4.弘前城 その2

城は、ほとんど元と同じ範囲で残っています。

特徴、見どころ

外堀から三の丸へ

驚くべきことに、ほとんど全ての弘前城の範囲がそのまま弘前公園として残っています。

城周辺の航空写真、下の古絵図とほとんど同じに見えます

津軽弘前城之絵図部分、江戸時代(出展:国立公文書館)

南の方、例えば弘前駅の方から公園を訪れる場合、土塁と外堀に囲まれた三の丸にある追手門から入って行くことになるでしょう。また、その土塁には夥しい数の桜の木が植えられていて、春でなくても美しい桜の花で飾られるだろうと想像できます。

桜の木が植えられた外堀周辺

追手門は三の丸に残っている2つの門のうちの一つです。門に入るとき、その門が正面を向いていないことに気づくかもしれません。それは、弘前城と同じ時期に建てられた城には、通常2つの門の建物を持つ関門がありました。1番目の門は正面を向き、2番目の門は別の方向を向いていました。2つの門は、壁面とともに四角い空間を形作り、「桝形」と呼ばれ、城を守っていました。弘前城の場合は、その1番目の門が省略されていて、とても独特なスタイルです。

弘前城の追手門
甲府城に見る桝形の例(復元された山手門)

三の丸は現在、植物園、公共施設、リラックスゾーンになっています。

三の丸

全ての門と櫓が残る二の丸

二の丸周辺の航空写真

更に中に入っていくと、土塁と中堀に囲まれた二の丸が見えてきます。これもまた驚きですが、二の丸にあった2つの門と3つの三階櫓が今日全て残っているのです。櫓の屋根には銅板が使われていて、それが櫓をスマートに見せています。櫓と土塁の組み合わせもとても合っています。二の丸にはインフォメーションセンターがあります。

二の丸の入口
現存する二の丸南門
現存する二の丸辰巳(たつみ)櫓
現存する二の丸未申(ひつじさる)櫓

天守が引越し中の本丸

本丸周辺の航空写真

やがて、内堀の中の、天守がある本丸に到着します。実は、本丸の東側の石垣が修理中です(2021年12月現在)。その石垣の表面が膨張しており、地震が起こった場合崩れかねないからです。

修復中の本丸石垣

そのため、天守は本丸の東南隅にある天守台石垣から一時的に移動されています。よって、天守をすぐ近くに見ることができます。外側を向いている二面は、派手に飾り付けられています。一方、内側を向いている他の面はとても地味です。最初は天守の代用品として作られたからかもしれません。いずれにせよ大変面白いことです。

天守のない現在の天守台石垣
天守の飾り付けされた面
天守の飾り付けがない面

本丸の西南隅には、最初の天守があった大規模な石垣台があります。天気が良ければ、ここから岩木山の雄大な眺めを見ることができます。

最初の天守があった石垣台
石垣台からの眺め
晴れていればこのように見えるはず (taken by u****************m from photoAC)

「弘前城その3」に続きます。
「弘前城その1」に戻ります。

11.二本松城 その3

美しい花で飾られる城跡

その後

明治維新時に起こった戊辰戦争の後、二本松城は廃城となり、わずかに残っていた城の建物も全て撤去されました。山麓の三の丸には製糸工場が設立され、1873年から1925年の間稼働していました。第二次世界大戦後、城跡は今日知られている自然公園の霞ヶ城公園となり、城の建物もいくつか再建されました。1990年以降、城に関する調査研究が行われています。1995年に天守台石垣が復元され、2006年には国の史跡に指定されました。二本松市は現在、山麓にある三の丸に御殿を復元することを検討しています。

城跡の山麓部分
山上からの眺め
三の丸

私の感想

二本松市は菊人形で知られていて、これは菊の花や葉を人形の衣装として飾り付けたものです。霞ヶ城公園では、毎秋菊花展が開催されています。この公園は桜の名所でもあり、春には公園の山は桜に包まれます。事実、その季節に山の頂上から辺りを見下ろしてみれば、まるで花の絨毯のように見えて驚かれるでしょう。よって、もし可能であれば、この城には春か秋に行かれることを特にお勧めします。

