59.姫路城 その4

現在もなお城は生き残ろうとしています。

特徴(西の丸)

西の丸は天守の西南の鷺山にあります。ここは最終的には本多忠政により改修されました。彼は徳川幕府の創始者である徳川家康の娘、千姫と結婚していました。この曲輪は大きく、百閒廊下に入場することができます。中には石落としのような戦いのための設備もありますが、千姫に仕えたかもしれない女性のための部屋もあります。この曲輪からの天守の姿はとても優雅です。

城周辺の地図

西の丸にある百閒廊下
西の丸から見える天守

私の感想

姫路城は自然の地形に囲まれているからこそより見栄えがするのだと思います。例えば天守の建物はそれだけでも美しいのですが、天守が建てられている山や自然の造形物と一緒の方がより美しく見えます。

天守の建物だけの画像
自然との組み合わせがより美しい天守

更には、2013年にこの城を訪れたとき、面白い経験をしました。そのときこの城は平成の大修理の最中でした。大天守は工事用のカバーに覆われていました。しかしながら、観光客は工事用建物に入り、天守を間近に見ることができたのです。そこでは天守の天辺の屋根瓦の隙間が厚い漆喰で固められているのを見ました。漆喰の厚さは3cmあり、昔より厚くなっているそうです。これは荒天から城を守るためで、現在もなお城は将来生き残ろうとしているのです。

平成の大修理の際の工事用のカバー
間近に見えた天守の屋根瓦

ここに行くには

車で行く場合:播但連絡道の花田ICまたは砥堀ランプから約15分かかります。城周辺にいくつか駐車場があります。
姫路駅から:駅北口前の姫路駅前バス停から城周辺観光ループバスに乗り、姫路城大手門前バス停で降りてください。駅から歩いた場合は約20分かかります。

リンク・参考情報

世界遺産 姫路城(公式サイト)
・「歴史群像名城シリーズ10 姫路城」学研
・「よみがえる日本の城4」学研
・「日本の城改訂版第6号」デアゴスティーニジャパン
・「歴史群像51号、歴史群像流 姫路城の歩き方」学研
・「歴史群像99号、戦国の城 播州姫路城」学研

これで終わります。
「姫路城その1」に戻ります。
「姫路城その3」に戻ります。

149.小牧山城 その3

徳川氏により守られた山と城跡

その後

1584年の戦いの後、小牧山城は再び廃城となりました。江戸時代の初期、巨石の一部が名古屋城の建設工事のために持ち去られました。そのために一旦割られたが、結局使われなかった石を見ることができます。江戸時代の間、徳川氏は人々が小牧山に入るのを禁じました。この場所は創始者である家康の「御勝利と御開運の御陣跡」とされたためです。近代になっても長い間この山は徳川氏の私有地となっていました。そのために城の基礎部分がよく残っていると言われています。徳川氏が国に山を寄贈した後、1927年に城跡は国の史跡に指定されました。

名古屋城建設のために割られたが使われなった石
公園の北入口に展示されている土塁の断面

私の感想

以前、小牧山城は信長の次のステップのための単なる一時的な陣地だと信じられてきました。ところが、最近の発掘調査の成果により、この城に関する考え方は変わりました。私も実際に残っている巨石を見て驚きましたし、これは信長の城づくりの考え方によるものだと学びました。将来、また新しい発見や研究が出てくることが楽しみです。

山上に残る巨石群
山上からの眺め

ここに行くには

車で行く場合:
東名自動車道の小牧ICから約10分のところです。
小牧市役所を含む山の周辺にいくつか駐車場があります。
電車の場合は、名鉄小牧線の小牧駅から歩いて約30分かかります。
東京または大阪から小牧駅まで:
東海道新幹線に乗って名古屋駅で降り、地下鉄東山線に乗り換え、栄駅で地下鉄名城線に乗り換え、平安通駅で名鉄小牧線に乗り換えてください。

リンク、参考情報

史跡小牧山、こまき市民文化財団
・「信長と家臣団の城/中井均著」角川選書
・「信長の城/千田嘉博著」岩波新書
・「日本の城改訂版第128号」デアゴスティーニジャパン

これで終わります。
「小牧山城その1」に戻ります。
「小牧山城その2」に戻ります。

149.小牧山城 その2

信長と家康の遺産を見ることができます。

特徴

土塁に囲まれた山と城

現在でも、小牧山は緑の木々に覆われ、平地の上に目立って見えます。頂上にある建物は天守のように見えますが、小牧市歴史館です。小牧市は、この山全体を史跡公園として整備してきています。2019年には山麓に小牧山城史跡情報館がオープンしました。

市街地から見える小牧山

城周辺の航空写真

山に近づくと、山を取り囲む土塁や空堀を目にすることができるでしょう。これらは1584年の小牧長久手の戦いの際に徳川家康により築かれたものです。東側の御幸橋入口から木橋を渡り、食い違いになっている土塁を通って公園の中に入っていきます。この橋はもとからあったものではなく、観光客が公園に入り易いように作られたものです。土塁の内側は平らな曲輪が広がっており、信長や家臣たちの館があり、また家康の軍勢の駐屯地となっていた所です。

土塁に囲まれた山
御幸橋入口
土塁の内側

安土城と似ている大手道

南側の正面入口からは、もとは信長が作った大手道を山に向かって登っていきます。この道は山の中腹まではまっすぐ伸びていてそこから上はジグザグになっています。この形態は、信長の最後の本拠地となった安土城のものととてもよく似ています。これは、彼が築城に関する考え方をかなり早くから持っていたことを意味します。

小牧山城の大手道
安土城の大手道
中腹から上の大手道
安土城の大手道(中腹より上)

山上に残る巨石と石垣

小牧市歴史館が山の頂上にありますが、かつてはそこが本丸でした。頂上の周辺には、巨石がいくつも転がっているのが見えます。実はこれらの石はもともと本丸を囲む石垣として組み込まれていたものです。石垣の一部は今なお現存していますが、信長ではなく、家康が築いたものと考えられてきました。ところが、最近の発掘により、信長が巨石を使って築いたことが判明しました。三段積みにより作られ、彼の権威を表していたのです。現在では、信長独特の方法で築かれた、城の石垣としては非常に速い事例として認められています。

小牧市歴史館 (licensed by Bariston via Wikimedia Commons)
頂上付近
「転落石」の一つ
現存している石垣

「小牧山城その3」に続きます。
「小牧山城その1」に戻ります。