142.苗木城 その1

岩山の上に築かれ、維持された珍しい城

立地と歴史

中山道を見張る城

中山道は日本の主要街道の一つであり、江戸時代には五街道の一つに指定されていました。特に江戸時代以前には、中山道は西日本と東日本の間に大軍を移動させるのにはもっとも便利なルートでした。現在中津川市となっている岐阜県東部の地域には、盆地の中心部に中津川宿があり、そこから街道が東側の山間部に向かっていました。そのため戦国時代の大名は、この街道の重要地点を監視するためにこの地域を手に入れたがっていました。苗木城は、木曽川沿いにある高森山に築かれ、川を挟んで宿場とは反対側にありました。つまり、この城は中山道で何が起こったのか見張るためには絶好な位置にあったのです。

城の位置

城周辺の起伏地図

歌川広重「木曽街道」より「 中津川」 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

遠山氏が築き、何とか最後まで維持

戦国時代の16世紀、遠山氏は東美濃と呼ばれた地域における地方領主の一つでした。彼らは岩村城を本拠地としていましたが、16世紀の初頭に支城として苗木城を築いたと言われています。しかし遠山氏は、武田氏や織田氏のような他のより有力な戦国大名からの影響を受けていました(両方にうまく従うか、どちらかの勢力下に入るかせざるを得なかったのです)。彼らもこの地域を領有したがっていたからです。例えば、武田、織田の両氏が1572年から1582年の間戦っているとき、この城は取ったり取られたりしていました。

岩村城跡
当時の武田氏当主、武田勝頼肖像画、高野山持明院蔵 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
当時の織田氏当主、織田信長肖像画、狩野宗秀作、長興寺蔵、16世紀後半 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

両氏が没落した後は、豊臣秀吉配下の森氏がこの城を占拠しました。その当時の城主だった遠山友忠(ともただ)・友政(ともまさ)父子は、浜松城にいた徳川家康のもとに退避せざるを得ませんでした。関ヶ原の戦いが起こった1600年、彼らは家康の承認を得たうえで苗木城の奪還に成功します。家康が徳川幕府を設立した後は、遠山氏はこの城を苗木藩として江戸時代の終わりまで統治しました。

現在の浜松城
苗木藩初代藩主となった遠山友政肖像画、中津川市苗木遠山史料館蔵 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

岩山に築かれた城、巨石の上の天守

苗木城は、日本の常設の城としてはとても特殊な立地にありました。城が築かれた山は岩山であり、急崖に囲まれていました。この立地は守備兵にとってはありがたく、攻撃するのはとても難しいです。しかし城主が城を拡張しようと思ってもそのための余地はとても少ないということにもなります。当時は、城の建物や内部の通路は、自然の地形を石垣で囲んだ上か、石垣台の上に築くのが一般的でした。しかし苗木城の場合には、建物や通路のために岩の表面を削ったりするのは困難でした。よって、自然の岩と石垣を組み合わせた台の上か、谷を埋めた上に築かれました。更に建物が必要な場合は、自然石の上に直接築かれたりしました。例えば、苗木城の天守は、山の頂上にある巨石の上に築かれました。

自然の岩と石垣が組み合わされた苗木城大矢倉の台座
苗木城天守台となった巨石

伝統的に、日本の人たちが自然石の上に建物を築こうとする場合には、懸け造りという工法を採用しました。これは岩か崖の急斜面に、多くの柱や梁を組み合わせて格子のようにした基礎を築くというものです。この工法を使った建物は、京都の清水寺のように、今でも古い神社や寺で見ることができます。この工法が使われた理由は、これらの建物が築かれた岩や崖がある山自体が、信仰の対象だったからと言われています。多くの城が築かれた戦国時代や江戸時代初期には、この工法が城にも応用されたのです。苗木城はこの好例でしょう。他には仙台城でのケースが知られています。

