25.甲府城 その2

素晴らしい石垣が復元された建物とともに残っています。

特徴

甲府城跡は甲府駅のすぐ近くです。この城跡は、城の主要部の東側に当たり、西側の部分は山梨県庁舎などがある市街地になっています。その上に、この城跡は駅と線路によって北と南に分断されています。そのため、駅がこんなにも近いのです。

城周辺の航空写真

駅の北側にある復元された山手門

北側には、山手門があります。2007年に甲府市歴史公園としてオリジナルの工法により復元されました。この門は城にあった3つの門のうちの一つであり、現在ではこの門しか見ることしかできません。「桝形」と呼ばれる江戸時代の城で見られる典型的な門の形式です。この形式の門には、内側に四角いスペースがあり、別々の方向を向いた2つの門の建物により挟まれていて、防御のための障壁として機能していました。

甲府城主要部分の模型、正面は山手門(甲府城稲荷櫓)
復元された山手門
山手門の入口
桝形の内部

駅の南側にある城の中心部(舞鶴城公園)

駅を通って線路を渡り、南の方に行くと、舞鶴城公園の入口である復元された稲荷櫓がある稲荷曲輪の前に着きます。舞鶴は甲府城の別名であり、甲府城がかつては飛んでいる鶴のように見えたことに由来しています。ここが城の入口のように思われるかもしれませんが、これまで述べた理由により、既に城の中にいることになるのです。稲荷櫓は丘の中腹の北東角に位置しています。

城周辺の地図

山手門周辺から鉄道の向こうに城の中心部(舞鶴城公園)が見えます
舞鶴城公園の駅からの入口
復元された稲荷櫓(公園の外側から)
稲荷曲輪(稲荷櫓の内側)

そこから丘の東側を回り込み、数寄屋曲輪を通って、南側に行くことができます。やがて丘の麓にある鍛冶曲輪にたどり着きます。歩いてみると、丘全体が今だに石垣に覆われていることがわかります。

数寄屋曲輪
鍛冶曲輪に降りていく
石垣に覆われている丘部分

本丸に向かう

内堀の一部が丘の南麓にのみ残っています。この堀を渡る木橋が公園の入口としてありますが、現代になって作られたものです。

唯一残っている内堀の一部
公園の南側の入口

石垣に囲まれた曲がりくねった通路を登って、丘の頂上に向かいます。本丸櫓があった本丸の手前に、復元された鉄門(くろがねもん)があります。本丸には柳沢の時代に毘沙門堂があって、現在は甲府市華光院に移築されています。

丘を登っていきます
復元された鉄門
現在の本丸

城周辺の地図

謎の天守台と素晴らしい景色

本丸のとなりには天守台石垣が残っています。実はこの天守台の上に天守があったかどうかは今もわかっていないのです。図面や他の記録のような証拠がない一方、発掘によって天守に使われたかもしれないような金箔付きの軒瓦や家紋入りの屋根瓦が見つかっています。いずれにしろ、天守台の上からは甲府市の全方位の景色が必見です。この市は甲府盆地にあるので、周りを全て山に囲まれているのです。例えば、天気が良ければ、南の方には富士山が見え、西の方には南アルプスが見えます。

内側の本丸から見た天守台石垣
天守台から南側の風景(富士山が少しだけ見えます)
天守台から西側の風景(南アルプス)
外側の稲荷曲輪から見た天守台石垣

「甲府城その3」に続きます。
「甲府城その1」に戻ります。

145.興国寺城 その3

沼津市おすすめの観光地

その後

興国寺城が廃城となった後、この区域は畑になりました。1857年、大きな地震と飢饉の後、人々は降伏を願い城跡に穂見神社を建てました。沼津市は1982年以来、城跡の調査と発掘を続けてきました。1995年には城跡は国の史跡に指定されます。沼津市はこの城跡に水堀を復元し、歴史公園として整備しようと考えています。

穂見神社
空堀
沼津市の整備計画を示す説明板

私の感想

私は、興国寺城は単に北条早雲が旗揚げをした城だと思っていました。しかし、この城は早雲の後、100年以上の歴史を持っているのです。この城はとても重要な位置にあり、立地にも恵まれているからです。興国寺城跡は、沼津市のおすすめの観光地だと思います。天気が良ければ、城跡から富士山の頂を望むこともできます。

現存している石垣
土塁に囲まれた本丸
富士山の頂も見えます

ここに行くには

車で行く場合:
東名自動車道路の沼津ICから約20分かかります。
城跡の中に駐車場があります。
公共交通機関を使う場合は、原駅から歩いて30分かかります。または沼津駅から富士急シティバスの東平沼行きか富士駅行きに乗り、東根古屋バス停で降りてください。
東京から原駅または沼津駅まで:
東海道新幹線に乗り、三島駅で東海道線に乗り換えてください。

リンク、参考情報

興国寺城跡、沼津市公式ウェブサイト
・「城の政治戦略/大石泰史」角川選書
・「列島縦断「幻の名城」を訪ねて/山名美和子著」集英社新書
・「興国寺城跡」沼津市教育委員会

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40.山中城 その3

日本の歴史公園では最も早い事例の一つ

その後

山中城は1590年の戦い以来、長い間放置されてきました。1930年、一柳直末の子孫の方が史跡とする計画を立てました。その結果、1934年に城跡は国の史跡に指定されました。更に、三島市は1972年から1993年にかけて発掘を行い、歴史公園として整備してきました。そのおかげで私たちはその公園を訪れ、歴史を学び、くつろげるのです。

障子堀と富士山

私の感想~My Impression

山中城跡公園の整備は、約30年前の1993年に完了しました。これは日本の歴史公園の中では、最も早い事例の一つではないかと思います。これは現在整備中の他の城での歴史公園にとって、良いお手本になりうるものです。もともと、箱根関の西側の坂は、富士山を見るのに最高の場所です。天気がよければ、富士と城跡の両方の景色を楽しめるでしょう。

城跡から見た富士山

ここに行くには~How to get There

車で行く場合:
東側からは、西湘バイパス箱根口ICから約30分かかります。
西側からは、東名自動車道沼津ICから約40分かかります。
公園の入口に駐車場があります。
バスの場合は、三島駅の南口から元箱根港行きの東海バスに乗って、山中城跡バス停で降りてください。
東京から三島駅へ:東海道新幹線に乗ってください。

リンク、参考情報~Links and References

山中城跡公園、三島市観光協会
・「歴史群像66号、戦国の城/強襲 山中城」学研
・「よみがえる日本の城11」学研

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