181.小倉城 現地編

今回はまず、最大の門だった虎ノ門跡から天守まで攻め込みます。その後は、残っている城の他の部分を歩きましょう。そして、広大だった城の痕跡も探ってみます。最後はついに、巌流島に上陸です。

イントロダクション

今回は、小倉城下町の中心地だった常盤橋からスタートします。橋の跡ということで、江戸時代の橋脚が展示されています。そして、橋そのものも木造で復元されていたはずなのですが、そんな橋は見当たりません。復元された橋は、老朽化で解体されたとのことです。

常盤橋跡
復元された橋があった場所

この橋は、長崎街道などの起点で、周りに湊もあって賑わっていました。その雰囲気を味わいたかったのですが残念です。今後架け替えも検討するそうなので、新しい橋ができたら渡ってみたいものです。

常盤橋のジオラマ、小倉城天守内で展示
解体される前の復元橋

それでは、紫川沿いに城に向かいましょう。今でもこの川が町の中心を流れていて、リバーサイドがよく整備され、気持ちがいいです。

紫川

現在の城の北の入口、虎ノ門跡の前に来ました。今回はまず、ここから天守まで攻め込みます。その後は、残っている城の他の部分を歩きましょう。そして、広大だった城の痕跡も探ってみます。最後はついに、巌流島に上陸です。

虎ノ門跡

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(小倉城と巌流島、現地ツアー)

いきなり天守を攻略

城周辺の地図

虎ノ門は、48あった小倉城の門のうち、最大のものでした。鏡石を含む、すごい石垣に囲まれた、枡形になっています。さすが最大の門です。

虎ノ門の桝形

天守を目指して進みます。左側(南側)は、小笠原時代には藩主の別邸がありました(「御下屋敷」)。現在、その別邸の庭園が「小倉城庭園」として復元されています。

左側は、かつての藩主別邸、現在の小倉城庭園
小倉城庭園(内部)

そうするうちに、天守が現れました!これはかなり大きいです。実は、現在の小倉城天守は、オリジナルより高く作られていて、全国に今ある天守の中では、6番目の高さになっています。創建当時は一階の広さがナンバー1だったというから、もっと大きな天守を建てることができたのかもしれません。

復興天守
全国天守高さ比べ、小倉城天守内で展示
小倉城創建当時の天守規模比較、小倉城天守内で展示

オリジナルの天守台石垣(高さ18.8m)を含めた姿も注目です。石垣がまっすぐ広がっている感じです。

復興天守と天守台石垣

ここでは天守を眺めるだけですので、改めて天守入口を目指します。敵だったらとっくに攻撃されているでしょう。この辺りにも「大手先門」がありました。

大手先門跡

大手門跡に着きました。ここも堂々とした石垣と枡形です。いかにも、ここからお城の中心という感じがします。ただ、ここが大手門になったのは、小笠原時代とのことです。しかし天守に近い門なので、細川時代から重要な門だったのでしょう。

大手門跡

その先は天守までまっすぐ行けてしまいそうです。今はそうなのですが、江戸時代はまた別の門を通る必要がありました。その一つが、欅門です。この門を通れるのは、藩主・家老・高位の僧のみでした。敵どころか、お殿様気分です。

現在は天守までまっすぐ、欅門跡は左側へ
欅門跡

天守に着きました!江戸時代と同じように、続櫓から天守に入ります。天守内部は5階構成になっていて、1階はエンターテイメントエリア、2階は小倉の歴史を学べるフロアです。オリジナル天守の模型があります。

天守に到着
天守への入口
天守1階
天守2階

3階はなんと小次郎と武蔵のコーナーになっています。武蔵のフィギアがあって、とても敵いそうにありません。

天守3階(小次郎のコーナー)
天守3階(武蔵のフィギア)

最上階はカフェになっています。小倉の街もよく見えます。

天守最上階
最上階からの眺め

現・小倉城の周りを歩く

城周辺の航空写真

今度は、西から本丸に迫ってみましょう。ここも立派な門の跡です。ここには西ノ口(にしのくち)門があって、細川時代はこちらが大手門でした。かつてはここも枡形だったようです。

西ノ口門跡

入っていくと、右側(南)に新しめの門跡があります。本丸の南側は松の丸で、門跡は、明治以降に軍隊によって使われた時代のものです。細川時代には細川忠興の父・幽斎(藤孝)の居所でした。

松の丸の歩兵第十二旅団本部正門跡

その向かい側に、本丸の別の門跡があります。鉄(くろがね)門跡です。一般の家臣は、こちらの門を使って出入りしていました。身分によって通る道も分けられていたのです。

鉄門跡

また軍隊風の門が見えてきました。こちらは本丸にあった司令部のものです。門だけでも歴史がわかります。

本丸の第十二師団司令部正門跡

そこから進んだ本丸内部には、江戸時代には御殿がありました。また天守とご対面です。しかも、ここにも武蔵と小次郎がいました!

