206.浦添城 その3

今日は、再び浦添城にやって来ています。そして、現在復興中の首里城にも再び行くのですが、その間を歩いていきます。このルートは、浦添出身の尚寧王が首里まで石畳道として整備した跡なのですが、現在史跡として一部が復元、修復されています。「尚寧王の道」とも呼ばれています。それに、前回入れなかった浦添ようどれの中を見ることができるので、それも楽しみです。首里城の復興がどこまで進んでいるのかも、とても楽しみです。それでは、浦添・首里・尚寧王の道をゆくツアーの出発です。

・「島津氏の琉球侵略-もう一つの慶長の役-/上原兼善著」榕樹書林

イントロダクション

今日は、再び浦添城にやって来ています。そして、現在復興中の首里城にも再び行くのですが、その間を歩いていきます。このルートは、浦添出身の尚寧王が首里まで石畳道として整備した跡なのですが、現在史跡として一部が復元、修復されています。「尚寧王の道」とも呼ばれています。それに、前回入れなかった浦添ようどれの中を見ることができるので、それも楽しみです。首里城の復興がどこまで進んでいるのかも、とても楽しみです。それでは、浦添・首里・尚寧王の道をゆくツアーの出発です。

浦添城跡

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(浦添→首里 尚寧王の道をゆくツアー)

浦添ようどれ見学

それでは、ようどれの入口の方に登っていきましょう。今回は大丈夫そうです。復習ですが、ここは中山王・英祖が築いたと言われる王陵で、沖縄戦で破壊されましたが、2005年に復元されています。琉球王国の尚寧王もここに眠っています。

浦添ようどれ入口
浦添ようどれ現地案内図

暗しん御門(くらしんうじょう)を通って入っていきましょう。ここは、沖縄戦の前まではトンネル状になっていて、あの世に行くかのような雰囲気があったそうです。名前の感じのとおりの場所だったのです。

暗しん御門

ここを抜けると、二番庭(にばんなー)です。ここから石垣に囲まれています。そして、中御門(なーかうじょう)の門をくぐると、墓室前の一番庭(いちばんなー)に到着です。

二番庭
中御門
一番庭

手前側の西室が、英祖王陵、奥側の東質が、尚寧王陵とされます。墓室に入ることはできませんが、その代わりに、浦添グスク·ようどれ館で、英祖王陵の再現墓室を見学できます。

英祖王陵
尚寧王陵
浦添グスク·ようどれ館
再現墓室

ようどれとは反対側の「浦添城の前の碑」に移動しました。尚寧王が、首里・浦添間の道路竣工を記念して建てたものです。振り返ると、首里方面が見えるのですが、前回のズーム画像と比較すると、首里城正殿の本物の屋根が見えて、期待できそうです。石畳道の方に行きます。向こうに海や、近くには発掘されたオリジナルの石垣も見えます。

浦添城の前の碑
首里方面の眺め
ズーム画像(首里城正殿)
ズーム画像(前回)
発掘された石垣

尚寧王の道(浦添)

ここからが尚寧王の道です。石畳の道です。発掘調査に基づき、復元されたものです。石の中にはオリジナルのものもあるそうです。石畳が終わって坂を下り、突き当たったら右に曲がります。

尚寧王の道、スタート地点
坂の途中まで石畳が続きます
突き当たりを右です

そして龍福寺跡があるのですが、薩摩軍の琉球侵攻のとき、焼かれてしまったそうです。やはりこの道を攻め上がったのでしょう。次は郵便局を過ぎたら左です。

龍福寺跡
郵便局を過ぎたら左です

車が多い通りは信号のあるところで渡っていただいて、その先が阿波茶橋(あはちゃばし)です。どんどん下って行って、石畳がまた現れます。小湾側とその支流にかけられた2つの石橋です。風情があります。こちらも沖縄戦で破壊され、その後修復されています。橋の表面の、組み合わせた石の形が面白いです。

阿波茶橋に通じる石畳
阿波茶橋
2つの石橋のうち南橋
南橋を渡ります

普通の道路に戻りますが、歴史の道として、ルートがわかるようになっています。その先には、お経を納めた経塚があって、一旦通りに合流しますが、向こうに郵便局が見えてきたところで脇道に入ります。ここも歩道が石畳風です。

「歴史の道」がわかるようになっています
経塚
ここから右側の脇道に入ります
石畳風の歩道

次の見どころに着きます。浦添御殿(うどぅん)の墓です。琉球国王の親戚、浦添家のことで、代々浦添を領地としてきました。その由緒ある家のお墓です。沖縄のお墓はみんな立派ですが、これはまたひときわすごいです。

