特徴、見どころ
今に残る外堀
お時間があれば本丸から、まだ残っている外堀の方に歩いてみてはいかがでしょう。本丸の端まで歩いて行くと、石垣のラインがずっと続いているのが見えます。このうちの一部は、西南隅櫓台石垣とともに最近になって復元されたものです。これらの復元により、城の本来の姿が少しずつ甦りつつあります。外堀は今でも水に満たされていて、50m以上の幅があります。この風景を見ていると、この城はもともと多くの堀や水路によって守られていたのだと改めて認識します。
城周辺の航空写真その後
明治維新後、佐賀城は佐賀県庁舎として使われました。そのため、佐賀の乱ではここが戦場となったのです。佐賀の乱が終わってからは、焼け残った本丸は校舎として使われました。しかし、本丸御殿は1920年に解体されてしまい、城主の居間は他の公園に移設されました。その後も残っていた鯱の門は、1957年に重要文化財に指定されました。1989年、佐賀県は発掘と調査研究を行った後御殿を復元し、歴史博物館として活用することを決定しました。御殿のうち、表と呼ばれる公の政務を行う場所が主に復元され、元の場所に戻された城主の居間と組合わされました。御殿は、2004年に佐賀城本丸歴史館として再度公開されました。
私の感想
佐賀県は、復元された本丸御殿をもって、佐賀藩が江戸時代末期においてどのような役割を果たしてきたか示そうとしています。この城跡には、他にも天守台石垣のような見どころがあります。これらを比べてみると、城の役割というのが変化してきたということがわかります。水で満たされた堀は完全に防御のためでした。天守はそれに権威を付け加えました。そして、御殿は統治と居住のために作られたのです。これらにより、佐賀城には幅広い機能が備わったのだと思います。
ここに行くには
車で行く場合:長崎自動車道の佐賀大和ICから約20分のところです。本丸にある駐車場に停めることができます。
公共交通機関を使う場合は、JR佐賀駅から佐賀市営バスの佐賀城跡線に乗って、佐賀城跡バス停で降りてください。
東京または大阪から佐賀駅まで:新幹線か飛行機を使って博多駅に行き、そこから特急に乗ってください。
リンク、参考情報
・佐賀県立 佐賀城本丸歴史館
・「よみがえる日本の城21」学研
・「幕末維新と佐賀藩~日本西洋化の原点」中公新書
これで終わります。ありがとうございました。
「佐賀城その1」に戻ります。
「佐賀城その2」に戻ります。