山頂から絨毯のように見える桜
菊花展で出展された菊人形 (taken by happy.mom from photoAC)

ここに行くには

車で行く場合:
東北自動車道の二本松ICから約10分のところにあります。
公園に多くの駐車スペースがあります。
電車では、JR二本松駅から徒歩で約20分かかります。
東京から二本松駅まで:東北新幹線に乗って、郡山駅で東北本線に乗り換えてください。

二本松城跡へ電車を使って訪れる場合には、二本松駅から長い距離を歩く必要があります。旧奥州街道が駅の近くを通っているので、二本松駅入口交差点を右に曲がって真っすぐ進んでください。そして、久保丁坂入口交差点を左に曲がってください。そんなに大変ではありませんが、城跡に行くには、久保丁坂という坂を登っていきます。これも城の防御システムの一つなのです。途中には大手門の現存する石垣も見ることができます。坂の頂を超えていったところで、城が築かれた山がついに見えてきます。

二本松駅から城跡への道のり

二本松駅 (licensed by D700master via Wikimedia Commons)
大手門石垣 (二本松城跡オフィシャルサイトから引用)
城跡が見えてきます

リンク、参考情報

二本松城跡オフィシャルサイト、二本松市教育委員会
・「よみがえる日本の城9」学研
・「日本の城改訂版第88号」デアゴスティーニジャパン

これで終わります。ありがとうございました。
「二本松城その1」に戻ります。
「二本松城その2」に戻ります。

11.二本松城 その2

多くの異なる時代から成り立つ城跡

特徴、見どころ

城周辺の航空写真

山麓部分

城周辺の地域は、霞ヶ城公園(霞に包まれた城という意味)という公園となっています。加藤氏が築いたと言われる素晴らしい石垣が山麓に残っています。箕輪門、二階櫓、多聞櫓の建物が、現代になってから石垣の上に再建されています。通常、観光客は箕輪門から入っていきます。その手前には、二本松少年隊の像が立っています。

山麓の石垣
再建された箕輪門
二本松少年隊像 (licensed by baku13 via Wikimedia Commons)

石垣に囲まれた曲がりくねった通路を過ぎると、三の丸に入っていきます。そこは今は空き地になっていますが、かつては城主のための御殿があり、江戸時代には城の中心でした。

箕輪門の内側
三の丸入口
三の丸

山上部分

その後、畠山氏がもともと作ったであろう山道を通って、山の頂上にある本丸に登って行くことができます。山の部分は、城の中では最初にできた所と言われています。もう少しで頂上というところで、本丸下の緩斜面に大規模な古い石垣が目に入ってきます。これは大石垣と呼ばれ、恐らく蒲生氏が築いたものとされています。また、東北地方では最も古い石垣の一つでもあります。ここからはすぐに頂上に到達します。

山道を登っていきます
大石垣

頂上にある本丸は、まだ目新しく見える素晴らしい石垣に囲まれています。この石垣は最初は加藤氏か丹羽氏によって築かれたのですが、最近の発掘によって近年復元されました。この中には、天守、東櫓、西櫓のための3つの石垣台も含まれています。東櫓と西櫓はこれらの台の上に実際にあったようなのですが、天守があったかどうかを示す証拠は見つかっていません。もし何か建物があったことを証明する遺物か絵図が見つかれば、見解は覆ることになるでしょう。

復元された本丸石垣
本丸内部、奥側は東櫓台
天守台石垣

本丸からの素晴らしい景色

いずれにせよ、石垣の頂上部からは、城周辺地域の素晴らしい眺めを見渡すことができます。遥かかなたには、安達太良山などの東北地方の山々が見えます。多くの山から成り立つ地方にいることを身をもって実感できます。他には、戊辰戦争で自刃した重臣のことを記した記念碑が天守台石垣の脇にあります。

本丸からの景色
安達太良山を遥かに望む
二本松藩重臣自刃の碑

「二本松城その3」に続きます。
「二本松城その1」に戻ります。