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特徴、見どころ
竹林に覆われた城跡
今日、小机城跡は横浜市によって、小机城址市民の森という公園として保存されています。横浜市は、東京23区を除くと、日本で最も人口が大きい都市で、約380万人の市民が暮らしています。城跡の周りの丘陵地帯でさえ、近代的施設、ビル、住居がひしめいています。ところが、城跡に一歩踏み入れると、そこはまるで別世界のようです。城跡がある丘陵はおおむね、美しく且つよく整備された竹林に覆われています。城の基礎部分は、この竹林の下に残っているのです。
城周辺の地図根古谷と呼ばれる丘の麓からよく整備された通路を登って行くことができます。
広大な空堀
やがて、外郭の土塁の頂上に着くと、曲輪群の手前にある大規模な空堀が見えてきます。この空堀は、今でも約13mの幅と12mの深さがあります。かつてはもっと深かったに違いありません。発掘調査のチームがこの城の他の空堀の底を2m以上掘っても、元々の堀の底には到達しなかったそうです。
通路は、空堀の最も高い位置にあたる外郭土塁の上を進んでいますが、堀の傾斜が緩やかになっているところがいくつかあり、そこから堀の底に降りていくこともできます。堀の底に立って上を見上げてみると、この城の新たな一面が見えてくるようです。
発掘中の東ノ曲輪
城跡の正面から見て外郭土塁を右側の方に歩いて行くと、東ノ曲輪に着きます。この曲輪は現地では「二の丸」と表記しています。この曲輪の中央部分では発掘調査が続けられていて、かつてはいくつか建物がありました。
この曲輪の端で高くなっている土造りの櫓台に登ってみると、そこから曲輪の周りの空堀を見下ろすことができます。
この曲輪周辺の通路は、その空堀の底を通っていて、そこを歩いてみると、この曲輪の周りも美しい竹林によって覆われていることがわかるでしょう。
スポーツ広場となっている西ノ曲輪
正面から外郭土塁を左側に回っていくか、東ノ曲輪からつなぎの曲輪を超えていくと、西ノ曲輪に至ります。この曲輪も現地では「本丸」と称されています。この曲輪の中は広場になっていて、現在では野球などスポーツをするために使われています。この曲輪の入口には、本丸らしく見えるように、模擬的に冠木門が建てられています。しかし実は、歴史家たちは150年以上もこの曲輪が本当に本丸なのか議論しているのです。一部の歴史家は、東ノ曲輪こそが本丸であると主張しています。将来、発掘が進めば、本当のことがわかるかもしれません。
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