特徴、見どころ
一部通行可能な大手道
山上へ向かう大手道は、2023年5月の時点では修復中のため途中から通行止めになっています。そのため、このルートの全部を通ってみることはまだできません。しかし、山麓から修復地点の手前まで登って行くか、頂上の方から下ってみることはできます。このルートは基本的に山の別の峰に沿って進んでいて、その入口部分は両側を垂直に削られた崖に囲まれた、大きく且つ深い谷の底を通っています。現代のビジターは築城者の見事な仕事による素晴らしい景色を楽しむことができますが、過去にこの城を攻撃しようとする敵にとっては、守備側からどのような反撃を受けるのか脅威に感じたでしょう。入口からは狭い道が、峰を右側に見ながら続いていて、過去には守備兵がその峰から攻撃してきたでしょうし、現代では土砂崩れが発生して道を簡単に壊してしまいそうです。
城周辺の地図
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修復地点から上の方は、大手道は右に曲がってもう一つの峰を越えて本丸に至ります。その峰を越える部分には、人工の堀切が掘られていて、その地点も防衛拠点となっていました。
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その後
明治維新により、佐土原藩の親戚筋である薩摩藩が、日本の政治の実権を握りました。両藩の藩主はもともと同じ島津氏であったことで、佐土原藩も維新の事業に加わりました。佐土原藩の最後の藩主となった島津忠寛(ただひろ)は、本拠地をより便利な地である広瀬に移そうとしました。彼は1869年に、そこに新しい城の建設を始め、佐土原城を廃して建物は全て撤去されました。ところが1871年に中央政府が廃藩置県を行うことになり、工事は中止となってしまいました。
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佐土原城跡は長い間、恐らく山麓の平地だけでしょうが、畑地となっていました。その平地にあった二の丸の発掘が1989年に行われ、1993年にはそこにあった御殿が復元されました。本丸の発掘も1996年に行われ、天守台の基礎部分が発見され、それとともに天守でよく使われた金箔瓦も見つかっています。それをもって、今のところ佐土原城には日本で一番南に位置する天守があったのではないかとされています。それらの成果をもとに、2004年に城跡は国の史跡に指定されました。
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私の感想
私は、佐土原城跡に都合3回行っています。最初は何年も前であまりよく覚えていません。2回目の訪問は2022年で、自然災害により山上への2つのルートが全て通行止めになった直後でした。とてもがっかりしました。そのニュースも、シラス台地の崩れやすい性質のことも全然知らなかったのです。1つのルートが再開したというよい知らせを聞いてから、やっと山上を再び訪れることができました。そのとき山頂周辺を歩き回ったのですが、まだ通行止めになっている箇所があり、通路の脇には倒木がありました。そのことで、この城跡を維持する難しさと、それが敵が攻めてくるのを防ぐことにもなっていたのだと実感しました。もし、この城跡に行かれるのでしたら、道が開いているかどうかチェックしてから出発してください。
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ここに行くには
車で行く場合:東九州自動車道の西都ICから約10分のところです。城跡の前に駐車場があります。
公共交通機関を使う場合は、宮崎駅から西都バスセンター行きの宮崎交通バスに乗って、交流センター前バス停で降りてください。
東京または大阪から宮崎駅まで:飛行機で宮崎空港に行ってから、宮崎空港線に乗ってください。
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リンク、参考情報
・宮崎市佐土原歴史資料館
・「よみがえる日本の城18」学研
・「日本の城改訂版第89号」デアゴスティーニジャパン
・「三位入道(短編集「奥羽の二人」より)/松本清張著」講談社
これで終わります。ありがとうございました。
「佐土原城その1」に戻ります。
「佐土原城その2」に戻ります。