48.松坂城 その2

粒の揃った高石垣と巧みな防御システムに守られた城

特徴、見どころ

今でも城跡を囲む高石垣

現在、松坂城跡は松坂公園として整備されており、丘の上にある城の主要部が含まれています。公園の外側を歩いて回ってみるだけで、高石垣が良好な状態で今でも公園を囲んでいることがわかり、最初から驚かされます。この石垣は、丸い形状の自然石を使って積まれていますが、数えきれない程の粒のそろった石をよくも集めたものです。短い工事期間中に、このような石を必要なだけ集め、巧みに積み上げたことに、再び驚きを覚えます。ただし、公園の南東角の石垣などは、城の歴史の後半のときに、長方形に加工された石を使って修繕されています。

公園の外側から見える高石垣
粒が揃っている本丸下段の石垣
公園南東隅の修繕された石垣

城周辺の航空写真

曲輪のレイアウト

城跡には石垣とともに基礎部分のみが残っていて、建物はありません。しかし、公園の中を通路に沿って石垣をよく見てみると、この城がどうように守られていたのか今でも理解することができます。公園には2つ入口があります。一つは東側にある表門跡で、もう一つは南側にある裏門跡です。両方とも二の丸につながっています(表門からは本丸下段に直接行くこともできます)。城の中心部に向かっては、本丸下段が二の丸より高い位置にあり、本丸上段が最も高い位置にあります。更には、きたい丸と隠居丸が二の丸と反対側の低い位置にあります。

松阪市立歴史民俗資料館に展示してある城の曲輪と石垣のジオラマ
表門跡
裏門跡

表門跡から二の丸へ進む

二の丸に入るのに、食い違い虎口の石垣に囲まれている表門跡から進んでみると、正面に本丸下段の石垣が見えてきます。二の丸の中心部に行くためには、左に曲がって、石垣の上の月見櫓跡のとなりにある、もう一つの門(土戸御門)跡を通り過ぎなければなりません。もし敵であったらなら、(櫓と門の)2つの方向から反撃を受けることになるでしょう。城の内部の通路では、とても強力な防衛態勢が取られていたのです。

表門跡に入っていきます
立ちはだかる本丸下段の高石垣
左側に曲がり二の丸の方に進みます
月見櫓跡の高石垣
表門から二の丸への攻撃ルート(赤矢印)と城からの反撃方向(青矢印)

二の丸から本丸へ進む

二の丸には、紀州徳川氏の陣屋がありました。今は藤棚がある広場となっていて、そこから市街地を眺めることができます。

現在の二の丸
徳川陣屋跡の標柱
二の丸からの市街地の眺め

もっと中心部に進んでいこうとすると、中御門跡を通り過ぎる必要があります。この通路も食い違いの石垣と、太鼓櫓跡に囲まれています。そこを通り過ぎると、本丸の下段が右側に、上段は左側にあります。

中御門跡
太鼓櫓跡
太鼓櫓跡から見下ろした中御門跡
二の丸から本丸への攻撃ルート(赤矢印)と城からの反撃方向(青矢印)

「松坂城その3」に続きます。
「松坂城その1」に戻ります。

157.八幡山城 その2

山の上には、城跡と現代的な観光地が同居しています。

特徴、見どころ

ロープウェイで山上へ

現在、八幡山城跡を訪れるビジターは通常山麓からロープウェイに乗っていきます。その山麓側のロープウェイ乗り場は、城が築かれたときにそこに移されたとされる日牟禮(ひむれ)八幡宮の近くにあります。八幡堀や古い街並みも周辺に残っており、人気のある観光地になっています。

城周辺の地図

ロープウェイ乗り場
日牟禮八幡宮拝殿  (licensed by 663highland via Wikimedia Commons)
八幡堀と古い街並み

ロープウェイに乗れば、数分で山上のロープウェイ駅に到着します。その駅は、城跡の二の丸の下の方にあり、少し登って二の丸に行くとそこは展望所になっていて、南東の方角に市街地を見渡せます。多くの人たちが素晴らしい景色を楽しんでいますが、城跡としても古い石垣が周辺に残っています。

ロープウェイの中
二の丸にある展望所
二の丸からの眺め
二の丸周辺の石垣

本丸にある瑞龍寺

城の中心地であった本丸には、今は秀次の母親ともが創建した瑞龍寺が建っています。実は、この寺は現代の1961年に京都からここに移ってきたのです。しかし、この城にとっては全く相応しい決断であったと思います。この寺の入り口部分は、桝形と呼ばれる、石垣に囲まれた四角い防御空間となっています。もともとここが本丸の入口だったからです。この寺は、皇室の菊の御紋章を使っていますが、これは後陽成天皇が、ともによるこの寺の創建を援助し、その後は皇室から寺の門跡を輩出したことに由来します(そのため、別名として村雲御所(むらくもごしょ)とも呼ばれています)。