本丸
本丸の武蔵・小次郎像

続いて、大手門跡の前に戻って、城の外側を巡ってみます。南側に回り込んでいくと、右手に松の丸の石垣が見えます。左手は三の丸跡で、かつては重臣たちの屋敷がありました。その後は大きな軍事工場(小倉工廠、後に小倉陸軍造兵廠)になりました。そこが2発目の原子爆弾の第一目標地点になったのです。跡地には原爆犠牲者の慰霊碑も設置されています。これも忘れてはいけない歴史です。

松の丸の石垣
三の丸跡
原爆犠牲者慰霊平和祈念碑

さっき通った西ノ口門跡を右手に見ながら北に進みます。また堀と石垣が見えてきましたが、本丸と北の丸になります。北側に回り込んで、北の丸に入りましょう。まるで城のような立派な建物がありますが、1934年から八坂神社の敷地になっているのです。ちなみに、江戸時代には藩主の奥向きの屋敷地でした。

右側に進むと西ノ口門跡です
北の丸(左側)と本丸(右側)
北の丸の北西隅
北の丸に建つ八坂神社の建物

実は、北の丸からの通路が結構面白いのです。一つ目は本丸への通路です。本丸へのもう一つの門だった多聞口(たもんくち)門の跡周辺には、毛利勝信時代の古い石垣が残っているのです。この門も、枡形になっています。

八坂神社(北の丸)
本丸への通路
多聞口門跡

それから、逆の方に向かっていくと、北口(きたくち)門跡を抜けて、最初に天守を眺めたところに出るのです。城というのは、守りを考えながらも、それぞれが通じるようにも作っているのでしょう。

北口門跡、神社の門になっています
通路が神社の参道になっています
天守のビュースポットに戻りました

広大だった城の痕跡を探る

次はどこに行くかというと、神社の鳥居の脇にある大石が、かつてあった場所です。小倉城の外郭の門の一つ、中津口(なかつぐち)門の跡です。大石は門の石垣に使われていました。中津口は中津街道に通じる重要な関門だったのです。

かつて中津口門で使われた大石が鳥居脇に見えます
中津口門跡

城の絵図を見ると、城の中心部よりかなり離れています(直線距離だと1kmくらいでしょうか)。城はかつてはこんなに大きかったのです。しかも、手前の橋の下を流れる川(砂津川)は、外堀として掘られたものなのです。その外堀をたどって、門司口門跡まで行ってみましょう。

「小倉藩士屋敷絵図」、中津口門は東の端にあります、現地説明パネルより
砂津川(小倉城外堀)

外堀と言われなければ、普通の川にしか見えません。その途中には「富野口」もありました。

小倉周辺の地図

砂津川(小倉城外堀)、向こうの橋辺りが富野口

線路も渡っていきます。新幹線の高架下に来ました。説明パネルがあります。門司口門跡に到着です。こちらは門司往還に通じていて、大名の参勤交代にも使われました。ここも重要な関門だったのです。現在も、砂津川にかかる橋を渡って、門に入っていくルートを追体験できますが、その当時は3回折れ曲がる必要がありました。

奥が新幹線の高架
現地説明パネル
門司口門跡

せっかくなので、海が見えるところまで行ってみましょう。船(市営渡船)が出るところまで来ました。この向こうに、巌流島があるのです。

小倉港(市営渡船)
ここから巌流島は見えませんが・・

いよいよ巌流島へ!

門司港駅に来ました。駅舎がレトロ感満載です。

門司港駅ホーム
門司港駅駅舎

これから、巌流島連絡船に乗り込みます。関門橋も見えます。船はぐんぐん進んで、もう島が見えてきました。片道約10分の航海です。

巌流島連絡船
関門橋を見ながら出発です
島が見えてきました

巌流島に着きました!現在の島はビジター向けに整備されているようですが、やはり「小次郎・武蔵像」に行ってみましょう。城跡とはちがうものとはわかっていても、なんだかわくわくします。途中には記念碑がたてられています

巌流島入口
巌流島決闘の地木碑と文学碑

そして、いよいよです。武蔵と小次郎、迫力満点です!

