特徴、見どころ
豊かな恵みやときには水害をもたらす球磨川
現在、人吉城跡に近づいていくと、人吉盆地の周りの山々からの水を集めた球磨川の雄大な姿が目に入ってきます。そこでは学生たちがカヌーの練習をしているのも見えたりします。
この川の豊かな水は、温泉、球磨焼酎、鮎などの土地の名産、名物を生み出すとともに、時には洪水の被害も引き起こします。最近の出来事としては、2020年6月に球磨川水害が発生し、実際に川沿いにある城跡に深刻な被害をもたらしたのです。城跡は既にビジターを受け入れるところまで復旧していますが、2023年9月時点で人吉城歴史館はまだ休館となっています。
謎の地下室水槽
歴史館は、城では一番低い川岸地区にあり、かつてそこには大手門、藩の施設、重臣の屋敷などがありました。櫓(隅櫓、大手門脇多門櫓)とこの地区を囲む白壁が復元されています。実は歴史館は、江戸時代に追放された相良清兵衛の屋敷と全く同じ場所にあるのです。
城周辺の航空写真この屋敷について大変興味深いことがあるのですが、屋敷跡の地下室から石造りの水槽が発見されたのです。水槽の水は川から引かれていて、その深さは2m以上あります。今のところ、他の日本の城には類似した事例は見つかっていません。中には、これはユダヤ教の神殿の沐浴施設だったのではないかと考える人もいます。実際の施設とよく似ているとのことです。人吉地域にはキリスト教が禁止されていた江戸時代の間、隠れキリシタンの人たちがいました。そのうちの誰かがユダヤ教に関わっていたのかもしれません。
御殿跡を巡る跳ね出し石垣
となりの地区は、以前「御館(みたて)」と呼ばれる城主の御殿だったところです。現在では相良護国神社となっています。御殿に関連するものとしては、池泉庭園、入口のところの堀にかかっている石橋、そして御殿を囲んでいた石垣が残っています。
特に、川に面した部分ある石垣は跳ね出し形式になっていて、最上部の列の石が飛び出して積まれ、敵が登って侵入してくるのを防いでいました。そのため、この仕組みは「武者返し」とも呼ばれています。日本の他の城でも滅多に見られないもので、江戸時代末期に築かれた「五稜郭」「品川台場」「龍岡城」に見られるのみです。
その石垣の手前の方には水の手門跡があって、球磨川の方に開いています。かつて城が水上交通にも関与していたことがわかります。