66.津和野城 その3

津和野町は城跡の維持に多大な努力をしています。

特徴、見どころ

三十間台と天守台

人質櫓の次は、城の最高地点で三十間台と呼ばれ、54mの長さがあります。江戸時代には土塀に囲まれていましたが、今は広場になっていて絶景ポイントとなっています。赤褐色の屋根に彩られた津和野町の街並みの眺めを楽しみましょう。

城周辺の地図

三十間台
三十間台からの眺め
赤褐色の屋根に彩られた町並み
三十間台から人質櫓の方を見ています
三十間台周りの斜面、多くの石垣が崩れてしまったそうです

三十間台の下隣には天守台石垣があります。日本の城で天守が最高地点にないのは珍しいケースです。

三十間台下の天守台
天守台の上

城下町の見どころ

お時間があるようでしたら、かつての城下町沿いにある多くの歴史遺産をご覧になってはいかがでしょうか。復元された藩校、現存する重臣屋敷の門、西周や森鴎外の旧居、そして坂崎直盛が飼育を始めさせた鯉などです。

復元された藩校、養老館
藩校の内部
津和野藩家老多胡家表門
西周旧宅
水路で飼われている鯉

その後

明治維新後、津和野城は廃城となり、ほとんどの城の建物は撤去されました。そのうちの一つ、山麓にあった門の一つが浜田県庁舎の正門として使われ、最後は浜田城跡に移設されました。その当時、津和野藩は浜田県(旧浜田藩)に統合されていたのです(その後、現在の島根県に統合されました)。その門は今でも浜田城跡にあります。津和野城跡は、1942年に国の史跡に指定されました。津和野町は城跡の維持のため、その調査と修復をひとつひとつ継続して行っています。

浜田城跡にある津和野城の門

私の感想

坂崎直盛がこの城にいたわずか16年間で、このような急峻な山の上に石垣を含む城の建設を完成させたことは、どんなに大変な事だったか想像もつきません。津和野町が、何とかこの城跡を維持整備していただくことを望みますが、これも大変な仕事です。次にこの城跡を訪れる時には、山麓から登ってみようと思います。その途中では、吉見氏が初期にこの城を築いたときの遺構が見れるそうです。

山上に見える南櫓門の石垣

ここに行くには

車で行く場合:中国自動車道の六日町ICから約40分かかります。山麓にあるリフト乗り場の前に駐車場があります。
交通機関を使う場合は、津和野駅から歩いて(リフト乗り場まで)約20分かかります。また、駅から石見交通バスか津和野市営バスに乗って、森バス停で降りてリフト乗り場に行くこともできます。
東京または大阪から津和野駅まで:山陽新幹線に乗って、新山口駅で山口線に乗り換えてください。

津和野駅

リンク、参考情報

日本一の山城を体感!、津和野町
・「よみがえる日本の城6」学研
・「坂崎出羽守、津和野ものがたり(4)/沖本常吉著」津和野歴史シリーズ刊行会
・「史跡津和野城跡保存管理計画書」島根県津和野町

これで終わります。ありがとうございました。
「津和野城その1」に戻ります。
「津和野城その2」に戻ります。

129.龍岡城 その3

城跡は新たなランドマークとして生まれ変わります。

その後

龍岡城は、明治維新に伴って1871年に廃城となりました。御台所を除く城の全ての建物は、売却され撤去されました。石垣や水堀も埋められてしまい、学校用地や畑として使われました。築城者である松平乗謨は、時代遅れとなった「松平」姓を捨て、大給恒(おぎゅうゆずる)と改名しました。彼は、明治時代に後の日本赤十字社の前身である博愛社の設立に参加しました。

この写真は大給恒時代のもの (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)
博愛社創設許可の図、寺崎武男作、許可を受けているのは佐野常民   (licensed under Public Domain via Wikimedia Commons)

龍岡の人たちは、1932年に城跡の再興をスタートさせ、堀を掘り起こし、石垣の修繕を行いました。その結果、1934年には城跡は国の史跡に指定されました。それと同時に大手門跡前の橋が復元されました。最新の情報として、城跡にある田口小学校は学校統合のため、2023年3月に閉校となりました。城跡を所有する佐久市は、閉校の後は、城跡を江戸時代の城の姿にできるだけ近づけるよう復元することを検討しています。近い将来、大手門を復元する計画です。また、御殿を復元することも考えています。それを御台所を元の位置に戻したり、その他失われた建物を再建したり、移設された建物を城跡の元の位置に返してもらうよう持ち主に交渉することで実現しようとしています。

