75.萩城 その2

城も町も見どころが満載です。

特徴、見どころ

二の丸を通って本丸へ

現在、萩市には数多くの歴史的観光地があります。江戸時代の古地図を使って、現在の街並みを巡ることができるとさえ言われています。まず最初に車で城跡の中心部まで行かれるのでしたら、二の丸の手前にある駐車場に停めることができます。駐車場の辺りはかつては中堀であったようで、1924年に萩運河が掘られたときにその残土により埋められてしまいました。そのため堀によって隔てられてはいませんが、駐車場の南の方には三の丸内の厚狭(あさ)毛利家の現存屋敷(長屋)があり、北の方は二の丸南門跡となります。

城周辺の地図

駐車場周辺
現存する厚狭毛利氏屋敷長屋
二の丸南門跡
城近くの萩運河

南門にはかつては櫓と石垣に囲まれた、桝形と呼ばれる四角い防御空間が二重に設置されていました。現在では残っている石垣によって、その形はわかるようになっています。門跡の内側の二の丸は民間に売却されているので、萩焼の店や茶室などが営業しています。

二重の桝形になっています
南門跡にある毛利輝元像
二の丸内にある萩焼の店

美しい天守台石垣

そうするうちに本丸に着きます。本丸には建物は残っていませんが、石垣と内堀が健在です。特に天守台石垣は、その隅石の部分が扇の勾配のようであり、背景の指月山と相まってとても美しく見えます。天守台の高さは約10mあり、天守そのものの高さは20m近くあったと言われているので、合わせると30m位あったことになります。

本丸
天守台石垣
天守台石垣と背景の指月山
天守の古写真、明治時代  (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

規模の大きさがわかる本丸の遺跡

本丸は、指月公園の一部となっています。本丸に入るには、内堀にかかっている極楽橋を渡って、本丸内門から入ります。本丸の内部は基本的には広場になっていますが、明治時代に志都岐山(しづきやま)神社が創建されたのと、その後茶室などのいくつかの建物が別の場所から移転してきています。天守台の上に登ってみることができます。そこには、多くの天守の礎石が並んでいて、かつての天守がどんなに大きかったのか想像できるでしょう。

本丸門
天守台石垣に登ります
天守台上の礎石
天守台から本丸門方面を見ています

また、あまり目立たないが重要な役割を果たしたものとして、雁木(がんぎ)と呼ばれる幅広な石の階段にも注目してみてください。天守台と入口の門の中間にあります。この雁木は、日本の城で最も長大なものの一つと言われています。かつて石垣の上には土塀が築かれており、もし敵が城を攻撃してきた場合には、守備兵はこの雁木を登って塀越しに反撃できるようになっていました。

長大な雁木
雁木を登った石垣の上面、かつては土塀がありました
前面の石垣

海岸まで防御

また、東の方から城を眺めてみてはいかがでしょう。具体的には、二の丸東門跡から外に出て、菊ヶ浜から見る指月山はとても美しいです。また、山の麓の方を見てみると、長大な石垣が横たわっています。かつては、石垣の上に5基もの櫓が立っていて、その間には土塀も築かれていました。

二の丸東門跡
菊ヶ浜から見た指月山
海岸際に石垣が築かれています

現在は、その土塀の一部が復元されています。その石垣に近づいて、潮入門跡から海岸に出てみることもできます。

復元された土塀
潮入門跡
石垣の外はすぐ海岸です

「萩城その3」に続きます。
「萩城その1」に戻ります。

66.津和野城 その3

津和野町は城跡の維持に多大な努力をしています。

特徴、見どころ

三十間台と天守台

人質櫓の次は、城の最高地点で三十間台と呼ばれ、54mの長さがあります。江戸時代には土塀に囲まれていましたが、今は広場になっていて絶景ポイントとなっています。赤褐色の屋根に彩られた津和野町の街並みの眺めを楽しみましょう。

城周辺の地図

三十間台
三十間台からの眺め
赤褐色の屋根に彩られた町並み
三十間台から人質櫓の方を見ています
三十間台周りの斜面、多くの石垣が崩れてしまったそうです

三十間台の下隣には天守台石垣があります。日本の城で天守が最高地点にないのは珍しいケースです。

三十間台下の天守台
天守台の上

城下町の見どころ

お時間があるようでしたら、かつての城下町沿いにある多くの歴史遺産をご覧になってはいかがでしょうか。復元された藩校、現存する重臣屋敷の門、西周や森鴎外の旧居、そして坂崎直盛が飼育を始めさせた鯉などです。

復元された藩校、養老館
藩校の内部
津和野藩家老多胡家表門
西周旧宅
水路で飼われている鯉

その後

明治維新後、津和野城は廃城となり、ほとんどの城の建物は撤去されました。そのうちの一つ、山麓にあった門の一つが浜田県庁舎の正門として使われ、最後は浜田城跡に移設されました。その当時、津和野藩は浜田県(旧浜田藩)に統合されていたのです(その後、現在の島根県に統合されました)。その門は今でも浜田城跡にあります。津和野城跡は、1942年に国の史跡に指定されました。津和野町は城跡の維持のため、その調査と修復をひとつひとつ継続して行っています。

