特徴、見どころ
丘陵と谷が広がっている城跡
今日、原城跡はかなりの大きさを維持しており、その外周は約4kmに及びます。本丸はその多くが公有地となっていて、観光客向けに整備されています。二の丸と三の丸を含む城跡の多くは私有地となっており、畑地として使われています。その城跡の地を歩き、見渡してみると、そこには広大な丘や谷があり、城の姿を想像することができます。通常、日本の多くの城の曲輪は緊密に連携しながら機能していました。ところが、原城の曲輪を見てみると、まるで近代的な要塞のように独立して運用されていたのではないかと感じます。このことが、反乱軍が幕府と互角に渡り合うことができた理由かもしれません。
二の丸と三の丸を歩く
もし車で城跡を訪れる場合は、二の丸と三の丸の中間の海際にある駐車場に車を停めることができます。その駐車場から本丸までは、約800m歩く必要があります。歩きながら、この城の大きさを実感することができます。大手門跡を通り過ぎた後の最初の交差点で右に曲がってみると、三の丸にある板倉重昌の記念碑に至ります。彼は島原の乱の初期段階において、ここで撃たれて亡くなりました。
城周辺の地図本丸に向かう道に戻ってみると、左側には広大な二の丸が見え、右側には二の丸出丸が見えます。地元の人たちによると、2万人もの反乱軍の遺骨がいまだに畑地の下に埋まっているといいます。
日本有数の本丸虎口
本丸に近づくにつれて、今も本丸を囲む立派な石垣が見えてきます。しかし、この石垣は幕府によってほとんど埋められた後、発掘により姿を現したものなのです。歴史家でさえこのような石垣が城にあったと思っていませんでした。もちろん、この石垣は破壊される前はずっと高かったはずです。
本丸周辺の地図、点線はかつての虎口内の推定進路虎口と呼ばれる本丸の入口も発掘され、観光客向けに整備されました。実はここは、殺された反乱軍の人たちの骨が石垣と一緒に埋められていた場所なのです。この入口は、桝形と呼ばれる四角い空間が連結され、この場所を防御するために迷路のようになっていました。歴史家によると、城があった当時は、本丸の中に入るまでに5回から10回も曲がらなければならなかったのではないかとのことです。発掘により、原城の虎口は日本でこれまで見つかったものの中で最大級と判明しました。
広場になっている本丸内部
本丸の中は現在広場になっています。本丸の外周に沿って、本丸門跡、櫓台、池尻門跡があります。また、島原の乱の記念碑や天草四郎の銅像などもあります。本丸は、海沿いの急崖の上にあるため、有明海や、遥かに雲仙岳の素晴らしい眺めを楽しむことができます。