小次郎・武蔵像
迫力満点です

佐々木巌流之碑にお参りをしたら、帰りの船まで、島と関門海峡をゆっくり見物しましょう。武蔵が乗った船を再現した展示まであります。この海峡では、壇ノ浦の戦い、下関戦争などが起こっていて、巌流島の決闘もそれらの出来事の一つでした。今でも結構船が行き来していて、それを眺めていると落ち着いた気分になります。

佐々木巌流之碑
巌流島からの眺め
武蔵の伝馬船(再現)
現在も船が行き交う関門海峡

私の感想

現在の小倉城はイベント開催に力を入れていて、ライトアップは毎日あって、色が変わる日もあるそうです。天守攻略は何度やっても気分がいいものです。違った趣きの城をまたゆっくり見学したくなります。

ライトアップされた天守

リンク、参考情報(追加分)

「小倉城ものがたり 第41話 小倉城の“門”紹介(2)」~城内の門の読み方を参考
「「人力」旧街道紹介サイト 中津口門」~外郭の門の読み方を参考
巌流島、山口県観光サイト

「小倉城 歴史編」に戻ります。

これで終わります。ありがとうございました。

58.明石城 現地編

今回はまず、明石城正面の入口から入って、本丸まで行ってみます。次に、本丸に残る櫓を見学して、丘の上の曲輪群を進みます。それから、表からは目立たない、城の裏側の防御の仕組みも見学しましょう。最後は、城下町から港を巡り、明石海峡にある舞子台場跡まで行ってみます。

イントロダクション

今、明石駅のホームの上にいます。ここから、明石城の2つの三重櫓がばっちり見えます。左側が坤櫓、右側が巽櫓です。最初からなかなか壮観です。でも城の石垣は右側にずっと続いています。そちらの方にも行ってみようと思います。

明石駅ホーム上から見える明石城
2基の現存三重櫓
坤櫓
巽櫓
二の丸・東の丸に続く石垣

駅前に降りてきました。駅前がもう堀になっています(中堀)。城跡の明石公園に進みます。アクセスはすごくいいです。

明石駅前
振り返るともう中堀です

公園の入口にもすぐ着きます。今回はまず、正面の入口から入って、本丸まで行ってみます。次に、本丸に残る櫓を見学して、先ほどホームで見た丘の上の曲輪群を進みます。それから、表からは目立たない、城の裏側の防御の仕組みも見学しましょう。最後は、城下町から港を巡り、明石海峡にある舞子台場跡まで行ってみます。

明石公園入口

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(明石の城から城下町・明石海峡めぐり)

近そうで遠い本丸

城周辺の航空写真

城の正門だった太鼓門跡から入っていきます。さすが正門だけあって、堂々とした枡形です。かつては正面と、曲がった先にそれぞれ門がありました(定ノ門・能ノ門)。石垣だけでも、城の中は全然見えません。奥の門の二階には、時刻を知らせる太鼓(「とき打ち太鼓」)があって、それが名前の由来になっています。現在、門を抜けたところには、太鼓打ちロボットがいたり、明石公園サービスセンターがあります。

太鼓門跡
太鼓打ちロボット
明石公園サービスセンター

本丸を目指して、進みましょう。今歩いている所は、台地下の三の丸で、左手にはかつて、お殿様の居館「居屋敷」がありました。右手には現在、一部再現された「武蔵の庭園」があります。

三の丸
武蔵の庭園

どんどん、巽櫓が迫ってきます。本丸はすぐ近くにありそうです。しかし、まだまだ本丸は遠いのです。右手にある、武蔵の提案(馬の歩幅ピッチ)が取り込まれたという階段は、二の丸にしか行かないのです。左手の石垣に沿って、回り込んでいく必要があるのです。これは長い道のりになりそうです。石垣が二段構えになっています。敵だったらこうしている間にやられてしまうでしょう。

巽櫓
本丸・帯郭の石垣

今度は坤櫓が見えてきました。ここでやっと、本丸への入口となるのです。まだまだなにかありそうですが、進んでいきましょう。

坤櫓
本丸への入口

ここでも、坤櫓が立ちはだかっています。さらに進んでいくと、すごい壁が現れました。これが天守台です。建物はないのにこの威圧感です。石垣だけでも十分防御陣地になったのではないでしょうか。しかも後ろには櫓も控えているのです。

