その後
明治維新後、唐津城は廃城となり、城の全ての建物は撤去されました。城のほとんどの部分は市街地になっていきましたが、山の部分は1877年に舞鶴公園となりました。模擬天守が建設され、新しい唐津城として開業したのは1966年のことです。それ以来、城は現代の観光地であり、史跡でもあるのです。
私の感想
私は、島原の乱の結果から寺沢氏に対してはよい印象を持っていませんでした。寺沢家の初代、広高は新しい領地である天草で徳川幕府に忠誠を尽くそうとしたように思います。彼が天草で行った圧政は、それを示すため取った方法と考えられ、同じようなことを島原城の松倉氏や沼田城の真田信利も行っていました。また、広高が唐津で行ったことと、天草で行ったことは分けて評価するべきとも思うのです。彼は、少なくとも唐津城を築き、唐津市の礎を作ったのです。それから、広高が奨励した唐津焼は今でも唐津市の名産になっています。ご覧になってはいかがでしょう。
ここに行くには
この城に行くには、車を使うことをお勧めします。
西九州自動車道の二丈鹿家(にじょうしかか)ICから約15分かかります。
城入口近くにある駐車場に駐車することができます。
電車では、唐津駅から歩いて約20分かかります。
福岡から唐津駅まで:福岡市地下鉄の空港縁に乗って、姪浜(めいはま)駅でJR筑肥線に乗り換えてください。
東京または大阪から福岡まで:新幹線か飛行機に乗ってください。
リンク、参考情報
・唐津城 施設利用案内、唐津市文化事業団
・唐津城、唐津観光協会
・「よみがえる日本の城21」
・「日本の城改訂版第95号」デアゴスティーニジャパン
これで終わります。ありがとうございました。
「唐津城その1」に戻ります。
「唐津城その2」に戻ります。