197.志布志城 その3

自然の地形を生かした見事な造形

特徴、見どころ

防衛の要所、中野久尾

その空堀の向こうには、「中野久尾(なかのくび)(曲輪4)」「中野久尾(曲輪5)」「大野久尾(おおのくび)(曲輪6)」「大野久尾(曲輪15)」といった主要曲輪が、横方向の空堀に区切られて続いています。特に、「中尾久尾(曲輪4)」の向こう側の「中尾久尾(曲輪5)」は注目です。この曲輪に着くためには本丸を出て、城跡入口正面から見て右側の縦方向の空堀を進み、2番目の横方向の空堀に入っていきます。その空堀の底は平らではなく2段になっています。よって、また上段の方に登って行かなければなりません。

内城周辺の地図、赤破線は本丸から中野久尾(曲輪5)までのルート

縦方向右側の空堀
これは本丸から出て最初の横方向の空堀
2番目の横方向の空堀は2段構成になっています

そうすると、太い柱のような、巨大な垂直に削られた曲輪の崖に突き当たり、曲輪に入るにはその崖を回り込む必要があります。もし敵であったなら、入口にたどり着く前に上方から守備兵に攻撃されてしまうでしょう。また、入口の通路も、分厚い食い違い状の土塁によって曲げられています。まるで土造りの宮殿の門のようです。この曲輪は城防衛の要の場所だったのかもしれません。

中野久尾(曲輪5)の側面の垂直な崖
曲輪の入口
曲輪を囲む土塁
曲輪の内部
曲輪から見た空堀の底
志布志市埋蔵文化財センターにある模型の中野久尾(曲輪5)部分

見事な空堀

台地の両外側に刻まれた空堀は見事なものです。城跡の入口から見て左側(西側)の縦方向の空堀は、大堀切と呼ばれています。現在でも17mの深さがあり、発掘調査によると過去には更に7m深かったとのことです。火山灰の土壌が自然に崩れて堀の底を埋めていっているのです。しかしそれでもこの堀を作った大変な作業は今でも十分に想像できます。

大堀切
上記模型の大堀切部分

右側の空堀もまた驚きに値します。外側の曲輪の切断面はいまだに生々しく、これもまた大変な仕事であったろうと感嘆します。

曲輪側面の切断面

城の搦手道は、その切断面の脇を通っていて、大手道のようにとても狭くなっています。ここもまた大手道と同じような防御の仕組みが施されていたのです。

狭くなっている搦手道
搦手道入口
上記模型の搦手道部分

その後

志布志城が廃城となった後、城があった山の麓は「麓(ふもと)」と呼ばれる武家屋敷群として使われました。麓とは、島津氏による薩摩藩が江戸時代の間採用した独特の防御システム(「外城(とじょう)」と呼ばれました)により設定された居住区域のことを言います。本拠地に藩士を集住させた他の藩とは違い、薩摩藩は多くの藩士を周辺地に送り込み、領地の辺境地帯の防衛に当たらせました。志布志麓は、100以上もある麓の中でも最も重要なものの一つでした。志布志城跡を巡るのと同時に、その麓地区を歩いて回ることができます。城跡に関しては、2003年以来発掘調査が行われていて、その結果、2005年には国の史跡に指定されています。

志布志麓の雰囲気を残す街並み

私の感想

私は、志布志市埋蔵文化財センターにある志布志城(内城部分)の模型ほど大きく且つ精巧な山城の模型を、かつて見たことがありませんでした。確かに、姫路城のようなもっと近代的な城の、大きくて精巧な模型であれば見たことはあります。そのような城には、天守、櫓、門のような建物や、石垣のような立派な構造物が現在に残っている場合がよくあるからです。それであれば、その模型を作ることは比較的簡単であり、人々の注目も浴びやすいでしょう。一方、山城の模型を作ることは難しい面があり、人気もでないでしょう。だから稀であり、本物そっくりという訳にもなかなかいきません。ところが、この志布志城の模型はその稀な例の一つであり、これを見るだけでも行くに値します。そして本物の城がどのようであったのかビジターが理解する手助けになります。

志布志城(内城)のすばらしい模型

ここに行くには

車で行く場合:都城志布志道路の志布志ICから約15分かかります。城跡の近くにビジター向け駐車場があります。また、志布志市埋蔵文化財センターは城跡から約3km離れたところにあり、ここにも駐車場があります。
公共交通機関を使う場合は、JR志布志駅から歩いて約20分かかります。
東京または大阪からくる場合:飛行機で鹿児島空港か宮崎空港にいき、そこからレンタカーを借りるのがよいと思います。