立ちはだかる坤櫓
天守台
天守台と坤櫓

一応難所を突破したとして、次は、台地上の稲荷郭です。台地上の曲輪と言っても、本丸よりは低くなっています。しかも、本丸の入口は一番奥にあるのです。そして、最後の角を曲がるところにも乾櫓があったのです。櫓も天守台も、効果的に配置されていました。やっと本丸の埋門跡に到着です。

稲荷郭
乾櫓
本丸埋門跡

三重櫓と丘上の曲輪

本丸周辺の地図

これから本丸をまわりますが、来たときとは反対方向に見ていきたいと思います。今度は城を守る方から見てみます。まず、乾櫓跡に向かいます。案内はありませんが、角のところだと思います。

本丸
乾櫓跡

次は、天守台です。なんだか簡単に入って行けてしまいます。来る時に見た壁のような姿とは全然違います。上は広いですし、守備兵にとっては使いやすかったのではないでしょうか。坤櫓もすぐ近くです。本丸に来る時に通った稲荷郭もお見通しです。

天守台
天守台の上
天守台から見た坤櫓
天守台から稲荷郭を見下ろしています

いよいよ坤櫓に近づきます。内側に石垣がないせいか、気品を感じます。城内最大規模の櫓で、天守の代わりを果たしたと考えられています。内側なのに屋根の飾り(二重破風)がかっこいいところもいいです。さすが実質の天守です。

坤櫓(内側)

この日は坤櫓の中には入れなかったのですが、向こうの巽櫓には入ることができました。その前に手前の展望台からの景色を楽しみます。街が一望できます!これから行く巽櫓に、明石海峡大橋も見えます。

展望台
展望台からの眺め(南側)
展望台からの眺め(東側、巽櫓と明石海峡大橋)

巽櫓に入ります。見学できるのは一階部分だけになりますが、説明パネルや、部材みたいなものがたくさんあります。格子窓がありますので、外を眺めてみましょう。西側の窓からは二の丸の方が見えます。武蔵提案の石段もあります。

巽櫓(内側)
巽櫓(内部)
巽櫓からの眺め(東側、二の丸)

今度は正面の南側を見てみましょう。三の丸が見えるのですが、櫓の一階からでもこんなによく見えのかと思ってしまいます。先ほど櫓を見上げた場所が眼下にあります。

巽櫓からの眺め(南側、三の丸)

ところで、この櫓には筋違がたくさんあって、バリバリに補強されています。これらは、明治か昭和の大修理のときに取り付けられたそうです。このおかげで阪神・淡路大震災を耐えられたかもしれないとのことです。

巽櫓の補強材

続いて、本丸から細い土橋を渡って、二の丸に進みます。更に、東の丸に進みます。石垣の上を延々と歩く感じです。国旗掲揚のポールが見えてきました。ここは、東の丸の端で、ここにも櫓があったのです。だいぶ進んだので、ここから見る海峡大橋は、心なしか、大きく見えます。

本丸・二の丸間の土橋
二の丸・東の丸間の門跡
石垣の天端部分
国旗掲揚塔がある櫓跡
櫓跡から見た明石海峡大橋

自然を生かした防御

今、東の丸の隅まで来ていますが、ここから城の裏側に進みます。東の丸の奥には、門跡が2つあります。ここも、重要地点だったのです。今回は北側の方から出ます。

東の丸の2つの門跡、左側が北側に出る方

門跡から出たところを、下っていきます。道は、自然散策路みたいになっています。でも、左手は石垣、右手は堀に囲まれています。

門跡を出て、右下に下ります
城の裏側を進む道

城の裏側にもこんなに高石垣があります。二の丸の裏側だと思います。

二の丸の高石垣

二の丸と本丸を隔てる大堀切までやってきました。向こうに見えるのは巽櫓です。更に本丸の手前の方には艮櫓がありました。先ほど歩いた本丸・二の丸間の土橋から下ってみると、堀切を作って、わざと狭い通路にしていたのがわかります。

大堀切
土橋から大堀切に下る階段

更に、堀を越えて北に進んでいくと、北の丸の石垣が残っています。こんなところまで城が続いていたことがわかります。

北の丸石垣

お時間があれば、更に北西の方の、剛ノ池に行ってみることもおすすめです。これも城を守った自然の障壁です。

剛ノ池

戻る途中では、坤櫓の正面の姿が良く見えます。これは、ますますかっこいいです!