城周辺の航空写真

本丸にある瑞龍寺
門扉には菊の御紋章が使われています
門の内側に残る桝形

北の丸、西の丸のビュースポット

本丸の周りの通路となっている腰曲輪を通って、他の曲輪に行くことができます。本丸を囲む高石垣は、古く粗野にも見えますが、安土城の石垣のようにとても立派です。しかし歴史家によれば、その石垣を完成させたのは秀次なのか、またはその後を継いだ京極氏なのかまだわからないそうです。その中には、石垣の角のラインが縦に丸まってしまっているものがありますが、元々こうだったのか、それとも劣化してしまったものなのでしょうか。

本丸周りの石垣
角が丸まっている石垣

北の丸に行っていただくと、そこもビュースポットとなっていて、北の方に安土城跡や観音寺城跡がある山々が見えます。

北の丸
北の丸からの眺め
安土城跡と観音寺城跡

また、西の丸では西の方に琵琶湖を見渡すことができます。

西の丸
西の丸からの眺め

おすすめの出丸

そして、最近再整備された出丸にも是非行っていただきたいです。この曲輪の周辺の草木が伐採されており、眺望が確保されています(出丸からだけでなく、市街地などからも出丸がよく見えるようになっています)。西の丸から山道を少し下ったところに出丸があります。そこに行けば、市街地をまるでパノラマのように見渡すことができます。また、この曲輪が絶好の見張り台として機能していたことも、容易に想像できます。

出丸
出丸からの眺め
出丸は市街地からも見えます(赤円の中)

それから、この曲輪を囲む石垣を間近に見ながら周りを歩いてみることもできます。この曲輪の石垣の高さは約4mとのことです。ただし、足場は急で不安定な斜面になっているので気を付けてください。

出丸の石垣と市街地の眺め
出丸の石垣(角が丸くなっているのは珍しいそうです)
ライトアップ用の機材もあります

「八幡山城その3」に続きます。
「八幡山城その1」に戻ります。

139.佐柿国吉城 その2

城の強さを体感できます。

特徴、見どころ

簡単に行けるようになった城跡

現在、佐柿国吉城跡へは容易に行くことができます。もとの越前国から車で城跡に行くときには、城が築かれた山を貫くトンネルを通るだけですぐに到着します。過去に越前国からこの城を攻撃するときの困難さは、現在の私たちにとって想像するのは難しいかもしれません。城跡もビジター向けによく整備されています。城の建物は残っていませんが、基礎部分、発掘された石垣、遺物などがこの地に残っています。

山上から見える城跡に向かう道
城跡の模型、若狭国吉城歴史資料館にて展示

最初に、山麓にある若狭国吉城歴史資料館が見えます。過去にはここに佐柿奉行所の建物がありました。ここでは、城の歴史や、なぜこの城が強力だったかなど多くを学ぶことができます。次に、山下の谷部分に進みます。ここには城が健在だったときに御殿が築かれていました。基礎部分が階段状に残っていて、当時としては先進的な石垣が見つかっていて、城の最後の段階まで使われていたと考えられています。

城周辺の航空写真

若狭国吉城歴史資料館
御殿の跡地

急坂を登って山上部分へ

次は頂上に向かう山道です。そこではこの城の強さを体感できることでしょう。この山道はオリジナルではありませんが、元はどんなだったか想像するには十分だと思います。頂上は、麓から比高約140mのところにありますが、実際よりもずっと高く感じるかもしれません。かなり長く思われる間、とても急で曲がりくねった道を上っていかねばなりません。

山道入口
獣除けのためのフェンス扉を通って行きます
急坂のジグザグ道を登っていきます
急坂を見下ろします

二の丸から堀切へ

そうするうちに、山道の中途辺りにある二の丸の脇に至ります。二の丸を見学しながら休憩ができます。この曲輪は分厚い土塁に囲まれていて、城の門を形成しています。オリジナルの城への山道もこの門を通って頂上に向かっていました。歴史家は、この曲輪で石垣が使われていないということは早い時期に放棄されてしまったのではないかとしています。

二の丸付近
二の丸門跡
二の丸内部

山道の方に戻ると、再び登っていかなければなりません。もし敵だとしたら、守備兵は鉄砲や弓矢を放ち、石や木材を投げ落としてくるでしょう。とても立っていられないはずです。それでも、何とか頂上の手前にある堀切にたどり着きます。表面をいくらか石垣が覆っています。この石垣は、城が廃城となった時上部が破壊され、自然に埋もれていったのが最近になって掘り出されました。多くの石仏が一か所に集められているのが見えます。敵が攻撃してきたときに投げつけるために置かれていたものと言われています。

山道に戻ります
山頂手前の堀切に到着
一部の石垣が発掘され残っています
石仏が一箇所に集められています

「佐柿国吉城その3」に続きます。
「佐柿国吉城その1」に戻ります。