110.三春城 その3

桜の名所でもあります。

その後

明治維新における戊辰戦争の後、三春城は廃城となりました。山の上の全ての建物とほとんどの石垣さえも撤去され、売られていきました。城主の御殿のみが地方庁舎として使われることになりました。1922年、山の上の城跡は公園として開発されました。残っていた多くの城の基礎部分はこのとき残念ながら破壊されてしまいました。一方で代わりに多くの桜の木が植えられたのです。

二の門跡
二の丸

私の感想

地方領主たちと三春城がどうやって困難な状況を乗り切ってきたかを学ぶことができました。この城は、若松城のような他の有名な城と比べると地味かもしれませんが、興味深い歴史と独特な味わいがあります。将来、城に関する新しい発見があることを期待します。また、三春町は桜がとても有名なところで、城から約4kmのところにある三春滝桜が特に知られています。しかし、城跡やその周辺でも素晴らしい桜を見ることができます。次回は是非春にここを訪れてみたいです。

三春滝桜 (taken by nana201855 from phtotoAC)
三春城跡の桜 (みはる観光協会ウェブサイトから引用)

ここに行くには

車で行く場合:
磐越自動車道船引三春ICから約15分かかります。
山の中腹に駐車場があります。
電車の場合は、JR三春駅から歩いて約30分かかります。
道に迷わないようにするために、タクシーの利用をお勧めします。
東京から三春駅まで:東北新幹線に乗り、郡山駅で磐越東線に乗り換えてください。

中腹にある駐車場

リンク、参考情報

三春城跡、Find! 三春【みはる観光協会】
Web資料館、三春町歴史民俗資料館
・「日本の城改訂版第57号」デアゴスティーニジャパン

これで終わります。ありがとうございました。
「三春城その1」に戻ります。
「三春城その2」に戻ります。

110.三春城 その1

生き残るために奮闘した城

立地と歴史

田村氏の支配から若松城の支城へ

三春城は陸奥国田村郡にありました(現在の福島県三春町)。この地域は内陸部と沿岸部をつないでいて、重要な地域と認識されていました。16世紀には、田村氏がこの地域を支配しており、この一帯では最も高い丘の上に三春城を築きました。16世紀中頃、田村氏の当主、田村清顕は、西は葦名氏、東は相馬氏、南は佐竹氏といったより大きな戦国大名の脅威に晒されていました。そこで彼は北方にいた有力な戦国大名、伊達政宗と同盟を組むことを決め、娘を政宗と結婚させました。1588年に政宗は三春城にしばらく滞在し、1589年には葦名氏を倒し、東北地方に覇権を確立しました。田村氏は政宗の下で生き残ることに成功したのです。田村氏は三春城を拡張し、その範囲は他の丘にも広がりました。

城の位置

ところが、田村氏は1590年に天下人の豊臣秀吉によって改易となってしまいます。その理由は、当主であった田村宗顕が、独立した大名と見なされていたにも関わらず、秀吉からの招集に応じなかったからです。しかし、田村氏はそのように思っていませんでした。この事件は田村氏のミスだったのかもしれませんが、秀吉と田村氏を仲介すべきだった政宗の陰謀だと指摘する歴史家もいます。三春城を含む田村氏の領地が最終的に政宗のものになったからです。

田村氏の家紋、田村茗荷 (licensed by Fraxinus2 via Wikimedia Commons)
伊達政宗像、仙台市博物館蔵(licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

三春城は、政宗の本拠地であった若松城の支城となりました。その後、若松城の城主は、蒲生氏、上杉氏、加藤氏に代わっていきます。三春城は彼らによって強化されました。石垣が築かれ、城下町も建設されました。しかし、時として使われなくなり、ひいては廃城となってしまった時期もありました。最終的には1627年に徳川幕府により松下氏が三春城に移されてきました。久方ぶりに独立した城になったわけです。この頃までは三春城は山城のままでした。

若松城

江戸時代は秋田氏が三春藩本拠地として維持

1645年に松下氏は不幸にも改易となってしまいますが、秋田氏が江戸時代の終わりまで三春城と三春藩を支配しました。秋田氏は城の近代化を行います。山麓に領主のための御殿を築き、通常はそこに住んでいました。山の頂には、以前から御殿と三階櫓がありました。これらの古い建物は、式典のために使われ、また城のシンボルともなりました。1785年に大火が発生し、ほとんどの城の建物が燃えてしまったとき、山麓の建物は再建されました。山上の建物は全て焼け落ち、三階櫓だけが再建されました。

かつて御殿があった場所(現在の三春小学校)
三春城の縄張り(現地説明板より)

明治維新を乗り切る

明治維新中の1868年、新政府と徳川幕府を支持する藩連合との間で戊辰戦争が起こりました。三春藩は最初は藩連合に属していましたが、密かに新政府に降伏し、城を開城しました。藩連合は見捨てられた形となり、大いに憤慨しました。しかしそれにより三春の人たちは生き残り、悲劇的な結末を避けることができました。そうでなければ、白河小峰城二本松城、そして若松城のように新政府により壊滅させられてしまったことでしょう。

三春藩最後の藩主、秋田映季 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
白河小峰城
二本松城

「三春城その2」に続きます。