浜田城跡にある津和野城の門

私の感想

坂崎直盛がこの城にいたわずか16年間で、このような急峻な山の上に石垣を含む城の建設を完成させたことは、どんなに大変な事だったか想像もつきません。津和野町が、何とかこの城跡を維持整備していただくことを望みますが、これも大変な仕事です。次にこの城跡を訪れる時には、山麓から登ってみようと思います。その途中では、吉見氏が初期にこの城を築いたときの遺構が見れるそうです。

山上に見える南櫓門の石垣

ここに行くには

車で行く場合:中国自動車道の六日町ICから約40分かかります。山麓にあるリフト乗り場の前に駐車場があります。
交通機関を使う場合は、津和野駅から歩いて(リフト乗り場まで)約20分かかります。また、駅から石見交通バスか津和野市営バスに乗って、森バス停で降りてリフト乗り場に行くこともできます。
東京または大阪から津和野駅まで:山陽新幹線に乗って、新山口駅で山口線に乗り換えてください。

津和野駅

リンク、参考情報

日本一の山城を体感!、津和野町
・「よみがえる日本の城6」学研
・「坂崎出羽守、津和野ものがたり(4)/沖本常吉著」津和野歴史シリーズ刊行会
・「史跡津和野城跡保存管理計画書」島根県津和野町

これで終わります。ありがとうございました。
「津和野城その1」に戻ります。
「津和野城その2」に戻ります。

3.松前城 その2

桜と天守以外にも見どころはたくさんあります。

特徴、見どころ

城跡公園への入り方

現在、松前城跡は松前公園として整備されていて、桜の名所としても知られています。ここには、約250種類、合計で1万本以上の桜の木があります。もし8月にここを訪れたとしてもここでは、日本の本州では通常6月に咲くアジサイの花を楽しむことができます。もちろん、城跡は1年中見学することができます。

城周辺の地図

城跡に咲くアジサイ

車でここに来られた場合は、南側の海に面した松前町市街地から正面入口を通って城跡に入り、三の丸を通り過ぎて、二の丸にある駐車場に停めることができます。

松前町市街地
正面入口
三ノ丸の土塁と石垣
二ノ丸にある駐車場

徒歩で来られた方は、東側から搦手門を通って城跡の中心部に向かうこともできます。

東側から城跡に入る馬坂口
復元された搦手二ノ門周辺
城跡中心部

海防のための施設跡

城跡の東側は、松前町によってよく整備されています。例えば、城の他の入口であった天神坂門や搦手二ノ門が再建されました。二ノ丸の石垣やその上の土塀が部分的に復元されました。その手前の外堀も一部再掘削されています。

復元された天神坂門
復元された二ノ丸の石垣と土塀、外堀

その下の三ノ丸では、五番砲台などの台座が石垣とともに現存しています。二ノ丸の南東隅にある太鼓櫓跡に立ってみると、素晴らしい津軽海峡の海の景色が楽しめるとともに、海峡を進む船の動向を把握するにも良い場所だっただろうことがわかります。

五番砲台の台座
五番砲台跡から海側を見ています
五番砲台跡から二ノ丸方面を見ています
二ノ丸太鼓櫓跡
太鼓櫓跡からの景色

復元天守と現存する本丸御門

本丸には復元された三層の天守があります。この天守は実際にはコンクリート造りの建物なのですが、その外観はほとんどオリジナルのものと同じです。オリジナルのままなのは、その天守台石垣だけです。その石垣をよく見てみると、いくつも窪みがあるのがわかります。これらの窪みは、明治維新のときの戦いにより、砲撃を受けた痕跡なのです。天守の屋根はオリジナルと同じく、北海道の寒冷な気候に耐えられるよう銅板が葺かれています。

復元された天守
天守台石垣には戦いの痕跡があります

中に入ると、そこは歴史博物館になっていてこの城や松前藩について学べるような展示がされています。最上階は展望台として使われています。しかし、建物自体が老朽化しているように感じるかもしれません。

館内の展示
最上階からの眺め

多くの人たちは天守だけに注目するかもしれませんが、本丸には他にも興味深いものが残っています。天守脇の本丸御門は、この城で唯一健在である建物であり、1950年以来重要文化財に指定されています。この門は当時のことなので木材を使って作られていますが、門を支える石垣はとても精密に組み合わされ、現代になって築かれたかのようです。

現存する本丸御門
建物は確かに木造です
石垣はとても精密に組み合わされています

本丸御殿の名残り

門の手前にはひっそりと、本丸御殿の玄関部分が保存展示されています。この玄関は、もともとあった場所である本丸御門の裏手の方で学校の門として使われていたのですが、1982年に現在の場所に移されました。この玄関は、松前城が築かれる前からあった福山館の一部であると言われています。もと本丸御殿だった場所は芝生に覆われた広場になっています。

本丸御殿の玄関部分
見事な彫刻の飾りがあります
元御殿があった場所

「松前城その3」に続きます。
「松前城その1」に戻ります。