175.勝瑞城 その3

巨大な遺跡が工場の敷地から現れました。

その後

勝瑞城が廃城となった後、見性寺が城の部分に建てられました。一方、館の部分は市街地となりました。時間が経つにつれ、人々は、その城の部分だけが勝瑞城だったと思うようになりました。ところが、1994年の発掘により、その城の部分は、勝瑞城の長い歴史に鑑みると新しすぎるものだとわかりました。更なる調査が周辺地域で行われ、1997年に近くの工場敷地の地下から、領主の館の遺物が発見されました。それから度々の発掘により、館の部分は想像以上に大きく、この遺跡は、この地域だけではなく、日本全体の歴史にとって重要であることがわかったのです。城跡はついに2001年に、城と館両方の部分を含めて、国の史跡に指定されました。館の部分は現在公有地となり、発掘が行われています。

館の部分にはかつて工場が建っていました(現地説明板より)
工場敷地の発掘(現地説明板より)
公有地となった後の発掘風景(現地説明板より)
現在の城跡風景(現地説明板より)

私の感想

正直言わせていただくと、勝瑞城跡を訪れたとき、がっかりしました。それは、遺跡が最初はただの空き地と小さな城跡のように見えたからです。ところが、この城の歴史を学んでみると、この遺跡が画期的な発見の後、整備中であることを理解できました。きっとこの城跡は、しばらく後には他の新しい発見とともに、よい歴史公園になるでしょう。もし今この城跡を訪れるならば、事前に城の歴史を学んでおくことをお勧めします。また、遺跡から発掘された遺物を見学できるので、現場事務所が開いている年末年始以外の日に行かれた方がよいでしょう。私は、その当時事務所がやっていなかった休日に行ったので、見学できませんでした。.

勝瑞城の館部分跡
勝瑞城の城部分跡

ここに行くには

車で行く場合:
高松自動車道の板野ICまたは徳島自動車道の藍住ICから約15分かかります。
城跡には、駐車場が館部分の中と、城部分の脇にあります。
電車では、JR勝瑞駅から歩いて約15分かかります。
東京か大阪ら行かれる場合は、飛行機か高速バスを使った方がよいでしょう。

リンク、参考情報

勝瑞城館跡、徳島県藍住町教育委員会
・「三好一族と阿波の城館、図説日本の城郭シリーズ」戒光祥出版
・「史跡勝瑞城館跡Ⅰ」藍住町教育委員会
・「日本の城改訂版第78号」デアゴスティーニジャパン

これで終わります。ありがとうございました。
「勝瑞城その1」に戻ります。
「勝瑞城その2」に戻ります。

175.Shozui Castle Part2

The ruins have two parts of “Hall” and “Castle”.

Features

“Hall Ruins” and “Castle Ruins”

Now, the ruins of Shozui Castle have two parts. One of them is the larger part which was used as the hall for the Hosokawa Clan and the Miyoshi Clan. Therefore, people often call it “Shozui Hall ruins”. This area is basically an open space where a lot of relics are buried under the ground. The excavation is still ongoing with the site office. If some relics are found, they are investigated, studied, and finally buried again or taken to preserve them. After that, some exhibitions are built in the present way at the spot where the relics were found.

MarkerMarker
Shozui Hall
Leaflet|国土地理院
The aerial photo around the castle

The ruins of “Shozui Hall”

Excavation and Exhibition are on going in Hall Ruins

For example, the replica of the water moats with some bridges were built at the same place and in a similar size to the original ones. Visitors can now see how the hall area was divided by these moats in the past. In addition, the rest house which looks like a hall was built where the relics of the original hall were found. Near the rest house, some trees and rocks were restored where the original Japanese rock garden was built. There are also many signboards which explain what were there and what happened to the castle.

The replica of the water moats
The rest house which looks like a hall
The partly restored garden
An example of the signboards at the site

Castle Ruins remain as Temple

The other part is the one which was added as the final part for a battle in the final stage of the castle. It looks more likely to be castle ruins, so people also often call itself “Shozui Castle ruins”. However, this part is much smaller than the hall part with about 100 m square (vs 200 to 300 m square for the hall). This is probably because the castle part was built and used in a short time. There is Kensho-ji Temple on the ruins, which was established in the Edo Period, collecting the graves of the Miyoshi Clan. The water moats and some earthen walls surrounding the ruins still remain. The original earthen walls were 14m high from the bottom of the moat (2.5m above the water surface) according to the excavation.

Kensho-ji Temple
the graves of the Miyoshi Clan
The water moats surrounding the ruins
The partly remaining earthen walls

To be continued in “Shozui Castle Part3”
Back to “Shozui Castle Part1”

175.勝瑞城 その2

城跡は「館」と「城」の2つの部分に分かれています。

特徴、見どころ

「勝瑞館跡」と「勝瑞城跡」

現在、勝瑞城跡には2つの部分があります(現地では2つをまとめて「勝瑞城館跡」と表示されています)。一つは大きな方で、細川氏や三好氏の館として使われていた部分です。よって、しばしば「勝瑞館跡」とも呼ばれます。この区域は基本的に広場になっていて、多くの遺物が地面の下に埋まっています。発掘現場事務所があり、発掘作業が現在も続けられています。遺物が見つかった場合、調査研究が行われ、元の場所に再び埋められるか、保存のために取り出されます。その後、遺物が見つかった場所に、現代的な方法で展示物が作られます。

MarkerMarker
勝瑞館
Leaflet|国土地理院
城周辺の航空写真

「勝瑞館」跡

発掘と展示が進んでいる勝瑞館跡

例えば、橋がかけられた水堀のレプリカが、元あった水堀と同じ場所に、似たような大きさで作られています。観光客は今、過去においては館の区域がどのように堀によって隔てられていたのか、見てわかるようになっています。更に、館の遺物が見つかった場所(会所であったとされています)には、館のように見える休憩所が作られています。休憩所の近くでは、枯山水の庭園があった場所に、いくらか木が植えられ、石が据えられて、庭園が一部復元されています。また、説明板がたくさんあって、ここには何があって、城にどんなことが起こったのか記載されています。

水堀のレプリカ
館を模した休憩所
一部復元された庭園
説明板の一例

寺として残っている勝瑞城跡

もう一つの区域は、戦いにおいて、城が最後の局面に陥ったときの詰めの場所として付け加えられた部分です。こちらの方がより城跡らしく見えます。よって、ここ自体が「勝瑞城跡」と呼ばれたりもします。しかし、この部分は、館の部分よりずっと小さく、大きさは約100m四方です(館の部分は200~300m四方です)。これは恐らく、この城の部分が短期間に築かれ、使われたからでしょう。その跡地には現在、江戸時代に創建され、三好氏の墓が集められている見性寺があります。水堀と一部の土塁が跡地を囲んで残っています。発掘によれば、この土塁はもとは堀の底から14mの高さがありました(水面からは2.5mの高さ)。

見性寺
三好氏累代の墓
跡地を囲む水堀
一部残っている土塁

「勝瑞城その3」に続きます。
「勝瑞城その1」に戻ります。

error: Content is protected !!