特徴、見どころ
強力な城の後方の防御
お時間があれば、城の背後の側も見ていただきたいです。それは後方の峰はとても狭まっていて、オリジナルの城の通路や遺跡が峰に沿って昔ながらのごとく残っているからです。主郭とその後方にある曲輪は、人工的に作られた堀切によって隔てられていて、後方からの敵の攻撃を防げるようになっていました。その堀切は崩れないように部分的に石垣によって支えられていて、日本の城では稀な事例です。
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その上、2つの土造りの物見台が、堀切で区切られた後方に、峰に沿って並んでいました。物見台台もまた一部が石垣あるいは石積みによって支えられていましたが、これもまた誰が築いたか、または改修したのか分かっていません。
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通路は物見台の脇と間を通っていて、見張り台の間を通っている部分は両側が竪堀によってカットされていてとても細くなっています。物見台の上の守備兵は、敵が攻めてきても容易に捕捉し、反撃できたことでしょう。
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その後
江戸時代には、武田不動尊の石像が2番目と3番目の門跡の間にある曲輪の場所に作られました。それ以来、その曲輪は不動曲輪と呼ばれるようになりました。明治維新後、城があった場所はますます荒廃していきました。そこで地元の人たちは、城跡を保存するため、1929年に「武田信玄公誕生之地」の石碑を建てました。石碑の題字は、旧日本海軍の有名な提督、東郷平八郎が揮毫しました。城跡は1991年以来、国の史跡に指定されています。
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私の感想
要害山城を訪れる時には、武田氏館と両方同時にご覧になることをお勧めします。両方見ることによって武田氏がどのようにその本拠地を守ろうとしていたのか理解できるからです。この2つの城はセットで1つの城のように機能していたのです。ただ、1つだけ甲府市にお願いしたいです。武田氏館においては、ここ最近発掘や研究が頻繁に行われています。ところが、要害山城に限っては同じように発掘や研究が進んでいるようには思えません。現地においても、歴史ファン向けにもっと説明板などが必要ではないでしょうか。また、遺跡一部はかなり草木に埋もれたりしてわかりにくくなっています。武田氏館とセットであるものとして、将来この山城についても整備を進めていただきたいです。
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ここに行くには
この城跡を訪れるには車を使われることをお勧めします。バスの本数がとても少ないからです。
中央自動車道の甲府南ICから約20分のところです。城跡への入口の手前に駐車スペースがあります。
公共交通機関を使う場合は、JR甲府駅から積翠寺行きの山梨交通バスに乗って終点で降りてください。バス停から歩いて約15分で城跡入口に着きます。
東京から甲府駅まで:新宿駅から特急あずさ号か、かいじ号に乗ってください。
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リンク、参考情報
・要害山、甲府市
・「武田信玄 伝説的英雄からの脱却/笹本正治著」中公新書
これで終わります。ありがとうございました。
「要害山城その1」に戻ります。
「要害山城その2」に戻ります。