浦添御殿の墓

尚寧王の道(那覇)

ここからは道を折り返して、那覇に向かっていきます。一路首里城を目指します。浦添御殿から下って、通りに合流したら、すぐに右折します。その先がフェーヌヒラです。南の坂という意味です。こんな坂があるあとは意外ですが、那覇は「坂の町」と言われているそうです。こういうのは歩いてみないとわかりません。

通りに合流したらすぐ右折します
フェーヌヒラ

また通りに合流したらしばらくまっすぐですが、那覇はより市街地化が進んでいるので、わかりにくいところもあるのです。確かに道なりに左に行ってしまいそうな所もあります。

ここは道なりに左方向に行ってしまいそうですが、細い道の方をまっすぐ進みます

そうするうちに平良交差点に出て、渡ったところが太平橋(たいへいきょう)です。普通の端に見えますが、かつてはこちらも石橋で、薩摩軍侵攻のときには、ここで攻防戦がありました。しかし薩摩軍鉄砲隊の猛攻撃により、王国軍は撤退しました。

平良交差点
太平橋

橋を越えると道は細く、登りになって、儀保クビリと呼ばれ、切通しのようになっていました。王国軍としてはこの手前で薩摩軍を食い止めたかったのでしょう。

儀保クビリ

階段を下れば、首里城までは一直線のように見えます。案内標識に守礼門とあります。ゆいレールとも交差すします。首里駅は、左手の方になります。

階段を下ります
守礼門への案内標識
ゆいレールと交差します

歩道が石畳風になってきました。ここもまっすぐ行きましょう。なだらかな坂を登っていくと、アダニガー御嶽(うたき)があります。首里城が近いということでしょうか。そして坂を下ると、見覚えがある場所に出ました。

再び石畳風の歩道
アダニガー御嶽

龍潭の畔です!ここから見ても、首里城の再建が着々と進んでいるのがわかります。尚寧王の道のゴールはもうすぐです。首里城公園の入口に向かいます。ここをゴールにしましょう。すごい達成感でした。

龍潭
完成間近の正殿が見えます
前回の同じ場所からの眺め
首里城公園入口

首里城はどうなっている?

それでは、首里城がどうなっているか見に行きましょう。守礼門に来ました。薩摩軍が首里城には攻め込んだとき、そのときの王様も尚寧王で、和議の方針になっていました。ところが、一部の家臣は抵抗の姿勢を見せたため、薩摩兵は、守礼門の柱を楯にしながらグスクに迫ったそうです。

守礼門

次は歓会門ですが、工事中です。その先からが内郭で、正門の瑞泉門になります。そして、漏刻門、広福門を通れば、奉神門の前に到着です。前回は、ここから工事用の素屋根が見えましたが、中はどうなっているのでしょうか。

歓会門
内郭入口の瑞泉門へ
漏刻門
広福門
奉神門
前回の状況

まだ工事中の壁に覆われてはいますが、小窓から正殿の勇姿が見えます。2025年10月に素屋根は撤去されました(取材時点:2025年11月)。2026年秋の完成を目指して工事が進められています。

まだ工事用の壁はありますが・・
小窓から見える正殿

それから、工事用の壁での展示にも注目です。例えば、正殿の建物ができてくるプロセスを展示しています。これもグスクの歴史の一コマたちなのです。

壁面の展示(正殿建設開始時)
壁面の展示(正殿屋根完成)

裏側に行ってみましょう。こしらの方が正殿が良く見えます。これは、ますます正殿完成が楽しみです!

裏側から見る正殿

最後は恒例で、東(あがり)のアザナからの景色を楽しみましょう。ところで、尚寧王はその後どうなってしまったというと、薩摩軍との和議は成立しましたが、降伏同然だったので、尚寧王は本土に連行され、大御所・徳川家康、将軍・徳川秀忠に謁見させられたのです。徳川や島津の権力を高めるために使われてしまったのです。尚寧王が、島津の従属下になった王国の首里城に戻ったのは、二年ぶりのことでした。その後は王国の復興に努め、9年後に亡くなったのです。

尚寧王の御後絵 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

東のアザナに着きました。相変わらずすばらしい景色です。正殿もよく見えます。浦添城はどの辺りでしょうか。尚寧王は浦添ようどれで眠っています。きっと生まれた浦添が、安らぎの場所だったのでしょう。

東のアザナ
東のアザナからの眺め(正殿方面)
東のアザナからの眺め(浦添方面)

リンク・参考情報

尚寧王の道を訪ねる、浦添市(ルートマップ)
尚寧王の道をたどる歴史の道ぶらりルート、うらそえナビ
・「島津氏の琉球侵略-もう一つの慶長の役-/上原兼善著」榕樹書林

「浦添城その1」に戻ります。
「浦添城その2」に戻ります。

これで終わります、ありがとうございました

100.首里城(Shuri Castle)

二度と火事に会わないためには、どうすればよいのでしょうか?
What should be the plan to prevent the next fire?