坤櫓(正面である西側)

武蔵の城下町、海舟・龍馬の台場へ

最後のセクションはまず、宮本武蔵が町割りをしたと言われる城下町を、城の中堀から、その場所らしいアイテムをチェックしながら、明石港まで行ってみます。この中堀から南側、右手の方に武家屋敷があったのです。道路を渡ったところに、その遺構があります。明石藩の家老を務めていた家の長屋門です。こちらも船上城から移築されたと言われています。もしかして、一回再建された櫓より古いかもしれません。

中堀
織田家長屋門

武家屋敷と町人地の堺目の外堀は、現在の国道2号線辺りだったそうです。

国道2号線

町人地代表としては、魚の棚商店街に来てみました。いかにも町人地らしい雰囲気です。明石鯛もあります。

魚の棚商店街
明石鯛が並びます

明石港は」、意外に近いところにあります。基本的な位置は、江戸時代と変わらないようです。この先には、江戸時代以来の灯台が残されています。

明石港
明石港旧灯台(photoAC)

旧西国街道沿いにも古い町並みがあります。

大蔵の街並み

そして、今回の最終目的地、明石海峡に到着しました。海峡と大橋、素晴らしい景色です!船が通っていて、今も交通の要所です。舞子台場跡は、明石海峡大橋の西側にあるので、橋をくぐって右手に移動します。

明石海峡
明石海峡大橋

台場跡に着きました。ほんとうに海峡が目の前にあります。勝海舟・坂本龍馬が関わった台場です。だいたい、西半分のところを見学できるようになっています。それでは見てみましょう。

舞子台場跡

大砲風のベンチがあります。その先には「天端の石敷き」とありますが、大砲が据えられたか、壁の基礎だったとのことです。

大砲風のベンチ
天端の石敷き

海岸の方を見てみましょう。石垣があります。こちらもオリジナルだそうです。台場の形は残っているのです。明石海峡は、いろんなものが集まる場所なのです。

台場の石垣

私の感想

最近、全国各地で大きな災害が発生しています。多くの人々や町が被災しているのは痛ましいですし、城や史跡もダメージを受けてしまっています。ほんとうに悲しいことです。しかし、明石城やその周りをめぐってみて、災害に対する備えをしていたり、阪神・淡路大震災からも復興した姿を見ることができました。被災した各地も、時間はかかっても復興できるのです。復興に少しでも協力するとともに、復興する姿もレポートしていきたいです。

復興した明石城
巽櫓の筋違

リンク、参考情報(追加分)

・「史跡明石城跡石垣の修理と歴史判断」村上裕道氏資料

「明石城 歴史編」に戻ります。

これで終わります。ありがとうございました。

174.大内氏館・高嶺城 現地編

今回はまず大内文化や幕末の歴史が感じられる「香山公園」に向かいます。その次は、県庁エリアに移動して、山口城跡をご案内します。その後は、大内氏館跡や、築山跡に行って、最後は、高嶺城跡に登ります。

イントロダクション

今回は、山口市の常栄寺からスタートします。ここには、雪舟が作ったと言われる庭園があるのです。山門を入ったところからそんな雰囲気があります。

常栄寺山門

作庭を依頼したのは、戦国時代の大内氏当主・政弘とのことです。大内氏がどんどん栄えていくころの遺産なのです。本堂を上がって庭を拝見しましょう。まるで絵のようです。「雪舟庭」と呼ばれる池泉回遊式庭園です。反対側の「南溟庭」も見ものです。

雪舟庭(本堂より)
南溟庭

「雪舟庭」を歩いてみましょう。ここは、城館の跡がある市街地から少し離れているので、イントロに持ってきました。

雪舟庭(散策路より)

市街地に近づいて、雪舟のアトリエ・雲谷庵にやってきました。雪舟は山口に住み着いたとされています。ここから、大内文化や幕末の歴史が感じられる「香山公園」に向かいます。その次は、県庁エリアに移動して、山口城跡をご案内します。その後は、大内氏館跡や、築山跡に行って、最後は、高嶺城跡に登ります。

雲谷庵(復元)

山口周辺の地図

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。

特徴、見どころ(西の京・山口のお城とエリア別ガイド)

大内文化と幕末の歴史を感じよう(香山公園)

