷の入口
絵島の部屋
屋敷は厳重に塀により囲まれていました
絵島を描いた浮世絵、歌舞伎役者と遊んでいて門限に遅れたと当時は思われていました (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

ここに行くには

車で行く場合:
中央自動車道の伊那ICから約30分かかります。
公園周辺と高遠町歴史博物館に駐車場があります。
公共交通機関を使う場合は、JR伊那市駅からJRバス(高遠線)に乗り、高遠バス停で降りてください。そこから歩いて約15分です。
東京から伊那市駅まで:
新宿駅で特急あずさ号かかいじ号に乗り、岡谷駅で飯田線に乗り換えてください。

公園内の駐車場
博物館の駐車場

リンク、参考情報

高遠城の魅力をご紹介、伊那市
・「日本の城改訂版第63号」デアゴスティーニジャパン
・「列島縦断「幻の名城」を訪ねて/山名美和子著」集英社新書
・「現代語訳 信長公記/太田牛一著、中川太古訳」新人物文庫

これで終わります。ありがとうございました。
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