84.高知城 その3

なぜ高知城にはこんなにも建物が残っているのでしょうか。

特徴、見どころ

天守の内部

天守の一階には、石落としや狭間などの防御のための仕組みがあります。更には、この階の外側には「忍び返し」と呼ばれる鉄剣があり、天守を登ってくる敵を防げるようになっています。これは日本で唯一現存例となります。

本丸御殿から天守へ
天守一階
石落とし
鉄砲狭間
天守一階外側に装備された忍び返し

二階では、城の模型など城に関する様々な展示を見ることができます。

天守二階

三階は基本的に入母屋屋根の屋根裏部屋となりますが、窓があって、屋根の内側に守備兵が入れる場所があり、攻撃側に反撃できるようになっていました。

天守三階

四階では、窓越しに屋根の上にある青銅製の鯱を間近に見ることができます。

天守四階
四階窓から見える鯱

五階はとても暗い屋根裏部屋です。

天守五階

対照的に最上階は開放的で明るく、全方向でこの城と高知市の眺めを満喫できます。ここでは、かつて城主がそうしていたように、回り縁をぐるりと歩いてみることもできます(鉄製の欄干が安全とオリジナルの欄干の保護のために取り付けられています)。

天守最上階
最上階の回り縁
最上階からの眺め

その後

明治維新後、高知城は高知公園となりました。二ノ丸と三ノ丸にあった全ての建物は撤去される一方、本丸にあったものとその他いくつかの建物は残されました。その残っている15の建物は、1950年以来、重要文化財に指定されています。この城はまた、1959年に国の史跡にもなっています。

高知城天守

私の感想

私がこの城を随分前に初めて訪れたとき、本丸にある御殿が小さい理由を誤解していました。そのときは、昔の日本人が今より背が低く、小さかったからだと思ってしまったのです。最近再び訪れることで、本当の理由がわかりました。それとともに、もし本丸御殿がとても大きかったならば、この城が公園になったときに、もしかすると二ノ丸の御殿のように取り壊されてしまったのではないかと思うようになりました。もしそれが当たっていれば、世の中何が幸いするかわからないということでしょう。

本丸御殿の内部

ここに行くには

高知自動車道の高知ICから約15分かかります。
城の周りにいくつか高知公園駐車場があります。
公共交通機関を使う場合は、JR高知駅から、とさでんバスに乗り、高知城前バス停で降りてください。
東京か大阪から来られる場合は、飛行機か高速バスを使われることをお勧めします。

リンク、参考情報

高知城、公式ホームページ
・「よみがえる日本の城13」学研
・「よみがえる日本の城、天守のすべて2」学研
・「長宗我部/長宗我部友親著」文春文庫

これで終わります。ありがとうございました。
「高知城その1」に戻ります。
「高知城その2」に戻ります。

180.Okoh Castle Part3

The Ichiryo-Gusoku group and their reappearance

Features

Walking around Castle Ruins

The Enclosure which was supposed to be a Former Stable is a little far from the main portion of the castle. It was used as a lookout as well.

The map around the castle

The Enclosure which was supposed to be a Former Stable

The castle also had many dry moats dug on the mountain in both vertical and horizontal directions to prevent enemies from attacking. You can still see some of them remained.

A vertical dry moat
A horizonal dry moat

The castle ruins now have many routes like network and many enclosures for stop and rest, so you can enjoy walking and relaxing as well as learning history.

Some of the routes going around the castle ruins
A view from the Enclosure which was supposed to be a Former Stable

Later History

After Okoh Castle was abandoned, the Chosogabe Clan was unfortunately fired by the Tokugawa Shogunate. The Yamanouchi Clan from Kakegawa Caste came to govern Tosa Province and lived in Kochi Castle. The remaining Ichiryo-Gusoku group suffered from the Yamanouchi high-class warriors as the low class ones during the Edo Period. However, due to their rebellious spirit, some heroes in the Meiji Restoration such as Ryoma Sakamoto and Shintato Nakaoka appeared from the low class to change Japan later.

The portrait of Ryoma Sakamoto, published in a book called Kinsei Meishi Shashin vol.2 (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
The photo of Shintaro Nakaoka, published in a book called Ishin Tosa Kinnoshi (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

As for the castle ruins, they were first developed as a normal park with cherry trees planted. The excavation was done between 1985 and 1990. Since then, the ruins have been developing as Okoh Mountain Historical Park. They were finally designated as a National Historical Site in 2008. In addition, Kochi Prefectural Museum of History was built beside the park in 1991, where you can learn more about the castle and the Chosogabe Clan.