香山公園へ行くのに、少し寄り道をしていきます。錦の御旗製作所跡です。幕末の鳥羽・伏見の戦いで大きな役割を果たしたこの旗は、ここで作られたそうです。京都の西陣織とかではなかったのです。

錦の御旗製作所跡

市街地を流れる一の坂川に沿って歩きます。都会の川とは思えないほどきれいです。

一の坂川

そして、通りに入ってから見えてくるのが、瑠璃光寺五重塔です。これまた、絵になる風景です。大内盛見が、兄の義弘のために建てた供養塔です。

瑠璃光寺五重塔(遠景)
瑠璃光寺五重塔

国宝なのに、いつでもこんな近くまで拝観できるのです。それだけでもありがたいと思ってしまいます。盛見はここに香積寺を作ったのですが、毛利輝元の時代にその寺は萩に移り、代わりに瑠璃光寺がここに来たのです。

瑠璃光寺五重塔(近景)

香山公園には、山口を開いたと言われる大内弘世の像や、幕末の殿様、毛利敬親の墓もあるのですが、「沈流亭」という建物もあります。幕末の薩長の志士たちが、この階上で、薩長同盟の密議を行ったそうです。ここが歴史の舞台だったのです。

大内弘世像
毛利敬親墓
沈流亭

そこから五重塔が見えるので、志士たちは五重塔を見ながら密議を行ったのかと思ってしまいますが、この建物は移築されてきたとのことです。

沈流亭から見える五重塔

公園を出てからも、まだ見どころがあります。ときは室町時代に戻ります。今は洞春寺という寺の山門なのですが、もとは大内盛見が建てた国清寺のものだったそうです。境内には、室町時代の建物がもう一つあります。

洞春寺山門
洞春寺観音堂、これも室町時代の建物

実は、次のセクションでご案内する山口城跡は、すぐ近くなのです。ちょうどいい具合に入口があります。

香山公園から山口城跡への入口

山口城跡(県庁エリア)

歩いているところは、周りより高くなっています。確かに城っぽいです。説明パネルがありました。最近ここで調査が行われたとあります。大砲の絵があるので砲台があった場所のようです。角地に当たり、見晴らしがいい場所です。

砲台跡と思われる場所
説明パネル

城郭ファンとしては下に行って、土塁を見たくなってしまいます。ベースが石垣になっていて、頑丈そうです。ここから続く高まりは土塁だったのでしょう。追いかけていきます。土塁の端らしい部分もありました。

石垣をベースにした土塁
他の残っている土塁

ここから先は県庁の建物が並んでいます。ここまでかなと思うのですが、県庁の門を出たところから堀が残っているのです。今度は堀を追っていきましょう。結構城域の形はわかるのです。

山口県庁の建物群
残っている堀
堀の角部分

門が見えてきました。旧山口藩庁門です。明治になってからの建物ですが重要文化財に指定されています。

左奥に門が見えます
旧山口藩庁門

脇門から入っていきましょう。中は枡形のように見えます。事実、城があった当時は枡形になっていました。

枡形跡

奥の方に入ると、北に香山を背にして「御屋形」(御殿)があって、西にも小山があったそうです(一露山、現在は崩されています)。今見えているのは高嶺城があった山(鴻ノ峰)です。城跡が山口城の詰め城として使われたとも言われます。

御屋形跡、奥は香山
右手前に一露山があったようです、奥は鴻ノ峰

門の前に戻って、また堀沿いを進みます。途中には石垣も残っています。そして、その先には山口市歴史民俗資料館があります。ここでは、大内氏やその城館の勉強ができます。

堀に残る石垣
山口市歴史民俗資料館

大内氏館・築山跡(市街地中心エリア)

大内氏館跡などを見に行くのに、市街地中心エリアに向かいます。まず来てみたのは「大殿大路」という通りで、大内氏館に沿っていたと考えられます。ちょうど今ある寺(龍福寺)の入口になっています。館の外郭の部分が、寺の参道になっているのです。

館跡周辺の航空写真

大殿大路
龍福寺参道

そして山門から入る境内が、館の内郭だったと思います。こちらも土地の形は残っているのです。本堂はなんとこれも重要文化財で、室町時代に建てられ、ここに移築されました。元の館もこんな感じだったのでしょうか。

