96.飫肥城 その2

自然と人工物が見事に調和

特徴、見どころ

城の顔、大手門

現在、飫肥城跡と旧城下町に多くの観光客が訪れています。シラス台地の性質から、城の曲輪群は自然と各々独立したような構成になっています。その多くは今は、神社、学校、グラウンド、住宅地になっています。かつての城の中心部分が、曲輪として現存していて、一般に公開されています。

城周辺の航空写真

田ノ上八幡神社となった八幡城
グラウンドとなった中の城周辺
飫肥中学校がある辺りの曲輪群が全体として二の丸と呼ばれていたようです

ビジターは通常、最初は大手道を、オリジナルの石垣の上にある復元された大手門の方に向かって歩いていきます。そしてここが、飫肥城跡のイメージとして一番よく使われる場所となっています。実は、オリジナルの大手門の詳細はわかっていないのですが、現在の門は飫肥杉を部材として伝統的工法により復元されました。よって、この門もまるでオリジナルであるかのように周りと調和しています。門の内側は、立派な石垣に囲まれた四角い防御のための空間になっていて、桝形と呼ばれます。この門の役割がよくわかります。

大手道を進んでいきます
復元された大手門
大手門の内側の桝形
三の丸土塁上から見た大手門桝形

土塁と空堀に守られた三の丸

この大手門は、とても大きい三の丸の入口になっています。三の丸は、門の箇所以外は土塁と空堀に囲まれています。門から三の丸の中に入っていくと、内側から4mの高さがある土塁が見えます。ここは城の中でも古い部分に当たります。現地の説明板によると、土塁はかつては外側にある空堀の底から約16mもの高さがあったそうです。

三の丸に入っていきます
内側から見た三の丸を囲む土塁
外側(大手門前)から見た三の丸を囲む空堀

石垣に囲まれている本丸

土塁の反対側には、高く長い石垣とその上の土塀がそびえており、本丸を囲んでいます。本丸の中に行くには、長く広い石段を歩いていき、ここにも桝形があります。その周辺には飫肥杉が生育していて、とても神秘的に見えます。まとめると飫肥城は、長い時を経て、古い時代の土塁と新しい時代の石垣が合わさって築かれていることがわかります。

本丸を囲む石垣
本丸へ向かう石段
神秘的に見える飫肥杉

本丸には、飫肥城歴史資料館があり、城の歴史を学ぶことができます。また、飫肥小学校もありますが、関係者以外の立ち入りはできません。松尾の丸は、本丸のとなりの少し高い位置にありますが、ここには御殿が再建されています。この通りの建物がここにあったわけではありませんが、他所の現存屋敷を参考にして建てられました。珍しい蒸し風呂もあります。

飫肥城歴史資料館  (licensed by Kthrk25 via Wikimedia Commons)

飫肥杉が素晴らしい旧本丸

旧本丸は、城では一番高地にあります。ここに行くにも長い坂を歩いていきますが、ここにも素晴らしい石垣や桝形があります。この曲輪は江戸時代初めに地震により一旦破壊されてしまいますが、飫肥藩は堅固に再建したようです。しかしそれ以来、城主の御殿は新しい本丸に移っていったので、その中には建物がありません。

旧本丸に向かいます
旧本丸に入っていきます
旧本丸の桝形

その代わりに、飫肥杉が一面に植えられていて、苔のカーペットのような地面からまっすぐ伸びています。まさに壮観です。仮にこれらの飫肥杉が、曲輪が再建されたときに植えられたとしたら、350年近く経っていることになります。

旧本丸の内部
苔のカーペット
旧本丸の飫肥杉

曲輪の背面の方には、復元された裏門もあり、ここから出て他の観光スポットに向かうこともできます。

復元された裏門
裏門からは、かつて二の丸と呼ばれた一帯に出ます

「飫肥城その3」に続きます。
「飫肥城その1」に戻ります。

195.延岡城 その3

城巡りの楽しみとは・・

特徴、見どころ

最後の防衛拠点、本丸

千人殺しの石垣を見た後には、石垣の脇の石垣を登って本丸に向かいます。通路は左に曲がり、これも石垣に囲まれた四角い空間に入り、再び左に曲がって本丸の内部に入ります。この四角い空間は桝形と呼ばれ、本丸の入口を防御しています。石垣の上には門の建物がありました。本丸の内部は今は二の丸のように広場になっています。よって、市街地を眺めるビューイングスポットになっています。かつては、千人殺しの石垣に囲まれて、敵を撃退するための最後の防御拠点となっていたはずです。

石段を登って本丸へ行きます

城周辺の地図

今でも時を告げる鐘楼

本丸のとなりの丘の頂上は、天守曲輪とよばれていますが、実際には天守はありませんでした。この曲輪は小さいので、むしろ物見のために使われたのではないでしょうか。ここには鐘楼があり、鐘守が今でも日に6回、鐘を撞いて時を知らせています。1877年の西南戦争のときに太鼓櫓が焼けた後、1878年から140年以上にも渡って続けられています。単純なことですが、休日もなしに続けるということは今では大変貴重なことです。この曲輪の下には恐らくは天守の代用として、三階櫓が築かれていました。しかし残念ながら1682年に焼失し、現在では石垣台のみが残っています。

天守曲輪にある鐘楼、延岡市ホームページより引用
三階櫓跡  (licensed by PIXTA)