龍岡城跡の堀
大手門跡

私の感想

乗謨はもし戦いが起こったならば、龍岡城を使うことはなかったのではないでしょうか。その代わりに、もと田口城だった所に行って龍岡城に狙いを定めたのではないかと想像します。敵が龍岡城に至ったとき、山の上から反撃したことでしょう。龍岡城はその地域周辺では際立ったランドマークであり、敵を容易に引き付けることができるからです。これは全く私の個人的妄想です。新しい龍岡城が将来どのような姿になるのか今から楽しみです。

田口城跡(展望台)から見た龍岡城跡

ここに行くには

車で行く場合:中部横断自動車道の佐久南ICから約20分のところです。城跡周辺にいくつか駐車場があります。
公共交通機関を使う場合は、JR臼田駅か龍岡城駅から歩いて約20分かかります。
東京から臼田駅あるいは龍岡城駅まで:北陸新幹線に乗って佐久平駅で小梅線に乗り換えてください。

五稜郭であいの館のところにある駐車場

更に、五稜郭展望台に行くには、城跡から長野県道120号線を北に約500m進み、展望台の案内板がある所で右に曲がってください。展望台はそこから2.1km林道に沿って進んだところにあります。案内板が随所にあります。車で行かれる場合は、小型のオフロード車であれば最終地点まで行けますが、そうでないときは、最初の案内板の辺りにある駐車場に停めた方がよいでしょう。

長野県道120号線
展望台への入口
入口近くのある駐車場(右側)
林道を通って行きます
展望台近くの駐車場

リンク、参考情報

龍岡城五稜郭、佐久市観光協会
・「よみがえる日本の城14」学研
・「松平家の謎 江戸時代と徳川家のルーツ/歴史読本編集部編」新人物文庫
・「幕末維新の城/一坂太郎著」中公新書
・「史跡龍岡城跡整備基本計画」佐久市教育委員会

これで終わります。ありがとうございました。
「龍岡城その1」に戻ります。
「龍岡城その2」に戻ります。

2.Goryokaku Part3

If the Benten Cape Battery remained…

Features

Goryokaku Tower

Apart from the ruins themselves, you should consider visiting Goryokaku Tower, a 107m tall observation platform built exclusively for viewing Goryokaku. Goryokaku was designed flat to prevent enemies’ canons from targeting anything, so today’s visitors might not be able to grasp its shape. If you go up in the elevator of the tower to its observation room at 90m high, you will enjoy a great view of the star shaped fort.

Goryokaku Tower
The miniature model of Goryokaku, exhibited in the tower
A view of Goryokaku from the observation room
Hakodate Mountain and the city area can also be seen from the observation room

Ruins of Square Style Fort

Another attraction related to Goryokaku is the ruins of Shiryokaku, the Square Style Fort, about 5km away from Goryokaku in the northeast. It is much smaller than Goryokaku, so you can see its unique structure once you arrive at the ruins.

The aerial photo around the castle

The entrance of the Square Style Fort Ruins
You can see the square shape when standing at the edge
The edge seemed to have a cannon

Later History

After the Battle of Hakodate ended, almost all the buildings of Goryokaku were demolished. The Imperial Japanese Army owned the ruins to use as a parade ground during the Meiji Era. In addition, the water in the moats was used to make ice blocks called Hakodate Ice between 1870 and 1953. This was because the water had been led from Kameda River and was clean since the foundation of Goryokaku. In 1913 during the Taisho Era, Hakodate City asked the Minister of the Army to open the ruins as a park, which was accepted in the next year.

The water moat was used to make ice blocks
Looking outside from the edge of a bastion

My Impression

I regret that there are no ruins of the Benten Cape Battery at all. It was completely scrapped and its stone materials were reused for the improvement of Hakodate Port in 1899. Only the signpost stands now where the battery was. If only a little of it remained like Shinagawa Batteries in Tokyo Bay, people could easily understand the sharing of roles between it and Goryokaku. Anyway, I hope Goryokaku will keep its unique position in the Japanese history with its unique style among Japanese castles.

The ruins of the Benten Cape Battery
The monument of the improvement of Hakodate Port
The stone materials from the Benten Cape Battery must hove been used somewhere in the port

How to get There

If you want to visit the ruins by car, It is about a 20-minute drive away from Hakodate Airport or the center of Hakodate City. From Shin-Hakodate-Hokuto Station, it takes about 40 minutes to get there. There is a parking lot for visitors beside the park.
If you want to use public transportation, you can take the Tram Hakodate bound for Yunokawa from Hakodate Station and get off at the Goryokaku-koen-mae stop. It takes about 15 minutes on foot from the stop to get there.
To get to Hakodate Station from Tokyo or Osaka: Take the Hokkaido Shinkansen super express at Tokyo Station and transfer to the Hakodate Line at Shin-Hakodate-Hokuto Station.

Links and References

Official Website of Goryokaku Tower

That’s all. Thank you.
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