リンク、参考情報

志布志城跡、志布志市公式ホームページ
・「日本の城改訂版第105号」デアゴスティーニジャパン
・「志布志市埋蔵文化財センター 志布志城跡リーフレット紹介(城主編)

これで終わります。ありがとうございました。
「志布志城その1」に戻ります。
「志布志城その2」に戻ります。

197.志布志城 その2

すばらしい模型を見てからシラス台地の城を体感

特徴、見どころ

埋蔵文化財センターのすばらしい模型

現在、内城と呼ばれる志布志城の主要部分のみが一般のビジター向けに整備されています。城跡は廃城となった後、自然の状態に戻っていっていたので、ビジターが安全に歩いて回ったり、道に迷ったりしないよう、行政により木道や案内板が設置されています。

城周辺の地図

内城に設置されている木道
内城に設置されている案内図

更には、本物の内城を訪れる前に是非、志布志市埋蔵文化財センターに行って、内城のすばらしい模型を見ていただきたいです。これは縦約2m、横幅約1.25mの200分の1スケールで、模型としてはかなり大きく、しかし大変精密にも作られています。この模型を見ることで、城の空堀がどんなに深く垂直に掘られ、多くの曲輪にどのように建物や柵が建てられていたのか事前学習することができます。また、大手道や搦手道の場所を模型でチェックしておけば、現地に行ったときにこれらのルートがどのように機能していたのか理解が深まるでしょう。

埋蔵文化財センターに設置されている内城の模型

威圧感のある矢倉場を通って大手道へ

内城跡は、志布志小学校の裏手の山の上にあります。城跡へ車で来られた場合には、小学校のとなりにあるビジター向け駐車場に車を停めることができます。駐車場からは、城跡の大手道に行きたいのなら駐車場前の道をまっすぐに進み、そうでなく手前の小学校前の交差点を左に曲がれば、搦手道の方に行きます。大手道に向かう場合には、道標の通り、小学校と古い家屋の間のとても狭い道を進みます。

ビジター向け駐車場
大手道の方に向かいます
狭い道を進みます

城跡には6つの主要な曲輪と多くの小曲輪があり、大手道入口に着く前に、最初の主要曲輪である矢倉場(やぐらば)の急崖が右側に立ちはだかります。現在のビジターでさえ何か恐怖を感じるほどです。過去にこの城に攻め込んだ敵は尚更のことだったでしょう。

内城周辺の地図、赤破線が駐車場から大手道までのルート、青波線が搦手道までのルート

右側に矢倉場が見えてきます
矢倉場の垂直な急崖
矢倉場の上にある建物跡
上記模型の矢倉場の部分

堀底を通る大手道

大手道は城の中心部分に向かって、深い空堀の底のジグザグの道を辿っていきます。この道は常にいくつもの高い位置にある曲輪に囲まれていて、守備兵がそこから敵を攻撃できるようになっていました。全ての曲輪が似たような垂直の崖と、虎口と呼ばれる防御力のある入口によって固められています。よって、それぞれの曲輪に到着するにもとても急で不安定なジグザグ道を登って行く必要があります。もし道を外れてしまった場合には、茂みに覆われた荒れた坂と火山灰による崩れやすい土にはまり込んでしまうでしょう。これらの構造物は全て、自然のシラス台地を加工して、人工的に作られたものなのです。

大手道入口
ジグザグに進む道
大手道の右側にある曲輪2の虎口
曲輪2の上
堀底を進む大手道
内城模型の該当部分

志布志港が見える本丸

空堀の中をしばらく歩いた後は、左側にある本丸の中に入っていくことができます。本丸は二段構成になっていて、今では建物はなく広場になっていますが、他の曲輪と同じように土塁に囲まれています。手前の低い方の段は、物見として使われていたようで、高い櫓が立っていたと考えられています。実際そこからは、さんふらわあ号が停泊している志布志港が見えます。過去には、城と志布志港での貿易が相互に関連していたという間接的な証拠とも言えるでしょう。

本丸入口
本丸下段
本丸下段から見える志布志港
内城模型の本丸部分
本丸下段から大手道を見下ろしています

上段の方は、城では一番高い場所で、居館のような大きな建物がありました。城主が、戦が起こったり他の必要な場合に、ここを使ったのかもしれません。曲輪の奥の方に、小さな祠だけがあります。その背後には巨大な空堀が控えています。

本丸上段
周りを囲む土塁
奥の方にある祠
祠の背後は深い空堀になっています

「志布志城その3」に続きます。
「志布志城その1」に戻ります。