特徴、見どころ
城の中心部、本丸と天守曲輪
本丸は今は空き地となっていますが、かつては御殿が建てられていました。その代わりに南西方向に長大な土塁があり、とても目立っています。八幡台と呼ばれています。その上には、物見台または倉庫として八幡台櫓が立っていました。その櫓は、城が廃された後、麓にある真浄寺(しんしょうじ)に移されて、城では唯一の現存建物とされています。
城中心部の地図城の最後の詰めの場所として、八幡台の北東側の端の向こうにある頂上に、天守曲輪があります。曲輪の手前にある堀切にかかる細い土橋を渡っていきます。そして、曲輪を構成する三段の石垣の足下に着きます。元あった天守はその上に築かれていましたが、明治時代に佐志能神社(さしのうじんじゃ)の建物に置き替えられました。天守の廃材が神社建設の資材として使われたと言われています。石垣は部分的に大きな自然石を使っているようで、荒々しく且つ野性的に見えます。しかし残念なことに、2023年11月時点でビジターは石垣を登って頂上までは行くことができません。石垣が崩壊する恐れがあるからです。石垣の麓からその上に建つ神社をちらりと見ることができるのみです。
別の道を通って佐白山麓公園へ
山麓の駐車場へは、元来た道を戻ることもできますが、帰りは別ルートに挑戦してみることもできます。天守曲輪とは反対側の八幡台の向こう側に、峰上を通る山道があります。この峰は城の防衛拠点になっていて、別の櫓(穴ヶ崎櫓)も建てられていました。しばらくその山道を下っていくと、道は深い空堀の底を通ります。これは、蒲生郷成が築いた城全域を囲む外郭空堀の一部なのです。この場所を歩いてみることでその大きさを実感できます。
城周辺の地図最後は山麓にある浅野長直が築いた下屋敷跡に到着します。屋敷跡は今では佐白山麓公園になっています。ここには時鐘楼があって、江戸時代末期に作られた古い鐘が収められています(建物自体は新しく、自動的に鐘を撞いています)。出発地点の駐車場は、公園のすぐ下にあります。
その後
明治維新後、笠間城は廃城となり、全ての城の建物は撤去されるか、八幡台櫓のように移築されました。山上の区域は笠間県立自然公園となり、山麓の区域は佐白山麓公園となりました。笠間市は2013年以来、城跡の調査を続けており、保存を進め、且つ近い将来に国の史跡かそれに準ずるものに指定されることを目指しています。しかし、2011年に起こった東日本大震災による損傷のため、城跡の頂上部分に立ち入ることができません。笠間市はどうやってその部分を修復し再び公開できるか検討も行っています。
私の感想
笠間城や笠間市には多くの見どころがあります。私の場合は、一回行った後に城のことを学んでみると、見逃した場所や他の行き方を試すためにまた訪れたくなりました。最初にこの城跡に行ったときは、頂上の石垣のところまで立ち入ることができましたが(2011年以後でしたが)、石垣の一部は崩れていました。最近行ったときには、シートに覆われていて立ち入り禁止となっていました。とても残念に思いましたが、一日も早く修復され見学できるようになることを願っています。
ここに行くには
車で行く場合:北関東自動車道の友部ICから約20分かかりまsj。
既にご案内の通り、山麓と中腹に駐車場があります。
公共交通機関を使う場合は、JR友部駅から観光ツアーバスに乗って、日動美術館バス停で降りてください。
東京から友部駅まで:東京駅か上野駅で特急ときわ号に乗ってください。
リンク、参考情報
・笠間城跡、笠間市公式ホームページ
・笠間城について、かさま歴史交流館井筒屋公式HP
・「かさま歴史ブックレット2 笠間時朝とは何者か?」笠間市教育委員会
・「歴史群像113号、戦国の城 常陸笠間城」学研
・「よみがえる日本の城15」学研
・「日本の城改訂版第26号」デアゴスティーニジャパン
これで終わります。ありがとうございました。
「笠間城その1」に戻ります。
「笠間城その2」に戻ります。