イントロダクション
今回は、小倉城下町の中心地だった常盤橋からスタートします。橋の跡ということで、江戸時代の橋脚が展示されています。そして、橋そのものも木造で復元されていたはずなのですが、そんな橋は見当たりません。復元された橋は、老朽化で解体されたとのことです。


この橋は、長崎街道などの起点で、周りに湊もあって賑わっていました。その雰囲気を味わいたかったのですが残念です。今後架け替えも検討するそうなので、新しい橋ができたら渡ってみたいものです。


それでは、紫川沿いに城に向かいましょう。今でもこの川が町の中心を流れていて、リバーサイドがよく整備され、気持ちがいいです。

現在の城の北の入口、虎ノ門跡の前に来ました。今回はまず、ここから天守まで攻め込みます。その後は、残っている城の他の部分を歩きましょう。そして、広大だった城の痕跡も探ってみます。最後はついに、巌流島に上陸です。

今回の内容を趣向を変えて、Youtube にも投稿しています。よろしかったらご覧ください。
特徴、見どころ(小倉城と巌流島、現地ツアー)
いきなり天守を攻略
城周辺の地図虎ノ門は、48あった小倉城の門のうち、最大のものでした。鏡石を含む、すごい石垣に囲まれた、枡形になっています。さすが最大の門です。

天守を目指して進みます。左側(南側)は、小笠原時代には藩主の別邸がありました(「御下屋敷」)。現在、その別邸の庭園が「小倉城庭園」として復元されています。


そうするうちに、天守が現れました!これはかなり大きいです。実は、現在の小倉城天守は、オリジナルより高く作られていて、全国に今ある天守の中では、6番目の高さになっています。創建当時は一階の広さがナンバー1だったというから、もっと大きな天守を建てることができたのかもしれません。



オリジナルの天守台石垣(高さ18.8m)を含めた姿も注目です。石垣がまっすぐ広がっている感じです。

ここでは天守を眺めるだけですので、改めて天守入口を目指します。敵だったらとっくに攻撃されているでしょう。この辺りにも「大手先門」がありました。

大手門跡に着きました。ここも堂々とした石垣と枡形です。いかにも、ここからお城の中心という感じがします。ただ、ここが大手門になったのは、小笠原時代とのことです。しかし天守に近い門なので、細川時代から重要な門だったのでしょう。

その先は天守までまっすぐ行けてしまいそうです。今はそうなのですが、江戸時代はまた別の門を通る必要がありました。その一つが、欅門です。この門を通れるのは、藩主・家老・高位の僧のみでした。敵どころか、お殿様気分です。


天守に着きました!江戸時代と同じように、続櫓から天守に入ります。天守内部は5階構成になっていて、1階はエンターテイメントエリア、2階は小倉の歴史を学べるフロアです。オリジナル天守の模型があります。




3階はなんと小次郎と武蔵のコーナーになっています。武蔵のフィギアがあって、とても敵いそうにありません。


最上階はカフェになっています。小倉の街もよく見えます。


現・小倉城の周りを歩く
城周辺の航空写真今度は、西から本丸に迫ってみましょう。ここも立派な門の跡です。ここには西ノ口(にしのくち)門があって、細川時代はこちらが大手門でした。かつてはここも枡形だったようです。

入っていくと、右側(南)に新しめの門跡があります。本丸の南側は松の丸で、門跡は、明治以降に軍隊によって使われた時代のものです。細川時代には細川忠興の父・幽斎(藤孝)の居所でした。

その向かい側に、本丸の別の門跡があります。鉄(くろがね)門跡です。一般の家臣は、こちらの門を使って出入りしていました。身分によって通る道も分けられていたのです。

また軍隊風の門が見えてきました。こちらは本丸にあった司令部のものです。門だけでも歴史がわかります。

そこから進んだ本丸内部には、江戸時代には御殿がありました。また天守とご対面です。しかも、ここにも武蔵と小次郎がいました!


