76.Tokushima Castle Part3

The Castle that cultivated a new culture

Later History

After the Meiji Restoration, all the buildings of Tokushima Castle excluding the Washi-no-mon Gate were eventually demolished. The gate building unfortunately burned down due to the Great Tokushima Air Raid in 1945, but was eventually restored in 1989. The Terashima-gawa River beside the castle was mostly reclaimed and converted into the railway. On the other hand, the ruins of the castle has been opened to the public since 1910. They were also designated as a National Historic Site back in 2006.

the restored Washi-no-mon Gate
The railway of Tokushima Station (licensed by Kounosu via Wikimedia Commons)
Tokushima Castle Museum like a main hall

My Impression

Even if you are planning to only see the stone walls, it is worth it. I have also learned that the castle had been changing although only the Hachisuka Clan built and maintained the castle for a long time. In addition, it was said that the famous Awa Dancing Festival in Tokushima City originated from Tokushima Castle. The founder of the castle, Iemasa Hachisuka motivated people to dance as they like to celebrate the completion of the castle. Today, The dance team continues to use the mountain to practice to this day.

The stone walls of Tokushima Castle
The Gejo Bridge the ruins of Kuro-mon Gate
The statue of Iemasa Hachisuka at the site
Awa Dancing Festival  (taken by tamuzbac from photoAC)

How to get There

If you want to visit there by car:
It is about 20 minutes away from Tokushima IC on the Tokushima Expressway.
The park offers a parking lot.
By train, it is about 15 minutes away from JR Tokushima Station on foot.
If you go there from Tokyo or Osaka, I recommend using a plane or an express bus.

Links and References

The Tokushima Castle Museum, Tokushima City

That’s all. Thank you.
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76.徳島城 その3

この城は新しい文化をも育みました。

その後

明治維新後、鷲の門以外の徳島城の全ての建物は撤去されていきました。その鷲の門も残念ながら1945年の徳島大空襲によって焼け落ちてしまいます。しかし、1989には復元されました。城の傍らにあった寺島川はほとんど埋め立てられ、鉄道の線路が敷かれました。一方、城跡は1910年から公園として一般に公開されています。2006年には国の史跡にも指定されました。

復元された鷲の門
徳島駅の鉄道敷地  (licensed by Kounosu via Wikimedia Commons)
御殿のような徳島城博物館

私の感想

もしこの城跡で、石垣しか見ないということであっても、十分訪れるに値します。また、この城は蜂須賀氏だけが築き、長く維持してきたにも関わらず、随分と変わってきたことがわかりました。更には、徳島市の有名な阿波踊りは、徳島城に由来していると言われています。城の創始者、蜂須賀家政が、城の完成を祝うために民衆に踊りを催させたとのことです。今日、阿波踊りのチームは本番の日を目指して、城山の上で練習を続けているそうです。

徳島城の石垣
下乗橋と黒門跡
城跡にある蜂須賀家政の銅像
阿波踊り  (taken by tamuzbac from photoAC)

ここに行くには

車で行く場合:
徳島自動車道の徳島ICから約20分かかります。
公園に駐車場があります。
電車の場合は、JR徳島駅から歩いて約15分かかります。
東京か大阪から来られる場合は、飛行機か高速バスを使った方がよいでしょう。

リンク、参考情報

徳島城博物館、徳島市公式ウェブサイト
・「歴史群像132号、戦国の城 阿波徳島城」学研
・「よみがえる日本の城13」学研

これで終わります。ありがとうございました。
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175.勝瑞城 その3

巨大な遺跡が工場の敷地から現れました。

その後

勝瑞城が廃城となった後、見性寺が城の部分に建てられました。一方、館の部分は市街地となりました。時間が経つにつれ、人々は、その城の部分だけが勝瑞城だったと思うようになりました。ところが、1994年の発掘により、その城の部分は、勝瑞城の長い歴史に鑑みると新しすぎるものだとわかりました。更なる調査が周辺地域で行われ、1997年に近くの工場敷地の地下から、領主の館の遺物が発見されました。それから度々の発掘により、館の部分は想像以上に大きく、この遺跡は、この地域だけではなく、日本全体の歴史にとって重要であることがわかったのです。城跡はついに2001年に、城と館両方の部分を含めて、国の史跡に指定されました。館の部分は現在公有地となり、発掘が行われています。

館の部分にはかつて工場が建っていました(現地説明板より)
工場敷地の発掘(現地説明板より)
公有地となった後の発掘風景(現地説明板より)
現在の城跡風景(現地説明板より)

私の感想

正直言わせていただくと、勝瑞城跡を訪れたとき、がっかりしました。それは、遺跡が最初はただの空き地と小さな城跡のように見えたからです。ところが、この城の歴史を学んでみると、この遺跡が画期的な発見の後、整備中であることを理解できました。きっとこの城跡は、しばらく後には他の新しい発見とともに、よい歴史公園になるでしょう。もし今この城跡を訪れるならば、事前に城の歴史を学んでおくことをお勧めします。また、遺跡から発掘された遺物を見学できるので、現場事務所が開いている年末年始以外の日に行かれた方がよいでしょう。私は、その当時事務所がやっていなかった休日に行ったので、見学できませんでした。.

勝瑞城の館部分跡
勝瑞城の城部分跡

ここに行くには

車で行く場合:
高松自動車道の板野ICまたは徳島自動車道の藍住ICから約15分かかります。
城跡には、駐車場が館部分の中と、城部分の脇にあります。
電車では、JR勝瑞駅から歩いて約15分かかります。
東京か大阪ら行かれる場合は、飛行機か高速バスを使った方がよいでしょう。

リンク、参考情報

勝瑞城館跡、徳島県藍住町教育委員会
・「三好一族と阿波の城館、図説日本の城郭シリーズ」戒光祥出版
・「史跡勝瑞城館跡Ⅰ」藍住町教育委員会
・「日本の城改訂版第78号」デアゴスティーニジャパン

これで終わります。ありがとうございました。
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