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特徴、見どころ
城の後ろ部分
中丸を通り過ぎると、京極丸が見えてきます。ここは戦いのときに信長の部将であった秀吉が城の中で最初に占拠した場所です。長政の父親、久政が隠居所として住んでいた小丸は、京極丸のすぐ後ろ手にあります。恐らくこのために、久政は戦いの初期段階で倒されてしまったのでしょう。
城周辺の地図最後に山王丸は、城がある峰の中では最高地点にあります。この曲輪の東側では、この城で最大かつ最も見事な大石垣を見ることができます。この曲輪は4段になっていて、本丸の2段より2段も多い構造となっています。歴史家の中には、本当の本丸はここではないかと言っている人もいます。通常、本丸というのは最も高い所にあり、最も強力に作られているからです。実は、これら曲輪のほとんどの名前は、実際城があった時より後の時代に付けられています(京極丸の名前のみ当時の記録にあるそうです)。
その後
1573年に小谷城が落城した後、信長は秀吉にこの城を与え、秀吉はしばらくここに住みました。ところが彼は、小谷城の廃材も使って1575年に琵琶湖畔に長浜城を築城しました。秀吉が新しい城に移った後には、小谷城は程なく廃城となりました。城が築かれた山は公有地となりましたが、1915年には地元自治体や民間に売却されました。そして、地元の人たちは城跡の保存活動を始めました。その結果、1937年には城跡は国の史跡に指定されたのです。現在城跡を所有している長浜市は、城跡を保存する一方で、人々に楽しんでもらうような場所にするための検討を行っています。
私の感想
実は、小谷城跡とされている範囲は、私が訪れた所(城の中心部分)よりずっと広いのです。もう一つの峰の方にも城跡があり、清水谷と呼ばれる峰の間の谷にも屋敷跡があります。全て見て回るには、丸一日かかるでしょう。いつかこれをやってみたいです。
ここに行くには
車で行く場合:北陸自動車道の小谷城スマートICから約5分のところです。山麓と中腹に駐車場があります。
公共交通機関を使う場合は、JR河毛駅から歩いて約30分かかります。
東京から河毛駅まで:東海道新幹線に乗って、米原駅で北陸本線に乗り換えてください。
リンク、参考情報
・小谷城戦国歴史資料館
・「戦国の山城を極める 厳選22城/加藤理文 中井均著」学研プラス
・「日本の城改訂版第1号」デアゴスティーニジャパン
・「歴史群像170号、戦国の城 近江虎御前山砦」学研
・「週刊名城をゆく22/小谷城・長浜城」小学館
これで終わります。ありがとうございました。
「小谷城その1」に戻ります。
「小谷城その2」に戻ります。
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