続いて、大手門跡の前に戻って、城の外側を巡ってみます。南側に回り込んでいくと、右手に松の丸の石垣が見えます。左手は三の丸跡で、かつては重臣たちの屋敷がありました。その後は大きな軍事工場(小倉工廠、後に小倉陸軍造兵廠)になりました。そこが2発目の原子爆弾の第一目標地点になったのです。跡地には原爆犠牲者の慰霊碑も設置されています。これも忘れてはいけない歴史です。



さっき通った西ノ口門跡を右手に見ながら北に進みます。また堀と石垣が見えてきましたが、本丸と北の丸になります。北側に回り込んで、北の丸に入りましょう。まるで城のような立派な建物がありますが、1934年から八坂神社の敷地になっているのです。ちなみに、江戸時代には藩主の奥向きの屋敷地でした。




実は、北の丸からの通路が結構面白いのです。一つ目は本丸への通路です。本丸へのもう一つの門だった多聞口(たもんくち)門の跡周辺には、毛利勝信時代の古い石垣が残っているのです。この門も、枡形になっています。



それから、逆の方に向かっていくと、北口(きたくち)門跡を抜けて、最初に天守を眺めたところに出るのです。城というのは、守りを考えながらも、それぞれが通じるようにも作っているのでしょう。



広大だった城の痕跡を探る
次はどこに行くかというと、神社の鳥居の脇にある大石が、かつてあった場所です。小倉城の外郭の門の一つ、中津口(なかつぐち)門の跡です。大石は門の石垣に使われていました。中津口は中津街道に通じる重要な関門だったのです。


城の絵図を見ると、城の中心部よりかなり離れています(直線距離だと1kmくらいでしょうか)。城はかつてはこんなに大きかったのです。しかも、手前の橋の下を流れる川(砂津川)は、外堀として掘られたものなのです。その外堀をたどって、門司口門跡まで行ってみましょう。


外堀と言われなければ、普通の川にしか見えません。その途中には「富野口」もありました。
小倉周辺の地図
線路も渡っていきます。新幹線の高架下に来ました。説明パネルがあります。門司口門跡に到着です。こちらは門司往還に通じていて、大名の参勤交代にも使われました。ここも重要な関門だったのです。現在も、砂津川にかかる橋を渡って、門に入っていくルートを追体験できますが、その当時は3回折れ曲がる必要がありました。



せっかくなので、海が見えるところまで行ってみましょう。船(市営渡船)が出るところまで来ました。この向こうに、巌流島があるのです。


いよいよ巌流島へ!
門司港駅に来ました。駅舎がレトロ感満載です。


これから、巌流島連絡船に乗り込みます。関門橋も見えます。船はぐんぐん進んで、もう島が見えてきました。片道約10分の航海です。



巌流島に着きました!現在の島はビジター向けに整備されているようですが、やはり「小次郎・武蔵像」に行ってみましょう。城跡とはちがうものとはわかっていても、なんだかわくわくします。途中には記念碑がたてられています


そして、いよいよです。武蔵と小次郎、迫力満点です!


佐々木巌流之碑にお参りをしたら、帰りの船まで、島と関門海峡をゆっくり見物しましょう。武蔵が乗った船を再現した展示まであります。この海峡では、壇ノ浦の戦い、下関戦争などが起こっていて、巌流島の決闘もそれらの出来事の一つでした。今でも結構船が行き来していて、それを眺めていると落ち着いた気分になります。




私の感想
現在の小倉城はイベント開催に力を入れていて、ライトアップは毎日あって、色が変わる日もあるそうです。天守攻略は何度やっても気分がいいものです。違った趣きの城をまたゆっくり見学したくなります。

リンク、参考情報(追加分)
・「小倉城ものがたり 第41話 小倉城の“門”紹介(2)」~城内の門の読み方を参考
・「「人力」旧街道紹介サイト 中津口門」~外郭の門の読み方を参考
・巌流島、山口県観光サイト
これで終わります。ありがとうございました。
