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その後
1600年の戦いの後、岐阜城は廃城となり、代わりに徳川幕府は近くの平地に加納城を築きました。1910年、地元の人々によって初代の模擬天守が建てられました。現在の天守は1956年に建てられた2代目です。両方とも市の重要なシンボルとされ、観光の振興に大いに貢献してきました。近年、発掘と研究が進んできたことで、金華山周辺は史跡としても注目されています。その結果、2011年以来、岐阜城跡として国の史跡に指定されています。
私の感想
私は実は最近まで、岐阜城はただ山の上にあったものだと思っていました。実際に訪れ、そして城のことを学んでみて、この城には様々な側面があることがわかりました。特に織田信長は城を受け継ぎ、自身のやり方で発展させました。信長は城の潜在能力を十二分に発揮させ、彼の権威を高めたのです。きっとまた何か新しい発見が私たちを驚かせてくれるでしょう。
ここに行くには
車で行く場合:
東海北陸自動車道各務ヶ原ICから約6kmのところです。
岐阜公園に駐車場があります。
公共交通機関の場合は、JR岐阜駅の12番か13番バス乗り場から岐阜バスに乗って、岐阜公園歴史博物館前バス停で降りてください。
東京から岐阜駅まで:
東海道新幹線に乗って、名古屋駅で東海道線に乗り換えてください。
リンク、参考情報
・岐阜城天守閣、岐阜市公式ホームページ
・「信長と家臣団の城/中井均著」角川選書
・「戦国の山城を極める/加藤理文、中井均著」学研
・「日本の城改訂版第103号」デアゴスティーニジャパン
これで終わります。
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