火災前の首里城正殿(The Main Palace of Shuri Castle before the fire)taken by 白飯愛好家 from photoAC

何が起こったか~What happend?

2019年10月31日の夜明け前、沖縄の首里城に悲劇が起こりました。火災事故により、正殿、北殿、南殿を含む少なくとも7棟の城の建物が焼失したのです。わずか2、3時間の間のことでした。これらの宮殿の復元は、30年以上の工事期間と総額約260億円(約2.4億米ドル)の費用をかけ、この2月に完成したばかりでした。せめてもの救いはけが人がいなかったことです。更には約1500点の収蔵品のうち、401点は建物と共に燃えてしまいました。
Before dawn on October 31, 2019, a tragedy happened to Shri Castle in Okinawa. At least 7 buildings of the castle including the Main, the South and the North Palaces, were burned down by an electrical fire. They were lost in only 2 to 3 hours. The restoration of the Palace had been completed last February after over 30 years of construction with a total cost of about 26 billion yen or 240 million dollars. It was a consolation that no one was injured. In addition, out of about 1,500 collected items, 401 of them were burned with the buildings.

首里城火災の映像(A picture of the fire of Shiri Castle)NHK news web より引用

火災現場は現在事故検証中であり、一般の立ち入りは禁止されています。火災の原因はいまだ解明されていませんが、わかっていることは火災は正殿の1階から発生したこと、建物にある配電盤にショートした痕跡があることです。専門家は電気トラブルが火災を引き起こしたのではないかと言っています。更には城の赤い色のための特別な伝統的塗料についても指摘しています。その塗料には「桐油」と呼ばれる油分の多い成分が含まれており、それが火災を加速させたのではということです。
The site of the fire is under investigation and visitors are prohibited from entering. The real cause of the fire is still uncertain. The fact is that the fire came out of the first floor of the Main Palace, and there is evidence of short-circuit in a power distribution panel at the building. Specialists suggest that an electric problem might have caused the fire. They also point out the possibility of special traditional paint for the castle’s red color being a factor. It contains more oil called “china wood oil” than usual which might also boost the fire.

歓会門、2019年11月時点ではここから先には行けない(The Kankai Gate, Visitors can’t go inside in November 2019)

他からの指摘として、首里城は火災への備えが十分でなかったこともあります。スプリンクラーの設置が推奨されていましたが、実行されていませんでした。消防士が現場で放水銃を使いましたが、首里城は閉じられた空間のためうまく機能しませんでした。
Others argue that the castle didn’t have enough equipment for fires. Setting sprinklers were recommended, but it wasn’t done. Firemen used water guns, but they didn’t work well because of the castle’s closed area.

屋根と柱だけが残っている北殿(The North Palace whose only roof and pillers survive)

いずれにしろ、この出来事は沖縄社会に負の影響を及ぼしています。今のところ沖縄行きツアーのキャンセルは少ないものの、城の周りの店舗の売上は急減しています。沖縄の人々は経済的な面だけでなく、メンタル面での将来の影響をも危惧しています。
Anyway, the event is having a negative impact on Okinawan society. Though few tours to Okinawa have been canceled so far, shops around the castle have suffered a significant drop in sales. People in Okinawa are worried about their future of industry as well as mentality.

守礼門は無事で、現在も見学可能(The Shurei Gate is intact, and visitors still can see it)
王家の陵墓で世界遺産の「玉陵」も見学可能(You can also see “Tama-udun” which is the imperial mausoleums and a cultural site on the World Heritage List)

立地と歴史~Location and History

首里城がいつ最初に築かれたかは定かではありません。15世紀に最初の琉球(沖縄の前の名前)王となった尚巴志が宮殿をここに置いてから重要な存在となりました。首里は周辺からは小高い位置にあり、更に国際港となった那覇が近くにありました。王朝の首都としてふさわしい位置にあったのです。
It is uncertain when Shuri Castle was first built. It became important when Sho Hashi, the first king of Ryukyu (the former name of Okinawa), placed his imperial palace in the castle in the 15th century. Shri is a hilly area around and near Naha port that also became international. Its location deserves the capital of the dynasty.