龍福寺山門
龍福寺本堂

それと、館の遺構も発掘され、一部復元されています。意外とたくさんあります。池泉庭園から見ていきましょう。宴会でお客が眺めたところだったと思われます。当時は珍しかったソテツも植えられています。その傍らには宴会を行った「会所」があったのではと言われます。かまど跡もあります。もしかして「中世最大級の宴会」料理をここで作ったのでしょうか。

池泉庭園(復元)
石組かまど跡

次は館の北側に回って、復元された土塁を見学するのですが、背後に見える高嶺城の山(鴻ノ峰)が気になってしまいます。館をバックアップするのにいい場所です。ついつい、もっと早く生かせなかったかと思ってしまいます。

復元土塁と背景の鴻ノ峰

かつては、土塁と堀がずっと囲んでいました。復元された土塁・堀跡によってイメージすることができます。今度は北西の角を曲がっていきます。枯山水庭園が復元されています。「雪舟庭」という程ではありませんが、ここにあったとわかることが大事でしょう。

復元土塁・堀跡
枯山水庭園(復元)

先に進むと西門があります。これも復元されたものです。現在寺がある範囲で結構頑張っていると思います。その先には、発掘された石組溝があって排水路として使われたと考えられます。

西門(復元)
石組溝

続けて、築山跡に向かいます。最初は大内教弘の隠居のための館だったのが(築山館)、亡くなってからは、彼を祀る場所になりました(築山大明神)。一部は発掘されて、平面表示されています。館時代の遺構ということです。東堀については、先ほどの山口市歴史民俗資料館で断面が展示されています。

築山跡
東堀の断面展示(山口市歴史民俗資料館)

築山跡の範囲には、これも重要文化財の八坂神社があったり、その隣の築山神社の奥には築地跡が残っています。

八坂神社
築山神社
築地跡

それから、パワースポット好きの方には、少し足を延ばして、大内義興が建てた、今八幡宮もおすすめです。

今八幡宮

高嶺城跡(丘陵エリア)

最後のセクションも、パワースポット登場です。この山口大神宮は、大内義興が伊勢神宮から勧請して、なんと伊勢神宮と同じように、式年遷宮しているのです。現在の外宮、内宮の向こうに以前の跡地が見えます。

山口大神宮

実はここに、高嶺城跡への登山口があるのです。しかし今回は、西側の林道の終点からご案内します。

山口大神宮にある登山口
西側の林道

そこから先はまさに山城で、峰の上を登っていきます。少し広い平坦地に出ますが、この辺りは居住区域だった可能性があります。

山道を登ります
高嶺城跡赤色立体模型の主要部、山口市歴史民俗資料館にて展示
途中にある平坦地

更に進むと、いよいよ主郭と思われる高まりが見えてきました。石垣もちらちら見えます。なにか案内があります。主郭と石垣、どちらを先に行くか迷います。しかしわざわざ石垣と書いてあるということで、まず「石垣」に行ってみましょう。

主郭が見えてきました
「主郭」「石垣」の案内

石垣が見えてきました、でも崩されてしまっています。廃城のときに隅の部分を崩した跡のようです。ただ、その向こうは石垣が続いています。山の上の石垣、なかなか見ごたえがあります!

破城の跡
その先に続く石垣
山上の石垣

いよいよ主郭に登ります!こちらも石垣が段積みになっています。

主郭に登る途中の石垣

着きました!ここには、建物が立っていた礎石が残っていて、建物の瓦も発見されています。立派な建物があったのでしょう。

主郭

最後は景色を楽しみます。市街地が一望できます。大内氏館はどこでしょうか。

高嶺城跡からの眺め

ありました。大内氏館と高嶺城、改めて絶好のコンビだと思います。

龍福寺(大内氏館跡、ズーム画像)

関連史跡

大内義興の菩提寺とされる、凌雲寺の跡に来てみました。義興の墓はありましたが、その先は荒野という感じです。

大内義興墓
荒野に見えるような中を進みます

進んでいくと、石垣が見えてきました。すごい石垣が、忽然と現れた印象です。大内氏の夢の跡とも思えます。

迫力ある凌雲寺総門石垣
大内氏の夢の跡

リンク、参考情報(追加分)

山口市歴史民俗資料館
山口市観光情報サイト 西の京やまぐち
美術館ナビ、<城、その「美しさ」の背景>第124回 山口城(詰めの城の記述)
・「大内氏遺跡 築山跡」パンフレット、山口市教育委員会

「大内氏館・高嶺城 歴史編」に戻ります。

これで終わります。ありがとうございました。

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