The monument of the castle ruins

My Impression

I recommend visiting the three Chosogabe’s home base castles at once because they are close to each other. Kochi Castle basically remains as the Yamanouchi Clan’s legacy now, but the castle’s hill still has many tiers like Okoh Castle, probably it came from Chosogabe’s period. Though the ruins of Urado Castle were mostly destroyed by modern facilities, you can still see the great ocean view of Katsurahama Beach and the famous statue of Ryoma Sakamoto nearby.

Kochi Castle
Kochi Castle also has many tiers
The ruins of Urado Castle
Katsurahama Beach
The statue of Ryoma Sakamoto (taken by 末っ子魂 from photoAC)

How to get There

I recommend using a car when you visit the ruins.
It is about 10 minutes away from Nankoku IC on the Kochi Expressway.
The park offers a parking lot.
If you go there from Tokyo or Osaka, I recommend going there by plane. When you get there, it’s better to rent a car as there are few buses in the area.

The parking lot beside the park

Links and References

National Historical Site: Oko Castle Ruins, Kochi Prefectural Museum of History

That’s all. Thank you.
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180.岡豊城 その3

一領具足の再来

特徴、見どころ

城跡を歩き回る

城の主要部分とは少し離れた場所に、伝厩跡曲輪があります。ここも物見台として使われていました。

城周辺の地図

伝厩跡曲輪

この城にはまた、敵の攻撃を防ぐために、多くの空堀が山の垂直方向と水平方向の両方に掘られました。今もそのうちのいくつかが残されています。

竪堀
横堀

この城跡には現在、多くの通路がネットワークのように巡らされていて、多くの曲輪ではくつろいだり休憩することができます。歴史を学ぶだけでなく、散歩を楽しんだり、リラックスすることができる場所です。

城跡を巡る通路
伝厩跡曲輪からの景色

その後

岡豊城が廃城となった後、長宗我部氏は、徳川幕府により不幸にも改易となってしまいました。山内氏が掛川城より、土佐国を治めるためにやってきて、高知城を居城としました。残された一領具足の人たちは江戸時代の間、山内の上級武士(上士)から下級武士(郷士)として虐げられました。しかし、彼らは反骨精神を持ち続け、明治維新のときにはこの中から坂本龍馬や中岡慎太郎といったヒーローが現れ、後の日本を変えていくことになります。

坂本龍馬肖像画、「近世名士写真 其二」より (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
中岡慎太郎写真、「維新土佐勤王史」より (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

城跡に関しては、最初は桜の木が植えられ、通常の公園として整備されました。1985年から1990年の間には発掘が行われました。それ以来、城跡は岡豊山歴史公園として整備されています。2008年にはついに国の史跡に指定されました。更には、1991年には高知県歴史民俗資料館が公園の傍で開館しました。そこでは、城や長宗我部氏のことをより学ぶことができます。

城跡にある記念碑

私の感想

長宗我部氏の本拠地となった3つの城を一度に見て回ることをお勧めします。それぞれが近い位置にあるからです。高知城は、基本的には山内氏の遺産として残っていますが、この城の丘陵部分には岡豊城のようにいくつもの段があり、これは長宗我部氏の時代に由来するのではないでしょうか。浦戸城跡は、現代の施設建設により大半が破壊されてしまっていますが、桂浜では雄大な太平洋を、その近くでは有名な坂本龍馬像を見ることができます。

高知城
高知城にも多くの段があります
浦戸城跡
桂浜
坂本龍馬像   (taken by 末っ子魂 from photoAC)

ここに行くには

この城跡へは、車で行かれることをお勧めします。
高知自動車道の南国ICから約10分かかります。
公園に駐車場があります。
東京や大阪からは、飛行機来られることをお勧めします。空港からはレンタカーを借りるのがよいでしょう。この周辺地域はバスの便数が少ないですので。

公園の駐車場

リンク、参考情報

国史跡 岡豊城跡、高知県立歴史民俗資料館
・「戦国の山城を極める 厳選22城/加藤理文 中井均著」学研プラス
・「長宗我部氏/長宗我部友親著」文春文庫
・「よみがえる日本の城13」学研
・「日本の城改訂版第26、42号」デアゴスティーニジャパン

これで終わります。ありがとうございました。
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