首里城と那覇港の位置関係(The location of Shuri Castle and Naha Port)

ところが、築城以来この城は事故や戦争による火災に何度も見舞われます。そしてその度に再建されました。しかし、1945年の第二次世界大戦時の米軍からの攻撃による4回目の火災の後はしばらく放置されていました。米軍の軍政下であった1950年からは、城跡は琉球大学として使われていました。沖縄の日本復帰後、1984年までには大学は他の土地に移っていきます。そして、日本政府は1986年から首里城の直近の再建を開始したのです。1992年から首里城公園として一般に公開されています。
However, since it was founded, the castle has suffered fires several times from accidents and wars. It has also been restored each time. But the castle was abandoned for a while after the fourth fire caused by the attack from the US Army in World War II, 1945. The ruins of the castle have been used by the Ryukyu University since 1950 under the governance of the US Army. After Okinawa’s reversion to Japan, the university was moved to another location until 1984. Then, the Japanese government launched the last reconstruction of Shri Castle in 1986. The Shurijo Castle Park has been open to the public since 1992.

戦前の正殿(The Main Palace before the war)licensed under Public Domain via Wikipedia Commons
1960年代の城跡にあった琉球大学(Ryukyu University on the ruins in the 1960’s)licensed under Public Domain via Wikipedia Commons
首里城での祭り(A festival at Shuri Castle)taken by 栄典 from photoAC

これからどうなる?~What will happen?

火災の後直ちに安倍晋三首相は、政府は責任をもって首里城を復元すること、地元の人たちの声を聞きながら財政面でも支援するとの声明を発表しました。政府は既に復元の原案を作成しており、新しい建物は原則として以前と同じもので、スプリンクラーや地下倉庫などの安全装備が加わっている内容です。また、建物が完成するまでは城の仮想映像を映し出すとのことです。一方で世界中から多くの寄付が集まっており、その総額は10億円を超えています。
Immediately after the fire, Prime Minister Shinzo Abe stated that the government has a responsibility to restore the castle, and will support the locals with consulting as well as funding. It already shows the basic plan of the restoration which indicates that the new castle will basically be the same as the old one, with the addition of security equipment such as sprinklers and underground warehouses. The plan also says a virtual image of the castle will be projected until the completion of the buildings. On the other hand, a large donation has been gathered with a total of over 1 billion yen from all around the world.

火災前の首里城遠景(A distant view of Shuri Castle before the fire)taken by あばさー from photoAC
火災後の首里城遠景(A distant view of Shuri Castle after the fire)

私の意見~My Opinion

私は、以下の理由で城の再建を急ぐべきでないと思います。城の主要な建物は伝統的な木造建築により建てられています。それには多量の木材が必要であり、沖縄では小さく狭い島域のため、自己調達はできません。前回の再建では台湾から調達できました。しかしながら今回仮に台湾の了解を得られたとしても、環境問題となりかねません。更には、伝統的建造物は基本的に電気設備を前提に作られていません。材料の一部は現在の技術を使い、耐久性があり、入手が容易で、かつ外観はオリジナルに近いものに変えられるべきでしょう。再びの火災を防ぐためには、これらの問題を解決するための時間が必要です。
I think we should not hurry to rebuild the castle for the following reasons. Primary buildings of the castle were built in traditional wooden style. It requires a lot of wood lumbers that Okinawa can’t produce by themselves because the island is small and narrow. In the last reconstruction, Taiwan offered these materials. However, this time, even if Taiwan agrees to offer it again, it can cause environmental problems. In addition, traditional buildings are essentially not compatible with electric equipment. Some of them should be changed to new materials which are durable, accessible, and similar to the original appearance with current technology. We need enough time to solve those issues to prevent the next fire.

ライトアップされた火災前の首里城(The illuminated Shuri Castle before the fire)taken by せいじん from photoAC

ここに行くには~How to get There

那覇空港から:
車を使うときは、現地まで40分から1時間かかります。公園に地下駐車場もあります。
電車を使うときは、那覇空港駅から首里駅までゆいレールに乗ります。30分近くかかります。その後、首里駅から首里城まで歩いて15分くらいです。首里駅前バス停から首里城前バス停までバス(1、4、346番)で行くこともできます。
From the Naha Airpot:
When using car, it takes 40 minutes to 1 hour to get there. The park offers an underground parking lot.
When using train, take the Yui Rail train from Naha Airport station to Shuri station. It takes nearly 30 minutes. Then, the castle is about 15 minute walk from Shuri station, or take a bus (No.1, 14, or 346) from the Shuri-Eki-Mae bus stop to the Shuri-Jo-Mae bus stop.

リンク、参考情報~Links and References

首里城公園(Shurijo Castle Park)
NHK NEWS WEB(Only Japanese)
・「尚氏と首里城/上里隆史」吉川弘文館(Japanese Book)

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