97.鹿児島城 その2

博物館の中だけでも見るものがたくさんあります。

特徴、見どころ

城らしさを残す本丸

現在鹿児島城跡は、本丸は鹿児島県歴史・美術センター「黎明館」に、二の丸は他の公共施設に、そして城山は城山公園となっています。特に本丸は今日でも城のように見えます。周りを囲む石垣が今でも健在であり、更に最近正門が復元されたからです。本丸の手前に立ってみると、島津氏の本拠地としての威厳を感じます。

城周辺の航空写真

鹿児島城本丸

水堀に囲まれている石垣は、よく加工された石を精密に積み上げて築かれており、この技法は「切り込みハギ」と呼ばれています。この石垣に関して面白いのは、一か所の角の石が内側に向かって屈曲していて、これは「入隅(いりすみ)」と言います。この角部分は北東側を向いており、鬼門として不吉な方角とされていました。よって築城者は、このような特殊な築き方をすることで、この方角からの災厄を防ぐことができると考えたのです。

本丸の石垣
入隅となっている北東角

正門の「御楼門」は石垣の間でとても目立っています。この門は日本の城門の中でも最大級のものと言われていて、その高さと幅はともに約20mあります。1873年に焼失して以来、147年経った2020年に古写真や現存する礎石に基づき、木造建築として復元されました。

復元された御楼門
太い木材が使われています

門前の堀を渡る現存する石橋を渡って門に入っていきます。門の内側には別の石垣が立ちはだかっているので、右に曲がる必要があり、更に曲がりくねった石段を登って曲輪の中心部に至ります。その石垣には無数のへこみがあります。これらは西南戦争のときの政府軍による砲撃の弾痕であり、いかにこの攻撃がすさまじかったかがわかります。

現存する石橋を渡っていきます
門の内側
西南戦争時の弾痕

黎明館のすばらしい展示

黎明館は優れた歴史博物館で、鹿児島県に関する数多の歴史、民俗、芸術品を展示しています。館内では鹿児島城を含む県の歴史や文化について学ぶことができます。あまりにも見るものが多くて一日では回り切れない程です。その中でも、鹿児島城、志布志城(県内にある城)、出水外城(麓)などの歴史的文物の模型が素晴らしいので見学することをお勧めします。

黎明館
鹿児島城の模型
出水外城の模型

また、歴史的出来事を再現したジオラマもたくさんあり、ビジターがより理解できるようになっています。このような活動をこれからも続けていただき、この施設ももっと人気が出ればよいと思います。

大正時代の天文館通りのジオラマ
鳥羽伏見の戦いのジオラマ

自然公園のような城山

本丸の裏手にある城山公園はとても行きやすい場所です。山自体は標高107mでそんなに高くないからです。山頂には山道をウォーキング感覚で登って行くことができ、史跡というよりも自然公園といった感じです。これは、薩摩藩が城の一部としてはこの山をほとんど使わなかったことと、江戸時代の間、民衆の立ち入りを禁止していたからと思われます。わずかに、島津氏以前にここに山城を築いた上山氏の遺跡として、土塁に囲まれている曲輪の跡が残っている程度です。

頂上に向かう歩道
土塁に囲まれている場所

ただ、頂上は桜島(活火山島)と鹿児島市街地が望める人気のビュースポットとなっているので、景色を楽しんでください。

頂上近くの展望台
展望所からの景色、桜島は雲に隠れています

「鹿児島城その3」に続きます。
「鹿児島城その1」に戻ります。

167.新宮城 その2

不思議な雰囲気を持った城跡

特徴、見どころ

丹鶴城公園として整備

現在、新宮城跡は新宮市により丹鶴城公園として整備されています。この公園には実に不思議な雰囲気があります。この公園は、城跡そのものに加え、昭和時代のアミューズメント施設跡と、現在の公園としての設備がミックスされているからです。公園には入口が2か所ありますが、両方とも城のオリジナルのものではありません。西側の正面入口から入ってからしばらくは、丘の上に向かって階段を登っていきます。

城周辺の地図

公園の正面入口
正面入口から階段を登っていきます
公園の東側入口

そうするうちに、違う方向から伸びてくるオリジナルの大手道と合流します。合流地点からは、その大手道が下っているのが見えますが、ポールにロープが張ってあって直接その道を通ることはできません。

オリジナルの大手道との合流地点
大手道を見下ろします

その大手道を歩いてみるには、周辺の住宅街の方に回り込んで行く必要があります。

住宅街に残る石垣
丘下に残る大手道

精密な石垣に囲まれた曲輪

丘上には、松ノ丸、鐘ノ丸、本丸、出丸の4つの曲輪が西方から東方に向かって並んでいます。現在では石垣のみが残っています。松ノ丸は、大手道から進んで最初に着く曲輪です。その入口は、桝形と呼ばれる、石垣に囲まれた四角い防御空間となっています。この曲輪からは、川沿いにある水ノ手郭へ向かう通路もあり、ここは防御の要の場所だっだのでしょう。

松ノ丸入口
桝形部分
松ノ丸の内部
水ノ手郭への通路

その次は鐘ノ丸で、この曲輪にも桝形があります。ここの石垣は、切り込みハギと呼ばれる、加工された石を精密に積み上げる方法で築かれています。浅野時代にはこの場所に御殿があったのですが、水野時代には丘の麓の二ノ丸に移転しました。現在は広場になっていますが、恐らくは昭和時代にここに旅館があったときに作られた日本庭園もあります。

鐘ノ丸入口
桝形部分
鐘ノ丸の内部
丘の麓から見た鐘ノ丸の石垣

複雑な構成の本丸

進んでいくと、本丸に到着しますが、ここは更に複雑な構成になっています。基本的に本丸には異なった種類の多くのすばらしい石垣があります。まず、ここには二重の正門跡があり、とりわけ二番目の門跡は、亀甲積みと呼ばれる方法による、この城では最も精巧に築かれた石垣に囲まれています。

本丸周辺の地図

一番目の門跡から二番目の門跡へ
亀甲積みになっている二番目の門跡の石垣

次に、搦手門跡の石垣には、当時としては最も高度な表面加工処理(面取り、谷目地により石表面を高く膨らませる石化粧法)が施されています。

搦手門跡の石垣

更に、本丸を囲む石垣は、屏風折れと呼ばれる、石垣のラインを巧みに曲げる方法で築かれ、城の守備兵が攻めてくる敵の側面を攻撃できるようになっています。

本丸の屏風折れの石垣
屏風折れ石垣の天端部分

本丸の石垣は二段積みになっていて、上段は水野氏によって後から築かれたもので、下段の方は浅野氏によって築かれた古い時代のものです。本丸はまるで石垣の博物館のようです。

二段になっている本丸石垣(下段石垣は草に覆われています)
松ノ丸から見た本丸石垣

しかし残念ながら、天守台石垣は、1952年の台風被害によりほとんど崩れてしまっています。1面のみ残っている状況です。

僅かに残る天守台石垣

一方、本丸には大きく改変されている部分があり、その崩れた石垣を使って作られたのであろう階段や通路があります。これらは昭和時代のアミューズメント施設が建設されたときに設置されたものと思われます。こういった後付けのものについての説明が十分ではないため、ビジターはこれらの石造りのものを見て、少し困惑してしまうかもしれません。

後付けされた石造りの階段
オリジナルの石垣と後付けの造作が混在

「新宮城その3」に続きます。
「新宮城その1」に戻ります。