その後
江戸時代における諏訪氏による支配の後、高島城は廃城となり、ほとんどすべての城の建物は撤去されました。本丸は1876年に高島公園となり、その中に諏訪護国神社が1900年に創建されました。他の曲輪は市街地になっていきました。第二次世界大戦後、諏訪市長は城の一部を再建するための寄付を市民に呼びかけます。半数以上の市民がそれに応え、1970年以来、公園は今見ることができる姿になったのです。
私の感想
高島城は、諏訪湖や諏訪大社よりは有名でないかもしれません。私自身、この城がかつては湖畔にあったことを知って驚きました。湖の畔に立派な城ができた当時の人たちもきっと驚いたのではないでしょうか。諏訪湖は古代には今より3倍の大きさがあったと言われています。この地域の人たちは、遥かな時間をかけて干拓を続けてきたのです。高島城も確かにこの過程にあったのでしょう。
ここに行くには
車で行く場合:
中央自動車道の諏訪ICから約15分かかります。
高島公園に駐車場があります。
電車の場合は、JR上諏訪駅から歩いて10分のところです。
東京から上諏訪駅まで:
新宿駅に特急あずさ号かかいじ号に乗ってください。
リンク、参考情報
・諏訪高島城(公式ホームページ)
・古代の「諏訪湖」は広かった!? 高島城(諏訪の浮城)の謎(浜の湯公式ブログ)
・「日本の城改訂版第42、44号」デアゴスティーニジャパン
これで終わります。ありがとうございました。
「高島城その1」に戻ります。
「高島城その2」に戻ります。