住宅地に隣接する二の丸石垣

お時間があれば、ここも素晴らしい石垣に囲まれている二の丸の西側面の方に行ってみてください。この石垣は城を攻撃してくる敵を防ぐために築かれ、石垣の外側には内堀がありました。しかしその外側の部分は、狭い通路を挟んで住宅地になっています。そのため、この石垣をすぐそばで見ることができますし、現代的な住宅とのコントラストを面白く感じます。

城周辺の航空写真、二の丸石垣は住宅地に近接しています

私の感想

延岡城跡に行ってみるまでは、この城と千人殺しの石垣を築いた高橋元種のことは全く知りませんでした。城や城跡に行くことの楽しみの一つは、実際に現物を見たことでより興味を持ったり、本で読んだりメディアを見ただけより、いろいろと考えてみることができることだと思います。

千人殺しの石垣

ここに行くには

車で行く場合:東九州自動車道延岡ICから約10分かかります。城跡の周りにビジター向け駐車場がいくつかあります。
公共交通機関を使う場合は、JR延岡駅から歩いて約20分かかります。または駅から九州保健福祉大学行きの宮崎交通バスに乗って市役所前バス停で降りるか、まちなか循環バス内回り線に乗って九電前・市役所西バス停で降りてください。
東京または大阪から延岡駅まで:飛行機で宮崎空港に行き、JR線に乗ってください。

リンク、参考情報

延岡城跡・城山公園、延岡観光協会
・「よみがえる日本の城18」学研
・「日本の城改訂版第63号」デアゴスティーニジャパン
・YouTube 延岡青年会議所チャンネル「【延岡城下町プロジェクト】続日本100名城 延岡城!その魅力を徹底解明!」

これで終わります。ありがとうございました。
「延岡城その1」に戻ります。
「延岡城その2」に戻ります。

57.篠山城 その2

城の主要部を訪れます。

その後

明治維新後、篠山城は廃城となり、御殿の一部である大書院(おおしょいん)を除き、全ての城の建物は撤去されました。大書院はしばらくの間、学校や集会所として使われていましたが、残念なことに1944年に失火により焼失してしまいました。第二次世界大戦後には、二重の堀のうち、内堀は公園造成のために埋め立てられました。しかし、1956年に城跡が国の史跡に指定されてからは、風向きが変わりました。丹波篠山市は、2000年に大書院を復元したり、内堀を掘り起こしたりして、城跡を歴史公園として整備しています。

焼失前の大書院の写真、1943年、個人蔵  (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
2000年に復元された大書院
掘り返された内堀

特徴、見どころ

大手門跡から桝形が残る主要部入口へ

現在篠山城跡は、現存する武家屋敷群や城下町の街並みとともに、丹波篠山市によりよく整備されています。ビジターは通常、北側にある外堀前の大手門跡から城跡巡りを始めます。残念ながら大手門とその前にあった馬出しは、破壊されてしまっていて、その痕跡のみが残っています。

城周辺の航空写真

大手馬出し跡

外堀と内堀を通り過ぎて中心部に向かう通路を歩いていくと、城の主要部の入口である表門(おもてもん)及び鉄門(くろがねもん)跡に至ります。ここは今でも二重の桝形を形作っている石垣に囲まれています(更に、二重の桝形はもう一つの中門によって仕切られていました)。よって、大手門も似たような仕組みであったのだと想像できます。

北側の外堀
外堀を渡る通路
大手門があった辺り
内堀を渡る土橋
表門跡、背後が桝形になっています
2つめの桝形に入っていきます(色が違う舗装部分が中門跡)
鉄門跡

復元された二の丸大書院

城の主要部は、前面が二の丸で、後ろの方が本丸となっています。史料館が付属している復元された大書院に入っていきましょう。最初に入る場所が史料館であり、そこでは城の歴史を学ぶことができます。

史料館の入口
史料館の展示の一部

それから大書院に入りますが、中の様子がどうだったのか実際に見て回ることができます。大書院は過去には公式行事のために使われ、正面玄関の上の印象的で大型の入母屋式屋根が目を引きます。現代のビジターは、その玄関からではなく、側面から大書院に入り、部屋を囲む回り廊下を歩いていきます。部屋は8つあり、上段の間、倉庫として使われた闇がり(くらがり)の間、待機場所となっていた虎の間などです。

大書院(正面)
ビジターは正面から見て右側面から入っていきます
虎の間
この辺りが正面玄関の内側
上段の間

大書院の向こう側には、藩主が暮らした住居地区の平面展示、埋門(うずめもん)跡などがあります。

二の丸の住居跡平面展示
埋門跡

本丸と眺めがよい天守台石垣

本丸は城で一番高い位置にあります。江戸時代の間はその内部は空になっていましたが、最後の城主であった青山氏を祀る青山神社が、1882年の設立以来ここにあります。

手前が二の丸、奥が本丸
本丸にある青山神社

大きな天守台石垣が本丸の角地にあり、市街地を望むビューイングスポットになっています。遥かには、三角形の形をした高城山も見えます。そこには八上城(やがみじょう)跡があり、戦国時代に使われていました。天守台石垣の隅には、江戸時代にその大きさに比して随分小さな単層の櫓が建てられていました。

天守台石垣
天守台の上
八上城跡
江戸時代の天守台の様子、、篠山城大書院史料室にある城の模型より

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