懸け造りの清水寺本堂 (licensed by Kakidai via Wikimedia Commons)
仙台城跡

苗木藩は1万石の石高しかなく、これは独立した大名としては最低限のものでした。そのため、城の建物は板葺きで、板壁か土塀が使われていました。瓦葺きや漆喰塀などはとても高価で使えなかったのです。しかしそれでも彼らは、平和であった長い江戸時代の間じゅう、厳しい状況下で建物を維持し続けたのです。それはどのような非常事態にも備えるため、そこにいることが最大任務だったからです。

苗木城想像図、現地説明板より

「苗木城その2」に続きます。

8.仙台城(Sendai Castle)

本丸の伊達政宗像(The statue of Masamune Date at Honmaru area)

Location and History

仙台は日本の東北地方で最大の都市であるとともに、宮城県の県庁所在地でもあります。仙台の歴史は、仙台城と共に始まりました。この城の創始者、伊達政宗は若く偉大な戦国大名だったのですが、徳川幕府が天下を制してからは従わざるをえませんでした。仙台城は、正宗が居住する城として、3つの候補地から将軍徳川家康によって選ばれたと言われています。
Sendai is the biggest city in Tohoku district of Japan, and the prefectural capital of Miyagi pref. The city started its history with the Sendai castle. The founder of the castle, Masamune Date was a great young warlord, but he had to follow the Tokugawa Shogunate after its unification of the whole country. It is said the Sendai castle was designated for Date to settle from three options by the shogun Ieyasu Tokugawa.

伊達政宗像、仙台市博物館蔵(The picture of Masamune Date owned by Sendai City Museum)licensed under Public Domain via Wikimedia Commons

実のところ、戦乱が終息した当時において、新しい城を平地ではなく山の上に設置するというのは大変稀なことだったのです。その中でも本丸エリアの防御力は特に強力でした。本丸の東側は垂直の崖であり、南は川の渓谷に、西は深い山になっていました。北側だけがアクセス可能でしたが、多くの構造物や仕掛けにより敵の攻撃から守られていました。なぜ家康が正宗にこのような強力な城を作らせたのか、明確な理由はわかっていません。
Actually, it was very rare for a new castle to be on a mountain area instead of a plain area at that time when the war was over. The main enclosure “Honmaru” area was strong defensively. Its east side had a vertical cliff, south was a river valley, and west was a deep mountain. Only the north side was accessible, but many structures and devices were set on this side to prevent enemies from attacking. No one can clearly explain why Tokugawa let Date build the strong castle.

城周辺の段彩陰影図(The transparent color shaded relief map around the castle)




というのも、幕府は通常、大名が強力な陣地に立てこもって反乱を起こすようなことは望まないからです。結果的には、仙台藩の2代目藩主は平地である二の丸に移っていきました。そこに二の丸御殿を築いてからは、居住するにも政治を行うにも便利になりました。
Because the shogunate usually didn’t want to have lords get labeled based on a strong site, eventually, the second generation of the feudal domain of Sendai moved to the plain area called “Ninomaru”. After the construction of the Ninomaru main hall, they were able to live and govern conveniently.

二の丸の古写真(An old picture of Ninomaru)licensed by katana 213 via Wikimedia Commons

Features

それでは、本丸エリアの北側を歩いて登ってみましょう。最初に大手門跡に立ってみます。そこには特大の門があったのですが、1945年の仙台空襲により焼失してしまいました。現在では、戦後に再建された大手門の脇櫓だけを見ることができます。
Let’s walk up the north side of the Honmaru area. At first, you can try standing on the ruin of the main entrance “Otemon” where a very large scale gate building was located until it was burned down by the Sendai air raid in 1945. The side turret building of the Otemon we can see now was rebuilt after the war.

大手門跡(The ruin of Otemon)
大手門の古写真、1938年(An old picture of Otemon in 1938)licensed under Public Domain via Wikimedia Commons
再建された大手門脇櫓(The rebuilt side turret of Otemon)

そこから本丸に向かっていくには、急で曲がりくねった道を登っていき、もう一つの門「中の門」を通り過ぎなければなりません。その後、行く手を遮るような高く広い本丸石垣が立ちはだかっているのにびっくりするかもしれません。
Then, you have to climb up a steep and winding road with passing through the ruin of another gate called “Nakanomon” to head towards Honmaru. After that, you may be surprised to see the tall and wide stone walls of Honmaru stand in your way.

