136.鳥越城 その2

よく整備された山城跡

特徴、見どころ

自然の地形を生かして作られた曲輪群

現在、鳥越城跡は観光客向けによく整備されています。もし車で来られるのでしたら、山頂近くの駐車場まで容易に登っていくことができます。車を停めた後、城跡の中心地まで小径を歩いて行くことができます。この道は、後三の丸と後二の丸の間を通っています。これらの曲輪は、本丸の北側を守っていたのです。同じように、三の丸と二の丸が本丸の南側を守っていました。その上に、腰曲輪が前述した曲輪群を囲んでいて、曲輪間の連絡のため、あるいは周囲の防御のために機能していました。

城周辺の航空写真

城跡中心部への小径
後三の丸

例えば、後二の丸を見てみると、そこには深い空堀があり、曲輪自体は高く盛り上げられています。築城者は、この空堀を掘って、その土を堀から自然の地形の上に積み上げて曲輪を築いたということが想像されます。曲輪の周囲には恐らく木の柵が巡らされていたでしょう。そして曲輪の中にはいくつか建物もありました。今はその痕跡を見ることができます。

後二の丸
後二の丸の中
本丸から見た後二の丸

復元された建物や石垣

更に進んでいくと、本丸の前にある中の丸に至ります。発掘の成果により、建物が復元されています。一つは、城の正門として使われた可能性がある中の丸門です。もう一つは兵舎で、現在では休憩所としても使われています。

中の丸
中の丸門
復元された兵舎兼休憩所

そして、この城では唯一石垣に囲まれた桝形門を通って、ついに本丸に入っていきます。この石垣は現代になって復元されたもので、もともと織田信長の軍勢により築かれました。なぜかと言うと、この城は加賀一向一揆と織田軍の戦いの間、双方がこの城を占領したり、攻めたりしていたのです。桝形とは、城の入り口の内側または外側にある四角い空間で、これがあることで城の防御力を増すことができました。桝形の奥には、同じように復元された櫓形式の本丸門があります。こちらの方は元は加賀一向一揆側によって築かれました。

復元された桝形門
桝形
本丸門

眺めを見てわかる立地の良さ

本丸の中は、発掘によって多くの建物があったことがわかっています。しかし、それら建物の用途はいまだにわかっていません。よって、復元されるのでなく、柱と礎石のみが観光客向けに展示されています。更には、土塁上の木の柵、井戸、貯蔵用の大甕が曲輪の中で復元されています。この曲輪からは、城がある山の東西両側の景色をよく見渡すことができます。見張りをしたり、城の防衛のためには絶好の立地だったことでしょう。

本丸内部
復元された木柵
本丸からの眺め(東側)

「鳥越城その3」に続きます。
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