特徴、見どころ
Introduction
今回は、沼田駅前からスタートします。「真田の里」の旗がお出迎えです。この駅は、河岸段丘の麓にあるので、ここから段丘を登っていきます。その方が要害にあった城を感じることができるでしょう。城跡がある沼田公園はちょうど桜の季節なので、一緒に見学しながら、天守がどこにあったのかも、探してみたいと思います。その後は、天空の城下町を散策して、昔からの用水路も見学しましょう。

要害を感じながら城跡へ
駅から城跡の沼田公園までは、1キロくらいの距離ですが、7、80mの高さの段丘を登るので、遠く感じるかもしれません。五重の天守ディスプレイもお出迎えです。坂をずっと登っていきます。だんだん急になってきます。ここは「滝坂」と呼ばれています。近くに「滝坂川」が流れていますが、沼田の用水のことです。沼田を潤した用水が、台地の端まで来ているのです。ショートカットの階段を登ると、坂はますます急になります。:階段を出ると、崖が見えて、要害の場所というのがわかります。平らになってくると、そこは台地の上です。かつてはこの辺に「滝坂門」がありました。左に曲がって、ずーっと歩いていくと門が見えてきます。沼田公園の入口です。





城跡と御殿桜を見学
公園の入口は、三の丸の一部でした。入ったところに観光案内所があります。それでは、公園の中、元の本丸に入っていきましょう。中心部は花壇になっていますが、今回は「要害」を感じたいので曲輪の縁(へり)を歩いていきます。さっそくいい景色が見えます。城が要害の地に築かれたことがわかります。近くには、公園のシンボルになっている鐘楼があります。明治時代から戦後まで、沼田の町で真田時代の城の鐘を使って建てられていたものが、公園に復元されています。現在の鐘は、レプリカだそうです。:




どんどん進んで行くと、次は西櫓台です。真田信利が改易となったとき、これも壊され、埋められましたが、発掘された石垣を見学することができます。その櫓台の上にある「御殿桜」は、樹齢400年以上と言われています。つまり、真田時代からあったということになります。真田時代からの石垣と桜、素晴らしいコンビです。


もっと見ていたいですが、次に進みましょう。公園としては「下公園」と呼ばれている場所で、城の時代には「捨曲輪」「古城」と呼ばれました。沼田城が最初に築かれた場所で、沼田顕泰が築城したと言われています。「平八石」というのが置かれています。真田昌幸が城主だったときに、顕泰の子・平八郎が城を奪おうとして返り討ちに遭い、その首が置かれたとのことです。戦国時代に逆戻りです。台地の角に着くと、これもいい眺めの場所です。ここから、名胡桃城があった辺りも見えます。名胡桃城事件があったときは、こっちは北条、むこうは真田で張り合っていました。


天守はどこに?
次は、今は幻の天守の場所を探しましょう。絵図を見ると、天守は、捨曲輪(古城)から続く、本丸の東側の堀に沿って立っています。そこで捨曲輪から折り返して、堀みたいなところを探すと、向かって左側は堀っぽいです。なるべくそれに沿って進んでみますが、今は完全に公園になっていますので、それなりに歩くと通路に出ます。その辺りに「天守跡」の石碑があります。これがなければ、五重の天守があったとは、全然わかりません。ただこの周辺(本丸堀)を発掘調査したときには、大量の瓦及び金箔瓦が発見されています。最近では、信之時代(旧)と信利時代(新)と考えられる新旧の天守礎石が発見されました。信利が天守を修復した記録があるそうです(1658年、明暦4年に本丸をかさ上げした時など)。天守も城も短期間で埋められたそうですから、他にもいろいろ出てきそうです。これからに期待です。


発掘されて見学できるものが他にもあります。本丸堀と石垣の一部です。発掘された辺りにも櫓がありました(「東櫓」または「巽櫓」)。櫓があったと思われる場所まで行けそうです。休憩スペースになっていて、石垣も見学できます。城の姿が、少しずつ明らかになってくるのが楽しみです。


公園パートの最後に、面白い現象をご紹介します。公園の東側の、旧野球グラウンドの場所を航空写真で見ると、箇所によって、植物の成長に違いに見られるそうです(クロップマーク)。これは、堀跡だった場所と、それ以外の場所によって生じた可能性があるそうです(沼田市資料による)。城が自己主張しているようです。

天空の城下町を散策
今度は城下町(市街地の坊新田町)にやってきました。ここも坂になっています。この通りは大手道で、この辺りには木戸が設けられていました(七木戸の一つ)。ちょうど坂を上がった所が関門になっていたのです。最近は「ようやっと坂」とも呼ばれているようです。大手道は当然防御されるべきなので、他にも仕掛けがありました。右側(東側)には寺が続いています。いざというときに、防衛拠点にするためです。この辺は「坊新田町」といって、信之から信吉の時代に作られ、寺が集められました。金剛院の大灯篭が見物です。少し離れますが、左側(西側)にも、小松姫のお墓がある正覚寺があります。



中町を越えると、道は狭くなります。「お馬出し通り」と呼ばれていて、今もかつての雰囲気が残っています。また門が見えてきました。大手門跡です。


次は、先ほど大手道と交差した中町です。一見普通の商店街に見えますが、ちょっと歩いてみると、建物が少し斜めに建てられて、手前にスペースができているのが見て取れます。これは「武者隠し(武者最後に、真田信吉のお墓がある、天桂寺にやってきました。隠れ)」といって、通りを攻めてくる敵を、待ち伏せできるようになっていました。


最後に、真田信吉のお墓がある、天桂寺にやってきました。お寺の傍らを、沼田の用水が流れています。最初に見た滝坂川のことですが、城堀川とも呼ばれています。町の開発に努力した信吉が眠るのに、相応しい場所だと思います。



私の感想
真田の城や町づくりが、一見あまり残っていなさそうで、実は今でもしっかり保存されていることがわかりました。御殿桜もきれいでした。

リンク、参考情報
・沼田城跡、沼田市ホームページ
・沼田市歴史資料館、沼田市ホームページ
・「沼田市史」
・「歴史群像188号 分析 謙信越山/入澤宣幸著」
・「真田信之 真田家を継いだ男の半生/黒田基樹著」角川選書
・「沼田藩真田用水群の魅力/真田陽水研究会」上毛新聞社
・「磔茂左衛門一揆の研究 /丑木幸男著」文献出版
・「発掘 沼田城かわら版 第1号、第2号」沼田市教育委員会文化財保護課
・「沼田市指定史跡沼田城跡 調査・保存整備事業の成果1・2」沼田市教育委員会文化財保護課
「沼田城その3」に続きます。
今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しました。よろしかったらご覧ください。