中の門跡(The ruin of Nakanomon)
本丸北石垣(The north stone walls of Honmaru)

過去にはこの石垣の上には、3基の3階櫓が建っていて、攻撃側を迎え撃てるようにしていました。ついには、最後の門である「詰の門」から入れば本丸に到着します。
In the past, three of three story turrets were on the stone walls that would be tough for attackers. Finally, entering the last gate “Tsumenomon”, you will reach Honmaru.

詰の門跡(The ruin of Tsumenomon)
本丸御殿跡(The ruin of Honmaru main hall)
本丸北石垣から見下ろした眺め(A view looking down from the north stone walls of Honmaru

本丸北側の地図(The map of north side of Honmaru)
(マーカーをクリックして地点の名前を確認してください。)
(Please click a marker, and check the name of the point.)







Later Life

明治維新後、日本陸軍の第2師団が司令部をこの城に置き、その時に元あった建物の大半は撤去されてしまいました。第二次世界大戦後は、米軍がこの地区に駐留していました。日本の独立回復後は、本丸地区は仙台市と護国神社が分け合い、二の丸地区は東北大学が使用しています。行政は今、発掘の成果に基づき、どうやって城跡を整備していけるのか慎重に検討しています。
After the Meiji restoration, the headquarters of the Japanese army 2nd division was located in the castle with most of original buildings being demolished. After the World War II, the US army occupied the area then. After the restoration of sovereignty, the Honmaru area is divided by Sendai city and the Gokoku shrine, and the Ninomaru area is used for the Touhoku University. Officials are now considering how they can improve the castle ruins carefully with the achievement of excavations.

二の丸地区にある東北大学(Tohoku University on Ninomaru area)licensed by XIIIfromTOKYO via Wikimedia Commons

My impression

今現在、仙台駅からバスや車を使って本丸地区に行くのはとても簡単です。そこでは、素晴らしい景色や伊達政宗の銅像を見ることができます。でも、当方としてはそれだけでは仙台の町や城を知るには不十分だと思います。1時間程かかりますが、仙台駅から城跡まで歩いてみてはいかがでしょう。
Now, it is very easy for anyone to access the Honmaru area from the Sendai station by bus or car, there you can see the great view and the bronze statue of Date. But I think that is not enough to know about the Sendai town and castle. I recommend walking from the station to the castle ruins of about one hour.

本丸地区からの仙台の街並み(A view of Sendai town from Honmaru area)

仙台駅の北側にあるパルコ・ビルディングの反対側から始まるクリスロードをまっすぐ進んでください。この通りは何百件もの店舗からなるアーケードになっていて、買い物も楽しむことができます。
Go straight to the Clisroad which starts from the opposite side of the Parco building near north side of the station. The road is an arcade with hundreds of shops, you can also enjoy shopping there.

クリスロード(The Crisroad)

そのまま進むと、広瀬川にかかる大橋に着きます。そこを渡れば大手門跡に到着です。参考として、城跡の近くにある地下鉄東西線の国際センター駅から歩くこともできます。
It will lead you to the Ohashi Bridge across the Hirose River. You will reach the ruin of Otemon. In addition, you can also walk from the International Center station on the Tozai subway line near the ruin.

大橋(The Ohashi bridge)
大橋から見た本丸地区(A view of Honmaru area from Ohashi bridge)

赤い線がお勧めルートです(The red line shows the recommended route)




How to get There

仙台駅からバスで行きたい場合:西口バス乗り場から出ているループル仙台バスに乗ってください。(ピーク時には15~20分毎)
国際センター駅から歩きたい場合:仙台駅から地下鉄東西線に乗り換えてください。
東京から仙台駅まで:東北新幹線に乗ってください。
If you want to go there by bus from Sendai station: Take the Loople-Sendai bus that comes every 15 or 20 minutes at the top of the hour at the west entrance bus pool.
If you wish to walk there from the International Center station: Take the Tozai subway line from the Sendai station.
From Tokyo to Sendai st.: Take the Tohoku Shinkansen super express.